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孤狼の血 その4

「――警視正、今ごろ相当怒ってらっしゃるだろうなぁ」


 倉庫の敷地内から響いてきた悲鳴を聞きながら、藤堂はまるで他人事のように呟く。緊張感の欠片も無い奴だ。羨ましいくらい図太い神経の持ち主である。


 時刻は二十四時を五分ほど過ぎたころ。司の〝行動〟により敵陣営に混乱がたっぷり広がった頃合いを見計らい、藤堂は「さて行くか」と言いながら俺の背中を押した。


 俺は周囲の様子を伺いながら、俺は継枝の待つ倉庫に向けて歩き出した。


「外の奴らはともかくとして、あの中に継枝の手下はあとどれくらいいるんだろうな」


「何人いたって敵じゃないだろ。いまのあんたは鬼に金棒だ」


「そんなもんかね」と言いながら、俺は視線を下に落とす。ピンク色に塗装し直され、至る所に白いハートマークがあしらわれたクロカブトの装甲が脚を覆っている。


〝クロカブトクォーター〟。部分的出力こそクロカブトと変わらないが、脚部しか覆われていないため防御性能は四分の一以下に落ちる。しかし、視界の制限が無い上に、何よりパワードスーツなんて高級品が肌に合わない俺にとっては、却ってこちらの方が戦いやすい。


「なあ、藤堂。なんで継枝はお前を犯人に仕立て上げようとしたんだろうな」


「なんでってそりゃ、そういう役目を押し付けるのにおれが適任だったからじゃあないの?」


「本当にそれだけか? なんか恨まれることでもしたんじゃないのか」


「したかもしれないし、してないかもしれない。ほら、もうオッサンだからさ、昔のことはあんまり覚えてないのよ」


 ぼんやりとした言動ではぐらかした藤堂は、俺の前へと回り込むと、倉庫の扉に手を掛けた。


「まあ、そんなことはいいからさ。とにかくちゃっちゃと片づけて、カワイイ女の子が真心込めて淹れたコーヒー飲みに帰ろうや」


 よくぞあの無愛想の具現化みたいな女を〝カワイイ〟だなんて言えたものだ。若ければなんでもいいのだろうと、俺は中年の悲しい性を分析した。


 静かに扉を開けて倉庫の中にそっと入った俺達は、とりあえず手近なコンテナの陰に身を寄せて周囲の様子を伺ってみる。継枝並びにその部下の姿はどこにも見えない。ここにいるということは間違いないので、恐らくは待ち伏せして襲うつもりなのだろう。


「警視正。藤堂が参りましたよ。どこにいらっしゃるんですか?」


 猫なで声を使って藤堂が呼びかけると、四人の男がコンテナの陰からぞろぞろと出てきた。この男の声に我慢出来なくなったのか、額には青筋が浮かんでいる。相変わらず人の神経を逆なでるのが上手い奴である。


「あらあら、敵意剥き出しってカンジ。いいの? コッチには怖いヒーローがいるんだよ?」


 口々に「うるせぇ」と男達は言って、警棒を片手にこちらへ歩み寄って来る。その眼には微塵の迷いも感じられない――どころか、ある種の喜びめいた感情すらも見てとれる。仲間内からもよほど信頼されていなかったらしい。なんだか、こちらまで悲しくなってくる。


「……本当に人望無いのな、お前」


「元からわかってたけど悲しいもんだねぇ、こうやって現実を目の当たりにするとさ」


「まあ、これに懲りたら生き方を改めるんだな。その程度のチャンスは作ってやる」


 迫ってくる男達の行く先を阻むように、俺は仁王立ちで待ち構える。一瞬だけ足を止めてこちらを睨んだ男達は、まるで獲物を見つけた肉食獣のように俺を囲んだ。


 張りつめた空気が裂けたその瞬間――確かな殺意と共に迫り来る四本の警棒。俺が選んだ逃げ道は〝上〟だった。


 クロカブトの性能を存分に活かした垂直飛び。目標を見失った男達の動きが止まったのを見逃さず、俺は落下の勢いを借りてふたりの男の頭へ蹴りを入れる。


 残ったふたりは一瞬怯んだものの、警棒を握りなおしてすかさずこちらへ向かってくる。しかし、動揺の中で振り下ろされた警棒は弱々しく空を切るばかりで躱す必要すらない。俺は男達の顎を順番に拳で撃ち抜き、大人しくさせた。


