第2話 日本で一番悪い奴ら その3
電話を切って三十分もしないうちに、四ノ原が家まで俺を車で迎えに来た。俺が助手席に乗り込むなり、「行きますよ」と呟いてアクセルを強く踏んだ四ノ原の横顔は、電話口で聞いていた声以上に険しい。
『新宿に向かいます。藤堂警部補から連絡があったんです。ふたりで来てくれって』
「ああ」
車中にいる間、俺達の会話はこれだけに終わった。カーラジオすら流れない空間で、俺は重苦しさを感じながら黙ってひたすら揺られ続けた。
別に俺は四ノ原と同じように、野水に会いたいわけではない。それでも俺が助手席に大人しく座っているのは、今の四ノ原をひとりにすれば、何をしでかすかわからないと思ったからだ。隣から漂うこの気配は、本気でキレた時の司によく似ている。
しばらくすると、車は新宿の〝秘密基地〟の前で停まった。二階のオフィスへ上がり扉を開けると、藤堂が椅子に深く座って天井を眺めている。
「藤堂警部補。あいつはどこですか」
冷たく、静かに言いながら歩み寄る四ノ原へ、いつもの調子で「おう」と答えた藤堂は、手の平で膝を擦りながら椅子から立ち上がった。
「まあ、落ち着け。焦ったところでもうどうしようもないだろ」
「焦ります。あいつはどこですか」
「最近の若者は話聞かないな、まったく」
藤堂は苦い顔をしながら深くため息を吐く。
「野水はいま本庁にいる。あんなことをしたんだからな。聞き取り調査の最中だよ」
それを聞くなり四ノ原は、踵を返して出口へと向かう。その肩をすかさず藤堂が掴み、「待て待て」となだめながら引き留める。
「おまえが行ったところでどうしようもないだろ。頭冷やしなさいよ」
「どうしようもないかもしれませんが、同期として一発殴ってやることくらいできますから」
「やめてくれ。野水に続けておまえまで問題起こしたら、さすがの継枝警視正も庇いきれないぞ」
「……だったら、どうしてわたしをここに呼んだんですか」
「だっておまえ、おれがここに呼んでなかったら直接本庁に向かってたろ。そんなことされちゃ困るからな」
藤堂は後頭部を人差し指で掻いた。
「とりあえず野水の処分は、三か月の減俸と警視正との面談だけで終わるはずだ。相手が凶器を持っていて、発砲されたってのは事実だからな。まあ、やりすぎなことは間違いないが」
「……そうですか」
ぽつりと呟いた四ノ原は、肩に置かれた藤堂の手を軽く払うと、すたすたと歩いて部屋を後にした。その背中を黙って見送ると、まるで他人事のように藤堂が「追いかけてやんなよ」と言う。
「ひとりにさせてやった方がいい時もあるだろ」
「逆もまた真なりってな。誰かと一緒に居た方がいい時だってある」
「とりあえず今は何も話したくない、って感じに見えたけどな」
「そうか? おれには、心の内をぶちまけたくってしょうがないって風に見えたけど」
どうやら話は平行線だ。これ以上は時間の無駄だと考えた俺は「そうかよ」と残してその場を去ろうとしたが、「首輪を忘れるなよ」と背後から言われて思わず足を止めた。
「……この悪党」
「なんとでも言えばいい。本郷、四ノ原はあんたに頼むぞ」
この野郎、いつかぶっ飛ばしてやる。
〇
外へ出ると、四ノ原は今まさに車を出発させようというところだった。慌てて車の前へと飛び出した俺は、「待てよ」と言いながら軽く手を振る。
四ノ原は運転席の窓から身を乗り出し、「どうしたんですか?」とこちらに訊ねた。
「どうしたもこうしたもあるかよ。ここまで俺を連れてきたのはお前だぞ。家まで連れて帰れ」
「ああ、そうでした。じゃ、乗ってください」
俺が助手席に乗り込むと、四ノ原はさっさとキーを回して車を出発させた。窓に身を寄せつつ、横目でさりげなく四ノ原を見れば、何か思い悩むような複雑な表情をしている。その唇はきゅっと締まったままで、開かれる様子はない。やはり、ひとりにしておいた方がよかったのではと思わざるを得ない。藤堂の野郎、適当なことばっかり言いやがって。
そんな風に思っていたものだから、車が動き出してから十分ほど経った辺りで、四ノ原が「ありがとうございます」と言い出した時には本当に驚いた。いかにも素っ頓狂な「あ?」という声まで思わず出てしまったほどである。
「だから、ありがとうって言ったんです。わたしについて来てくれたこともだし、追いかけてくれたことも。別に、無視したってよかったわけじゃないですか」
「……本当はひとりにしておいた方がよかったんじゃないかって思ってたんだけどな」
「ダメですよ。ひとりにされたらわたし、多分野水くんを殴りに行ってました」
「なんなら、今から行くか。ふたりで」
「昔の曲でありましたよね、そんなの」
そう言って四ノ原は少し笑った。安心すると同時に、藤堂ですらわかることが自分にわからなかったということが無性に悔しくなった。
ひとしきり笑った四ノ原は、再び表情を引き締める。しかしそれは、先ほどのように思いつめたように感じるものではなかった。
「……すいません、本郷さん。誤解しないで欲しいんです。野水くんはずっと昔からあんな奴じゃなかったんですよ。まあ、昔から無駄に正義感の強い男ではあったんですけど……それでも、あんな風に相手が悪人だからって無暗に痛めつけたりはしなかった」
「その理由は聞かない方がいいんだろうな」
「いえ、こっそり知っておいて欲しいんです。じゃないと、本郷さんがあいつを誤解したままだと思いますから」
車はちょうど赤信号で停まった。ハンドルにもたれかかった四ノ原は、前方の車のナンバーを見つめながらぽつぽつと語った。
「あいつには、中学生の頃からまるで弟みたいに可愛がってる後輩がいたんです。あいつに似て正義感の強い子だったけど、あいつみたいに強くはありませんでした。……ちょうど一年前くらい、その子が殺されたんです。酔っぱらった男に絡まれてた女の子を助けようとして、返り討ちにあって、コンクリートに頭を打って……。それ以来、あいつは〝悪人〟という存在全てに恨みを持つようになったんです」
「……話はわかるけど、行き過ぎた考え方だな」
「そういう、融通の利かない奴なんですよ。だってあいつ、あの事件のせいでヒーローまで目の敵にするようになったんですから」
「どういうことだ」
「あいつの後輩が助けた女の子が言ってたんですけど、酔っ払いに絡まれてた時、たまたまその子の前をヒーローが通りかかったんですって。でもそのヒーローは、助けてくれなかったんですって。……〝アージェンナイト〟。今はすっかり引退して俳優気取ってるけど、ロクな奴じゃありません」
その時、俺は冷えた手のひらで首筋をなぞられるような感覚を覚えた。
アージェンナイトに――つまり、百白皇に〝殺された〟正義感の強い男。誰かを護ろうとした結果、命を失った男。
間違いない、そいつは――。
「……天道、遊馬」
「……知ってるんですか、遊馬くんのこと」
「友人の兄貴だよ、なんの因果か知らないけどな」
後方の車からクラクションが鳴らされる。どうやら信号が変わっていたらしい。慌ててハンドルを握りなおしてアクセルを踏んだ四ノ原は、小さく息を吐いて眉間にしわを寄せた。
「……とにかく、あいつにも色々事情があるんです。わかってやって欲しいとは言えないけど、知っておいて欲しいんですよ」




