スター誕生 その3
「――なるほど。つまり彼女はモモシロの親戚で、わけあって翔太朗が預かっている、と」
俺の説明を受けた司は、どこまでも不服そうに頷いた。睨むようにこちらを見るその表情は、まだ懐疑が色濃く残っているものの、とりあえずは納得したようで、俺はひとまず安心した。
「しかし、若い女性に手を出していたことには頷けないな。反省しろ、翔太朗」
人には反省を促しておきながら、勘違いから自分が手を出したことを一切反省しないのが、ストロングスタイルを貫く一文字司という女の生き様である。文句を挟む元気もない。
既にあざが出来つつある右頬へ湿布を貼っていると、莉緒が「災難でしたねぇ」と他人事のように言いながら、俺と司を交互に見た。
「それで、一文字さんは翔太朗さんとどういったご関係なんですか?」
「なんだ。翔太朗から聞いていないのか。我々はパートナーだ。それなりに長く活動を共にしている」
なんだか危険な誤解を招きそうな言い方だったので、俺は「仕事上のパートナーだ。つまり、コイツも守ってる。色々と」と司の主張に補足を入れる。すると、何が面白いのか莉緒はくすくすと笑いながら、「息がピッタリなんですね」と言い、それから残念そうに司を見た。
「でも、翔太朗さん。パートナーがこの方だけでいいんですか?」
莉緒の言葉に司がぴくりと眉を動かす。暖かだったその場の空気の温度が急速に低下する。突然起きた女の戦いに巻き込まれた形になった俺は、トイレへ逃げ込み被害を最小限に抑えようとしたが、席を立つ前に司が腕をこちらへ伸ばし、無言で「逃げるな」と指示してきた。誰か助けてくれ。
「……どういうことだ。タヤマ」
「だって一文字さん、言い分もロクに聞かず、ほとんど出会い頭に翔太朗さんを殴ってたじゃないですか。いくら付き合いがそれなりに長いとはいえ、アレはなかったんじゃないですかね?」
正論の弾丸が司を打ちぬく。口には出さないが、俺も莉緒には全面的に同意したい。この一撃はさすがに堪えたのか、司は唇を横一文字に締めて莉緒を睨むばかりである。
口では莉緒に分があるようだ。ここから司が挽回するには、なんとかしてボクシングか腕相撲に勝負の場を変えるしかないだろうが、それも無理な話だろう。
そんな風に戦況を分析しつつ、火傷しないよう静観を貫いていると、弾丸はこちらにも飛んで来た。
「ねぇ、翔太朗さん。パートナーが一文字さんだけじゃ不満じゃありませんか? そこで提案です。わたしが立候補しちゃいますよ。料理だって出来ますし、急に殴ったりもしませんから」
ふざけろ。俺を巻き込むな。
「馬鹿を言え。貴様には無理だ」
「そうですかね? だったら、試してみましょうか。わたし、こう見えてケンカだって強いんですから」
そう言った莉緒は人差し指をくいくい曲げ、「かかってこい」と挑発のジェスチャーを送った。思わぬところで自らが望む腕力勝負になったのを受け、司は意気揚々と拳を構える。
女の喧嘩に首を突っ込みたくはなかったが、流血沙汰は御免だ。俺は司を羽交い絞めにし、戦いを無理やり終わらせる。司は「放せッ!」と声を荒げたが、莉緒の言葉がまだ胸に刺さったままなのか、肘打ちやら足を踏むなどの暴力的抵抗をすることはなかった。
「不快だぞ翔太朗ッ! 私は不快だッ! あの女をどうにかしろッ!」
「待てよ。そう構うな。アイツはお前をただからかいたいだけだ」
「ふざけるなッ! なぜ翔太朗はあの軽薄そうな女の肩を持つッ!」
「冷静になれよ。怒れば怒るほど、莉緒の思うつぼだぞ」
悔しそうに下唇を噛んだ司は、顔を真っ赤にしながらなんとか怒りを呑み込んで、「先に出るぞ!」と言って玄関へと向かった。とりあえず、何とか事態は落ち着いたらしい。
