第2話 日本で一番悪い奴ら その1
大ヒーロー時代の日本に投じられた巨石――〝特装隊〟。政府公認の正義の味方の誕生は、当然の如く世間に波紋を呼んだ。
各テレビ局のワイドショーは毎日のように飽きもせず、朝から晩まで特装隊の特集を組み、難しい顔をした評論家や気取ったコメンテーターらが、それぞれの立場から勝手なことを言い合う。SNSでは互いに顔も知らない奴らが浅い人生経験を元に確立した脆い倫理観を振りかざし、議論という名の不毛な紛争をあちこちで起こす。まったくもって地獄絵図だ。
賛否両論の嵐は日本各地に吹き荒れることとなる。
「あんなものは必要ない」「日本にはもうヒーローがいる」「税金の無駄」「デザインが凝りすぎ。もっとシンプルにすれば費用が抑えられた」「男の浪漫」「かっこいい」「税金の無駄とかはさておき、人命を救ったことは認められるべき」「かっこいい」「人気取り優先のヒーローなんかよりも信頼できる」「なんでもいいけどかっこいい」
……とはいえ、元より〝変態覆面全身タイツ深夜徘徊人間〟――ヒーローの存在がなあなあで認められている国だ。大多数の国民は日和見主義を発揮させ、特装隊の誕生をとりあえずはよしとした。
この、〝大多数〟の中に入らないのが他でもない、現役ヒーロー達のことである。もっといえば、現在あまり活躍出来ていない、東京で活動するヒーロー達のことを指す。ただでさえ同業他社が多いのに、警察まで商売敵になるのだから、特装隊の創設に異を唱える奴が多いのも無理はない。
そんな世の中の流れを一歩離れたところから見る俺に心の余裕があったのかといえば、実はまったくそうではない。むしろ状況としては崖っぷち、というよりも、既に崖の下へ落ちている最中で、あとは地面に叩きつけられるのを待つばかりといったところであった。
その理由というのがふたつあって、まずひとつが来華のことである。
特装隊の特別相談役としての活動風景がニュースに流れ、真っ先に反応したのが来華である。
まず、「わたしに知らせないであんな楽しそうなことしちゃってっ!」と怒り、それから「でもすっごいカッコイイ!」と興奮して、続いて「やっぱりわたしの目に間違いはなかった! センセーはヒーローだったんだ!」と自分を褒め、最後に「センセー、わたしのセンセー辞めちゃうの?」としおらしく言って鼻をすすった。
俺は「大丈夫だ」と繰り返し言ってなだめようとしたが、一度涙を流し始めた来華は聞く耳を持たずにどうしようもなく、最終的には秋野夫人が電話を取って代わったため、そこで事情を説明しようとしたのだが、特別相談役云々なんてことを説明するためには、つまり俺がヒーローをやっているということを説明しなければいけないということであり、そしてそれは無理な話であった。
なけなしの知恵を絞った俺は、「実は警察でインターン実習の途中でして」なんて適当言ってごまかして、そして夫人はその下手な言い訳を「あら大変ねぇ」などと言ってあっさり受け入れてくれた――のはよかったものの、「それじゃあ、もしインターンが上手くいったら、先生は家庭教師に来られなくなっちゃうのかしら?」と言われたのは焦った。
結局、「かもしれません」なんて曖昧なことを言って、長期の休みを貰うことになってしまったのだからどうしようもない。しかし、即日でクビを切られるということが無かったのは助かった。
もうひとつの理由は、言うまでもなく司である。こっちはもうどうしようもない。
鬼のように着信履歴が残っていたのに気づいてすぐに、折り返し連絡を入れたのだが、通話が繋がった瞬間にただひと言、司は「愛想が尽きたぞ」とだけ言って電話を切った。そしてそれ以来、電話はもちろん留守電、メールも無視される始末である。いくら直接家まで出向いてチャイムを押しても、返事は一切返ってこない。
アイツが怒る理由がわからないわけではない。俺が目立ちたがり屋のヒーローの真似事みたいなことをしていたのが気に食わないのだろう。しかしそれなら、面と向かって話せばいい。もっと言えば、別に殴りかかってきたっていいわけだ。いずれにせよ、無視というのはあんまりである。
俺が司に事情を説明できるのが先か、それとも、万が一にもアイツがへそを曲げて「オトナに無理やり家に連れ込まれていた」なんて警察に相談するのが先か。まったく嫌な速さ比べだ。
さて、例の事件から三日が経ったその日。「今後のことについて話したい」ということで藤堂に呼び出された俺は、新宿まで足を運んだ。その日はたまたま土曜日だったから、ただでさえ人通りの多い新宿はなおのこと人で溢れかえっていて、息が詰まる思いをした。三月に入って暖かくなってきた空気が、煩わしさを加速させた。
