ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス その9
浅倉拓海は女性でありながら、男の身体に生まれてきた。彼女の父はそれを受け入れることが出来ず、彼女の中の〝女〟を消そうとして、彼女に童貞の血を飲ませ続けた。そんな常軌を逸する日々に耐えきれるわけもなく……彼女の精神はあっさり瓦解した。〝ブラッディ・バレンタイン事件〟が幕を閉じてからもその傷が癒えることは無く、彼女は預けられた施設の中で多くの傷害事件を起こした。
しかし、彼女が他者を傷つけていたのは、ただそうしたいからというわけではなかった。
彼女はただ、救おうとしていただけだ。生きていても辛いことしかないこの世界から、目の前にいる人達を無理にでも追い出さなければならないという、使命感に駆られていただけに過ぎなかったのだ。
やがて時が経ち、彼女は大人になった。施設で暮らす中で数多くの医者と面会し、ようやく自らの考えを改めた彼女は、二十五歳になる直前に施設を出ることが出来た――が、例え考えを改めたとしても、彼女の本質が歪んだままであったのは変わりなかった。
――今、この世界にいる人を救っても仕方がない。どうせ理解を得られるわけがないんだから。それなら、もっと別の形で人を救うんだ。
比衣呂市に戻った彼女は、早速〝救済〟を始めた。プロポーズを終えたカップルを見つけては襲い、薬指を断ち鋏で捻じ切ったのだ。
そうすれば、二人は二度と結婚できない。結婚が出来なければ子は産まれない。生まれなかった子どもは幸せだ。こんな辛い世界を生きないで済むのだから。
そんな単純な、どこまでも子どもじみた考えを持って。
父の凶行で精神を病んだ彼女は、何の因果かその父と同じ名前――〝ブラッディ・バレンタイン〟と呼ばれて恐れられている。また奇しくも、彼女の今の年齢は、父が結婚した年齢と同じである。
〇
身体の芯まで凍るように寒いその日の夜。浅倉拓海は白雪のちらつく空を見上げてぼんやり立っていた。大柄の体系を黒いゴシックドレスで包み、ガスマスクを被る彼女の姿を見た通行人は、化け物か何かを見るような眼で彼を見ながら避けて歩いていく。時折、「頭おかしい」といった心無い言葉すら聞こえてくる。
しかし、浅倉にはそれを気にする様子もない。いや、気づいてすらいないのだ。現在の彼女にあるのは、今日もまた自分は人を救うのだという、ある種の幸福感ばかりだった。
浅倉は「さあ行こう」と独り呟き、ポケットから四つ折りにした地図を取り出した。既に〝救済〟を行った場所には、赤いペンでバツ印が書いてある。理性のねじが外れたように思える彼女とて、同じ場所でそれを行うことは危険であることは理解していた。
「どこにしようかな」とリズムをつけて歌う浅倉は地図上で人差し指を動かす。やがて彼女の指先は、比衣呂大橋の上で止まった。
――昔、お母さんから聞いたことがある。この橋の上で愛を誓い合ったカップルは、永遠に幸せになれるって。そんなこと、あるわけがないのに。
心の片隅に僅かに揺らいだ赤い感情。それを見ないふりした浅倉は、大股で歩き出した。
三十分ほど行くと、彼女は目的地である比衣呂大橋に辿り着いた。時刻は十二時五分前。時間帯のせいか人通りは無いが、一組のカップルが中央の辺りで共に街並みを眺めている。
カップルにそっと近づいた浅倉は、二人の会話に聞き耳を立てる。
「……その、月が綺麗だな」
「死んでもいいわって言って欲しいの? そういうのって、男らしくないと思うけど」
「ダメ出しするなよ。結構恥ずかしいんだぞ、これ言うの」
「あら、そう。だったら、私がお手本見せてあげる」
女が男の首筋に腕を回し、そっと抱き着いた。
「一緒になりましょう、永遠に」
その光景を見た浅倉は、「そんなことはさせない」と歯ぎしりしながら白いイヤホンを耳に挿した。流れる曲は〝チキチータ〟という洋楽だ。綺麗な曲を聞いていれば、耳障りな悲鳴を聞かずに済む。
裁ち鋏を右手に構え、抱き合うカップルに歩み寄る。
「幸せになれるわ。私達なら」
幸せになんてさせてやるものか。
させない。
させない。
させない。
させないさせないさせないさせないさせないさせないさせないさせないさせないさせないさせない。
「――そろそろいいぞ、司」
「ファントムハートだ」
突如、浅倉の背中に衝撃が奔る。コンクリートに転がった彼女は、何が起きたのかわからないまま周囲を見た。カップルは既に抱き合うのを止め、こちらを睨みつけている。背後には見たことの無いヒーローまでいる。
「……騙したんですね、私を」
「あら。彼女、ずいぶんお怒りよ」
「ああ。だから下がってろ、愛宕」
「言われなくても下がるわよ」
女がすたすたと歩いていく。「させない」と呟いた浅倉は女を追おうとするが、彼女の前に二人のヒーローが横並びで立ちはだかる。一人はかつて、自分と対峙したヒーローだ。
――ああ、そうか。この人達は私が人を救うのを邪魔するつもりなんだ。それならいいや、殺してしまえば。そうすれば、この人達もついでに救うことができるから。
浅倉拓海は裁ち鋏を強く握りながらゆらりと立ち上がり、「殺します」と呟いた。