司を見送った俺は自室に駆け込み、大急ぎでコスチュームをカバンに詰める。仕事の準備を済ませ、あとは出発するだけとなったところで、いつの間にかソファーに腰掛けている莉緒の後頭部へ「悪いな」と声を掛けた。
「せっかく作って貰っておいて申し訳ないけど飯は後で食う。それと、帰りは遅くなるから鍵はしっかり掛けとけ。ベッドは俺のを使え。俺はソファーで寝る」
そこまで言って俺はリビングを出ようとしたが、まだ不十分だと思い直し、少しだけ付け加える。
「……俺とアイツのファーストコンタクトも最悪だった。でも、あれでも司は悪い奴じゃない。仲良くしてやってくれ」
「善処します」と莉緒は振り返らずに呟いた。こりゃダメそうだと予感しつつリビングを出ると、「いってらっしゃい」という声が背中を追ってきた。
〇
その日の司はとにかく不機嫌だった。見回りの最中、口を開いたと思ったら俺への説教ばかり。「貴様はモモシロの頼みなど受けるべきではなかった」とか、「簡単に女性を家に上げるべきではない」とか、「料理を作って貰ったからといって浮かれすぎだ」とか、「私があの程度の料理できないと思っているのだろう」とか、とにかく色々と喚いた。
最初の一時間くらいは一周回って愉快だったのだが、時間が経つにつれてだんだんと飽き飽きしてきて、夜の11時を周ったころに、俺は思わず「勘弁してくれ」と白旗を上げた。家々の屋根から屋根を飛び移り、バス通りを外れた閑静な住宅街を見回っていた最中のことだった。
「勘弁、だと? 貴様、ちっとも反省していないようだな。恥を知れ」
司――ファントムハートのドクロのマスクが俺に詰め寄る。至近距離で見るとやはり、このマスクは恐怖心を煽るものがある。ボイスチェンジャーで声が不自然に低くなっているから、不気味さはなおさら強い。
「だいたいだな、貴様は女に甘いのだ。あのソファーに座っていたのがタヤマではなくモモシロならば、貴様はどうしていた?」
百白ならば、まず殴る。考えるまでもない当たり前のことである。そもそも、百白があれだけ大人しかったり、食事を用意していたりするとは思えないが。
俺が「殴る」と答えると、司は「だろう?」と胸を張った。
「でも待てよ。同じ男でも八兵衛なら殴ってないぞ。それに、女だとしても、たとえば岬だったら殴る殴らない以前に逃げてる」
「つまり、人によって態度を変えると。便利なものだな」
「いや、それが普通だろ」という俺の正論を司は軽く受け流す。この世の中では、正しい意見がいつだって強いとは限らない。
その時、眼前まで近寄っていたファントムハートのマスクが、ふいに他所の方向を向いた。そのまま俺に背を向けた司は、眼下を見下ろしながらマスクを脱いだ。
「……翔太朗。私が貴様の相棒では、不服か?」
その不貞腐れたような声を聞いて、俺はようやく「ああ」と理解した。
つまりこいつは、俺が本気で莉緒を相棒に加えるのではないかと、ただ心配していただけなんだ。ありもしないことを考えて、勝手に不安になっているだけなんだ。
まったく、心底可愛くない。それならそうと先に言えばいいだろうに。ああやって無駄な虚勢を張るから、わけがわからなくなる。
俺は司に歩み寄り、そっと隣に並んで立った。
「お前以外に背中預けるなんて、おっかなくてやってらんねぇよ。胸張って前見ろ、相棒」
マスクを被っていたせいでぺたんこになった司の髪を、俺はくしゃくしゃに撫でた。そんな俺の手を軽く跳ね除けた司は、ぶっきらぼうに吐き捨てる。
「試しに聞いただけだ。そんなこと、百も承知だからな」
「……本当にカワイクねぇのな、お前」
