第3話 ホット・ファズ その4
秋野一家への謝罪が終了したのは、七時を回った頃のことだった。本来ならばそこまで長居するつもりでもなかったのだが、「復帰祝いに食事でもどうかね」という再三にわたる旦那の提案を躱しきれず食事をしていくことになったのでそんな時間になってしまった。
「近くに行きつけの店があってね」と嬉しそうに言う旦那に連れられて、思わぬところで周らない寿司と揚げたての天ぷらにありつけたのはありがたかったが、本性が出ないように会話をするのは苦労した。
というのも、旦那は政治だとか経済だとか、そういった類の小難しい話一切を嫌い、他愛の無いバカ話をダンディーな声で語るような人物だ。ゆえに、こちらもその調子に合わせてしまいそうになることが多々あり、その度に唇を必死に捻じ曲げて我慢する必要があったのである。
「本郷くん。若いのに硬すぎるね、君は。それとも、お酒が入ればその化けの皮が剥がれるのかな?」
これには愛想笑いで答える他なく、秋野夫人が「先生が困っているでしょう?」という助け舟を出してくれなければ、どうなることかというところであった。
寿司屋を出て、タクシーに乗り込む秋野一家を見送った俺と司は、すっかり夜になった街を歩いて俺の家を目指した。その道中、何故俺が百白に会おうとしているのかということを説明すると、司は深く頷き「一理ある」と俺の意見に同意した。
「しかし、どうやってあの男へ連絡を取るつもりだ?」
「あいつが所属してる芸能事務所を調べて、そこに連絡する。そうすりゃ引きずりだせるだろ」
「だとしても、あの男が我々に協力すると思うか? あの、自らが目立つことと、自らの名誉しか考えていないような男が」
「たぶん大丈夫だろ、あいつなら」
「……その根拠は?」
――百白だって仮にもヒーローだったからな。と言いかけたが、既に怪訝そうな表情をしている司にそんなことを言えば、なおさら不機嫌になるに違いないという確信が頭をよぎり、俺はとっさに「百白は俺に頭が上がらないからな」と方向修正して誤魔化した。
「確かに」とあっさり引き下がった司は、百白の件についてそれ以上何も言うことはなかった。
そうこうしているうちに俺達はマンションへ到着した。自室へと戻り、スマホ片手に百白がいる事務所の電話番号を調べ、いざ電話を掛けようとしたその時、玄関チャイムがピンポンと鳴った。
「私が出るか?」と司は申し出たが、現役の女子高生が部屋にいることを他の誰かにはなるべく知られたくはない。その提案を断った俺はスマホを持ったまま玄関の扉を開けた。
……その時、まず俺の中に生まれたのが「気持ち悪い」という純粋な感情である。続いて「何故コイツが俺の家の住所を知っているのか?」という疑問が顔を出し、最後に「ともあれ手間が省けて助かった」という即物的考えが浮かんできた。
「やあやあ本郷クン! お疲れお疲れ! 色々大変みたいじゃないか!」
ヒーローからムービースターへと華麗なる転身を遂げた男――百白皇がにこやかに手を挙げた。
〇
百白はテーブルに着いて俺が淹れたインスタントコーヒーを飲みながら今年公開予定となっている自分が主演の映画について勝手に語り、俺はそれを聞き流しながら百白が手土産として持ってきた東京ばな奈(バナナプリン味)を黙々とかじり、そして司はそんな俺達を、客を警戒する家猫よろしくソファーに腰掛けながらじっと眺めている。
「――それで、近いうちに映画公開を記念してパーティーを開く予定でね。キミたちも来る?」
百白の話がひと段落ついた頃合いで、「そんなことより」とすかさず会話に割り込んだのが司である。
「何故貴様はここへ来たのだ?」
「何故って……近況報告ついでにパーティーに誘うためだけど?」
「貴様、ニュースを見ないのか? 翔太朗がどんな目に遭ったのか知らずに、よくも呑気なことを言えるな」
「あの程度、本郷クンなら問題無いってわかってたからね。別に心配する必要も無いってわけ。それで、どうかな? パーティー来ない?」
百白のひと言を受けて見るからに不服そうに眉をひそめた司は、「勝手にしろ」と呟くとソファーに身を投げ出した。それを見た百白は唇をすぼめて小首を傾げる。いちいち腹の立つ仕草を見せる男である。
このままこの男を家に置いておくと、司がへそを曲げすぎて腸捻転になりかねない。俺はさっさとこちらの用事を済ませてしまおうと、食べかけの東京ばな奈を一気に食べてから、「なあ」と話を切り出した。
「実は、俺も百白に用事があってな」
「キミがボクを頼るなんて珍しいね。なんでも言ってよ」
「俺が特装隊の仕事をやってるってこと知ってるなら、一連の事件で使われた装備のことも知ってるだろ? アレの開発に関わった奴を知りたい。何か情報持ってないか?」
「なるほど。だったら心当たりがある。早速パーティーを開こう」
「……話聞いてたのか?」
「もちろん。ばっちり聞いてたよ」
それを聞いた司は無言でソファーから立ち上がり、これまた無言で拳を構えて百白の背後へ忍び寄る。「気持ちはわかるけど待て」と俺が言うのを見て、百白は嫌な予感を覚えたらしく、肩越しに振り返り、そして「ひゃっ」と小さく叫んで椅子から飛び退き尻もちを突いた。
「ま、ま、待ってよ。ボクが心当たりのある人をパーティーに招待するから、そこでキミたちがその人に話を聞けばいいってことを言いたいんだよ、ボクは」
「だったら貴様がその人物に直接話をして、私達と引き合わせればいいだろう。何故わざわざパーティーなど開く必要がある」
「その人はボクがヒーローを辞める時にクビにしたパワードスーツの共同開発者なんだよ! 一対一で話なんてしようとしたら怪しまれるじゃないか!」
「そんな仲ならパーティーに誘おうとも来ないのではないか?」
「絶対来る! タダ飯が食べられてタダ酒が飲める場所なら、絶対来るような人だから!」
それでようやく納得したらしく、司は構えていた拳を名残惜しそうに体側へ戻し、再びソファーへ寝転ぶ。それを確認した俺は、未だ尻もちをついたまま安堵の息を漏らす百白へ手を伸ばした。
「悪かったな、百白。お前が頼りだ。頼めるか?」
「知らないのかい? ボクは必ず期待に応える男なのさ」
百白は俺の手を掴んで立ち、自信ありげに口角を上げた。




