第3話 ホット・ファズ その2
四ノ原の運転する車が向かう先は、俺の家からマスクドライドへ変更された。俺はコーヒーの味をよくわからないが、あの司が絶賛するのだから、間違っても不味くはないのだろうと考えてのことだった。
やがて車はマスクドライドの付近までやってきた。近くの駐車場に車を停めた四ノ原は、運転席の扉を開けながら「意外ですよね」と俺に言う。
「本郷さんが喫茶店でコーヒーだなんて想像してませんでした。休みは家で寝ているタイプかと」
「パンケーキ食べ比べが趣味よりマシだろ?」
「まあ、それはそうですけど」
四ノ原を連れて店の硝子扉を開けると、「いらっしゃい」という愛宕の声がキッチンの奥から聞こえてきた。ひと月も期間を開けているわけでもないのに、なんだかずいぶんとあの声が懐かしい。
田舎に帰ってきたような情動を覚えつつ「愛宕」と呼びかけてみると、皿の割れる音が聞こえてきた。何事かと驚くうちにキッチンから愛宕が飛び出してきて、お目にかかったことのない柔らかな微笑みをほんの一瞬浮かべたと思いきや、すぐさま不機嫌そうな表情に戻る。素直に笑みを向けるよりも、あの顔の方がずっと愛宕らしい。
「翔太朗じゃない。全然連絡も繋がらないし、あの爆発で死んだかと思ってたわ」
「悪かったな、心配かけて。スマホを家に置いてきたままで連絡出来なかった。でも平気だ。ぴんぴんしてる」
「あたしが心配したなんていつ言ったわけ?」
ジーンズのポケットを探った愛宕は煙草を取り出しそれを咥える。
「とりあえず、警察のお連れ様と一緒に座ったら? コーヒー淹れるから」
カウンター席に並んで座った俺達は、愛宕がコーヒーを淹れるのを眺めながらのんびり待った。煙草の匂いと珈琲豆の香りが同居する店内の雰囲気がいやに落ち着く。なんだかんだ言いながら、自分はここが気に入っていたらしいという当たり前のことに、俺はようやく気が付いた。
カップへコーヒーを注ぐ愛宕を見ながら、四ノ原は小さな声で俺に訊ねる。
「……すいません、本郷さん。ひとつお聞きしたいんですが、わたし、あの方とお会いしたことありましたっけ?」
「知らん。なんで俺に聞くんだよ」
「だって……なんだかやけに睨まれてるような気がして」
「気にしすぎだ。あいつはいつもああなんだよ」
「悪かったわね。目つきが悪いのは生まれつきよ」
俺達の話をしっかり聞いていたらしい愛宕は、そう言いながら歩み寄ってくると、ふたつのカップを俺達の前に置いた。
「で、今日はなんの用事で来たわけ?」
「別に用事なんて無い。強いて言えば、コーヒー飲みに来ただけだ」
「あら、翔太郎ってあたしのコーヒーの味がわかるの?」
「ああ。美味いんだろ、たぶん」
「……今度からあんたにはインスタントで十分ね」
そんな俺達を横目に、シノハラはすでにコーヒーをすすっている。満足そうに目を細めているところを見るに、やはりわかる奴にはわかるのだろう。
俺はコーヒーに口をつけながら、「そういや、八兵衛はどうしたんだ」と愛宕に訊ねた。
「店長ならいま、お客さんを迎えに出てる。けど、もう少しで帰ってくると思うわ。ちなみに、あの子も一緒よ」
「……あの子?」
「ええ、あの子」
「それって、まさか――」
「翔太朗っ!」
気づけば、店の入り口には司がいた。こちらもなんだかずいぶんと久しぶりな感覚だ。俺は親しみを込めて「おう」と答えて手を挙げたのだが――司はこちらへ駆け寄ってくると共に、勢いそのままに俺の襟首を掴みかかってきた。例の件の怒りはまだ収まっていないらしい。
「貴様! よくこんなところへ顔を出せたものだな!」
