孤狼の血 その2
それから数日経った日の昼。たまたまテレビで流れていた、空飛ぶさめが出てくるB級映画を観ながらトレーニングをしていると、チャイムも鳴らさず玄関扉を開け、リビングに駆け込んでくるヤツがいた。その不機嫌そうな大きな足音から振り返らないでもわかる。やってきたのは司である。
「よう。どうした、司」
「どうした、ではない。これについて説明して貰おうか」
腕立て伏せの途中だった俺の顔に、司はスマートフォンの画面を突きつける。そこには俺と百白が、居酒屋で共に酒を飲む映像が映されていた。
『本郷クンってさ、まだ結婚とか考えないの?』
『……考えたこともないな。お前はどうなんだよ』
『ボクはほら、運命の人が白馬に乗って現れるのを待ってるからさ』
『乙女か。逆だろ普通』
もちろんこれは俺と百白のプライベート映像が流出したとかいうわけではなくて、昨夜に放送されたバラエティ番組の映像の一部である。ゲストの芸能人が地元の友人と共に酒を飲み、好き放題に語り合うという緩すぎる内容にも関わらず、中々の視聴率を持っているらしい。
つまり、〝ゲストの芸能人〟である百白と共に酒を飲む俺は〝地元の友人〟ということになり、司はそれに怒っているのだろう。
「……お前、あの時間は俺と一緒にパトロールしてただろうが。録画してまであんな番組観てんのかよ」
「馬鹿を言うな。コハナに教えて貰ったんだ。それよりも早くこれを説明しないか」
司は俺の頬にスマホの画面をぐいぐいと押し付ける。まったく面倒なヤツだ。腕立て伏せを中断した俺は、手元に置いていたタオルで額を軽く拭った。
「俺だって好きで出たわけじゃない。例の事件には本当の黒幕がいるって教えただろ? そいつを誘い出すためだよ」
「意味がわからん」
「その番組を最後まで観りゃわかる」
その言葉を受けた司はいかにも不服そうではあったが、やがて何も言わずにソファーに腰掛けると映像の続きを見始めた。とりあえずは安心だと、キッチンに立ちコーヒーを淹れるためにやかんに火をかけていると、司の再生する映像の音声だけがこちらに聞こえてくる。
『そういえば本郷クン、例の〝特装隊〟にいたんだよね? どうなの、実際』
『正直、やってることは売れないヒーローとなんら変わりないな。犯罪者を探してあちこち周って……。今は無いだろうけど、ノルマが出てくるのも近いんじゃないか?』
『そうなると怖いよね。ノルマ達成のために、そこまで大きな罪を犯していない人があのハイテク装備で捕らえられる危険性があるってことじゃない。ボクもスーツを着て戦ってたからよくわかるけどさ、大怪我してもおかしくないんじゃない?』
『実際、俺もヒヤヒヤしてたよ。少し力を入れれば、人の骨なんてつまようじよりも簡単に折れる。慣れないヤツが使えば本当に危ないぞ、ありゃ』
『だよねだよね。それに、そういう問題がクリアになったとしても、お金の問題もあるもん。ヒーローに払ってるぶんのお金も、警察に払ってるぶんのお金も、全部ボクたちの財布から出てるわけだしさ』
――恥を忍んであんなバラエティ番組に出演した理由。それは、テレビという媒体を通して、特装隊に対してマイナスイメージを持たせる発言を発信するためである。
もちろん、一般素人の俺の発言程度では世論は動かないだろう。しかし、マスコミに対して大きな影響力を持つ百白が一緒なら? そして、百白が俺の発言に同調するような姿勢を見せれば?
〝たかが〟警視正などという立派な肩書を持つ〝だけ〟のオッサンと、つい最近まで活躍していた元ヒーローの俳優。世間がどちらを信用するのか。想像するのは容易い。
印象操作は向こうだけの専売特許じゃない。
映像を止めた司はソファーに深く背を預けた。俺はコーヒーのカップを片手にその隣へ座る。
「……理由はわかった。しかし、よく貴様がこんなことを実行したものだな」
「俺だってこんなことやりたくはなかったし、そもそも考えもしなかったっての。全部、藤堂――あの、死んだシシャモみたいな目の男の策だよ」
「なるほど」とスマホを見ながら呟いた司は、視線だけを僅かにこちらへ向け、鼻から小さく息を吐いた。
「人は見かけによらないものだからな」
〇
藤堂の思惑通り、その日を境に世間に吹いていた特装隊への追い風は見事に逆風へと変わった。
テレビ、ラジオ、ネットニュースに井戸端会議。あらゆる場所で手のひらが返され、特装隊には〝金食い虫〟、〝迷惑者〟のレッテルが貼られた。この流れに現役のヒーロー達が便乗し、動画サイトなどを駆使してここぞとばかりに反対意見を発信。さらに、ここにきてマスコミが、野水の起こした例の問題を蒸し返したり、過去に特装隊の創設が見送られていたことを今さらワイドショーで特集したりして、ここぞとばかりに燃料をぶち込み議論を過熱させた。
継枝が目指した特装隊創設の夢は、手にする直前ではるか遠くへ離れていった。人の噂も七十五日とはいうが、これには継枝も参ったに違いない。
さてその日、藤堂に呼び出された俺は、司と共にマスクドライドに向かった。店へ着くとすでに藤堂、さらには何故か百白と岬のふたりもいて、勢ぞろいといった様相である。これだけ人を集めて、藤堂の野郎はいったい何をするつもりなのだろうか。
