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第2話 ランボー その4

 その日の夜も、タマフクローに扮した俺は日々のルーチンであるパトロールを始めた。浮かぶ月は一日のブランクを埋め合わせるように輝いており、いつも以上に大きく見える。揺らぐ薄い雲を照らす光がなんだか幻想的で、ロマンチストなんて性に合わないのに、その日の俺は度々夜空を見上げた。


 月の光は荒んだ心を癒してくれるものである。しかしながら、月の光を全身に浴びているにも関わらず、今もなお煮えくり返った俺の〝はらわた〟の温度はちっとも下がる気配が無かった。小休止のために立ち寄った、比衣呂市郊外にある3階建てアパートの屋上にて、俺はぼんやり考えた。


 一文字司とかいうあの女、人生において2度と会わないことが望ましいが……もしも次に会ったらどうしてくれようか。身内だったら間違いなく尻を引っ叩いてやるところだが、相手は面識がほとんどない女子高生だ。そうはいかない。


 どうあれ、2度あることは3度あるとも言う。いつ出くわしてもいいように、心の準備だけはしておかねば。


 そんな決心を固め、気を引き締めた矢先のことだった。俺の耳に「ふざけんなッ!」という怒号が聞こえてきた。眼下に広がる、アパートの敷地内の大きめの駐車場からである。


 屋上の手すりから身を乗り出してみると、駐車場にはガラの悪い肥満体系の男、出勤前のキャバクラ店員めいた派手な装いの女性、さらにはその女性を庇う、渋いトレンチコートを着込んだヒーロー――一文字の姿があった。


 何に巻き込まれているのかと、咄嗟に屋上から飛び降りようと手すりに足を掛けた俺だったが、ふと思い直しゆっくりと脚を下ろす。


 アイツだったら助ける必要も無い。あわよくば、ちょっとくらい痛い目に遭ってぴーぴー泣いてしまえ。俺は文字通り高みの見物を決め込むことにし、手すりに体重を預けて聞き耳を立てた。


 一文字は肥満男を睨みつけながら言った。


「もう一度だけ言うぞ。さっさと帰るんだ」

「帰んのはテメェだ。痛い目に遭いたくはねーだろ?」


 凄みを利かせて啖呵を切る男の手には、時代遅れのチンピラ御用達の装備、銀に輝くメリケンサックが握られている。


「退くわけにはいかないな。貴様の大将に言っておけ。あの店にはもう来るな、と」

「そ、そうよそうよ!あーんな金払いの悪くてダサい奴、もうお断りっ!」

「なんだとこの(アマ)? 誰のおかげであの店でやってこれてると思ってんだ?」


 なるほどどうやら、水商売の女にフラれたどこぞの兄貴分が、舎弟を使って女を物理的に手に入れようとしているらしい。惚れた女くらい自分の手で手に入れろと言いたい。みっともないことこの上ない話だ。


「貴様の大将は、彼女と客以上の関係になろうとした。しかし、彼女にはその気が無かった。それだけのことだ」

「だな。それだけのことだ。だからテメェーにゃ関係ねー。この目立ちたがりのお調子モンがよ」


 その台詞が琴線に触れたのか、一文字の放っていた敵意が赤い色を帯びた。


「……目立ちたがりのお調子者とは聞き捨てならんな。何故そう思った?」

「そんな格好で街をうろついて金貰ってるようなヤツの、どこが目立ちたがりじゃなくって、どこがお調子モンじゃねーって言うんだ?」


 中々説得力のあることを言うチンピラだ。俺は心の中で拍手を送る。


「……なるほど、納得だ。確かにそうだな。私とて、傍から見れば〝アレ〟と同じだ」


 言いながら、悠然と歩く一文字は男との距離を詰める。気圧されたのか、男は一歩後ろに下がる――その瞬間、大きく踏み込んだ一文字は右脚を軸に勢いよく一回転し、伸ばした左脚で男の顎を正確に撃ち抜いた。