「相変わらず喧嘩百段ってカンジだな、本郷。大みそかの格闘番組にでも出れば? 結構稼げるかもよ」


 そんな冗談を言いながら気を失った男達に手錠をかけていった藤堂は、その作業を終えると周囲を見回し、「もういいでしょう」と大声を上げた。


「継枝警視正、出てきてくださいよ。取引に来たんですよ、こっちは」


「よくそんなことが言えたものだな、藤堂」


 落ち着きのある声と共に、コンテナの陰からひとりの男が俺達の前に姿を現す。しかしその立ち姿は、俺の知っている見た目とは大きく異なっていた。


 黒を基調にした装甲。大きな瞳と手足は燃えるように紅く、胸部から腹部にかけては装甲の上からさらに、深緑色の分厚いボディーアーマーが覆っている。


 ――パワードスーツ。あれで殴られた時のことなんて、考えたくも無い。


「仮装大会に出る、ってわけでもなさそうだなぁ、ありゃ」と呟きながら、藤堂は俺の背後にそっと隠れる。「そうであって欲しいけどな」と返した俺は、戦闘態勢を取りながら相手の出方を伺う。


 そんな俺達を見た継枝は、嘲るようにくすりと笑って「安心しろ」と言った。


「この姿は謂わば保険だ。私がでしゃばるだなんて、部下の手柄を奪うような無粋な真似はしないよ」


 その時、背後から誰かの歩く音が聞こえてきて、俺は肩越しに振り返った。視線の先にはクロカブト――野水がそれを装着しているということは、漂う気配で理解できた。


「目を覚ませ、本郷。お前は間違っている」


「お前こそ目ぇ覚ませよ。一連の事件の黒幕はこの寝ぼけた男じゃない。継枝だ」


「そんなこと知ってる。でも、だからこそ俺は継枝警視正の傍に居たいんだ」


 野水はどこまでも真剣に俺を説得するように言った。


「警視正は正義を目指している。俺も同じだ。俺も、悪人が平気な顔でのさばるような世界にしたくない。お前だってそうだろ?」


「一緒にすんな。その正義とやらのために傷つくヤツがいて、無視できるほど鈍感じゃねぇよ、俺は」


「俺だって何も感じないわけじゃない。でも、大義のために必要な犠牲なんだ。わかってくれ、本郷」


「それは、天道遊馬のためか?」


「……なんだと?」


 野水の纏う雰囲気が明らかに変わる。


「それは天道のためかって聞いてるんだ」


「……お前には関係ない」


「確かに無いだろうな。でも、もし天道遊馬のためだっていうならやめとけ。もういない奴のためにこんなことするなんてタチが悪いにもほどがある。復讐のためだっていうならもう何も言わねえよ。邪魔はするけどな」


「……お前に何がわかるっ!」


 拳を構えたその瞬間――野水はなんの躊躇も無く、真っ直ぐこちらへ突っ込んできた。

 全身の細胞が逆立つ。心臓の鼓動が髪先まで揺らす。


 咄嗟に藤堂を横へ突き飛ばした俺は、右脚を前に出して野水の突進を足で受ける――が、その場で堪え切れるはずもなく、あえなく突き飛ばされた俺の身体は背後にあったコンテナに叩きつけられた。


 馬鹿みたいな力だ。一撃でもまともに喰らえば、骨なんて簡単に折れる。


「ふざけるなっ! 俺はあいつのような犠牲はもう出さないと誓ったんだ! だからこんなことをやってるんだぞ! お前にわかって堪るか!」


「人のせいにすんな。自分のやったことだろうが」


 乱れた息を深い呼吸で整える。大股で歩み寄ってくる野水をしっかり見据える。大丈夫だ。背中が多少痛むだけ。まだやれる。


「本郷! もう間もなく増援が来るはずだ! しっかりしろ!」


 藤堂の叱咤が飛ぶ。わかってる、という言葉を出す体力すら今は惜しい。


 弓を引くように大きく構えた野水は、全身を使って右拳を突き出した。間一髪で躱したその一撃は背後のコンテナに突き刺さる。


 コンテナから腕を引き抜こうと動きを止めた野水の顔面を、俺は拳で撃ち抜いたが、クロカブトの装甲にそんな一撃が通用するわけもない。野水は俺を見て小さく首を横に振ると、自由になった両腕で乱打を仕掛けてきた。


