第3話 ホット・ファズ その3
コーヒーを一杯飲んだ後、四ノ原は「ごちそうさまでした」と丁寧に頭を下げて店を出て行った。その背中が店の窓からも見えなくなったのを確認してから、司は「さて」と話を切り出す。
「翔太郎。貴様、よもや本当に犯人探しを止めるつもりではないだろうな?」
「止めるもなにも、そもそも俺は真犯人を追ってなんていねぇよ。それに、弔い合戦の必要はもう無くなっただろ」
「甘い。だから貴様は駄目なのだ」
司は俺の胸を人差し指で何度も小突きながら力説する。
「断言する。この事件を警察に任せておけば、迷宮入りは間違いない。我々の手で解決せねば」
「なんでそんなに警察が信用出来ないかね」
「ならば逆に問うが、翔太郎は警察を信用出来るのか?」
俺の脳裏では藤堂が嬉しそうに手を振っている。確かに、あんな男が存在することを思えば、警察というのはそこまで信用出来る組織ではない。
「……まあ、一理ある。でも、さらに逆に聞くけど、俺達の手に負えるような事件だと思うか? 世の中には適材適所って言葉があるんだ。ひったくりや暴行犯を捕まえるのとはわけが違うんだぞ?」
「……もういい。わかった。ならば、私独りで動く」
呆れたようにそう呟いた司は、席を立って俺の肩に拳をぶつけた。まったく強情な女だ。今度しっかり時間を作って、ヒーローにはヒーローの領分が、警察には警察の領分があることを教え込まなくちゃならん。ついでに、本気で人の肩を殴ったらいけないことも教える必要がある。
扉を開いて店を出て行く司の気配を背中に感じながら、痛む肩をさすっていると、八兵衛が「追わなくていいのかい?」と声を掛けてきた。「いいんだよ。好きにさせとけ」と俺が答えると、岬が「放置プレイは司さんの趣味じゃないと思うけど」と俺の背中の中心線を人差し指でそっとなぞってくる。
コーヒーカップを持って別の場所へ席を移し、「そのうち無理だってことがわかって、ぴーぴー泣いて帰ってくるだろ」とあくまで決別の構えを見せると、ジュっという火が消えるような音が俺の手元から聞こえてきた。何かと思えば、俺の持っていたコーヒーカップに吸いかけの煙草を落とした奴がいる。こんなヤクザみたいなことをするのは愛宕の他に誰もいない。
すでに新しい煙草を咥える愛宕は、それにライターの火を近づけつつ俺に詰め寄った。800度の小さな炎が間近に迫っている。
「お嬢ちゃん、あんたが死んだと思ってすごい悲しんでたわよ。泣いて、泣いて、涙なんて出なくなるくらいに泣いてた」
「……まあ、悪いことしたとは思ってる」
「あの子は、自分と同じ思いを他の誰にもさせたくないの。今回はたまたまあんたが墓から出てきたからよかったけど、次が起きたらそうなるとも限らない。違う?」
「……まあ、そうなるな」
「だったらわかるでしょ。アンタのやるべきことが」
女の涙というのはまったく侮れない。八兵衛を、岬を、愛宕を、こうも簡単に味方につけるのだから。
……もちろん、俺も人のことを言えた義理ではないのだが。
「……わかってる。でも愛宕、その前にひとついいか」
「なによ」
「さっきから煙草の灰が俺の手に落ちて熱い」
「……いいからさっさと行きなさい」
〇
店の外へ出ると、雲の切れ間から見える太陽が眩しかった。穏やかな風が暖かく、春の到来を感じさせる。そろそろ騒がしい花見の季節である。二週間後のことを考えると気が重くなるが、そんなことより今は司だ。
辺りを歩き回ると、すぐに司の姿を見つけることが出来た。背中を丸めて上着のポケットに手を入れるその姿は、見るからに機嫌を損ねた非行少女である。
小走りで司に追いついた俺は、「おう」と声を掛けながら横に並んでそのまま歩き始める。
