第1話 バッドボーイズ2バッド その1
お久しぶりです
9万字程度の長編になります
十二月某日まで季節は遡る。それは空に雪が舞い、肌に冷たい風が刺さる日のことだった。
警視庁の警備部に勤める藤堂重蔵警部補は、継枝数人警視正の部屋に呼び出されていた。
藤堂にとってこの継枝は、上司であると同時に同期でもある。さらに言えば、昔はそれなりにプライベートな付き合いもあった。諸々の事情により藤堂が出世レースから外れた今となっては、共に飲みに出かけることはおろか、廊下ですれ違うことがあっても会釈すら交わさない冷えた関係ではあるが。
そんなふたりが、互いに向き合いお互いをじっと見ている。藤堂は猫背を直そうともせずにじっと立ち、継枝は黒革の椅子に深く腰かけて指を組む。ふたりの距離は見た目以上に遠い。
しばしの沈黙の後、「呼び出された理由はわかるな?」と継枝は重々しく言った。
「さっぱりわかりませんな」と藤堂は眠そうな眼でぼんやり答えた。
「……相変わらずその頭は鈍ったままか?」
「鈍くなかったことがありませんもので」
ふぬけた藤堂の答えに苛立ったのか、継枝は眉をひそめる。「まぬけが」という心の声を隠そうともしない仕草だった。
「アージェンナイトの引退以降、犯罪率は増加し続けるばかりだ。それは君も知っているな?」
「ええ。おかげさまで仕事が増えて、まあ忙しくて。どうです、警視正もたまには現場に出てみては」
そう言って「へへ」と笑う藤堂のニヤケ面を無視し、継枝はさらに続ける。
「警察としてはこの現状を無視できない。そこで、〝例の部隊〟の創設を急ぐようにという話が持ち上がった」
「それはそれは、懐かしい話だ。青春の日々を思い出しますなあ。しかし、ヒーローはまったく大変だ。我々が本格的に商売敵になるんだから」
「ああ。そして、君がその〝商売敵〟の筆頭となる予定だ」
「なるほどなるほど。……つまり?」
「そこまで察しの悪い男だとは思わないがね」
「買いかぶりすぎですよ、継枝警視正」
「……とにかく、場所と装備は用意してある。それに、部下もだ。機動隊からふたり引き抜いた。優秀だぞ」
「憎まれ役を演じるのは構いませんが、またずいぶんと忙しない話ですな。そんな少数精鋭による見切り発車で〝長年の夢〟を実現させるより、しっかりと準備をしてからの方がいいのでは?」
「言っただろう。急がなければならない。それに、これはもう決定事項だ」
「だとしても、そんな泥船の船長は引き受けかねますなあ。こんなくたびれた警部補止まりの男より、もっと適任がいるでしょう」
「いや、くたびれた警部補止まりの男だからこそ適任なんだ。今回の君の役割は、正式な後任が決まるまでの繋ぎ役だ。この国の正義の未来を担う大役を君などに任せると思うか?」
「ああ、なるほど」
そう呟いた藤堂は眠そうな顔をキリリと引き締め、「拝命致しましょう」と言ってぴっと敬礼してみせた。ふざけた態度から一転それでは、まるで人を小馬鹿にしているようであった。事実、藤堂にはその意思があったのかもしれない。
「……詳細は追って連絡する。下がりたまえ」と言った継枝は、心底うんざりしたように鼻から息を吐いた。
〇
久方ぶりに説明しよう。現在、俺が石ノ森女子高の応接室にある黒革のソファーに腰掛けている理由を。
といっても、たとえば俺が高校の女子生徒に手を出したとか、更衣室に侵入したとか、盗撮カメラを仕掛けたとか、そういうヒーローらしからぬ後ろめたい事情があるわけではない。
俺がここに居るのは、校内でとある問題を起こした秋野来華を迎えに来たためである。
再び、説明しよう。何故、一介の家庭教師である俺が来華を迎えに来たのかを。
それは、なんの間違いか俺が来華と婚約して秋野家の一員になってしまったとか、来華と夫人が徹底的に喧嘩して絶縁状態にあるだとか、両親が不慮の事故で亡くなり没落した秋野家から天涯孤独になった来華を俺が引き取ったとか、そういう山あり谷ありの事情があるわけではない。
秋野夫人が旦那の短期海外出張について行ったため、暇をしている家庭教師の俺に白羽の矢が立ったというだけの話である。遠くの親戚より近くの他人ということなのだろうが、俺が夫人の立場なら、半分フリーターみたいな男に娘を迎えに行かせることは決してやらない。
三度、説明しよう。来華はどんな問題行動をとったのか。
実は俺にもアイツが何をしたのか詳細はわからない。電話をかけてきた来華曰く、「たいしたことはしていない」のだというが、たいしたことをしていないのなら、日が暮れる時間までたっぷり説教を食らうなんてことはないと思うので、来華のヤツがたいしたことをしたのはまず間違いない。
