ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス その10
ふたりのヒーローを前にしたこの状況でなお、ブラッディ・バレンタイン――浅倉拓海に諦める様子は見受けられない。念のため、「黙って捕まるつもりはないんだな?」と訊ねてみたが答えはない。やはり拳に頼る他ないらしい。
俺は拳を固く握り顔の前で構えた。奴から絶えず浴びせられる殺気は肌が痺れるように強い。
「……司、無理はするなよ。お前に何かあったら、俺が来華に怒られるんだ」
「そっくりそのまま同じ言葉を返してやるっ!」
瞬間、駆け出した司は遠慮のない右ストレートを浅倉の顔面に目がけて放つ。浅倉はそれを鋏で迎撃しようとするが、その動きを読んでいたかのように腕を引いた司は、左足の蹴りで奴の脇腹を捉えた。
鈍い音がここまで聞こえてくる。大の大人ですら悶絶する一撃。
――嫌な確信が頭を過ったのと、反射的に足が動いたのはほとんど同時のことだった。
蹴りを受けた浅倉は、一切動じる様子がないどころか司の蹴足を掴んで鋏を突き立てようとする。既に走っていた俺は寸前のところで浅倉に身体をぶつけ、奴がよろめいた隙に司を奪い返した。
「だから言ったろ、無理するなって」
「……無理をしたつもりはないのだがな」
俺の腕を少し乱暴に掃った司は、浅倉を見据えて構え直す。
「速さ。それに腕力もある。どうやら、翔太朗を倒したというのもマグレではないらしい」
「マグレどころじゃない。マトモにやりゃ勝てないぞ、ありゃ」
「なら、どうするというのだ?」
「マトモにやらない」と言いながら、俺は司の横に並んで構える。
「フクロ叩きだ。合わせろ、司」
「ヒーローらしからぬが……仕方あるまい」
一斉に駆け出した俺達は、タイミングを合わせて浅倉へ殴りかかる。後ろへ五体を投げ出すようにして俺達の拳を躱した浅倉は、ブリッジの要領で立ち上がる勢いをそのままに、俺の脳天へ向けて鋏を振り下ろした。
なんとか躱したところへ蹴りの一撃。腕で受けたところへさらなる追撃。
連撃、連撃、連撃。予測不能で怒涛の乱打。
辛うじて躱し、また躱しきれずとも受けることは出来るが、反撃の隙は無い。殺すつもりで放たれる一撃、一撃を、致命傷にならないように捌くのが精一杯だ。
「翔太朗っ!」
横から割って入った司は浅倉の腕を蹴り上げたが、奴の攻撃は止まらない、それどころかその矛先はそのまま司へ向く。
「殺します」
死への最短距離を走る、額を狙った真っ直ぐな刺突――だが――。
「待っていた、〝それ〟を」
浅倉の攻撃に合わせて飛んだ司は、奴の伸びた左腕に手足を絡めて一瞬のうちに関節を極める。骨の折れる軽い音が聞こえた後、浅倉はその場に膝を突く。
決着か――そう思った矢先、浅倉はすかさず鋏を右手に持ち替え、司の左腕を狙って刺した。
「――――ッ!」
声にならない悲鳴が聞こえる。司は浅倉の顎を蹴り上げると共に関節技を解き、地面を転がり奴との距離を取る。慌ててそこへ駆け寄ると、司は息を荒くしながらはっきりと親指を立てた。
「やってやったぞ、翔太朗。これで奴の左腕は使いものにならん」
「わかってる。よくやったな」
「そうだろう? だから後は貴様に任せる。勝て。死ぬな」
「ああ、勝つし死なない。だからここで休んでろ」
横たわる司の頭を軽く撫でた俺は、浅倉の方を向き直す。司に折られた左腕はだらんと下がったままだが、戦意は失っていないらしく、奴の右手にはしっかりと断ち鋏が握られている。
目の前でこんな根性見せつけられたんだ。ここで俺がやらなけりゃ、俺はヘタレ以下の役立たず。