「何用だ」と司はぶっきらぼうに言う。
「気が変わった。俺もやる」
「何故だ?」
「泣いて、泣いて、泣きまくって、涙が出なくなるまで泣く奴を、誰かさん以外に出したくないからな」
瞬間、司は俺の襟首に掴みかかってきた。見れば、その顔は物の見事に真っ赤である。よほど俺に知られたくなかったらしい。
「だ、誰から聞いたっ!」
「愛宕だ。それよりも、今はもっと大事なことがあるだろ。真犯人にアテはあるのか?」
しばし俺を睨んだ司は、恨めしそうに襟首から手を離すと早足で歩き出した。俺はその後を追ったが、ついて来るなといった旨のことは言われなかったので、とりあえずは納得してくれたのだろう。
「無論……と言いたいところだが、実際のところは無いに等しい。タチバナ店主やミサキにあのスーツの一部を調べて貰ったが、わかったことといえば、一連の事件の装備作成者が全て同一人物であることくらいだ」
「だったらそいつを探す方法か。何か案は?」
「犯人は誰彼構わず装備を提供している。ゆえに事件が起きるのを待ち、それを迎え撃つ。そしてその者を警察よりも先に捕まえ、提供者に連絡を取らせて誘い出すというのは?」
「そんな手が使えるなら、警察がとっくにそうしてる」
「ならば、他に何かいい手があるか?」
「そうだな。犯人が思わずスーツを渡したくなるような悪人に、俺達がなりきるっていうのはどうだ? で、向こうから来たところを捕まえる」
「却下だ。悪人を捕まえるためにヒーローが悪事を働くなど、それこそ本末転倒ではないか」
「だったら他の意見は?」
「……無い。今のところはな」
「同じく」
その時、背後から聞こえてきた悲鳴のような声に、俺と司はその場でつまずくほど驚いた。思わず身構えながら振り返ると、驚き、困惑、哀しみなどの感情で混沌とした表情となった来華が、震える指で俺を指して立ち尽くしている。司と同じく、俺を死んだと思っていたのだろうということは一瞬で理解できた。司達のあの反応を見た後すぐに連絡を入れておくべきだった。
「……待て、来華。見ての通り俺は生きてる。だから落ち着いて――」
「センセー!」
こちらの話を聞かずに思い切り走り込んで来た来華は、一切のブレーキを掛けないまま飛びついてきた。周りの視線も痛いが、抱き着かれた際に頭をぶつけられたみぞおちはもっと痛い。
ひとしきり泣いて俺の上着を涙と鼻水で好き放題汚した来華は、諸々の液体でやけにテカテカした顔を上げた。
「なんで電話出てくれないのさ! どれだけ心配したと思ってるの!」
「入院してたんだよ。で、スマホは家だ。……この言い訳、今日何回すればいいんだ?」
「知らないっ! それと司ちゃん! なんでわたしにセンセーが戻ってきたこと知らせてくれなかったのさ!」
「……すまない。しかし、私も翔太朗が戻ってきたのを知ったのはついさっきのことで――」
「言い訳しないっ! まあいいやっ! とにかく行くよっ! お母さんたちにも会って貰うんだから!」
来華は俺と司の腕をがっしり掴むと、大股で歩き始めた。
こちらの用事や意向など関係ない。「やらなくちゃ」と考えたことを最短距離で実行するのが秋野来華である。そして、俺達はそんな来華にめっぽう弱い。逆らえないことを瞬時に悟った俺と司は、無抵抗で連行された。
〇
秋野邸に着いた俺達は、〝談話室〟と称する部屋に通された。床一面に赤い絨毯が敷かれた部屋で、馬鹿に高そうなソファーや無駄に大きなテレビがある。硝子戸の食器棚の中にあるカップは目が眩むほどに綺麗である。壁には何やら風景を描いた油絵らしきものが飾ってある。部屋の中に時計が無いのは、時間なんてものには縛られないという金持ち特有の余裕の表れであろうか。