 映画のワンシーンを切り出したかのような、見惚れるほどの回し蹴り。男は声も出さずに膝から崩れる。


「――父曰く、〝人を見た目で判断するな〟。そんなことだから痛い目に遭うのだ、小悪党。私はアレらに無いものを、残らず兼ね備えているのだ」


 決め台詞を飛ばしこれにて決着――かと思いきや、一文字は立て膝の姿勢のまま気絶する男の顔面目がけて、止めとばかりにムエタイ選手ばりの膝蹴りを入れた。


 ゴっという鈍い音がこちらまで聞こえてくる。思わず目を覆いたくなるような光景だった。あまりに刺激が強すぎたのか、間近でそのシーンを見ていた被害女性は膝から崩れて静かに卒倒した。


 なんつー女だ。ああいう、手加減を知らない輩とは関わらない方がいい。


 一部始終を覗き見ていた俺の率直な感想がそれだった。俺は音を立てないようにじわじわと手すりから離れ、アパートの屋上を去ろうとする。しかしそんな俺の背中に、「待て」という、短いながらも力のこもったひと言が刺さった。


「音がしたぞ。いるのだろう、上に。誰だか知らんが降りてこい」

「……この地獄耳め」と俺は聞こえないように心の中で呟く。


 アイツに絡まれるのはまっぴらごめんだ。しかし、この問題を明日以降まで引きずるのも勘弁願いたい。どうせ同じ市で活動している以上、再開は避けられないのだから。


 俺は手すりに足をかけ、颯爽と屋上から飛び降りる。着地を出迎えたのは、マスク越しでもわかるくらいに敵意溢れる一文字の視線だった。


「誰かと思えば……貴様だったか、コスプレ男。何をしている?」

「いつものように街の見張りをしてたら、とんでもない暴力女と再会した」

「つまり、また殴られたいと」

「んなわけあるか」


 俺は小さく息を吐き、月を見上げた。


「お前の邪魔をするつもりはねーよ。悪者退治なりなんなり好きにやれ。ただし、あんまやり過ぎんなよってことを言いたいんだ」

「何甘いことを言っている? 悪人相手にやり過ぎなんてことはないだろう」

「そうか?」


 俺は地面に突っ伏した男へちらりと目をやりながら言った。鼻血に溺れるその姿は見るも無残だ。恐らく、しばらくは流動食生活だろう。


「殴って解決ってスタンスは大好きだけど、最後の蹴りは要らなかったんじゃないか?」


「自業自得だ」と清々しさほど感じるほどにすっぱり言い切った一文字は、気を失った女性を肩から支える形で抱き起す。


「さて、私は彼女を警察まで送ってやることにしよう。ではなコスプレ男。願わくば、二度と会わないように」

「会いたくないってのは同感だ。じゃあな、暴力女」

「そうか。気が合うのだな、私達は」


 そうして一文字が出口に脚を向けた――まさにその時。草木も眠る丑三つ時にはあまりに不釣り合いな純白のフォーマルスーツを上下に着こんだ優男が、ハンディカメラ片手に駐車場に突如現れた。今の俺が言うのも何だが、あの格好で恥ずかしくないのだろうか。


「――『月の狂喜に駆られた刃が、私の前に現れた』。……うーん、これじゃ少し誌的すぎでわかりにくいかな?」


 優男は意味が解らない独り言をぶつくさと呟きながら、自然な足取りでこちらに歩み寄ってきた。類は友を呼ぶ、変人は変人を呼ぶ。よもや、同じ夜にこの女よりも関わりたくない奴がもう1人現れるとは。


 絡まれれば厄介なことになるのは目に見えているので、俺はとっさに目を背けた。視線を向けた先には、優男を眺める一文字がいた。マスクで表情は見えないが、考えていることは俺と同じだろう。


「『新月の夜を思わせる漆黒を纏う彼女は、獣のような目つきで私を睨んでいた』。……こっちの方がいいかな、わかりやすくて……。そこのキミはどう思う?」


 そう言って優男は俺にカメラを向けた。畜生、俺に話を振るなよ。お近づきになりたくないんだよ、お前とは。


 早いとこ話を切り上げたかった俺は、興味なさげに見えるようになるだけ力を抜いて「さあ」と答えた。すると男は俺の計算通り、つまらなさそうにため息を吐いて肩を落とした。


