スター誕生 その4
莉緒の一件を、俺が言い表しようもない驚きで迎えた一方で、司は強烈な怒りを露わにした。「なんだ貴様は」「ふざけてるのか」「これは遊びではない」などと立て続けに莉緒へ言葉を浴びせた司は、いつ殴りかかるかわからないほど怒気を発していたが、ファントムハートの衣装が自制を効かせたのか 拳が出るまでには至らなかった。
時間も12時に迫っていたというのもあって、とりあえず司を帰らせた俺は、続けて莉緒を家まで送った。本来ならば追い払ってもよかったのだが、「帰る家が無いのは本当ですよ?」と先んじて言われてしまい、そうする事も出来なかったのである。
「それと、これも言っておきますけど、今日の件でおじさんは何も関係ありませんから。ただ、わたしがタマフクローのファンで、その正体が翔太郎さんだっていうことを知っていて、その延長線上で一文字さんのことも知っていたってだけです」
帰りの道中、莉緒はこんな弁明をした。到底、信じられるわけがない。「だったらお前が俺の家に預けられたのもたまたまだっていうのか?」と問うと、「ノーコメントです」との答えがあり、不信感はますます募った。
「……そういや、お前、鍵はどうしたんだ」
「ご心配なく。窓から出たので鍵はしっかり掛かってますよ」
忍者か、コイツは。
莉緒を一旦家まで送り、それから仕事を再開し、見回りを終えたのが午前4時前。自宅に戻った俺は、タマフクローのスーツを脱ぐより先に百白へ電話をかけた。時刻はまだ早朝。アホな犬だって起きていない時間だ。当然のごとく、一度目、二度目は繋がらなかったが、三度目の電話でようやく繋がり、『もしもし』と眠そうな百白の声が受話口から聞こえてきた。
「おい、百白。寝ぼけてんじゃねぇぞ。どういうことなのか説明しやがれ」
『どういうことって、なんのことかな』
あくび混じりのその声は、いかにも『何を言いたいのかわかりません』と主張するような調子だったが、答えるまでの不自然な間が、何か隠し事があるということを確信させるには十分だった。
「下手なしらばっくれ方してんじゃねぇぞ。莉緒のことだ。なんだアイツは」
『ああ、あれね。あの子、ちょっと前まで体操選手やっててさ。身体能力はピカイチで――』
「そこじゃねぇ。いや、そこも疑問だったけど、俺が聞きたいのはどうしてアイツが俺や司の正体を知ってるのかってことだ」
核心を突くと百白は『ええ?!』とわざとらしく素っ頓狂な声を上げる。やはり、俺に話していない事があるらしい。
「ええ、じゃねぇんだよ。知ってたんだろお前は。知ってて、それでアイツを俺のところまで送り込んできたんだろ。なんの目的があるんだ。全部正直に話せば、拳骨一発で済ませてやる」
『いやぁ、話せって言われても何も知らないし……おっと、ボクに電話? いやそれはマズイって。今取り込み中で……え? スポンサーから? だったら出なくちゃマズイかなぁ。しょうがないよね、ウン、しょうがない』
「ふざけろ百白。なに隠してんだ」
『ゴメンよ本郷クン。話はまた今度。キミならなんとかできるさ』
追求から逃げるように、通話はそこで一方的に切られた。俺は幾度と電話をかけ直したがさっぱり繋がらず、ついには着信拒否という強硬手段すら取られ、百白への電話で得られたものは多大なストレスのみであった。
スマホを投げつけたい衝動をなんとか抑え、とりあえずシャワーを浴びに浴室へ行こうとすると、背後から「だから言ったじゃないですか」と声を掛けられた。振り向けば、疑惑の人、田山莉緒がソファーに座っている。
「おじさんは何も関係ありません。ここへ来たのは本当にたまたま。あなたの後を追いかけたのはわたしの意志です」
「信用出来ると思うか?」
「信用する以外に無いと思いますけどね」
そう言って莉緒はくすくすと笑いながら俺に大きな瞳を向ける。
