第3話 ホット・ファズ その5
さて、その二日後のことである。百白がパーティー会場として指定した目黒のホテルに向かうため、俺は共に行く司を石ノ森駅で待っていた。ドレスコードは特に定められていないらしいが、しかし出来るだけ小奇麗な恰好をしてきて欲しいと言われたため、一着しかない虎の子のスーツを着ていった。
いつぞや、同じような百白主催のパーティーに参加した際、司はどこで用意したのか黒のタキシードを着こんでいた。恐らく今日も似たような、やけに気合の入った〝男装の麗人〟的装いで来るのだろう――なんてことを考えていたから、その日の司の恰好を見て言葉を失った。
司が着ていたのは、ひざ下の辺りまで丈がある黒のドレスコートである。前を留める白いボタン以外、どこを見ても黒、黒、黒の黒一色。オトナの女性的雰囲気を目指しているのだろうというのはなんとなくわかるし、似合っていなくもないのだが、背伸びしている小学生が間違って喪服を着てやってきた感が否めない。
俺が困惑していると、軽く手を挙げながらこちらへと歩み寄ってきた司は、ルージュの引いた唇をわずかに緩めてにやりと笑い、勢いよくコートを脱いだ。
現れたのはこれまた黒のドレスである。胸元はしっかり隠れているものの、背後から見れば背中はぱっくりと大きく開いている。全体的に煌びやかな感じがする服装だが、来ている奴の身体つきが貧相な上にやや筋肉質の部類なものだから、絶望的に色気が無い。寂しいなんてものではない。今すぐにでも峰不二子の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。ドレスが可哀そうである。
困惑が怒りへと変わった俺を余所に、司は「どうだ」と言って無い胸を思い切り張る。
「似合っているだろう? 甚だ不本意ではあるが、今日の私は〝女〟を使わせてもらう。相手に警戒されてはそこでおしまいだからな。目くらましにはちょうどよかろう?」
「……わかった。じゃ、行くか」
「わかった、ではなかろう。似合っているだろうと聞いているのだぞ?」
「似合ってる」
「目を見て言え」
「……似合ってる」
「何故笑う?」
「待て。誤解だ。その、あれだ、似合ってるぞ。オトナの女って感じだ」
「それでいい」
ボクシングスタイルの構えを解いた司は、俺に先行して歩き出した。
電車に乗って一時間余り。目黒の駅から徒歩三分のところに、目当てのホテルはある。そこはホテルというよりも、無駄に豪華な日本家屋といった外観のところである。エントランス入っただけで、「何もここまで豪華にする必要も無いだろう」と思うほど派手な造りをしていて目に悪い。廊下に並ぶ襖はおろか、視線を上に向ければ天井にもカラフルな日本絵が描いてあり、感心や感動を忘れて呆れてしまうほどであった。
ホテルのスタッフに案内されるまま通されたのは、地下にあるイベントホールめいた部屋である。やけに広くはあったものの、幸いなことにこちらは天井などに派手な絵が描いてあることはなかったのでとりあえずは安心した。
白い布が掛けられた円卓の並ぶホールには、既に客が大勢いた。立食パーティーの形式らしく、多くの人が自由に行きかい、談笑している。
中の様子を伺っていると、「来てくれたみたいだね」と背後から声がした。振り返ると、そこにいたのは眩しいほどに純白のスーツを着込んだ百白である。これから結婚式にでも出るのか、アイツは。
「ああ、来たぞ。それで、モモシロ。貴様の言う〝怪しい男〟とはどこにいるのだ?」
「あそこだよ」と百白は会場の端へそっと指さす。見れば、そこにいたのは眼鏡を掛けた温和な雰囲気の男である。中肉中背で、ぱっとした特徴も無く、街を歩けば十分にひとりは見るようないかにも人畜無害の男だが、誰と会話を楽しむことも無く、皿に山盛りにした料理を食いつつ酒を飲む様は、なるほど、タダ酒タダ飯大好きという話と一致している。
「あの男は石山貴っていってね。大人しいのは見た目だけ。女遊び大好き、ギャンブル大好きのダメ人間さ。ボクがヒーローを引退してから仕事も無いはずだし、カネになる仕事ならなんだって引き受ける。それこそ、仕事の裏に犯罪の香りがしてもお構いなしにね」
「そんな風には見えないけどな」
「人はいくつも顔を持ってるものなのさ。本郷クンの場合はそれがヒーローで、彼の場合はそれがギャンブラーってだけのことだよ」
したり顔でそう語った百白は、「健闘を祈るよ」と手を振ると、パーティー会場へと足を踏み入れ、人だかりの中へと消えていった。その背中を見送った司は、ただひと言、「感謝する」と小さく呟いた。
直接言ってやればいいのに。まったく、可愛くないヤツだ。
〇
パーティー会場へ乗り込んだ俺達は、遠目から石山をそっと観察した。食って飲んでばかりいる男とは客も距離を取りたいらしく、奴の周りはさながらモーゼの海渡ようになっている。声を掛けやすいのは助かるが、さて、どうやって情報を聞き出すか。
ボーイの持ってきたシャンパングラスを受け取った俺は、それに軽く口をつけながら「どうする?」と司に訊ねた。
「カマをかけて反応を見て、怪しければ外に連れ出して無理やり事情を聞けばいい」
「簡単にそう言うけどな、話すと思うか、アレが」
「案ずるな。考えがある」
いつの間にかオレンジジュースのグラスを片手に持っていた司は、「行くぞ」と言いながら俺の手を掴む。
「私に合わせろよ、翔太朗。少々、〝頭の弱い嫌味な金持ちの女〟を演じるからな」
