第2話 日本で一番悪い奴ら その2
それから程なくして、野水と四ノ原が「お疲れ様でーす」と怠そうに言いながら部屋に入ってきた。見れば、目はかなり充血していて髪は水分を失っていてぼさぼさである。まともに寝ていないことは一目でわかった。
「大丈夫か、ふたりとも」
声を掛けると、四ノ原は「すいません」と力なく微笑んだ。野水の方はあくびで応えながら、僅かに頭を上下させて頷くばかりである。警察の仕事はヒーローなんかよりもずっとブラックらしい、なんて思って一瞬はぞっとしたものの、ヒーローと違って働いた分はしっかり残業代が出るのだと思えば、まあトントンといったところだろうと即座に考えを改めた。
藤堂は缶コーヒーをふたりに手渡しながら、「お疲れさん」と労いの言葉を掛ける。
「それで、どうだった」
「とんでもなかったですよ、マル暴の取り調べ。あの人たち、丸二日寝ないでも全然平気なんですから」
あくびを堪えながらそう言った野水へ、四ノ原が「それよりも」と付け加える。
「あの機体の出所についての話に気になる点が」
「興味があるわね」と口を挟んだのは、先ほどから〝クロカブト〟の整備をしていた岬である。夜な夜な枕元に現れては、部屋にある壊れた電子製品を勝手に直す地縛霊みたいな風貌の岬を見てぎょっとした顔をしたふたりは、「俺だけに見えてるわけじゃないよな」、「たぶん」と岬の実存を確認しあい、それから顔を白くした。
「大丈夫よ。幽霊じゃないから。それで、どんな話だったの?」
話していいのか迷うように視線を泳がせた四ノ原だったが、藤堂が「いいから」と促すのを受けて説明を再開した。
「その……ふたりの証言に無視出来ない共通点があったんです。組同士の関係が悪化してきたころ、妙な男が突然事務所に現れて、ほとんどタダ同然みたいな金額であの機体を譲ってくれたって。男は野球帽を目深に被って、あからさまな付け髭とサングラスで顔を隠してて、人を食ったような態度だったって、ふたりして同じこと言うんです」
「じゃあ、ふたつの組に機体を売った奴は同一人物だったってことね」
「まだそうと決まったわけじゃないと思いますけど」
「そこまでの共通点があることを知っているのにその答えって、慎重っていうよりもただのお馬鹿さんだと思うけど?」
「あの……あなた、どちら様ですか?」
「ただの整備員」とだけ答えた岬は〝クロカブト〟の整備を再開した。突然話しかけてきたと思ったら突然話を切り上げて、まったく勝手な地縛霊である。
急なことに唖然としていた部屋の空気を「とにかく」と仕切り直した藤堂は、眠たげな眼で俺達を見回した。
「怪しげなことは色々あるみたいだけど、おれたちの仕事には関係ない。上には俺から報告しておくから、忘れとけ」
そんなことでいいのか、警察。とは思ったものの、ドラマなんかと違って物事には管轄というものがある。事件の真相を探るのは特装隊の管轄ではないのだろうし、藤堂が管轄外の仕事に手を出すほどの熱血警官には思えない。心中で俺は、「これでいいのだろう」と納得しておいた。
「で、こっから本題だ。野水。おまえは今日からおれとバディで動け。都内をじっくり周って貰うからな。ヒーローたちからは恨まれるだろうけど、そういう仕事なら大歓迎だろ?」
そう言うと続けて藤堂は、俺と四ノ原を交互に見た。
「でもって、おまえたちは今日の夜から埼玉に出向だ」
〇
藤堂が命じた突然の埼玉行き。本来ならば、警視庁の組織である特装隊が県警のナワバリである埼玉県内で活動することはない。だがしかし、当然これにも理由があって、特装隊という仕事をさらに広く世間に知らしめるために、〝犯罪都市〟である埼玉で活動して貰いたいのだという。
「――というのは建前でな。特装隊は後に全国的に展開する予定なんだが、県警の一部からは反対意見も挙がってる。どうやら奴さんたち、これ以上面倒な仕事を増やしたくないらしい。そこでだ。おまえたちには埼玉で思いっきり暴れて貰って、特装隊設立の世論を盛り上げるために一役買って貰いたい」
藤堂重蔵。まったくもって悪党である。
それで、俺達が埼玉のどこへ派遣されたのかといえば、それはなんとタマフクローのホームグラウンド――比衣呂市であった。
「あの辺りは埼玉県内でも特に犯罪が多い。それに、最近〝なぜか〟その市で活動してたヒーローの姿を見かけないって話も聞く。世間の注目を集めるにはこれ以上無い地域だろ?」
藤堂重蔵。まったくもってクソッタレの大悪党である。