……まあ、そうは言ってもそこまで気負う必要もない。簡単なことだ。
〝勝って、死ななけりゃいい〟。それだけなんだから。
脚が自然に動く。全力で動き出した身体は、浅倉へと真っ直ぐ向かっている。もう止まらない、止められない。
弓を引くように身体を構えた浅倉は、鋏の先端を俺の首元に向かって突き出した。全速力で走るせいで躱しきれそうにもないが――構わない。元より躱すつもりも無い。
見てろよ親父。これが俺の〝小細工〟だ。
指を大きく開いた右手を突き出した俺は――鋏の刃をあえて手の平へ貫通させ、奴の動きを武器ごと封じた。
「……今度はこっちの番だ。覚悟しろ」
貫通した鋏をぐっと握りしめて逃げられないようにした俺は、上半身を反って勢いをつけ、浅倉のガスマスクの中心に自分の額を叩きつけた。
血液がぐるぐると身体中を駆け巡る。浅倉の身体が大きく揺らぐのが、霞んだ視界に映る。
「まだこんなもんじゃねぇぞ」という言葉を、口内に溜まった血液と共に吐き捨てた俺は、浅倉の身体を引き寄せてもう一度額を奴の顔面に叩きつける。
半分ひしゃげたガスマスクの隙間から、怯えた表情の浅倉が息を呑むのが見えた。どうやら、こんな奴でも〝オシオキ〟は怖いらしい。
「……なんで、私の邪魔をするんですか。私は、私は、救おうとしてるだけなのに。救おうと、救おうと、救おうとしてるだけなのに」
「奇遇だな。俺も、救おうとしてるだけだ」
「……なんですか。何者なんですか……何様のつもりなんですか、あなたはっ!」
鋏を手放した浅倉は、右の拳を突き出した。重い衝撃が右の頬に響く。意識が飛びそうになるのを、内側から頬を噛んでなんとか堪える。
――俺が何者かだって? そんなの、このふざけた恰好を見りゃ嫌でもわかんだろ。俺は、俺は――。
「――タマフクロー。この街を守る、ヒーローだ」
駄目押しの頭突きが奴の顔面へめり込んだ。膝から崩れ落ちて動かなくなった浅倉を見下ろした俺は、マスクを脱いで深呼吸した。
しんどい。とりあえず今は、ただそれだけだ。
〇
浅倉拓海は警察に引き渡され、比衣呂市を騒がせた二度目の〝ブラッディ・バレンタイン〟事件は無事に幕を閉じた。事件の終わりを見送った俺と司は、現場に駆け付けた警官の手で半ば強制的に救急車に押し込まれて病院まで連れて行かれた。これで手柄は警察のものだ。たぶん、昔の親父もこのように手柄を盗られたのだろう。
翌日に行った検査の結果。司はその日のうちに帰れることになったが、俺は経過観察が必要ということでもう一日泊っていくことになった。入院費と治療費は少し気にかかるが、たまには一日何もせずにゆっくりするというのも悪くはない。
白いカーテンの仕切りで囲まれた病室のベッドで横になる俺を見ながら、司は「しかし悪運の強い男だ」と嬉しそうな顔をしてため息をつく。
「たまたま鋏が骨と骨の間を貫通したおかげで、たいした治療もせずに済むのだろう? 指の骨が折れて得意の拳骨が使いものにならなくなったら、今後の活動をどうするつもりだったのだ」
「馬鹿言え。骨と骨の間を狙わせたんだよ」
「貴様こそ馬鹿を言え。そんな芸当が一瞬で出来るものか」
司は信じないが、狙わせたのは嘘じゃない。もちろん、狙い通りになったのは偶然だが、上手くいったのなら結果オーライだ。
含みのある笑みを浮かべて俺の額を小突いた司は、床に置いてあった荷物を拾い上げながら俺に背を向ける。
「まあよかろう。とにかく、今日の比衣呂市は私が守る。翔太朗は十分に身体を休めておけ」
