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エピローグ ライトスタッフ

 四月に入り、どこを出歩いても春特有のゆるい空気が蔓延している。


 新生活に浮足立って怪しげな店に入る奴、未成年にも関わらずセンパイなどという存在に勧められるまま酒を飲む奴、人間関係がリセットされ、「高校生の時とは違う俺を見せてやるゼ!」と意気込んだ挙句、仲間内から無責任に煽られるまま喧嘩をする奴。そういう馬鹿がまるで雨後の筍のようにぽこぽこ現れる。


 声を大にして「ふざけるな」と言ってやりたい。お前らのせいで誰が苦労すると思ってる。


 さてその日、日々のストレスを癒すためにマスクドライドのカウンター席でコーヒーを飲んでいると、見知った顔が店にやってきた。やる気の感じられない猫背に覇気の無いシシャモ顔――藤堂重蔵その人である。


 藤堂は「コーヒーひとつ」と愛宕に注文しながら、俺の隣に腰かける。


「久々……ってわけでもないけど、最近どうだ、本郷」


「それなりにやってる。そっちはどうなんだ?」


「まあ、色々忙しいわな。なんせ、現役警察官があんだけの不祥事起こしたんだ。もうてんやわんやよ」


「で、てんやわんやの最中にお前はなにやってんだ」


「何ってそりゃ、サボり」


 俺は呆れて物も言えなかった。


 四ノ原の証言が決定打となり、継枝並びにそのシンパ達は残らず職を追われて逮捕された。現在、晴れて復職となった藤堂達の手により取り調べが進んでいる途中で、継枝達はそろって黙秘を続けているらしい。


 しかし、その我慢も間もなく無駄になるだろうと藤堂が予想するのは、野水の取り調べを四ノ原が始めたからだという。曰く、「男は一度でも惚れた相手にめっぽう弱い」のだとか。その理論の正否はさておいて、確かにあのふたりが真っ向から喧嘩したら、野水が先に折れそうではある。


 現職の警視正が、特装隊の評判を上げるために自作自演で様々な事件を引き起こしていた容疑で逮捕された。当然これはニュースになり、人々の話題をかっさらった――ということにならなかったのは、信用の失墜を恐れた警察上層部が事実を捻じ曲げたからだ。ワイドショーや新聞による報道では、「カネの問題」ということになっていた。人の口には戸が立てられないことを考えれば、どこからか噂が漏れ出てくるのは必然だと思うが、それがいつになるのかはわからない。


〝時限爆弾〟の爆発は今日かもしれないし、そうでなくとも明日かもしれない。


「――特装隊も無事解体。こんな問題が二度もあった組織、再編なんて話は一生挙がらないだろうな。どうだ、本郷。ヒーローの仕事が奪われなくてホッとしたか?」


「別に。極論言えば、俺の仕事なんて無いのが一番いいんだからな」


「……本当に商売っ気ないよな、あんた」


 愛宕の手により運ばれてきたコーヒーを一口飲んだ藤堂は、「うまい」と独り言を呟く。


「なあ、藤堂。ふたつ聞くぞ」


「ふたつと言わず百でも二百でも」


「俺を特装隊で働かせたのは、こうなるってわかってたからか?」


「言わんでもわかるだろ? 継枝の思い通りにならない奴が必要だった。……まあ、あいつの思い通りにならないってことは、おれの手にも負えない奴だってことだけど、なんとかなってよかったよ」


「だよな。それなら、なんでそこまで用心深いお前が、例のテープを手に入れた時、わざわざ直接あいつに会いに行ったんだ?」


「だって、おれだよ? こんなこと上司に話したって信じて貰えるわけが――」


「真面目に聞いてるんだよ。最短距離を走るってんなら、もっと別に道があっただろ」


 ふざけて誤魔化すという選択肢を早々に潰す。すると藤堂は「へへ」と情けなく笑い、それからふと唇を引き締めた。


「……そうだな。強いて言うなら、昔の友達を信じたかったってとこだな。まだ引き返せるところにいるんじゃないかって、思っちまったわけだ。馬鹿だよな、おれも。あいつのことはよく知ってるってのに」


