第1話 バッドボーイズ2バッド その3
「――危なくないかい、その話」
翌日の昼下がり。マスクドライドにて。俺の話を聞いた立花八兵衛は、難しい顔をしてそう言った。
「そんなことは俺だってわかってる。でも、俺が断れば司や天道が警察の厄介になるんだぞ。それがわかってて、何もしないなんてのは無理だろ」
「それはそうだけど……まあ、君にはなに言ったってダメなのはわかってるけどサ」
八兵衛は不安そうにサングラスのつるを撫でる。心配性だ――と言いたいところだが、逆の立場ならきっと俺だってこんな反応をするだろう。
「そういや、八兵衛は知ってるか、この〝特装隊〟とやらについて」
「もちろん。警察内部にヒーロー組織が出来るかもって、当時はずいぶん話題になったよ」
「予算の都合やら市民の反対やらで実現しなかったんだってな」
「らしいね。でも、創設がとん挫した原因はそれだけじゃないってウワサ」
「なんだよ、その噂って」
「なんか、警察内部で不正の告発があったらしいよ。詳しくは知らないけどサ」
あっさり言った八兵衛は、「そういえば」と話題を変えた。
「タマフクローの活動はどうするの。比衣呂市は君を必要としているんだよ?」
「別にヒーロー活動を辞めろって言われてるわけじゃない。二足のわらじになるだろうけど、上手くやる」
「やれるの? 特装隊の活動時間って、タマフクローの活動時間とモロ被ってそうだけど」
「そうだけど……いざとなりゃ司もいる。最悪、俺が無職になるだけだ」
「そうなったら僕が困る。……それに何より、君がヒーローを引退するだなんてファントムハートが物凄く怒ると思うけど」
「そうか? あいつは俺なんかがいなくても上手くやると思うぞ」
「――だといいんだけど」
こちらの不安を煽るような言葉を投げかけてきたのは、カウンターの向こうで煙草を吸いながら食器を磨く不機嫌な店員――愛宕愛乃だ。いつ何時においても尖ったナイフと形容する他ないその態度の理由は、名前に『愛』を使いすぎて周りに振りまく分が残っていないからというのが、俺の中ではもっぱらの定説である。
食器を磨く手を止めた愛宕は、白い煙を優しく吐く。
「女の子ってフクザツだから。翔太朗が考えてるみたいに、単純にはいかないと思うけど」
「だったら、いざって時には愛宕からも言ってやってくれよ。仕方のないことなんだって」
「それこそ火に油よ。自分以外の誰かの手を借りるなんて最悪。大切なことは、まず自分の口で伝えなくちゃ」
「……愛の告白しにいくんじゃねぇんだぞ」
「似たようなものでしょ」
その時、ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。取り出してディスプレイを見れば、知らない番号からだ。いたずら電話かと思い、再びポケットにスマホを仕舞おうとしたが、何か嫌な予感を覚えた俺は恐る恐る通話を繋げた。
『あら、知らない番号からの電話なんて出ていいのかな?』
案の定と言うべきか、聞こえてきたのは藤堂の声だった。この男、どこまでもふざけてやがる。
「……何の用だよ」
『なんで俺の番号知ってるんだ、ってのを言い出さないのは賢明だ。で、急で悪いんだけど、今から歌舞伎町まで来れる?』
「飲み会の誘い、ってわけでもないんだろ?」
『もっとピンクなお店のお誘いかも。まあ、詳しい用件は来てからのお楽しみってことで』
藤堂はそう言って早々と電話を切ってしまった。受話口からは短い電子音が虚しく響くばかりである。
八兵衛と愛宕は誰からの電話なのかを空気で察したらしく、やや難しい顔をしている。俺は小さく息を吐きながら、仕方なく席を立った。
「……気を付けなさいよ、翔太朗。公権力を笠に着た人間なんて、たいていはロクなもんじゃないんだから」
自らの経験を元にそう言った〝不良少女〟は、灰皿へ煙草を押し付けた。
〇
石ノ森駅から電車に乗って、俺は一路新宿まで向かった。この街はいつ来てもウンザリするほど人が多く、歩きにくくてしょうがない。どこまで行っても雑多な街並みで心が落ち着かない。様々なものがあるものの、本当に大事なものは何一つとして存在しない気がする。どちらかといえば、あまり好きではない街である。
駅を出ると、数多くの通行人の中に奇怪な恰好をしている奴をちらほら見かける。言うまでもなく、あれはヒーローである。東京のヒーローはああやって、「何か」が起きないか――具体的に言えば、自分の力だけで解決出来て、なおかつ思い切り目立つことが出来る「何か」が起きないか、血眼になって探し回っている。
東京のヒーローは目立ってナンボだ。ヒーローの数が多すぎるため競争率が高く、「活躍している」と一般人に認められるまでのハードルが非常に高いためである。そして都としては、〝活躍していないヒーロー〟などという、持っているだけで金のかかる粗大ごみみたいな存在を許しておけるはずがなく、従って次から次へとそういう奴らの首を切る。この世の地獄みたいなところだ。