「さあってキミ、やる気無いなあ。ボクがキミのような三流ヒーローに話しかけること自体、中々あることじゃないのにさ」

「だったら話しかけなくていい。さっさと帰ってくれ」

「そうかい。それは残念だ」


 ムカつくくらいに白い歯を見せつけながら嫌味たっぷりに笑った優男は、「さて」とハンディカメラを一文字へ向け、その眼前に立ち塞がった。


「お分かりだと思うだろうけど、ボクの狙いはあんな三流じゃなくってキミだよ、〝ファントムハート〟」


 キザな優男は聞き慣れない名前を口にした。どうやら、ファントムハートというのが一文字のヒーローネームらしい。聞いただけで背筋に冷たいものが走る、こっぱずかしい名前だ。


「貴様、何故私の名前を?」

「決まっているじゃないか!」


 優男は大げさに両腕を広げる。


「有名人だものキミは! それはもう興味津々!」

「そうか。だが、生憎と私は貴様に興味がない」

「ああキミは、なんて傷つくことを言うんだ。このボクがわざわざ出向いたんだぞ」

「貴様の事情なぞ知らん。さっさとそこを退け」

「どかないさ。それより、ボクの言ってることがわからないかな? ボクは、キミが欲しいのさ」


 そう言って優男は、まるで恋人へのそれと同じように一文字の頭へそっと手を伸ばした。間一髪のところでそれを躱した一文字は、鋭い敵意を全身から発した。


「私に手を触れるな。そして貴様はそのままくたばれ」

「おや、そんな恥ずかしがらなくてもいいんだよ。さあ、おいでよ」


 怒りが臨界点まで達したのか、一文字は女性を支えたまま腕一本で構え戦闘態勢を取る。


「……父曰く、〝話がわからん奴には鉄拳で応対せよ〟」

「おお、怖い怖い。ボクに手を出したらどんなことになるかも知らず」


 すっかり蚊帳の外になった俺は、見えない火花を散らしあっている2人を交互に眺める。よくわからないが、どうも、俺の出る幕はないようだ。


 さっさと帰ろうと回れ右をした俺だったが、来華の友人をこのまま放っておくというのもなんとなく後ろ髪を引かれる思いになり、身体を半身に捻って一文字の方をちょっとだけ振り向いた。


「ちょっといいか」

「なんだ」と、一文字は優男から目を離さずに答えた。

「手伝ってやろうか」

「必要ない。さっさと帰れ」

「そうか。じゃ、頑張れ」


 そう言って駐車場を去ろうとした矢先、予想外のことに優男の方が「ちょっと!」と追いすがってきた。


「待ちたまえ三流クン。帰らないでくれ。手を貸してほしい」

「嫌だよ。なんでお前に手を貸さなくちゃいけないんだ」

「な……キミ、さっきはファントムハートに手を貸そうとしたじゃないか。つまり、暇ってことだろう。だったらボクに手を貸してもいいはずじゃないか」

「アホか。お前は知り合いでもなんでもねぇーだろ。アイツは一応、知り合いなんだよ」


 そう言って俺は歩き出したが、優男は逃がすものかとばかりに「待ってよ! 待ちなよ!」と言いながら俺の眼前に回り込み、鼻先までハンディカメラを近づけてきた。うっとおしいことこの上ない。


「キミ、そんな態度でいいのかな? キミは有名になりたいと、ヒーローのままで居続けたいと思わないのかい?」


 何を言い出すのかと思ったら、何様のつもりだコイツ。優男の物言いに呆れを通り越して怒りまで覚えてきた俺は、拳が勝手に動かないうちに帰ろうとマントを翻す。その際のバサリという音に怯んだ男は「うひゃあ」と酷く情けない声をあげて尻餅をついた。


「待ってよ三流くん。ボクの命令を無視すれば本当に後悔するんだからね」

「うるさい。黙ってろ」

「いやいや、黙るわけにはいかないよ。黙ったらキミ、帰っちゃうじゃないか」

「黙らなくたって帰るっての」


 俺は先ほどから臨戦態勢を維持する一文字を指した。


「ほら、アイツが待ってるぞ。とっととやってこい。それともなんだ、殴られるのが怖いか?」

「馬鹿なことを……。ヘビー級のボクシング世界チャンピオンだって、このボクには手も足も出ないというのに」

「だったら1人で行けっての。簡単に勝てるんだろ?」

「それじゃつまらないじゃないか! こういうのにはやられ役にも見せ場が無いといけないんだ! カタルシスって言葉、ご存じない?! つまり、キミがやられ役に倒されるためのやられ役! でもってボクが、そのやられ役を倒す!」