「……人間だよな、あんたも」


「当たり前だろ。正義の味方だとでも思ってたのか?」


 苦い顔でそう言った藤堂は、残ったコーヒーを一気に飲み干し、千円札置いていそいそと席を立った。「お釣りあるけど」と愛宕が言うと、「本郷の分だよ」と藤堂は答える。まさかコイツに奢られるなんて日がくるとは。明日はきっと、季節外れの雪が降る。


「なあ、本郷。色々と世話になったな。困ったことがあったらおれを頼れや」


「嫌なこった。お前に頼ると後が怖い」


「そう言うなよ。悪いようにはしないさ」


 肩越しに微笑んでみせた藤堂は、店の扉に手を掛けた。本郷翔太朗と藤堂重蔵としてならともかく――ヒーローと警察としては二度と会わずに済むことを、俺は心から願った。





 その日の夕方。家で夕食のカレーを作っていると、いつもより少し早めの時間に司がやってきた。何か用があるのだろうと思ったが、司は定位置であるソファーにも座らず、やけに緊張した面持ちのままリビングの入り口でじっと立ち尽くすばかりである。「どうしたんだよ」と訊ねたが、返ってくるのは「ああ」とか「うん」とか気の抜けた返事ばかりで、こうなると俺には手が負えない。


 仕方がないのでカレーを仕上げ、「食うか」と訊ねると、司は黙ってテーブルに着いた。元気が無い、というわけでもないようだ。


 黙ってカレーとサラダを食い、黙って麦茶を一気に飲み干し、黙って食器を片づけた司は、二杯目のカレーを食う俺の横に立って「翔太朗」と久しぶりに声を発した。


「次の日曜日だが、空いているか」


「空いてないってことはない」


「そうか。その、実はその日、私は誕生日でな」


「そうか。めでたいな」


「ああ。それで、コハナが誕生日会をやると言って聞かないんだ。しかしあいにく、私には友人と呼べる者が彼女以外にいない。だから、その、あれだ」


「なんだよ」


「…………貴様も来い」


「俺でよければ、喜んで」


 俺の答えを聞いた司は、心から安堵したようにホッと息を吐くと、満足げにソファーへ寝転んだ。すると途端に「花見客が多いだろうから、今日は早めに家を出るか」などと饒舌になり、さながら大きな仕事を終えたようである。


「……もしかして、これだけのこと言うのにそんな緊張して――」


「違う。違うに決まっている。そんなわけがあると思うか? ただ、アレだ。あまりに空腹過ぎて喋ることすら億劫だっただけだ」


「……そうかよ」


 相変わらず嘘が下手なヤツだ。そこがコイツの魅力でもあるのだろうが。


 さて、誕生日ということは、プレゼントを贈ってやる必要がある。いつも世話になっているし、ひとつ奮発して豪華なものでも買ってやろうか。


 しかし、いったい何を買えばいいのだろうか。無難にプロテイン詰め合わせか、それともトレーニング用のスポーツウェアか、もしくは最新筋トレグッズか。


 それとも、コイツは柄にもなく〝オトナの女〟に憧れているフシがあるから、口紅か、ヒールの高い靴か、イヤリングか……。


 様々な案が浮かんでは消える。とりあえず、愛宕に援軍を頼むのが一番か。……いや、アイツならきっと「女の子に選ぶプレゼントをあたしに選ばせるわけ?」とか訳の分からんことを言って俺の頼みを断るに決まっている。


 かくなる上は岬を――と、一瞬でも考えた俺が馬鹿だった。脳裏の地平線では八兵衛と百白が並んでブンブン手を振っているが、見ないふりをするに越したことは無い。


 結論。この問題はひとりで解決する必要がある。こいつは骨が折れそうだ。


 たかがヒーロー程度じゃどうにもならない難題に頭を悩ませながら、俺は残ったカレーを黙々食べた。


これにて3章完結になります。最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

今後の投稿予定はとりあえず不明です。まったく別の作品を書いている途中なので、長編の投稿に関しましてはしばらくは空くと思って頂ければと思います。

短編はちょびちょび投稿する予定ですので、よろしくお願いします。

ではまた、いつの日か。

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