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月給24万円でヒーローやってるけど色々しんどい  作者: シラサキケージロウ
第2.5章 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス
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ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス その5

 翌朝。起きると、昨夜刺されたところがやはりまだ少し痛かった。固まった血を風呂場で洗い流して包帯を変え、時計を見れば十一時前だ。リビングに戻ると、テーブルの上に昨日の夕食の残りがまだ置いてある。それらをまとめて三角コーナーに放り込んだ後、炊飯器から冷えた白飯を椀によそった俺は、レンジでそれを温めて生卵を乗せて食った。


 簡単に朝飯を済ませ、流しで食器を片づけているとチャイムが鳴った。玄関へ出ると、扉の前にいたのは司だ。「今、いいか?」と聞かれたので、「いいぞ」と答えて部屋へ招き入れると、司はリビングをぐるりと見回して不思議そうな顔をした。


「……御父上はどうした?」


「帰った」と答えると、司はただ「そうか」と言って、リビング中央のソファーに腰掛けた。


「……翔太朗の家族のことだ。私はこれ以上口を挟むつもりもない。それに、私がここへ来たのは例の事件について話すためだからな」


「〝ブラッディ・バレンタイン〟か」


 俺はキッチンに立ち、インスタントコーヒーを準備するべくやかんを火にかける。


「あれから何かわかったのか?」


「ああ。噂程度の話だがな」


 司の話は、以前来華から聞いたものとほとんど変わりが無かった。犯人が狙うのはカップル、男の薬指を切り落とす……唯一初めて聞いたのは、犯人の背恰好についての情報だ。


「騒ぎが大きくなるのを嫌っていた警察が、とうとう犯人についての詳細な情報を公表した。凶器に使っているのは大きな断ち鋏。ガスマスクを被り、女物の黒いドレスを着た男、だそうだ」


 瞬間、脳裏に昨日の男の姿が浮かぶ。しかしたいして驚きはしなかった。却って、ブラッディ・バレンタインとやら以外にも比衣呂市に暗躍する変人がいないということがわかって、少し安心したくらいだ。


 俺はパジャマの裾をめくって、司に脚の傷を見せる。司は不安そうに表情を歪め、「どうした」と訊ねた。


「その男にやられたんだ。捕まえようとしたけど逃げられた」


「……翔太朗でもやられるほどの手練れか。気を抜けないな」


「大丈夫だ。次はやれる」


「やられて悔しいのはわかるが、無理はするな。貴様の悪い癖だぞ、翔太朗」


「まあ、善処する」


 やかんの口から白い蒸気が昇り、ふたがカタカタと音を立てて揺れる。火を止めた俺が「コーヒー飲むか?」と訊ねると、予想外にも司は「ああ」と答えた。


「しかし、インスタントは飲まんぞ。だから準備をしろ、翔太朗。外へ出る」





 マンションを出た俺達が向かったのは、いつもの喫茶店、〝マスクドライド〟だ。まずはそこで八兵衛に、一連の事件について何か情報を持ってないかと訊ね、それから聞き込みをするというのが今日の予定とのことである。歩き始めはジンジンと痺れるように痛かった脚も、しばらくすると慣れたおかげか問題なくなった。走るのはまだ少し辛そうだが、痛み止めを飲めばなんとかなりそうな程度である。嫌になるほど丈夫な身体だなと、俺は自分にうんざりした。


 マスクドライドの硝子扉に『臨時休業』の紙は貼っていない。扉を押して中に入ると、カウンターに肘を突いた愛宕が、のんびり煙草を吹かしているという、いつもの光景が待っていた。