「そんなことより翔太郎さん。わたし、翔太郎さんのパートナーになりたいんです。動けることは昨日見せた通りですし、役立たずってことは無いと思いますけど。よければ、テストとかして頂けませんか?」
「ダメに決まってんだろ。お前みたいに得体の知れないヤツに、背中を預けられると思うか?」
「いいんですかね、そんな無下に断って。わたし、翔太郎さんの正体も、一文字さんの正体も知ってるんですよ?」
「……脅すつもりか?」
「まあ、そうなりますかね。でも信じてください。わたし、翔太朗さんに敵意は無いんです」
この女がどういった目的を持っているのかはさっぱりわからないが、少なくとも、敵意が無いという言葉は真実だろう。それならば、一旦この女の言うことを聞いておき、後ほど適当にあしらった方が得策だ。
心中で計算を済ませた俺は、「わかった」と了承してみせた。
「とりあえず、今日の夜から試用期間だ。そこで、お前がヒーローとしてやっていけるかどうか見極めてやる」
「よかった。その答えを聞けて安心しました」
そう言ってホッと息を吐いた莉緒は、飛び上がるようにしてソファーから立ち上がると、キッチンへ入り、コンロの鍋に火をかけた。
「じゃ、とりあえず朝食ですね。うん? それとも、これが夕食になるんですかね。どっちなんだろ」
〇
その日の夜。家にやって来た司は未だ居座る莉緒を見て、下あごを突き出したなんともいえぬ表情で不快感をあらわにした。事態は早々に一触即発かに思われたが、そこは莉緒が一枚上手である。
司が何か言い出すより先に、ふと正座をして背筋を伸ばした莉緒は、手を床につきながら「昨日は失礼な態度を申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げた。〝口撃〟はこれだけに止まらず、「ヒーローの鑑であるファントムハートさんにお会いできたせいで、昨日はつい舞い上がってしまい」などと調子のいいことを付け加えたものだから、司としては悪い気はしなかっただろう。
司は唇の片側を僅かに上げ、フフと息が漏れそうになるのを必死に堪えながら、「世辞は必要ない」などと言ったが、説得力は欠片も無い。
それから俺は改めて、今日の夜の見回りに莉緒がついて来ることを司へ説明した。無論、司は「我々の活動は遊びではない」と納得しなかったが、莉緒が「本気でファントムハートさんのようなヒーローになりたいんです」と言ったのを受け、これまたフフと嬉しそうに息を漏らしながら「まあ、少しくらいはいいだろう」と了承した。コイツも存外、単純なところがある。
それから俺達は莉緒手製のビーフシチューとミニオムライスを夕食とし、準備を済ませて夜の街へと繰り出した。
桜の花びらも散る頃になった今も、街は相変わらず浮かれた春色に染まっている。あちこちで開かれる新入社員歓迎会に大学のサークルの新歓コンパ。呑み過ぎで酔いつぶれた奴は道に転がり、そいつらを狙ってスリが忙しく働く。一種の春の風物詩だ。
今日は昼過ぎからつい先ほどまで強い雨が降っていたせいで、屋根が未だに濡れたままである。滑って落ちて怪我をしては元も子もないので、こういった日、俺は積極的に道路を歩く。
駅前、商店街、不良がたむろしやすい広場など、事件の火種が落ちていそうなところを一通り歩き、小さなトラブルを数件解決して周るうち、あっという間に時刻は11時半を回った。
石ノ森駅前まで戻った俺達は、大きな交差点にかかる歩道橋の上で小休止を取っていた。頭上に薄く広がる雨雲の甘い香りを嗅ぎながら、雨に濡れた街が人工的な光を受けてにわかに輝く光景を眺めるのは、開放的な気分になれて心地よい。
あたりを眺める司は、「うむ。今日はたいしたことが起きなくて何よりだったな」と満足そうに言う。その言葉に莉緒が、「でも、少し退屈じゃありませんでした?」と不満げに応じた。