店にいる面々をぐるりと見回し、それからすぐに目を逸らした司は、俺の腕を引き手近な席へと腰掛けた。当然、選ばれたのは百白と一番離れた席だった。
「おう、これで役者がそろったな」
のんびりとそう言った藤堂は、俺達を手招きカウンター席に集めると、折り畳み式の携帯電話を取りだしてカウンターの上に置く。
「何するつもりだ?」と俺が訊ねると、藤堂は「コッチから仕掛けんのよ」と言いながら電話を掛け始めた。呼び出し音が受話口から聞こえてきたのは、スピーカー設定にしているのだろう。
呼び出し音が5コール鳴った後、通話は繋がらず電話が切れたが、すぐに折り返しで掛かってくる。通話ボタンを藤堂が押すと、『何の用だ』と怒りに満ちた声が聞こえてきた。継枝の声だ。
「やあやあ、お久しぶりですな、継枝警視正。お元気ですかな」
『……相変わらずふざけた男だ。何の用だと聞いている』
「あんたほどの人ならわかってるはずでしょうが。取引ですよ、取引。鬼ごっこに疲れたんです。あんたの力で、このおれを死んだことにしてくれないかなって思いましてね」
『条件次第だ』
「盤外戦は金輪際やらんことを誓いますよ。それに、あんたが一番欲しがってる例のテープ。あれもお付け致しましょう。出血大サービスだ」
『いいだろう。ただし、こちらからも条件がある。取引の場所と時間はこちらが指定する。今日の二十四時、お前と会うはずだったあの倉庫でもう一度待つ』
「いいでしょういいでしょう。こちらは頭を下げる身ですからな。ただし、今度こそひとりで来てくださいよ。ノコノコ出向いてこの前の二の前は避けたいので」
『……お互いにとっていい取引を願うぞ』
そこで電話はぷつりと切れた。軽く息を吐いた藤堂は携帯電話を手に持ち、「もったいないよな」と言いながら折って壊す。それからゆっくりとコーヒーを飲み始める様は、さながら一仕事終えた後のサラリーマンである。
「それで、ただの嫌がらせが目的ってわけでもないんだろ?」
俺がそう訊ねると、藤堂は「そりゃまあね」と平気な様子で答える。
「声を聞いてわかる通り、警視正殿は現在、相当怒ってらっしゃる。攻めるなら冷静さを欠いた今しかない。で、お会いする約束を取り付けたってわけだ」
「でも、取引場所指定してくるって、向こうはワナに掛ける気マンマンじゃねぇか。どうするつもりだよ」
「虎穴に入らざれば虎子を得ず、ってな。罠なんてのは想定内。というか、罠をかいくぐるつもりじゃないとどうしようもないだろうさ」
口元を緩めながら藤堂は言った。
「心配しなさんな。使える数は向こうが上だけど、戦力ならこっちの方が上だ。勝機はある」
〇
「継枝警視正は用心深い人だ。だから断言できる。護衛となる数は十や二十どころじゃあない」
「そいつら全員と正面からやりあえってのか?」
「そうは言わんさ。本郷ほどじゃあないだろうが、向こうもそれなりの手練れだ。で、そこで出番となるのがあんただ、百白」
「ちょ、ちょっと待ってよ。ボクは戦えないよ。もうヒーローじゃないし、それに、俳優がケンカなんてして顔に傷がついたらどうするのさ」
「大丈夫だ。あんたに戦えとは言わんよ。得意分野で存分に力を発揮して、ちょいと向こうの気を逸らして欲しいだけさ」
「……ならいいけどさ」
「次にあんたの出番だ、一文字。闇に紛れて動くのは得意だろ? 散り散りになった相手の各個撃破を頼む」
「承知した。悪徳警官共に目にものを見せてやる」
「で、最後に本郷。あんたはおれと一緒に正面から突入だ。警視正の鬼の形相を拝みに行こうや」
「俺も司を手伝った方がいいんじゃないのか」
「あの人は自分の周りを一番強く固める人だ。あんたがいなくちゃおれはあの人の傍にすら近づけないさ」
「……俺ひとりでどうにかなりゃいいけどな」
「安心して。翔太朗さんにはこれを使って貰うから」
「……おい、岬。なんだこの派手な物体。なんで所々ハートマークがついてんだよ」
「あ・い・の・けっ・しょ・う♡」
「ふざけろ」
「二件目の事件のあと、岬さんに壊れたクロカブトを回収して貰ってね。その部品を使って作ってもらってたんだ。なかなかの出来栄えだろ?」
「僕も手伝ったんだよ僕も! いやーっ、久々にイイ仕事したよ!」
「……また変な機能つけてねぇだろうな」
「大丈夫! タマフクロー向きのものをしっかりつけてあるから!」
「……勘弁しろよ」
「盛り上がってるところ悪いんだけど、翔太朗に司ちゃん。ついでに百白。本当にいいの? この人の思惑通りに事が進めばなにも問題ないけど、うまくいかなきゃ共倒れよ? 現役警察官と喧嘩なんて、ヒーロー資格をはく奪されるだけじゃ済まされないんだからね?」
「もしここで降りたとしても、嫌がらせに一枚噛んだ俺のことを継枝は許さないだろ? 遅いか早いかの違いなんだよ。だから心配すんな。愛宕はこの店で熱いコーヒーでも淹れて待っててくれ」
「……別に、心配なんてしてないけどね。勝手にやってくれば?」
「若いっていいねぇ、まったく。オジサン、妬けてきちゃいそう」
「……それより、ボクってナチュラルに苗字で呼び捨てなんだね。別にいいけどさ」