「こんな日に呼び出さなくたっていいだろうに」と心中でぼやきながら人混みの中を歩き続け、到着した〝職場〟には、藤堂と三機のクロカブトしか待っていない。話し合いをするには頭数がふたつ足りない。
「おう」と軽く言って手を挙げた藤堂は、いつの間にか持ち込んだらしい大きなソファーにどっかり腰を下ろしていた。「ああ」と返した俺は、藤堂と少し離れたところにあった適当な椅子に腰かける。
「ふたりはどうしたんだ」
「そろそろ戻る。三日前の事件の犯人の取り調べの立ち合いを頼んでてな。あの日の夜からずっとカンヅメで、今日になってようやく戻る予定なのよ」
「そうか。じゃあ、ふたりが居ないところで聞きたいんだけどな、俺はいつまでお前の犬なんだ」
「そんな長い時間首輪巻いてるつもりはないよ。そもそも、おれだって長いことこの立場にいるわけじゃあないしな」
「組織の頭がそんなにコロコロ変わっていいのかよ」
「うちの国の大臣だってコロコロ変わるじゃないの。同じことよ、同じこと」
そう言って藤堂はぼんやり天井を眺めて、それからぽつりと呟いた。
「本郷、お前って案外モテるのな」
「……急になに言ってんだ」
「いや、ここに出入りするようになった奴が、たまたま――」
その時、部屋全体に「翔太朗さんっ!」という火照ったような声が響いた。瞬間、背中に寒気が走り、腕は鳥肌でいっぱいになる。
声の聞こえてきた入り口の方を恐る恐る向いてみれば、そこにいたのは科学者めいた白衣を着た、お化けみたいに長い髪で半分以上顔の隠れた細身の女である。
〝全身〟を見るのはそれが初めてのことだったが、そこにいるのが例の被虐趣味のヒーローマニア、岬であることはすぐにわかった。
「翔太朗さんっ! あたしの太陽っ!」
もう一度俺の名前を叫んだ岬はスキップでこちらへ近づいて来る。「来るな寄るなとっとと離れろ」と言っても聞く耳持たず、仕方が無いので「ぶっ飛ばすぞ」と言うと目が煌々と輝き始めたため、とりあえず俺は藤堂を盾にして距離を取った。
「おい藤堂、なんであいつがここにいるんだよ」
「なんでってそりゃ、岬さんが〝クロカブト〟の整備担当なんだから当然だろうさ」
「なんだよ。じゃああいつ警察官なのか? だったらどうにかしろ。同僚が変態になりかけてる、っていうか、もうほとんど取り返しのつかないところまで来てるぞ」
「どっこい、彼女は警察官じゃない。あんたと同じように民間から雇ったんだ。腕のいい人だよね。……まあ、ああいうタイプだとは思ってなかったけど」
「ふざけんな。警察の仕事にどれだけ一般市民を巻き込むつもりだよ」
「警察の中には色々と信頼出来ない奴らが多くてね。それより、離してくんない? おれ、男にべったりくっつかれて喜ぶ趣味は無いんだけど」
「だったらあいつをどうにかしろ」
「そう嫌がんなくたっていいのにさ」とぼやいた藤堂はぽりぽりと頭を掻いた。「岬さん。例の件だけど、どうだった?」
「藤堂さん、悪いんですけど後にしてくださる? 翔太朗さんがあたしを殴ってくれるそうですので」
「じゃあ、例の件の報告を終えてくれたら、愛の拳で本郷が殴ってくれるからさ」
「殴らねえよ。何があっても殴らねえ。それより、例の件ってなんだ」
「刺すような冷たい視線で、罵倒しながら命令するように言ってくれれば、教えてあげないこともないわよ」
「…………口から余計なクソ出すより先に早く教えろこのイカレ女」
「藤堂さんに指示されて、三日前の事件を起こしたあの機体をちょっと調べてみたの。そしたら、両方とも海外製の土木作業用ロボットを素体にして手を加えたものだってことがわかった。でも、わかったのはそれだけじゃない。あれには、とある細工がされていたの」
「その細工っていうのは?」と藤堂が先を促すと、こちらを見た岬が長い髪の隙間から大きな瞳をぎょろぎょろさせた。
「…………黙ってこっち見てんじゃねぇぞ。とうとう本格的に頭がイカれたかよ」
「どうやらあの機体、五分間連続で活動したら強制的にシステムがダウンするようになってたみたいなの。オーバーヒートを防ぐため、っていう感じじゃないみたいだし、なんであんな機能つけたのかしら」
「さあな。わからん」と藤堂は首を捻る。「とにかく助かった。礼を言うよ。それと、この件はおれたちだけの秘密だ。野水と四ノ原のふたりには言うなよ」
「なんでだよ」と俺が問うと、藤堂はこちらを振り返ってニッと笑った。
「秘密主義者だから」