さて、その日の夜。俺は四ノ原の運転するワゴンタイプのパトカーに乗って比衣呂市内を見回っていた。〝仕事道具〟は後ろの専用トランクに乗せてあり、活躍の機会を静かに待っている。
夜の街をパトカーで見回るのと、家々の屋根から屋根を飛び移りながら、時には人間らしく道路を歩きながら見回るのとでは勝手が違う。観光目的で効率よく街を周るのならば車に乗っていた方が断然いいに決まっているが、街の治安を守るためという目的があるならば、自分の足を使った方がいいに決まっている。だからといってあんなものを着て街を歩き回れば、却ってそれが混乱のもとになる。それならあんなものを着ずに市内を見回ればいいだろうと、俺なんかは思うのだが、特装隊として活動している以上、そんなことをすれば本末転倒である。
痛し痒しの状況にウンザリしながら窓に額を軽く当てる俺は、時速30kmの安全速度で流れていく外の景色を眺めていた。
「……にしても、〝変身スーツ〟の後は移動基地かよ。どうなってんだ、警察。俺達の税金どこに使ってんだよ」
「返す言葉もないです」と答えた四ノ原はしっかり前を見据えながら続ける。「まあ、それだけ継枝警視正も本気ってことですよ。あなたみたいな人を巻き込んでしまって、悪いとは思ってますけど」
「なんだ。このヒーロー部隊は藤堂が主導で作ったってわけじゃないのか」
「当たり前ですよ。あの人にそんな力ありません。まあ、昔はそれなりに凄い人だったってウワサですけど」
「そうは見えないけどな。半分、目が死んでるし」
「半分目が死んでても事実は事実です。なんでも、〝初代〟特装隊が創設されるって時に、警視庁の精鋭から選りすぐられた中心メンバーの一人にもなったらしいですよ」
「信じらんねえな。藤堂が自分で流した噂じゃないのか」
「正直、わたしもそう思います」
その時、突然ブレーキが強く踏まれ、車はガクンと大きく揺れながら急停止した。「なんだよ」と言いかけたその直前、俺の視界に映ったのは、仁王立ちでこちらを睨みつけるドクロ頭のヒーロー、〝ファントムハート〟こと司が、ヘッドライトに照らされている姿である。
俺は司をじっと見て、司は俺をじっと見た。
永遠のような一瞬の時間が流れた後、司は親指でクビを切るような仕草をすると、ヘッドライトの当たらない夜の街へと消えていった。警察に堂々と喧嘩を売るとは、あれでもヒーローか。
司の姿が消えたのを確認した四ノ原はホッと息を吐いた後、車を発進させた。
「……なんだったんですか、アレ」
「ヒーローだよ。あんな妙な恰好して街出歩いてるヤツなんて、ハロウィン以外じゃヒーローしかあり得ないだろ」
「だとしたら、なんであんな敵意剥き出しだったんですか。こっちは何もしてないのに」
「どっかの誰かみたいに無条件でヒーロー嫌いの警官がいるのと同じように、無条件で警官嫌いのヒーローだっているだけだろ」
「……別に、野水くんだって何も理由が無いのにヒーローが嫌いなわけじゃありませんよ」
少し眉間にしわを寄せた四ノ原は、下唇をきゅっと噛んだ。ヒーローに彼女を取られたとか、そういう鼻で笑える理由というわけではないらしい。
これ以上は聞かないことにした俺は、「色々あるよな」と呟いて座席を少し斜めに倒した。
暖房が動くごうごうという音だけが車内に響いている。
〇
その日の夜も、その次の日の夜も、さらにその次の日の夜も、俺達は比衣呂市内をワゴン車で周ったが、何の〝収穫〟も得られなかった。ここまで市内が平穏無事なのは、精力的に司が活動している証拠である。ありがたいと思う一方、連日独りで大丈夫だろうかと心配になり、何度か電話を掛けたのだがやはり通じることは無かった。本気で話したいのなら、それこそ手錠のひとつでも掛けなければどうしようもないかもしれない。
事件が無いのは喜ばしいことだが、手柄が欲しい特装隊としてはそうもいかないらしい。
比衣呂市に来て三日目のこと。その日の夜もなんの収穫も無く終わり、焦った四ノ原は俺にこう言った。
「明日からは見回りの時間をもう少しだけ早めましょう」
なるほど。つまりコイツは、共に貴重な休みを返上して働こうと俺に提案したのである。いくら仕事熱心だからって、これでは変態だ。
「ステキな提案だな」と俺が精一杯の皮肉を言うと、四ノ原は「しょうがないですよ」と諦めたように笑った。
「継枝警視正の期待を裏切りたくないですから」
仮にも特装隊の隊長だというのにここで名前が出ない男、藤堂重蔵。なんとも寂しいものである。