「わかってる。悪かったよ、この前のことは謝る。でも、仕方なかったんだ。理由を説明するから――」
「そんなことはもうどうだっていい! 私が聞きたいのは、電話にも出ずになにをしていたということだ!」
「落ち着けって。入院してただけだよ。スマホは家だった」
「だとしても、どんな手を使っても私達に連絡を入れるのが筋というものではないのか?! あの事故のニュースを見て私は! 私はなぁ!」
そこで言葉をふいに切った司は襟首からゆっくりと手を離すと、まるで倒れ込むように、俺の胸へ弱々しく額をぶつけた。
「……どれだけ心配したと思っている、馬鹿者が」
まさかこんなことを言われるとは思っていなくて、俺は今の司になんと言ってやればいいのか、なにをしてやればいいのかわからなかった。唯一わかっていることは、何かしなければいけないということだけである。
とりあえず「ごめん」と素直に謝ってみたものの、司からはなんの返事も無い。周囲に視線を向けて助けを求めてみると、愛宕が髪を頻りに撫でている。四ノ原はその仕草を指さしながら、繰り返し大きく頷く。「どういうことだよ」と声を出さずに唇だけ動かして訊ねると、愛宕は司の頭を指さした後、再び髪を撫で始めた。なるほど頭を撫でろということらしい。そんな恥ずかしいこと出来るか。下手すりゃ殴られるぞ。
しかし、先ほどから司は俺の胸に額をぴったりとくっつけたまま固まって動かない。頭を撫でた挙句に殴られるのと、この状態がしばらく続くのと、どっちがいいかを天秤に掛ければ明らかに前者の方がいい。
覚悟を決めた俺が、強く歯を食いしばりながら司の頭を撫でてやろうとしたその直前、店の扉が勢いよく開いて八兵衛が現れた。瞬間、司は何事もなかったように俺から離れ、カウンター席に腰掛ける。
「タマフクロー!」という歓喜に溢れる声を上げた八兵衛は、こちらへ駆け寄ってきて俺へと抱きついてきた。鼻水をすする音が耳元に聞こえる。
「どれだけ心配したと思ってるんだい! 電話にも出ないで!」
「……入院だよ。スマホは家に――」
「翔太朗さんっ! 翔太朗さんねっ!」
再び扉の開く音がしたと思えば、続いて現れたのはなんと岬である。なんであいつがここにいるんだ、とこちらが唖然とするうちに、獲物を見つけた猛禽類のように忍び寄ってきた岬は、八兵衛を跳ね除けて俺の首に腕を回そうとしてきた。
当然、俺は岬の額を手のひらで抑え、その企みを直前で阻止する。そんな状況にも関わらず、岬はなおも前進しようとしながら「生きててよかったわ」と呟いた。
「でも、どれだけ心配したと思ってるの? 藤堂さんに聞いても何も教えてくれない上にヘンな仕事は押し付けられるし、電話にも出てくれなかったし……」
「スマホは家に……って待て。なんでお前が俺の番号知ってるんだ」
「安心して。翔太朗さんのスマホの中身を、ちょっと覗いたことがあるだけだから」
「……それ聞いてなに安心しろっていうんだ?」
少し間を置いて「えへ」と笑った岬を、俺は柔らかく突き飛ばした。
〇
カウンター席に並んで座った俺達は、愛宕が淹れたコーヒーをすすった。それから四ノ原が改めて全員と自己紹介をし合い、落ち着いたところで「それで」と話を切り出したのが司だった。
「翔太朗に、シノハラ巡査。ふたりは何故ここへ来たのだ?」
まるで尋問のような口調な司に詰め寄られ、俺は思わず少しのけ反る姿勢になる。
「何度聞かれたって同じだ。ただコーヒーを飲みに来ただけ。それを言うなら、なんで今日に限ってこの店は、こんな全員集合状態なんだよ」