 一撃、一撃が必殺の威力を持つ凶器。まともに受ければその時点で意識なんて空の彼方まで飛んでいくだろう。皮一枚のところで拳を躱し、受け流し続けたが、そんなことをいつまでも繰り返せるわけがなく――フック気味に放たれた一撃を防御の上から受け、堪らず俺はその場に膝を突いた。


 胸倉を掴んで無理やり俺を立たせた野水は、穴だらけになったコンテナに俺の背中を押し付け、ゆっくりと拳を構えた。


「もう止めろ、本郷。俺だってお前は殺したくない」


「……甘いこと言うなよ。殺せばいいだろ。それとも、今さら泥水すするのが嫌になったか?」


「ふざけるな。覚悟はある。俺はお前を躊躇なく殺せる。だからこそ、殺したくないって言ってるんだ」


「だったら殺せよ。どうせ俺は〝大義のために必要な犠牲〟だ」


「……わかった。それなら――」


「もう十分だ!」


 藤堂の悲痛な声が庫内に響く。見れば、藤堂は懐からテープレコーダーを取り出し、それを頭の上で振っていた。


「あんたの望みはこれでしょう、警視正。大人しく渡す。だから、おれたちを生かして帰してくれ」


「部下の身体を労わるとは、立派になったものだな、藤堂」


「労わってるわけじゃあない。現状、勝ち目が無くなった。だから今度は、生きて帰るって道を選んだだけのことですよ」


「……まったく正直な男だな。聞いていて腹が立つほどに」


 継枝は藤堂に歩み寄るとその手からテープレコーダーを奪い、再生ボタンを押す。それから、その音声が自らの〝自白テープ〟であることを確認すると、レコーダーを床に放って念入りに踏みつけた。


 藤堂は観念したように膝を突き、がっくりうなだれた。継枝はそれを見下しながら勝ち誇ったように腕を組む。勝者と敗者は傍から見れば明らかである。


「……藤堂。犯罪者共に装備を提供していたのが私だと、いつから気づいていた?」


「例の爆発の後、たまたま――」


「嘘を吐くな。いつからだ?」


「……はじめからですよ。あんたがおれに、特装隊の隊長を指名したその瞬間からね」


「だろうな。だと思った。それを聞けて満足だ」


 継枝は藤堂に背を向け、野水に視線を向けながら冷たく言い放つ。


「野水巡査、殺せ。ふたりともだ」


「ま、待ってくださいよ警視正。こちらはあんたに言われた通り、ブツを持ってきた。で、あんたはそれを受け取った。取引はこれで完了でしょうが」


「今さら馬鹿を言うな。お前も、私も、正当な取引なんて微塵も考えていなかったはずだろう。私達の〝戦争〟は、どちらかがどちらかを潰すまで終わらない」


 わかっていたことだが、とんだクソ野郎だ。〝正義のお巡りさん〟が聞いて呆れる。あの性格は、いくら殴ったところで治りはしないだろう。でも、殴ってやらなきゃ気が済まない。


 大きく二度深呼吸した野水は、改めて拳を構える。殺す覚悟は決めているというのも、あながち嘘ではないらしい。


 俺は死が目前まで迫っているのを感じながら、継枝と野水のふたりに問いかけた。


「……継枝、野水。最後にもう一回だけ聞くぞ。お前達、その正義とやらが間違ってるって考えたことは無いんだな?」


「無いな。微塵も」と継枝は答え、野水も「同じく」と同調する。


「そうかよ。……でも、あいつならどうだろうな」


 俺が指した先にいたのは――倉庫の入り口近くで小動物のように縮こまりながら、一部始終を涙目で眺めていた四ノ原である。四ノ原は怯えた表情で順番に俺達を見ると、踵を返して倉庫から出て行った。


 ――ただ戦って勝つだけでは、俺達はただの暴行犯。だから、俺の役目は野水と戦って勝つことではなかった。


 俺の役目は、殺されない程度に追いつめられ、向こうに勝ちを確信させて油断を誘い、決定的な証言を引き出すことだった。そしてその証言を、藤堂曰く〝増援〟である四ノ原に聞かせることだったのである。