結局、四ノ原の熱意に押し負けて、翌日からは午後の三時からパトロールが始まった。手柄のために血眼になって街を周るのでは、売れないヒーローとやっていることがなんら変わりないと、初めのうちはやや冷笑的になっていたものの、日が暮れる前には早々に諦めをつけることが出来た。
女はたいてい、自分の中で「そうだ」と決めたものは決して譲らない。だから、こちらから折れてやる必要がある。ヒーロー……というよりも、男をやっていくうちに学んだ処世術だ。
結局その日も時間外労働の苦労も虚しく、何一つとして収穫は無く夜の仕事の時間が終わった。
「このままじゃ四ノ原のヤツ、朝からパトロールを始めるだなんて言い出すかもしれない」
そんな不安を抱えながら布団に潜り、やがて迎えた翌朝。俺は携帯から鳴り響く、『ダース・ベイダーのテーマ』で目を覚ました。司から電話が掛かってきた時の着信音だ。ようやくこちらの話を聞くつもりになったのだろう。
寝ぼけ眼をこすりながら電話を取ると、開口一番『恥を知れ』という冷たい言葉が俺の鼓膜を貫いた。寝ぼけて幻聴でも聞いているのだろうかと思い、「もう一回いいか?」と聞けば、同じ言葉が繰り返される。聞き間違えではないらしい。
「……俺の話を聞くために電話してきたってわけでもなさそうだけど、せっかくの機会だ。なんで俺があんなことしてるのか教えてやるから――」
『ニュースを見ろ』
「見る。見るから、お前は俺の話を――」
『お仲間の手綱くらいしっかり握っておけ。わたしからは以上だ』
司からの電話はそこで切れた。話を聞かない野郎だ。こちらにいくらか落ち度があるのは間違いないが、だからといっていつまでもこの態度は無いのではなかろうか。こうなると、最終兵器の来華を投入するべきだろうか。あいつに弁解の場を設けて貰うべきだろうか。いや、それは早計だ。俺が来華を利用したと知れば、それこそ司の怒りは手を付けられないほどになるだろう。
なんとかして司の誤解を穏便に解く方法は無いだろうか。そんなことを考えながらベッドを出て、キッチンでインスタントコーヒーを淹れていると、今度は『踊る大捜査線のテーマ』が携帯から鳴った。四ノ原からの電話である。
現在時刻はまだ十一時。仕事の時間まではかなり余裕がある。やはり、委員長特有の真面目くさった態度で「今日はもっと早い時間からパトロールに行きましょう」とか言い出すのだろう。タダ働きを強要されるのだろう。無駄に市内をぐるぐる周って、無暗にタイヤを摩耗させ、貴重なガソリンを消費するのだろう。そうに違いない。
俺は電話を取るのを躊躇したが、着信音は鳴りやむことを知らない。熱いコーヒーを一口飲んだ俺は、意を決して通話を繋げた。
「もしもし――」
『本郷さん、ニュース見ました?』
なんだか既視感のある会話である。俺が「見てない」と答えると、四ノ原は『だったら見てください。今すぐ』と静かな怒りが込められた口調で言い放った。言われた通りにテレビをつけてチャンネルをニュースに切り替えると、今日も今日とて特装隊が話題に上がっている。しかし、画面の右上に出ている『緊急』という赤い文字は、何やらいつもと様相が違う。
いったい何が起きたのか。そう考えているうちに、やたらと神妙な表情を作った司会者が「それでは問題の映像をもう一度見てみましょう」と言って映像が切り替わる。
画面に映ったのは、人通りの少なくなった夜の駅前の景色である。斜め上からの定点カメラの映像であることから、監視カメラが撮ったものだということがわかる。
少しすると、通りを歩いていた人が焦ったように道を開けた。直後、何かに吹き飛ばされたらしく、ひとりの男が道路を転がりながらカメラの視界に入ってくる。それを追うようにゆっくりと歩いてきたのが、見覚えのある黒い装甲――クロカブトだった。
仰向けになって倒れている男は、半身を起こして右手に持っていた何かを構える。拳銃だ。
瞬間、幾度と響く発砲音。しかしクロカブトはそれに一切怯むことなくゆっくりと前進を続ける。
やがて、男の前に立ちはだかったクロカブトが男の膝を思い切り踏みつける直前で――映像はぷつんと切れた。
テレビの画面にはもう先ほどの映像は映されていない。しかし、骨の折れる乾いた音を、苦痛で歪む男の表情を、俺の脳は鮮明に再生していた。
「……おい、四ノ原。これって――」
『そうです。野水くん』
「ふざけんな。あの野郎、なに考えてんだ」
『知りません』
吐き捨てるように言った四ノ原は小さく息を吐いた。やり場のない苛立ちがこちらにまで伝わってくる。
『すいません、本郷さん。今から時間ありませんか?』
「……何するつもりだ」
『決まってます。あのバカに会いに行くんです』




