ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス その4
それからほどなくして食事を終えた俺は、マントに使い捨てカイロを貼るなど準備をして、九時になる前に家を出た。
年末も、正月も、なんだかんだと司と一緒だったから、ひとりで街を見回るのは久しぶりだ。会話をする相手が隣にいることに慣れてしまったせいか、昔の状況に戻っただけだというのに手持ち無沙汰感が拭えない。肌を刺すようなこの冷たい空気が、孤独感を一層加速させているのかもしれない。
見回りの最中、背の低いマンションの屋上で小休止していると突然携帯が鳴った。何事かと思えば司から着信である。緊急事態だろうかと心配したがそうではなく、事件現場を見回ってみたがなんの収穫も無かったことの報告を兼ねて、日付が変わるから帰ろうと思って連絡したとのことだった。律義になったもんだと思いつつ、「気をつけて帰れよ」と言うと、「翔太朗もな」と気遣いの言葉が返ってきた。
手短に会話を終え、電話を切った俺はふと夜空に浮かぶ月を眺めてみた。薄い雲に隠れた半月が妖しく光っている。ひとりで街を見回っていた時には、虚しさに耐え兼ねてよくこうしていたことを思い出した。
ひゅるんと、寂しい音を立てながら風が吹く。「寒すぎんだろ」と独りで文句を垂れながらマントを身体に巻きつけつつ周囲を見渡していると、眼下の有料駐車場にいかにも怪しい奴がいるのが目についた。
ガスマスクめいたものを被り、全身黒のゴシックパンクスタイルなドレスを着ている大柄なそいつは、車の陰に身を潜め、膝に手を突き肩で息をしている。その風貌から精神的にヤバい奴であることはまず間違いなく、つまりはトラブルの種であることもまず間違いない。
放っておいて騒ぎでも起こされたら面倒だと思い、マンションを降りた俺はそいつに背後から近づき、「おい」と声を掛けた。
「どうしたんだ、こんなとこで、しかもそんな恰好で」
しかし、そいつは答えない。無視しているのかと思えばそういうわけでもなく、耳に挿したイヤホンのせいでこちらの声が聞こえていないだけらしい。今度は先ほどよりも大きな声で「おい」と声を掛けると、そいつは片耳だけイヤホンを外してようやくこちらを振り向いた。
正面から見た奴の身体には――返り血がべっとりとついていた。
「……お前、何してきたんだ?」
「……私の邪魔をするんですか?」
目の前にいる奴が女ではなく男だとわかったのは、その声を聞いてからのことだ。恰好といい、意味の分からないセリフといい、ますますヤバいなと心中で断じた俺はひそかに身構える。
「もう一回だけ言うぞ。何してきたのか答えろ」
「……わかりました。邪魔をするってことですね」
「話通じないのか? それとも、わざと無視してるのか?」
ヘンタイ男は答えずに、耳にイヤホンを挿しなおすと、懐から何かを取り出した。刃渡り20cmはありそうな裁ち鋏だった。
「……おい。お前まさか、殺すとか言うんじゃ――」
「殺します」
こんな時に限って大当たりかよクソッタレ。
男は力なく両腕を下げるや否や真っ直ぐ走り出し、俺に向かって右手に持つ鋏を突き出した。胸を狙って放たれた一突き――俺はそれを腕ごと捕まえる。
「ナントカに刃物はもう終わりだ」
言いながら、俺は男の顔面へ拳を放つ。それを見た男はすかさず鋏を左手に持ち替え、俺の脇腹を狙ってそれを突き出した。握っていた拳を解いてとっさに男の腕を押さえたが、次は右手、それを押さえられればまた次は左手と、素早く鋏を持ち替えての刺突が次々と襲ってくる。
――だが、所詮は規則性のある動き。鋏を持ち帰る直前、上体をぶつけて男の姿勢を崩した俺は、顔面に向けて再び拳を放つ。
相手の頬を狙った一撃。しかしそれが当たる直前、男は高跳びの要領でそれを躱し、横に回転しながら俺の顎へ蹴りを入れた。
予想外の一撃に視界は揺らぎ、足元はふらつく。追撃の手が男から飛んでこないのは、奴はコンクリートに仰向けで倒れたまま、不気味に鼻歌を歌っているからである。
「……とんでもない軽業だな。大道芸人にでもなれ」
「殺します」
「……聞いちゃいねぇか」
――誰かに殺すと言われたことはこれが初めてじゃない。誰かに刃物を向けられることも、これが初めてじゃない。こんな仕事をやっているんだから、それも当然だ。
……しかし、「殺す」という言葉と刃物を向けられることが幾度とあっても、〝本気の殺意〟を向けられたのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。
