孤狼の血 その6
「――どうした。もう終わりにするかね?」
勝ち誇ったような継枝の声が遠く聞こえる。痛みで意識が飛びそうだ。肋骨の骨が折れているのが、呼吸をした時の痛みでわかる。
壊れた屋根から見える月を眺めながら考える。今、俺は何をされた?
わかってる。足が滑って体勢を崩したところに、前蹴りを一発当てられただけだ。ただそれだけで俺は、数メートルも吹き飛ばされ、コンテナに叩きつけられたんだ。
最初の一撃を入れた時は五分の戦いになると思っていたのに、たかが一発受けただけでここまで追い詰められている。継枝の動きに初撃として入れた膝蹴りの影響が感じられないところを見るに、あの邪悪なバッタみたいな見た目のスーツは、クロカブトと同等かそれ以上の性能を持っているらしい。対するこちらは全てにおいて四分の一のツギハギ装備。負けていい言い訳にはならないが、文句のひとつも吐きたくなる。
でも、勝ち目が無いわけじゃない。八兵衛が〝クォーター〟に搭載したギミック。蹴りと共に踵に仕込まれた火薬を爆発させ、致命的な一撃を叩きこむ――曰く、〝ダイナマイトキック〟。これさえ当てれば継枝も無事では済まないはずだが、クォーターの装甲と引き換えに打てる諸刃の剣だ。そう簡単に使うわけにもいかない。
「……とにかく、動かなきゃ話になんねぇよな」
自らを奮い立たせ、顔の前で拳を構えた俺は、継枝に向かって前進する。首を横に振りながら「諦めの悪い男だな」と呟いた継枝は、制空権に入るや否や、構えも取らない状態から腕だけを動かしジャブの要領で拳を放った。
手打ちの打撃なんて、速いだけで躱す必要も無いほど威力の乏しいものだが、あんな〝全身凶器〟が相手なら話は別だ。
その一撃を辛うじて躱した俺は、すかさず蹴りを放とうとしたが、予備動作を見るより先に継枝は後ろに大きく退いた。先ほどからあんな調子で、継枝はこちらの攻撃をただの一度も喰らおうとしない。恐ろしく慎重な男だ。やりにくくてしょうがない。
「……おい。そんなもの着てるのにチョロチョロ動き回るんじゃねぇよ。殴られるのがそんなに怖いかよ」
「用心深い性分でね。だからこうしてじわじわと――」
その時、何かが折れる乾いた音がすると共に、継枝が前のめりに倒れそうになって膝を突いた。どこからか角材を調達してきた藤堂が、継枝にこっそり近づいて、後頭部へそれを振り下ろしたのである。その勇気は評価したいが、残念なことにまったく通じていないらしい。
「藤堂、何をしている?」
「いやぁ。警視正ったらお強いもんですから、不意打ちで倒そうと思ったんですがね。どうにもうまくいかなくて」
「……ふざけた男だ。お前は後でじっくりと殺してやる」
ゆっくりと立ち上がった継枝は藤堂の胸倉を掴んで引き寄せると、片手で奴の身体を持ち上げ、こちらへ向かって力任せに放り投げた。慌てて腕を伸ばして、地面に叩きつけられる前になんとか藤堂を受け止めたはいいが、頬を染めながら「ありがと」と言って甘えるような上目遣いで見られたのが猛烈に気色悪かった。「助けなけりゃよかった」と即座に後悔し、藤堂の身体を思わず投げ出したほどである。
何事も無かったように尻に付いた汚れを掃いながら、藤堂は「ひどいことするなよ」とぼやく。酷いことをされたくないのなら、たとえ冗談でも気色悪いことをするべきではない。
「ところで、本郷。あんな恰好をしている警視正が頑なにあんたの攻撃を受けようとしない理由、わかるか?」
「そんなの、あいつが慎重な性格だっていうだけだろ」
「いや違うんだな、これが。あの人はな、〝クォーター〟に何か細工があることに気づいてるのさ。万が一にも負けたくない。だから不用意に追撃してこないんだ。今もそうだろ。おれたちの出方を伺ってる」
さりげなく継枝を見てみれば、確かにじっと立っているばかりで、こちらに向かってくる素振りは見受けられない。しかし、藤堂の言っていることが正しいとすればなおさら厄介である。〝隠し玉〟の存在に初めから気づかれているようでは、警戒されてどうすることも出来ない。
「ま、安心しろや。策はあるし、そのために既に一手打ってある。それに、おれも一緒に戦ってやるからさ」
「……お前が?」
「うん。おれが」
「……居ないよりマシだな」
「あら、ひどい言われよう」と藤堂は頬を膨らます。さっさと全部終わらせて、コイツに拳骨食らわせてやると、俺は勝利へのモチベーションをさらに高めた。
〇
「――作戦会議は終わったかね?」
苛立ちを隠せない様子で継枝がそう言ったのは、俺達ふたりが奴の存在を無視してコソコソと話をしていたからである。「ええ。これであんたを倒せますよ」と、ここにきてもなお相手を煽ることを忘れない藤堂であるが、俺の背後に隠れているのだからどうしようもない。
「本郷。作戦通りだ。やってやれ」
「……お前もな」
深呼吸を二回。継枝の攻撃を一度でもまともに貰えばそこで終わり。要するに、当たらなければいいだけの話だ。
――動け、動け、とにかく動けっ!