俺達へ「さあ座って座って!」とソファーを勧めた来華は、自分は座らずに部屋の扉に手を掛けた。
「待てよ。まさか、夫人達を俺と司で相手しろってのか?」
「そーんなことしないよっ。紅茶淹れてくるだけっ。お母さんたちが帰ってくるまでもう少し時間あるからさっ!」
「買い物にでも出かけてるのか?」
「うんっ。ふたりで喪服を仕立て直しに行ってたんだっ。でも、必要ないって連絡しといたから大丈夫だよ!」
「……帰っていいか?」
「ダーメっ! とりあえず、テレビでも観ながら適当にくつろいでてよ!」
そう言い残して来華は部屋を出て行った。残された俺はといえば、今にも不安に押し潰されてしまいそうでまったく落ち着かない。人差し指で自分の肩を叩き続けたり、ひたすら貧乏ゆすりをしてみたりしたが、全身の毛穴が開いたような嫌な感覚は出ていくことはない。
秋野家は基本的に善性の一家である。ゆえに、恐らくふたりは無事に帰ってきた俺を喜びの笑みで迎え、そして労いの言葉のひとつでも掛けてくれるだろう。もしかしたら、感受性が豊かな秋野夫人は涙のひとつでも流すかもしれない。
しかし、そんな方々だからこそ、要らぬ心配を掛けたというのが心苦しい。面と向かって話すことすら嫌になってしまうほどに。
「……帰るなよ、司。頼むから一緒にいてくれよ」
「わかっているからじっとしていろ。何を怯えているのだ。貴様が相手をしたあの機体の方がずっと怖いだろう」
「怖いとか、そういうんじゃねぇんだよ」
一分、一秒が経つのが遅い。俺達以外に動くものが無いのだからなおさらである。司と言葉を交わす気にもなれず、かと言って何もしないでいるのも落ち着かず、手持ち無沙汰になった俺は、背の低い木製テーブルの上にあったリモコンを持ってテレビをつけた。
映ったのは、昼下がりのワイドショーである。相変わらず飽きもせずに特装隊が云々言っていやがる。回してしまおうかと思った矢先、キャスターの男が「続いてはこちらの話題です」と話を切り替えたのでそのままにしておいた。
「あの〝ヒーロー〟が、スクリーンに帰ってきます」
女性アナウンサーのそんなひと言に続いて映像が切り替わり、映されたのは百白皇のニヤケ面だった。どうやら、以前から撮影していた映画がようやく完成したとのことで、マスコミを招いて試写会を開いたらしい。まったく、いちいち派手なヤツだ。
『この前ヒーローを辞めたばかりだというのに、再びヒーローをやるだなんておかしいとは思うけどね。でも、世間はボクがヒーローであることを求めてるんだ。だからそれに答えたまでさ』
百白の発言を聞いて苦い顔をした司は、手の平で視界を覆った。決着がついたとはいえ、あんなことがあった相手だ。好き好んで顔を見たくはないのだろう。
そっとチャンネルを変えてやろうとリモコンを構えたその時――俺はひとつの天啓を得た。
一連の事件に使用された装備の提供者の情報。今の俺達が喉から手が出るほど欲しいそれを、こいつならば持っているのではないだろうか?
ついこの前まで現役のヒーローで、他愛のない犯罪を解決するためにパワードスーツなんて代物を使っていたこいつならば、そちらの方面への人脈も広いのではないだろうか?
確証はない。だけど、何一つとして手掛かりのないこの状況なら、聞いてみる価値はある。
「……司。百白に会いに行くぞ。今すぐに」
「悪いが、今はそんなことをしている場合ではないと思うが?」
そう言うと、司は扉の方へそっと指を向けた。嫌な予感を覚えつつ肩越しに振り返ってみれば、ニコニコ顔の秋野一家が勢ぞろいで並んでそこに立っている。
瞬時に余所行きの微笑みを装備した俺は、ソファーから立って「この度は大変申し訳ございません」と謝罪しながら深く頭を下げた。