「やられ役やられ役うるせぇっての。遊びじゃないんだよこっちは。その高い鼻へし折られるか、尻尾撒いて逃げるか、とっとと選べバカ」

「……話が分からない人だなぁ」


 砂埃を払いながら立ち上がった優男は、ぽんと手を打った。


「そうだ、もしかして、ボクのお金目当てかい?」

「金?」と俺は反射的に聞き返す。確かに金は欲しい。金はいくらあっても困らない。しかし、こんなヤツに恵まれるなら例え一銭でも要らない。


「その反応は図星のようだね。やはり、人間は正直だ」

「……図星なわけあるか、アホ」

「言い訳なんてしなくてもいいよ。いやいや、勘違いして申し訳なかったね。目先の利益にこだわるってのも悪くないんじゃないかな? 短絡的だとは思うけど、三流らしくていいと思うよ」


 優男は懐から分厚い財布を取り出し、中から札束を取り出した。


「手付金の30万。成功報酬でこれの10倍。どう?」


 人をアゴで使い、物の頼み方すら知らない。キザっ気と嫌味が言動のあちこちから滲み出ていて、根拠のない上から目線。おまけに、困ったら金で解決しようとする節操のない人柄。


 間違いない。俺が一番嫌いなタイプの人間だ。


「……わかったよ、全部わかった」


 俺は再びマントを翻し男に歩み寄る。その拳は既に硬く握られている。


「何をするべきなのか、ようやくわかった」と、俺は喉の奥で唸る。

「三流クンが見た目通りの馬鹿じゃなくってよかったよ」


 優男は俺を抱擁で迎えるように、両腕を広げた。


「さあ、共に彼女を打倒しよう――」


 その台詞を真ん中からへし折ったのは、俺の右腕から放たれた、一直線に天を突く軌道のアッパーだった。顎を撃ち抜かれた優男は、声を上げることもなく受け身なしで後方に倒れ込んだものの、そのハンディカメラだけは意地でも手放さなかった。ある意味、大した男だ。もしかしたら、ヒーローのリアルを追及した自主制作映画の撮影でもしていたのかもしれない。


 優男の無駄な根性に感心していると、女性を背負う一文字が歩み寄ってきた。


「……よもや助けられるとは。感謝するぞ」

「助けたつもりは無いから心配すんな。アイツがムカついただけだ」

「そう言うな。人が感謝しているのだから、素直に受け取っておけ」


 一文字は満足げに「うむ」と頷くと、俺に向けて手を差し伸べてきた。


「互いに暴力女とコスプレ男では締まりが悪かろう。自己紹介しようではないか。私はファントムハートという。以後、町で会った時はよろしく頼む」


 一瞬にしてずいぶんと評価が上がったようだ。急なことではあるが悪くは無い。……しかし、それはそうと――。


「自己紹介、ね……」


 苦々しく呟き、俺はタマフクローという名前を奥歯で噛み潰す。年頃の女に、ましてや手を出すことを全く厭わないコイツ相手にあの名前を言えば、どうなるかなんて考えなくてもわかる。


 数瞬考えた結果、俺はその場を適当に濁すことにした。


「いや、今日はいいだろ。その人を早く、安心して寝かせられる場所に連れてってやれよ」

「……そうだったな」


 一文字は背中の女性にちらりと目をやる。


「貴様の言う通りだ。すまない、こちらを優先させることにしよう」

「いいんだよ。さっさと行ってやれ」

「ああ。では、またいつか会う日まで」


 そうして一文字は駐車場を後にした。ホッと息を吐いた俺は空を見上げてみる。浮かぶ月は来るべき中秋の名月に備え、一層に輝きを増していた。


 輝く月に俺は、「いつか会う日」が来ることの無いように祈った。


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