膝を曲げて脚に力を込めた俺は、継枝へ向けて真っ直ぐ突進――すると見せかけ直前で直角に折れる。目前にあったコンテナを蹴って反転、再接近。放たれる継枝の拳を潜り抜けてまた離れる。
――接近、回避、離脱、反転、接近、跳躍、反転、接近、回避、回避、離脱、跳躍、離脱、接近――。
「ふざけるなっ! まともに戦えっ!」
怒りの頂点に達した継枝の声が響く。コンテナの陰で限界に近いほど動き回ったせいで破裂しそうなほど鼓動する心臓を休めながら、俺は「そうカッカすんなよ」と継枝に声を掛ける。
「コッチにはこういうやり方しか出来ないんだ。それが嫌ならお前から来いよ」
「……藤堂が選んだ男なだけある。やり方があれと同じだ」
「そうだろ? 似た者同士は惹かれ合うんだ」
なんとか呼吸が落ち着いてきた。準備も整った。
――勝つ。
「鬼さんこちら」と言いながら、コンテナの陰から顔だけ出して軽く手を振った俺は――全力で駆けだし、継枝を目がけて一直線に突っ込む。
今度は牽制じゃない。直前で逃げるつもりも無い。繰り出したのは、裏の裏をかいた正中線へのハイキック。
が――。
「――惜しかったな、〝特別相談役〟」
寸前のところで俺の左足は、継枝の手に受け止められた。あともう10cmのところだったのに。「クソッタレ」と呟いた俺は思わず舌打ちする。
「本当に惜しいな。せめてあともう一発くらい、自力でお前を蹴っておきたかったってのに」
「……何を言っている?」
「こういう意味ですよ、警視正」
継枝の背後に、藤堂がいた。
藤堂は右手に長物をバットのように構え、大きく振りかぶっているが、肩越しにちらりとそれを見た継枝は、鼻で笑ってすぐさま俺の脚を折りにかかる。
――俺の、〝生身の脚〟。クォーターを脱いだ左脚を。
「まさか――」
瞬間、爆発。文字通りの爆音に耳が痛くなり、肌が痺れるほど空気が揺れる。強烈な一撃を脇腹に受けた継枝は、派手に吹き飛びそのまま壁まで転がった。継枝はきっと、いったい何が起きたのかわからないまま気を失ったことだろう。
――先ほど、コンテナの陰に隠れた俺は、そこでクォーターの左脚部を脱ぎ、それを隠れていた藤堂に手渡していた。
それから、継枝へ直線的な突進。逃げ回る俺を捉えきれず、冷静さを欠いていた継枝は、それが罠だということを、俺が〝クォーター〟を身に着けていないことを気づかないまま蹴りを受け止めた。
その隙に背後から継枝へ近づいた藤堂が、クォーターのギミックを作動させ、油断しきった継枝の脇腹へ、〝ダイナマイトキック〟を振り抜いたというわけである。
「警視正。おれのことを羽虫かなにかだと思って油断してらっしゃるからそういうことになるんですよ。人間、絶対的優位に立った時が一番危ないんだ」
「……ふざ、けるなよ」
消え入るような継枝の声が聞こえる。まだ意識があるらしい。しぶとい男だ。
「……ふざけるなっ! 俺が、俺がどれだけ苦労してここまでやってきたと思ってる! 俺がどれだけ組織に尽くしてきたと思ってる! 正義だ! 全ては正義のためなんだ! それがお前達には何故わからん?!」
「……わかるわけねぇだろ。うるせぇんだよ、ゴチャゴチャゴチャゴチャ」
コイツの物分かりの悪さには、怒りを通り越してうんざりする。あの声をもう一分どころか一秒と耳に入れたくないと感じるほどに。
「テメェの正義は目的だ。マトモな奴なら正義は手段だ。もっとマトモな奴なら、そもそも正義なんてこっぱずかしいこと口にできねぇ。だからテメェはマトモじゃねぇ」
「決めつけるなっ! 俺は……俺は、皆にとって少しでも暮らしやすい場所を作るために――」
「そうかよ。だったら朗報だ。テメェみたいなバカ警官が牢屋にぶち込まれれば、この辺りも少しは暮らしやすくなる」
壊れたラジオのように「ふざけるな」と繰り返しながら、壁に手を突いて立ち上がった継枝は、一歩、また一歩と踏みしめるようにこちらへ歩み寄って来る。
――ちょうどいい。あと一発殴ってやりたかったところだ。
接近、回避、跳躍。
継枝の拳を躱しながら左足で地面を蹴って飛んだ俺は――がら空きの後頭部へ向かって、思い切り右脚を振り抜いた。
爆発。本日二度目の〝ダイナマイトキック〟は、継枝の意識を完全に飛ばすのと、歪な正義を象徴するパワードスーツを破壊するには十分過ぎる威力だった。
「延髄斬り、か。……本郷。あんた、プロレス好きなの?」
「たまにテレビで観るだけだ」
「そ。じゃ、今度一緒に行く? 近くの市民体育館で定期的に試合が――」
「断る」
「ケチ」