「いらっしゃい、ふたりとも。コーヒーでいい?」


「それと、情報も欲しい。タチバナ店主はいるか?」


「そこにいるわよ」と言った愛宕が指した方を見れば、八兵衛は窓際の席でコーヒーを飲んで休憩していた。窓から外を眺めるその横顔は、何かを思いつめているように険しい。


 俺達が八兵衛の方へと歩み寄ると、八兵衛は外を眺めたまま「君達が来ることはわかってた」と言った。


「でも悪いね。協力は出来ない」


「それはまた思ってもいなかった答えだな、タチバナ店主。何故だ?」


「翔太朗に聞けばわかるさ」


 司の視線がこちらへ向けられる。小さく息を吐いた俺は、八兵衛の対面の席へ腰かけた。


「……親父が関係してる。そうだろ、八兵衛」


「その通り。さすがヒーローだ。察しがいいね」


「親父のあの恰好を見てわからなけりゃよほどの馬鹿だ。ここが昨日臨時休業だったのも、あのスーツを用意してたからなんだろ?」


「……何もかも、お見通しってわけだね」


 身を乗り出すようにテーブルに両手をついた司は、「待て」と俺達の間に割り込んだ。


「なら、何故私に従ってここへ来た。タチバナ店主が協力しないということもわかっていたのだろう?」


「コイツに聞きたいことがあったからな」


 未だこちらに目を合わせない八兵衛を俺は強く睨む。


「八兵衛、これだけは教えろ。なんで親父はヒーローに復帰なんてしやがった?」


「別に、君を信用出来ないからっていうわけじゃない。彼には彼なりの考えがある」


「その考えとやらがわかんねぇから聞きに来たんだ。教えろ八兵衛。なんでだ?」


「……やり残した仕事を終えに来た。僕からは、これしか言えない」


「そうかよ」と吐き捨てた俺は席を立ち、コーヒーを運んで来た愛宕の横をすり抜けて店の出口に向かった。背後から追ってきた「どこへ行くつもりだ」という司の声に、俺は足を止めずに「親父を探しに行く」とだけ答えた。





 マスクドライドを出た俺は、比衣呂市内にある風見という町の駅前の寂れた商店街へ向かった。シャッター通り化が着々と進むこの並びの中に、細々と営業を続けている喫茶店、〝さんごう〟はある。


 例えば、家で母さんと喧嘩した時。あるいは、仕事に嫌気が差した時。または、何もかも投げ出したくなった時。親父はいつもこの店にいた。そして、そんな親父を迎えに行くのはいつだって俺の役目だった。


 寒さを運んでくるためだけの風が、商店街のシャッターをガタガタと揺らす。冬にふさわしい灰色の雲が、空にどこまでも広がっている。ポケットに入れた手の指と指を擦り合わせながら歩いて行くと、その日も親父は〝さんごう〟にいた。いつも通りの窓際の席に座り、外の景色を眺めることなくウインナコーヒーの白い泡をじっと見つめている。


 店の扉を開けて親父の座る席へと歩み寄ると、親父はこちらを見ずに軽く手を挙げた。


「よくここがわかったな」


「勘だ」と吐き捨てた俺はさらに続ける。


「昨日言い忘れてたことがあったから伝えに来た。この街からも出て行け。目障りだ」


「そうしたいとこだが……少しだけ待ってくれ。やり残した仕事を片づけたいんだ」


「ブラッディ・バレンタインのことか」


 親父は固く口を閉ざした。図星をつかれて都合が悪くなるとコイツはいつもこれだ。


 俺は拳を固く握る。困った時にはいつもこれだ。


「……なんでそこまでアイツに拘るんだ。答えろ。じゃないと、今度こそぶん殴ってやる」


「外で話そう。ここじゃ、店の人に迷惑になる」


 そう言いながら親父は席を立ち、財布から出した千円札をテーブルに置いて店を出ると、当てもなくシャッター通りを歩き始めた。他人ほど距離を離してその背中を追う俺は、親父が話すのをじっと待った。納得いかない答えが返ってきた時のために、拳は強く固めたままだ。


 やがて親父はまるで世間話でも始めるように、「なあ」と静かに語り出した。


「過去に起きた方のあの事件について、どこまで知ってる?」


「頭がおかしい男が一人いて、人を二人殺した。で、それを十年前に警察が解決した。もう終わった事件だ」


「まあ、お前ならせいぜいそんなところだろうな。だが、真実は違う」


 ふと歩みを止めた親父は、足元に向けていた視線を空へと上げる。


「あの事件は父さんが解決した。お前は絶対に信じないだろうがな」


「信じようが信じまいが、だからって親父が今回の事件を追う必要がないことは変わらねぇ。もう俺の仕事だ」


「この街をお前に任せる以上、しがらみは残さないと決めたんだ。だからこれは父さんの仕事だ。悪いが、口は挟ませない」


 自分の父親ながら聞き分けがない男だ。こうなると、もう最終手段しかない。


 覚悟を決めた俺は早足で親父の背中に近づき手を伸ばしたが――親父の肩に指が掛かるその直前、辺りが黒い煙に包まれた。本能的に身をかがめると、足元には勢いよく煙を上げる玉がいくつも転がっているのが見える。


 これが親父の仕業だと、気付いた時にはもう遅かった。黒い視界の中でどれだけ腕を伸ばそうが、掴むどころか親父の背中に触れることすら出来ない。


「悪いな、翔太郎。小細工を使わせて貰った。まあ、今の父さんじゃ正面からお前に勝てないからな。勘弁してくれ」


「……親父っ! ふざけんな親父っ! 戻ってこいっ!」


「じゃあな。何かあった時は母さんによろしく」


 この野郎、話を聞きやがれ。


 ゆっくりと煙が晴れていく。親父の姿は既にどこにも見当たらない。頭に溢れる怒りに似た感情のやり場が見つからず、俺は「勝手にしろよ」と呟いてその場を後にした。


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