背の高い振り子時計を眺めてみる。時刻は既に五時を回っている。ここに来てから一時間近く経つが、まだ説教は終わらないのだろうか。来華に限って誰かを殴ったとかはあり得ないが、さて――。
そんなことを思っていたところ、応接室の扉が開く音がした。「ようやくか」と息を吐きつつ腰を浮かして扉の方を見れば、部屋に入ってきたのはなんと、女子高生の非合法ヒーロー、一文字司である。
何故、こいつがやって来たのか――といった驚きは浮かばなかった。来華にとって一番の友人であるコイツなら、来華のトラブルには何かしら絡んでいるのだろうということは、なんとなく想像はついていた。
「大変だな、お前も。来華に巻き込まれたんだろ?」
俺はそう言って司をねぎらったが、険しい表情を浮かべる司は何も答えず、壁にもたれて腕を組んだ。何か言いたいことがあるのは見るに明らかだ。校内にいる手前、怒りを爆発させるのをぐっと我慢しているのだろう。こちらとしては、そんな物騒なものを溜め込まれるよりも、とっとと吐き出して欲しいのだが。
それから少し遅れて担任教師と共に来華が部屋へ入ってきて、「ご迷惑おかけ致しました」とふたりそろって馬鹿丁寧に頭を下げた。余所行き用の笑みを浮かべた俺は、「いいんですよ」と穏やかに言って、それからふたりを引き連れて速やかに部屋を去った。
学校を後にした俺達は、白い息を吐きながら、しばらく無言で道を歩いた。そろそろ春になるとはいえ、日が暮れたこの時間は嫌になるほど寒い。
石ノ森女子高が背後にかなり遠くなったところで、今まで大人しく歩いていた来華は「しんどーいっ!」と大声で叫んだ。しんどいのはこちらである。
「なんだ。被ってた猫の皮を脱げなくなったわけじゃなかったんだな」
「そーんなわけないじゃんっ! 女の子はいつだって変幻自在なんだからっ!」
そう言うと来華は続けざま、隣を歩いていた司の手を、「ほんっとーにゴメンね!」と謝りながらぎゅっと握った。バツが悪そうに唇をへの字に曲げた司は、「いいんだ」と呟いてそっぽを向く。
「来華。そろそろ俺にも何があったのか、教えてくれないか?」
「だから、たいしたことじゃないんだって!」
来華は大きな身振り手振りを交えながら、愚痴と雑多な情報が九割を占める冗長な説明を始めた。
帰路を行く時間全てを使って語られたそれを簡潔にまとめれば、説教を食らう原因となったのは、本日来華が担任へ提出した一枚の進路希望調査表だったという。
来華の通う石ノ森女子高は関東においてのみならず、全国でも屈指のお嬢様高である。当然ながら偏差値もかなり高く、従って九割九分九厘の生徒が進学を希望する。
そんな高校に通っているというのに、あろうことか来華は進学ではなく就職を希望した。いや、それだけならばまだいいのかもしれない。よくはないが、やんわりと注意されるだけで済んだだろう。
しかし、来華の希望した職業がまずかった。
「わたしねっ、第一希望に『司ちゃんのプロデューサー』って書いただけなんだよっ! 司ちゃんはセンセーと一緒にヒーローになるんだから、プロデューサーが必要でしょっ?! それなら、このわたしがプロデューサーには適任でしょっ?! なんの目標も持たずにとりあえず大学になんか行くより、しっかりとした目標があるなら、その方向に真っ直ぐ進むべきでしょっ?! なのにどーしてわかってくれないかな、あの先生はっ! 頭硬すぎるよっ! なにもイケナイことなんてしてないのにっ!」
どこをどう考えても、〝イケナイこと〟をしているに決まっている。
場当たり的な目標を掲げて高校卒業後すぐに働き始めるより、とりあえず大学を出ておいた方がいざという時に困らない。中退した俺が言うべきではないのかもしれないが、大学というのも楽しくない場所ではない。同好の士も見つかるかもしれない。とにかく行っておいて損はない。
俺はそんな正論をオブラートで何重にも包み、下手投げでやんわりとぶつけ、荒ぶる来華の勢いを少しでも弱めようとしたのだが、それも無駄な努力だった。
「わかってないよセンセーは! もうオジサンの入り口に立ってるよ! 青春は待ってくれないよ!」
青春浪漫主義を掲げるテロリストと化した来華は頬を膨らませて怒り、俺の背をポコポコ叩いた。微笑ましい痛みが背中に与えられる一方、正面からは司の鋭い視線がグサグサと刺さっている。
どうせこの後、溜まりに溜まった鬱憤をまとめてぶつけられることになるのだろうなと、俺は静かに確信していた。