小耳にはさんだ話だと、ヒーローを始めた奴らのうち、一年仕事を続けていられるのは半数にも遠く及ばない数だという。
人ごみを縫って歩くこと数分。歌舞伎町の入り口までやって来ると、藤堂がぼんやり立って待っていた。近づいて「来たぞ」と声を掛けると、藤堂は「ご苦労さん」と言って軽く手を挙げ、ゆっくりと歩き出した。
俺は藤堂の少し後ろを追って歩いた。
「本郷。あんた、この街嫌いだろう?」
「よくわかるな」
「わかるさ。うんざりしたって顔だ」
「それはお前に会いたくなかっただけだからかもな」
「悲しいこと言いなさんな。仲良くいこうや、仲良く」
藤堂は俺の肩に腕を回しがっちりと組んだ。加齢臭が僅かに漂ってきた。
歌舞伎町の大通りを一本外れれば、妖しげな看板が並ぶピンク通りへと繋がっている。客引きをすらりと躱しながら歩いていく藤堂は、ホテル街の一角に建つビルの前で立ち止まった。三階建て程度の背の低い、小汚いビルである。その見た目はまさに〝悪の巣窟〟とでもいうべきもので、俺は「ヤバいことに巻き込まれているのでは?」という懸念をいよいよ強くした。
俺の心配を余所に藤堂はビルの中へと足を踏み入れる。「ここ、元はグレーな方々が違法カジノをやってた場所でさ」なんて不穏な情報の補足も忘れない。覚悟を決めた俺はその後に続いた。
ビルの中は埃っぽくて薄暗い。外から差し込む太陽の光だけを頼りに歩く藤堂は、上の階へと続く階段の前で立ち止まり、俺の方を向いた。
「いやぁ、本当に申し訳ないな、本郷」
「申し訳ないと思ってるなら早く用事を済ませて、とっとと帰してくれ」
「わかった。じゃ、そうしよう」
その時、背後から誰かが歩み寄る気配を感じ取った俺は、とっさに振り返って身構えた。
そこにいたのは、スーツを着込んだ体格のいい男である。このビルの中に迷い込んだというわけではないのは、その敵意に満ちた瞳から明らかだった。
「俺か、それともあの小悪党か。どっちに用事だ?」と俺は藤堂を指で差しながら男に訊ねる。残念なことに男から返ってきたのは、「お前だ」という言葉だった。
「そうか。……じゃあ、来いよ」
「……言われなくてもっ!」
弾かれたように飛び出した男は、俺との距離を一気に詰め、胸倉をしっかり掴んできた。俺は慌てて男のみぞおちに拳を入れたが、超至近距離の一撃では、男に膝を突かせるまでには至らない。
――マズイ。
確信したその瞬間には、天地が反転していた。
重力に逆らって宙に浮いている――投げっぱなし――頭から落ちる――わけに行かない。
凝縮された一瞬、集中。
空中で身を捻った俺は、辛うじて足から着地した。額からはどっと汗が噴き出す。心臓が激しく鼓動して身体全体を揺らしている。
両膝に手を突きながら男を見れば、目を丸くして固まっている。本気で床に叩きつけるつもりだったらしい。
俺は息を整えながら真っ直ぐ立ち、拳をしっかり固めた。
「……寿命返せコラ。今ので二日分は縮んだぞ」
「黙れ。今度は着地出来ないように投げ飛ばしてやる」
「俺を殺す気か?」
「安心しろ。骨を折るだけだ、この詐欺師野郎」
「待てよ。詐欺師野郎ってなんだ。俺は怪しい奴じゃないぞ」
「そんな言葉で警察から逃げられるとでも思ってるのか? 詐欺の手口を考える頭があるのに、その程度の想像力は無いらしいな」
「だから待てって。つまりお前は警察で、藤堂のお仲間だろ? ていうことは、俺達は敵じゃない」
「お前こそ待て。なんでお前が警部補のことを警察だって知ってるんだ」
「当たり前だろ。コイツに呼ばれたんだぞ、俺は」
「それは知ってる。お前は警部補の罠にかかってここまでおびき寄せられた。でも、じゃあどうして警部補の正体を知ってるのにここまで――」
「止めてください! 野水くん!」
ビルの入り口の方から聞こえてきたのは女の声。見れば、黒いスーツを着た髪の短い女が肩で息をしながら立っている。全身から僅かに白いもやが漂っているのを見るに、ここまで走ってきたらしい。
「邪魔するな、四ノ原。こいつは悪人だぞ」
「悪人じゃありません! 騙されたんですよ、あなたは!」
四ノ原と呼ばれたその女は早足で歩いて藤堂に近づき、それからがっくりとうなだれた。
「……藤堂警部補。あなたが言っていたような振り込め詐欺の出し子はどこにもいませんでした。何故わたしにこのような無駄足を踏ませたんですか?」
「だって、本当のことを言ったら反対すると思ったから。遠くに行ってもらおうと思って」
「だって、ではありません。子どもじゃないんですから。そもそも、この方は誰ですか。怪我させるために連れてきたんですか?」
「違うんだって。まあ聞けよ」
「違くないです。とにかく、まずはこの方に謝ってください。あなただって謝ってほしいですよね」
四ノ原という女はそう言ってこちらに同意を求めてきた。俺は未だに状況が呑み込めなかったものの、助けを求めるような藤堂の目を見て無性に苛ついたので、とりあえず「さっさと謝れ」と言ってやった。
観念したらしい藤堂は唇を曲げながら「ごめんなさい」と頭を下げた。少し、胸がスッとした。