俺は拳を強く固める。男は俺を見たまま動かなかったかと思うと、突然犬のように四つ足で構え、地面に落ちた鋏を拾いながらそのまま飛んで、鋏を俺の足へ振り下ろした。後ろへ横へと下がりながら躱すが、男は俺を追って続けざまに飛び、幾度と鋏を振り下ろす。
動きがデタラメ過ぎて次の行動がまるで読めない。しかも、メチャクチャなくせに隙が見当たらないときたもんだ。それなら――。
俺は足元に転がっていた空き缶を蹴飛ばし、男の顔面に当てた。僅かに動きが止まったところへ、大きく振りかぶって全力の蹴りを放つ。
――吹き飛べ。
確かな手ごたえ。コンクリートを転がる男の身体。……痛みの走る左脚。触れば、べとりとした生暖かい血の感触がある。
俺の蹴りが顔面にぶつかるその直前、男が鋏で俺の脚を刺したのだ。
「痛いですか?」と男はゆらりと立ち上がりながら訊ねてくる。どうやら、蹴りによるダメージはほとんど無いらしい。クソッタレ。こっちは立っているのがやっとだってのに。
「ああ、痛い。だから大人しく殴られろ」
「殺します」
「……そうかよ」
覚悟を決めると共に拳を固める。決めたのは死への覚悟じゃない。明日も生きる覚悟だ。こんな恰好が死に装束ってのは悲惨だし、何より俺は嫁と子どもと孫に看取られながら畳の上で幸せに死にたいんだ。
空気が張り詰める。男が小さな声で何かを歌っているのが聞こえる。〝チキン〟だか〝チーター〟だか、聞いたことも無い歌だ。
近くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきたのは、その時のことだった。小さく舌打ちをした男は、鋏の先端をこちらへ向け、「今度会った時は殺します」と宣言すると、その場から走って去っていった。
男の後を追おうとしたものの、刺された足に力が入らず、二歩ほど進んだところで俺は思わず膝を突いた。走れそうにもない。「情けねぇな」と呟きながらなんとか立ち上がると――目の前には、タマフクローとよく似たデザインのスーツを着る誰かが立っていた。
そいつは「間一髪だったな」なんて言いながら、ゆっくりマスクを脱ぎ始める。その下から現れたのは――なんと、親父の顔だった。
「…………親父?」
「そうだ。まったくヒヤヒヤしたぞ。父さんが助けてやらなかったら、どうなってたことか」
そう言うと親父は手に持っていた小さな装置のスイッチを押した。するとその装置から大きなサイレンが鳴り響く。どうやら、先ほどの音は親父の仕業だったらしい。
「ヒーローにはこういう小細工も大切だぞ。何も、拳だけが解決方法じゃない」
「うるせぇよ」と返した俺は親父を睨む。
「……ところで、こんなとこで何やってんだよ」
「こんな恰好で散歩だと思うか? ヒーローだよ。この街に帰ってきたら、なんだか懐かしくなってな」
感情を抑えていた堰にひびが入る。「どうしようもない親父だから」と自分を誤魔化すことで、今までなんとか気づかないふりをしていた本気の怒りが、ゆっくりと頭を上げる。
「……今すぐそのふざけた恰好を止めて家に帰れ」
「そんな言い方ないだろう。父さんがいなけりゃ、お前は死んでたかもしれないんだぞ」
「そういう問題じゃねぇ。親父はヒーローを辞めたんだ、自分からな。で、その役目を俺に押し付けた。そんな奴がその恰好をしてるのを見て、俺が苛つかないと思ったのか?」
「いいじゃないか。親子でヒーローっていうのも――」
「ふざけんなッ!」
声を上げると同時に、俺は親父の胸倉に掴みかかっていた。今日までの人生で積み重なってきた何かが一気に爆発して、あとはもう何も考えられなくなった。
「昔から勝手すぎんだよ、親父は。自分の胸に手を当てて考えてみろよ。俺が子供のころ、俺を構ってくれたことが一度でもあったか? 俺とまともに話すことがあったか? 俺を遊びに連れて行ったことがあったか? ねぇよ。少なくとも俺にとっては一度だってねぇ。あるのは下らねぇ記憶ばっかりだ。『仕事が忙しい』だとか、『もう辞めたい』だとか、そんなことばっか言う親父の記憶しかねぇよ。母さんに逃げられて、俺にこの生き方を押し付けて、どっか行ったと思ったら突然帰って来て、今度は気まぐれでヒーローに復帰して。馬鹿にしてんだろ、俺を。……馬鹿にしてんだろっ!」
俺は親父を突き飛ばして背を向けた。
「もう家には来んな。荷物まとめてとっとと出てけ。司のことも、市に報告したきゃ勝手にしろ。家が無くなったって構わねぇ」
「……翔太朗。確かに父さんは――」
「いいから行けってんだよ。二度は言わせんな」
音もなく、声もなく、背後から人の気配が消えた。俺は後ろを振り返ることなく、まだしばらく夜が続く街へと足を引きずって歩いた。