「正直、昨日みたいに刺激的なことが毎日起きるんだってばっかり思ってました。酔っ払いを注意したり、喧嘩の仲裁程度じゃ、ヒーローらしくないっていうか」
「気持ちはわかるさ。しかし、我々が退屈だったということはつまり、今日この街で、誰も泣く者がいなかったということだ。違うか?」
先輩風をブイブイ吹かす司に、「それはそうなんですけどねぇ」と答える莉緒は、あくまで納得していない様子である。
「事件が起きて欲しい、ってわけじゃないんですよ。ただ、もうチョットなんかないかなーって」
どうやら莉緒は、こちらの世界がもっと煌びやかなものだと思い込んでいたらしい。これはいい傾向である。これならばきっと莉緒は、わざわざ俺が〝不採用通知〟を出してやらずとも、「あ、やっぱヒーロー辞めます。面白そうじゃないんで」などと自ら言い出すことだろう。
そう確信してマスクの下でほくそ笑んでいると、何やらスマホの震える音が聞こえてきた。持っていたのはどうやら莉緒で、懐から取り出して画面を見た後、「げ」と露骨に嫌そうな声を上げ、すぐさまスマホの電源を切った。
「リオ、携帯電話を持ち歩くのは構わないが、電源は切っておくべきだぞ」
「すいません。でも、もう消したので大丈夫です」
背後から人の気配があったのはその時のことだった。振り返れば、五人の男がぞろぞろとこちらへ歩いて来ている。金髪で恰幅がいいのがいたり、顔中にピアスをつけた奴がいたりと見た目は多様だが、みんな揃ってガラの悪そうなところに共通点がある。因縁でもつけるつもりだろうか。
まあ、何を言われたところで無視をすればいいだろうと余裕でいると、男達のうちひとり、リーダー格の筋肉質な赤髪の男が、「おい」と乱暴な声を上げた。
「ようやく見つけたぞ。手間かけさせやがって」という台詞を吐く男の視線の先にいたのは莉緒である。しかし、莉緒の方には覚えがないらしく、「わたしですか?」と言いたげに、自分を指さしながら首を傾げている。
じりじりとこちらへ詰め寄ろうとする男達を目で牽制しながら、俺は莉緒に訊ねた。
「おい、何やらかしたんだ、お前」
「知りませんし、知りたくもありませんよ。なんですか、あのガラの悪い方々」
「お前の〝お客さん〟だろ。心当たりぐらいあんだろーが」
「本当に知らないんですって。……でも、これはチャンスってことでいいんですよね?」
「どういうことだ?」
「つまりアレですよ。降りかかる火の粉は、自分で振り払わなくちゃいけないってことです」
言い終えると共に軽やかに走り出した莉緒は、あっという間に俺の横をすり抜けると、水たまりが豪快に跳ねるのを気にもせず強く跳躍した。
街灯りを受けて光り輝く水の飛沫を纏いながら、黒い空へと跳びあがる白い影。それはまるで夜を切り裂くように回転する。
蜜の落ちる速度で流れる体感時間。華麗としか表現のしようがないその光景を、俺を含めたその場の全員は言葉を失い、食い入るように見つめていた。
空高くどこまでも天に昇っていきそうに思われたそれも、やがて地球の重力に抗いきれずに落下を始める。
きゅっと揃えられた両足。矢のようにしなやかで真っ直ぐなそれは――吸い寄せられるように、赤髪の男の顔面に〝着地〟した。
ゴっと響いた生々しい打撃音。「へべ」という無様な断末魔。それから、思い出したようにやって来た静寂。
まるで時間が止まったような一瞬の後、男の身体が仰向けで倒れ、莉緒は興奮したように右手で何度もガッツポーズしながらこちらへ駆け寄ってきた。
「やった! やりましたよ! 見てました?! すごくないですか、わたし!」
呑気にはしゃぐ莉緒に、唖然とする俺と司。十数秒後、辛うじてといった様子で「見事な芸当だな」と司が答え、「だな」と俺が応じた頃には、気を失った赤髪の男も含め、奴らの姿はその場から消えていた。