「ああ。頼んだ」という俺の言葉を背に受けながら、司はカーテンを開けて病室を出ていった。視線だけでそれを見送り、ひと息ついた俺は軽く目をつぶる。今でも鮮明に思い出す。眼前まで迫った鋏の先端。一歩間違えれば死ぬとこだったな、なんて思えば、否応無しに身体が震えた。
「――翔太郎。ずいぶん情けない恰好だな」
カーテンの向こうから覚えのある声が聞こえた。半身を起こしてカーテンを開けてみれば、隣のベッドに寝ているのは親父だ。そこで俺はようやく、運び込まれた病院が、親父の入院している病院と同じだったことに気が付いた。
やや面食らったものの、すぐさま気を取り直した俺は、再び横になりながら「親父に言われたくねぇよ」と言い返す。
「ああ、お互い様だな。ヒーローだというのに、親子そろって情けない」
「……本当にな」
それから俺達は互いに天井を眺めたままじっと黙った。不思議と心地の良い沈黙だった。
「……なあ、親父。お互いに退院したら、ふたりで飯でも行かないか?」
「いい提案だ。息子の金で美味いもの食べるのも悪くない」
「勘違いすんなよ。割り勘だからな」
「そこは嘘でも奢るって言うとこだろう。もっと父親を労われ」
「嫌なこった」
〇
翌日には俺が、その三日後には親父も病院を退院した。その日のうちに俺達は、約束していた通り共に食事へ行った。選んだ店は駅前のラーメン屋。「久しぶりの親子水入らずの食事がラーメンは無いだろう」と司辺りは言いそうだが、これが本郷家のやり方だ。明日の生活がどうなっているかわからないヒーローだからこそ、何事も安く済ませようという根性が身に染み付いているのだから仕方ない。
親父は少し豪華に1180円(税抜き)のチャーシューメンをすすりながら、俺にぼんやり話しかけてきた。
「どうだ、翔太郎。色々あるだろうけど、ヒーロー、続けられそうか」
「まあ、しんどいこともあるけど、それなりに」
「そうか。父さんの見込んだ通りだな」
「だといいけどな」
二十分もしないうちに食事を終えて、俺達は店を後にした。親父はこのまま電車に乗って田舎へ帰るらしい。「来年はトマトを持ってきてやる」と、呑気なことを親父は言った。
「じゃあな、翔太郎。この街はお前に任せたぞ」
「ああ、任された。だから今度帰ってくる時は、あの恰好は無しだからな」
「わかってる」と微笑んだ親父は、ふと真面目な顔つきになると、俺の肩に手を置いた。思わず「なんだよ」とその手を跳ね除けようとしたが、親父はその手を離さない。
「ひとつ、お前に言っておく。あのお嬢ちゃん――一文字司ちゃんを守ってあげてくれないか」
「……まさか、実は司は親父の隠し子とか言うんじゃ――」
「そうじゃない。……実はな、あの子はかつての親友の娘なんだ。あの子が傷つくのは忍びない」
親友の娘ということは、つまり親父の交友関係にあの〝伝説〟のアイアンハートがいたというわけで。〝ご当地わいせつヒーロー〟である初代タマフクローの親父がそんな大物と親友と呼べる間柄だなんて信じられないわけで。
必然、俺は「勘違いだろ」と言った。
「というよりも――冗談だ。本気にしたか?」
「ふざけろ」
「嫌なこった。これが父さんの生き方だ」
一転、すっとぼけた調子でそう言った親父は俺に背を向け、駅の方へと向かって歩いていく。
冷たくて済んだ空気に、曇天から僅かに差し込む細い太陽の光が透き通る。そろそろ春が恋しいな。そんな風に思いながら、俺は親父の背中が見えなくなるまで見送った。
これにて第2.5章終了です。
ようやく物語が動いてきた感がありますね。
コンテストに向けて長編を一本書いているので、続きの投稿にはまた少し間隔が空くとは思いますが、ノンビリ待って頂けると幸いです。
ではまた。




