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スター誕生 その5

 翌日のこと。昨晩の仕事の疲れが残っているのか、11時を過ぎても寝室から出てこない莉緒を置き、俺はそっと家を出た。向かったのはいつもの喫茶店――マスクドライドである。


 来店の目的は、コーヒーでもなければ、スーツのメンテナンスでもない。莉緒の正体を探るためだ。昨日、莉緒は男達に狙われていることについて、「見当がつかない」の一点張りだった。しかし、人から狙われるのにはそれなりの理由があるはずであり、つまりアイツは何かを隠しているということである。


 本来ならばこの件については百白を問いただすのが一番なのだろうが、電話が繋がらないのだから仕方がない。アイツには、今度会った時にとりあえず拳骨をくれてやろうと俺は心に決めた。


 店の扉を開けると、煙草を咥えながら食器を磨く愛宕愛乃が、こちらを見ずに「いらっしゃい、翔太朗」と声を掛けてきた。相も変わらず、無愛想という表現が恐れをなして逃げるほど無愛想な女だ。


「おう」と言いつつカウンター席に腰掛けると、愛宕は何も言わずにコーヒーを出した後、「何の用?」と吐き捨てる。仮にも客相手に、とんでもない接客態度である。


「いや、ちょっと聞きたいことがあってな。八兵衛はいるか?」


 愛宕は黙って窓際の席に座るこの店の店主――立花八兵衛を指した。上半身をテーブルに投げ出し、ヘッドホンを両耳に当てているのは、恐らく休憩中なのだろう。


「朝来たらあの状態だったの。仕事が立て続けだったらしいわよ。息はあるし、まあ大丈夫でしょ」


 雇い主にもこの態度。冷徹というか、ここまでくると最早、絶対零度である。


 動かぬ八兵衛に歩み寄り、寝息を立てていることを一応確認した俺は、席に戻って例の件についてとりあえず愛宕へ訊ねてみることにした。


「愛宕、田山莉緒って知ってるか?」


「知らない。何者なの、その女」


「ヒーロー志望で百白の姪。よくわからん男共に狙われてて、それ以外は謎」


「だったら、その情報の通りの女ってことでしょ。ツマンナイこと聞かないでよ」


「そうなんだけどな。でも、なんか隠し事してるような気がしてならないんだよ」


「そう」と興味なさげに言った愛宕は食器を磨く作業に戻る。どうやら脈無しのようだ。わからないのならば仕方ない。百白を殴って問い詰めるしかなかろうと諦めたその時、ふと愛宕は何かを思案するように人差し指で唇を撫で始めた。


「……でもその名前、なんだか、どっかで聞いた覚えはあるのよね」


「本当か? 知り合いかなんかか? もしくは、ニュースで名前を見かけたとか」


「違うと思う。でも、とにかく似たような名前に覚えだけはあるのよ。どこだったかしら」


 しばらく考え込むようにしていた愛宕だったが、やがて諦めてしまったのか、「まあどうでもいいけど」と独り言のように呟いた。こちらとしてはどうでもよくはないのだが、出来ないことを強制したってしかたがない。俺は「ノンビリ思い出してくれ」と言って、提供されたコーヒーを飲んだ。


「そういえば、その田山って子と翔太朗って、どういう関係なの?」


「関係ってほどでもねぇよ。訳あって居候させてる」


「それってつまり、新しいオンナってこと?」


「真面目な顔して馬鹿言うな。んなわけねぇだろ」


「――でも、当たらずとも遠からずってとこじゃないですか?」


 背後からふいに声が聞こえたと思ったら、右隣の席に誰かが腰かけた。大きなマスクにサングラスで顔を隠してはいるが、間違いない。莉緒である。


「……なんでここにいるんだ、お前は」


「起きたらちょうど翔太朗さんが家から出るとこで、なんとなく追いかけてきちゃいました」


「……鍵はどうした」


「イヤですねぇ、昨日と同じです。窓から出てきたんですよ」


「……忍者か、お前は」


 困惑する俺をよそに、莉緒は「どもども」と軽い調子で愛宕に挨拶する。


「翔太朗さんのお仕事を手伝っている田山莉緒です。愛宕愛乃さん、ですよね? 翔太朗さんから聞いてたお話の通りの方ですね」


「あら、どんなこと聞いてたのかしら」と興味無さげに言った愛宕は、カウンターに両肘を突いて、至近距離から莉緒の顔を値踏みするように眺める。


「チョットだけ雰囲気は怖いけど、とても素敵な方だって」


 そんなこと言った覚えはまったく無い。まったく無いのだが、ここで否定してはマズイ気がして黙っていると、愛宕はふいに薄く微笑み、煙草の煙を俺に吹きかけてきやがった。莉緒がニンジャなら愛宕はヤクザだ。ジャパニーズ・カルチャー大好きの外人をこの場に連れてきたら大喜びするに違いない。