「あのテープのコピーを餌に、真実が知りたければここまで来いって四ノ原を呼んだんだよ。お前達はもう終わりだ。お前達の〝元〟お仲間が、三十分もしないうちにすっ飛んで来るぞ」


「……本郷、お前――」


「野水! そいつに構うな! お前は四ノ原を止めろ!」


 今まさに怒りに任せて俺の首を締め上げようとしていた野水は、継枝の言葉を受けて獣のように大きく吠えると、俺を床へ突き飛ばし、大股で倉庫を出て行った。


 痛む全身に鞭打ってなんとか立ち上がろうとする俺へ、藤堂が近寄ってきて「大丈夫か」と肩を貸す。「大丈夫なわけあるかよ」と返しながら立った俺は、あえて藤堂を真似た嫌味な笑みを口元に浮かべながら継枝を見てやった。


「継枝、どうする。ここで終わりにしておくか?」


「提案して貰ったところ悪いが、そんなつもりはない。お前達は私が始末する。四ノ原は野水が始末する。目撃者が消えてしまえば、後はどうにでも言い訳ができるからな」


 こちらを満身創痍だと睨んだらしい継枝は、パワードスーツの性能に任せた真っ直ぐ走り込んで来る。


 ――まったく諦めの悪い奴だ。こんな状況で自分が勝てると思っていやがる。


 身体を支える藤堂を軽く突き飛ばし、安全圏へと逃がした俺は――継枝の拳を躱すと同時に、渾身の膝蹴りを奴の下腹部へと叩きこんだ。


 大きく後ろへ下がった継枝は、打たれた所を押さえながら膝を突く。今アイツはどんな顔をしているのだろうか。マスクを剥がして拝んでやりたいくらいである。


「……勝ったつもりか? 四ノ原は今、野水に追われている。奴が始末されれば、お前達の切り札は消えるんだぞ?」


「ご心配どうも。でも、こっちにはまだ、四ノ原以上の〝切り札〟が残ってるんだよ」





「待て四ノ原! 話を聞け!」


「聞きません! 待ちません! 野水くんも自分の罪を認めてください!」


「違うんだ! 俺は警視正の正義のために働いてるだけなんだ!」


「止めてくださいそんな言い訳!」


「言い訳じゃない! 本当に俺は――」


「まったく。しつこい男は嫌われると知らないのか?」


 逃げる四ノ原に追う野水。そんな両者の間に降り立つひとつの影。トレンチコートに髑髏のマスク。その恰好には不釣り合いな、ハートがあしらわれた両椀の白い装甲――〝クロカブトクォーター〟。


 不審者と呼ぶにふさわしいその姿を見た四ノ原は、思わず尻もちをついてそいつを指さした。


「あ、あなた……まさか――」


「久しぶりだな、シノハラ巡査」


 ファントムハートの姿を目の当たりにした野水明は大きく舌打ちした。ただでさえヒーローという存在を嫌う彼が、そのヒーローに仕事を邪魔されているのだから苛立つのも無理もない。


「お前も、邪魔をするんだな」と野水は確かめるように呟く。これはつまり彼にとって、「殺していいんだな」という問いかけと同義であった。


「もちろんだ」とファントムハートは――一文字司は返す。これは彼女にとって、「やれるものならやってみろ」という意思表示である。


 互いが互いに初めて会ったような気がしないのは、きっと互いに〝正義〟という形のないものを信じているからだろう。互いに言葉を交わさずとも、相手に漂う気配を見て、まるで鏡を見ているようだと思っているからだろう。


 自分と同じような存在を見ると、人間はまず恥ずかしくなる。そしてその恥ずかしさというのはだんだんと憎悪に変わり、最終的には互いを消してしまいたくなる。


 野水明にとって一文字司は、自らの正義を邪魔するヒーローで、あらゆる段階を飛ばしてこの世界から消してしまいたい存在だった。


 一文字司にとって野水明は、向こう見ずだった自らの過去を見せつけられているようで、その存在が恥ずかしくてたまらない存在だった。


 ともあれ、説得が通じないことは互いによくわかっている。だから――。


「……お願いします、一文字さん……いえ、ファントムハート!」


 四ノ原が走り出すのを合図に、両者が激突したのは必然だった。


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