「だったら、しっかり打ち合わせしておきたいんだけどな」
「打ち合わせをしたところで貴様がまともな演技を出来るとは思えん」
これには何も言い返せず、俺は司の後を黙ってついて行った。
俺を連れて石山に歩み寄った司は、「石山さん」と高めの声で呼びかける。すると石山はシャンパングラスを傾けながら、怪訝そうな顔をこちらへ向けた。
「どちらさんですか」
「人助けが趣味の者です。この人は私の兄さん。あなた、百白さんとご一緒に働いていたとか」
「ええ、まあ、一応ね」
「パワードスーツ製作の腕前も超一流とお聞きしていますが」
「聞いたんならそうなんでしょう」
「でしたら話が早い。私達に雇われなさい。そして、私達のためにパワードスーツを作りなさい。報酬は弾みます」
「……もう一度聞きますが、どちらさんですか?」
「言ったはずですよ。人助けが趣味の者だと。貴方のような人種に対してわかりやすく言えば、ヒーローを目指す金持ち、と名乗った方がよろしいでしょうか」
すると、途端に石山の目の色が変わった。それを見逃さなかった司は、オレンジジュースを一口含んだ後、「よろしいですね?」と追撃の手を加える。
相手の言い分など一切聞かず、徹底して不躾な態度でこちらのワガママを通そうとする。なるほど。確かに〝頭の弱い嫌味な金持ちの女〟だ。一部、振る舞いに来華が参考になっているに違いない。
俺にはとてもそのような演技が出来そうにもなかったため、とりあえず険しい顔をして石山を睨んでおいた。
グラスを円卓に置き、今さらネクタイを締め直した石山は、心底嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ええ! ええ是非とも! 私なら、あなた方の力になれることを約束します!」
「そうして頂けることを期待しております。では、兄の分と私の分を合わせてスーツを二着。納期は三か月後で構いませんね?」
「三か月、ですか……」と石山は難しい顔をする。
「あら、三か月では足りませんか?」
「いえ、その……実は、今どうしても片づけなければいけない仕事を抱えておりまして。通常であればやってやれないこともないのですが」
つまらなさそうな顔をした司は、人を小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「でしたら、そんな仕事断ってしまえばよろしいでしょう」
「そ、それがですね、どうしても断れない仕事でして……」
「そうですか。なら、この話は無かったことに」
「ま、ま、待ってくださいよ。これには海よりも深い理由があるんですよ」
必至な形相の石山は周囲を見回して何やら辺りを確認した後、そっと俺達を手招いて傍に寄せ、それから小さな声で語った。
「……ここだけの話にしてもらいたいんですがね、私が今請け負ってるのは警察の仕事でして。断ったらどうなるかわからない、なんて脅されてまして……」
何やら、思っていた以上に怪しい香りのする情報が飛び出した。さらに叩けばいくらだって埃は出そうである。互いに目配せして小さく頷きあった俺と司は、〝バカ兄妹〟の演技を続ける。
「どうやら、時間を無駄にしたらしいな」
「ええ、そうですね。兄さん、行きましょう」
そう言って司は俺の腕を掴んで引いて歩き出す。すかさず石山は「待ってくださいよ!」と声を上げ、俺達の後を追ってくる。よほど金づるを逃したくはないらしい。まったく、見上げた根性である。
石山が追ってくる気配を背中でしっかり感じつつ歩き続けた俺達は、ホテルの地下駐車場まで出た。それとなく周囲を見回し、人気が無いことを確認してから、俺達はおもむろに足を止めてゆっくりと石山の方を振り返る。
安堵したように息を吐いた石山は、「考え直して頂けましたか」と言いながらこちらへ歩み寄ってきた。
「ええ。ですが、幾つかお聞きしたいことが増えましたの」
そう言った次の瞬間――〝お嬢様〟としての皮を脱ぎ捨てた司は、石山のシャツの胸元へ両手で掴みかかり、そのまま素早くコンクリートの壁に押し付けた。
「その警察というのはどんな奴だ?」
ほどよくドスの利いた声が静かに響く。よほど驚いたらしい石山はこれに答えることが出来ず、ただただ目を白黒させるばかりである。司は石山のネクタイを必要以上に締め上げると、強い口調で再度、「その警察というのはどんな奴だと聞いている」と尋問した。
「な、なんだよお前! わけわかんねぇよ! 俺が何したって言うんだよ!」
「質問しているのはこちらだ。早く答えろ」
「だ、誰が教えるかよ! 俺を騙しやがって!」
「教えておいた方がいいぞ。コイツは鼻の骨が砕ける音が大好きな女だ」
俺がそう忠告すると、司は無言で拳を構えた。「次は無い」という絶対の意思表示である。石山はその空気を肌で察したらしく、はうはうと息を漏らしながら、辛うじて数度頷いた。
「み、妙な男だった! あからさまな付け髭で、野球帽を目深に被って、昼でも夜でもサングラスで、常にニタニタ笑ってて! そんなんだから警察っていうのも嘘だと思ったけど、俺の個人情報から、人に知られたらまずいことまで全部知ってて……」
「なるほど。それは興味深い。……是非とも、詳しく話を聞かせて頂きたいものですね」
お嬢様の皮を再び被った司は、にっこりと微笑んで石山のネクタイを丁寧に直す。石山の心がからからと砕ける虚しい音が、俺の耳にはっきり聞こえた。