「なかなかカワイイ子じゃない。手、出しちゃダメよ、翔太朗」


 そう言うと愛宕はキッチンへと引っ込み、五分ほど後、大きな苺のパフェを持って戻ってきた。


「お店からの奢りよ。お近づきの印にどうぞ、莉緒ちゃん」


「いいんですか?」と瞳を輝かせる莉緒に、愛宕は「もちろんよ」と言って微笑む。


 その優しさの一割でも俺に振りまいたらどうなんだ、愛宕。





 マスクドライドを出たのが午後の1時。あれから、パフェに加えてナポリタンまで食った莉緒は、満足そうに腹を擦りながら、「愛宕さん、いい方でしたね」と俺に話しかけた。


「まあ、悪い奴じゃない。というかお前、どうして愛宕のこと知ってんだよ」


「おじさんからあらかじめ色々と聞いてたんですよ。ほら、わたしが翔太朗さんのパートナーとして認められるためには、上手いこと外堀を埋めなくちゃならないんで」


「……司と愛宕に媚び売ってたのはそのためか」


「媚びじゃないですって。一文字さんは本当にカッコいいと思いますし、愛宕さんは本当に素敵な方だと思いますよ」


 説得力は微塵も無いが、それを指摘したところでどうしようもない。そもそも俺としても、司達と喧嘩されるよりも、こうして形だけでも仲良くして貰った方がずっといい。何より、どうせコイツが俺の家にいる生活もあと一週間経たない程度で終わるのだと思えば、どうだっていいと言ってしまっても過言ではない。


 川に落ちた桜の花びらのように、流れのままに流される現状を受け入れて歩いていると、莉緒が思い出したように足を止めた。


「すいません、翔太朗さん。ちょっとコンビニ寄っていいですか?」


「あんだけ食った後で、まだなんか食うつもりか」


「違いますよ。食後はガムって決めてるんですけど、持ってくるの忘れちゃったんです」


 やっぱり食うんじゃねぇか、という言葉を噛みしめるうちに、莉緒は「じゃ、行ってきまーす」と、道路の向こうにあったコンビニへ向かっている。待ってやる義理もないが、待たなかった結果、文句を言われるのも嫌なので、流れのままにその場で立っておとなしく待っていると、何やら「おーい!」と元気な声が聞こえてきた。道路の向こうから勢いよく手を振りながらこちらへ走ってくるのは来華である。たしか、今日は午前中で授業が終わるとか言っていたから、学校の帰りか何かなのだろう。


 来華は俺とぶつかる直前に急ブレーキをかけて止まると、無意味に俺の肩をバシバシ叩いて笑った。こんなわけのわからんことをされても不思議と腹が立たないのが、来華の魅力である。


「相変わらずヒマそーだねー、センセー! 空いた時間は特訓でもしたら?」


「勘弁しろよ。どうせ今日もお前の家に行ったら筋トレ地獄なんだろ?」


「当たり前っ! 今日からはメニューをさらに増やしてくから、そのつもりでっ!」


 人の家に出向いてひたすら筋トレを行うだけの人間を果たして家庭教師と呼べるのか。疑問に思うまでもなく、呼べるわけがない。いたとすればそいつこそが紛れもなく、現代の妖怪である。


 さて、そんな現代の妖怪兼ヒーローである俺へ、来華はさらに続けた。


「それにしてもセンセー、こんなところでぼけーっと立って、何やってたの?」


「知り合いのガキを預かっててな。そいつがコンビニに行ったから、ここで待ってたんだ」


 そんな話をしていたところ、コンビニから莉緒が出てくる。噂をすればなんとやらだ。俺は「じゃあまた後でな」と来華へ手を振り別れようとしたが、どういうわけだか来華は、莉緒の方を見たまま表情を強張らせ固まっている。まるで幽霊か何かを発見したかのようだ。


 数秒の沈黙の後、来華は声を震わせながら、「オリタマヤだ」と呟いた。


「……急にどうしたんだ。あいつは織田なんて名前じゃなくて田山――」


「オリタマヤだよ、センセーっ! 知らないのっ?! 運動神経バツグンでファンサービスも最高っ! つい最近失踪したカッコかわいいスーパーアイドルっ!」


 来華は興奮したように俺の胸倉を掴み、力強く熱弁した。何を馬鹿なこと言ってやがると思いつつ視線を移せば、莉緒の姿は消えている。何がなんだか理解が出来ないうちに、「どこ行っちゃったの、マヤちゃん?!」と騒ぐ来華は無軌道にその場を走り去る。


 取り残された俺は、流れに逆らわず帰路を歩いた。


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