すると、今度は司の方がしどろもどろとして、視線を明後日の方向へ。何か隠し事があるらしいと確信しているところへ、「弔い合戦のために共同戦線を張ってたの」と岬があっさりネタバラシして、司はさらに慌てた様子になった。
なるほど。弔い合戦だったか。ますますわからん。
この場における武将感が高まった以外は謎が多すぎて、とりあえず「誰の弔い合戦なんだ?」と俺が訊ねると、四ノ原と司以外の全員が一斉に俺を指差した。
「……待て。なんで生きてる奴の弔い合戦しようなんて考えてたんだよ」
「だって、あの爆発で死んでたと思ってたんだから仕方ないじゃないか」と八兵衛。それに岬が「入院してるってことも知らなかったし」と続き、愛宕が「あの爆発から一週間も連絡取れないなんて、死んでるって考えた方がスッキリするでしょ?」とトドメを刺す。薄情な奴らめ、そんな簡単に死んで堪るか。
「……まあいい。俺の仇を討とうとしたってことはわかった。でも、犯人はその場で捕まったってニュースで言ってただろ。まさか、留置所に押し入って殺そうとしたんじゃ――」
「そんなわけがあるかっ! 私は事件の真犯人を捕まえようとしただけだっ!」
司の言葉を聞いて「ぶへ」と咳き込みコーヒーを吐き出したのは、これまで肩身が狭そうにじっと黙って座っていた四ノ原である。
「じ、事件の真犯人って……なんでそのことを知ってるんですか?! マスコミには流されてない情報のはずです!」
「我々を舐めてもらっては困るな」
動揺する四ノ原を見ることによって落ち着きを取り戻したのか、気取った表情に戻った司は八兵衛に「例の物を」と言って何かを促す。すると八兵衛が店の奥に一旦引っ込み、なにやら怪しげなものを持って戻ってきた。カウンターの上に置かれたそれを見ると、黒を基調としたカラーリングに銀色の鎖が刻印された機械の腕だ。パワードスーツの一部分であることは見るに明らかだった。
「パワードスーツを使用した犯罪はこの辺りでも起きていた。それを私が解決したのがつい一昨日のことだ。ひと月もしないうちにこういった高機能の装備を使った事件が計三件。悪漢共に装備を配る何者かがいると考えるのが、むしろ自然だと思うが?」
「そ、それはそうですけど……というか、一文字さんって何者なんですか? 事件を解決って、普通の人じゃないですよね?」
「聞かれたならば名乗るしかあるまい。私の名前はファントムハート。この比衣呂市で――」
俺はとっさに司の口を両手で塞ぐ。なんでこんなに堂々と名乗りを上げようとしてるんだ、コイツは。無許可でヒーローやってる自覚が無いのか。
訝しげにこちらを見る四ノ原へ、俺は「そうなんだよ」と笑って誤魔化しながら司の頭をわしわし撫でる。
「コイツの名前はファントムハート。ちなみに俺はタマフクロー。変な名前と思うかもしれないけど、いわゆるコードネームってやつだ」
「コードネーム、ですか?」
「そう。コードネーム。ほら、俺、私立探偵やってるって話しただろ? 司は俺の助手なんだよ」
「なるほど。だから、弔い合戦だったんですね」
四ノ原は納得したように手のひらを打つ。信じやすい女で助かった。一方、助手などと呼ばれて不満らしい司は、俺の右腕を無言で強く抓っているが、これは耐え忍ぶ他ない。
「でも、警察官としては見逃せませんよ。一文字さん。本郷さんも帰ってきたんですし、そんな危険なことは辞めてくださいね?」
「わかってる。俺が生きてることがわかったんだ。危ないことはやらないはずだ。だよな、司」
この問いかけに司がむっつり黙ったきりなんの反応も見せなかったので、仕方なく俺は腕に力を込めて司を無理やり頷かせた。