その時、そう遠く離れていないところから悲鳴が聞こえてきた。咄嗟に眼下を見渡してみれば、原付きバイクを二人乗りして走る男達が確認できる。後部座席に座る男が持っているのは女物のバッグ。間違いない、引ったくりだ。
「――翔太朗、追うぞッ!」と司が言い終える頃には、俺達は既に走り出していた。
――片やバイク、片や人力。いくらヒーローとはいえ、この差は到底埋められるものではない。どんな道でも走れる車や空飛ぶバイクやジェットブーツなんてものがあればそれを使うのだが、そんなものを持っているはずもない。
だから俺達は考える。奴らが向かうであろうルートを先回りする。使うのはいつだって拳ばかりではない。
あの手の犯罪者は出来る限り早く犯行現場から遠ざかるのを心がける。しかし、通報されれば大きな通りの道には警察官が配備される。ゆえに奴らは大通りへ出るのを避け、裏道を使って人目につかない場所まで行こうとする。さらに言えば、原付きバイクなんて足のつくものはどこかから盗んできたものである可能性が高く、ゆえに公園などでそれを捨て、別の車に乗り換える可能性が高い。
以上を考えながら、屋根から屋根を飛び移り進み、付近にある大きな児童公園周辺まで行ってみれば、予想通りこんな時間には不自然な黒いワゴン車が停まっている。それから間もなく先ほどのバイクが近づいてくるのが見えて、予感はいよいよ確信に変わった。
ここまでくれば仕事も半分終わったようなものだ。あとは、タイミングを見計らって屋根から飛び降り、バイクを方向転換させる暇も与えず奇襲するだけ。逃げる奴を追いかけ回すよりずっと楽な仕事だ。
「10、9、8……」と頭の中でカウントして、さあやってやるぞと飛び降りようとしたまさにその直前。思いもよらない事が起きた。
バイクに乗る男達の行く手を遮るように、ヒーローめいた白い衣装を着た誰かが物陰から道路へ躍り出たのである。しかも事はそれだけに止まらず、軽く跳躍したそいつが、バイクを運転する男の顔面に華麗な飛び蹴りを浴びせたのだから驚いた。
バイクは当然その場に転倒。乗っていたふたりの男は投げ出され、「イテェ」「イテェ」と喚きながら地面を転がっている。一方、蹴りを浴びせた〝超人〟はといえば、さながら体操選手の演技終了後のように、両腕をYの字に伸ばしている。
「……おい、司。ありゃ知り合いか?」
「……それはこちらの台詞だ。なんだあの者は?」
お互いの顔なじみではないことは確かなようだ。話し合っていても仕方ないので、とりあえずは屋根から飛び降りて近づいてみると、そいつはこちらに近づいて、頭上で親しげに手を振った。蜘蛛の巣をモチーフにデザインされたと思われるその白いマスクには、やはりさっぱり見覚えが無い。
司と互いに顔を見合い、お互いの知り合いではないことを再認識すると、白マスクのそいつは「そっかそっか」と納得したようにひとりで言って頷いた。
「これ被ってちゃわかんないですよね。今脱ぎますから」
聞き覚えのある声。まさかと思っているうちにそいつはスルリとマスクを脱ぐ。
長い黒髪をかき上げ、額の汗を拭ったそいつは――田山莉緒であった。
「結構暑いんですね、こういうマスクって。でも、汗かいて働くって悪くないかも」
何故コイツがこんなところにいるのか。何故あのような真似が出来るのか。というか、何故コイツがこんな恰好をした俺を俺であるとわかるのか。
そういった疑問が順番に浮かび、しかし答えが出るはずもなく唖然としていると、嬉しそうに目を細めた莉緒は俺の胸を人差し指で突いた。
「おふたりとも、どうしました? もしかして、わたしの動きに見惚れちゃいました?」




