ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス その3
翌朝。俺はどこからともなく漂ってくる味噌汁の香りで目を覚ました。ベッドを出てリビングへ向かえば、親父がキッチンで忙しなく働いている。いい歳したエプロン姿のオッサンが、窓から差し込む朝の光を受けながらせっせと料理する様を見る羽目になるとは。人生最悪の朝の記録更新だ。
「ようやく起きたな、翔太郎。もう十一時近いぞ」
「うるせぇ。冷蔵庫のもの勝手に使うな」
「勝手じゃない。ちゃんと断ったぞ。まあ、お前は目を覚まさなかったけどな」
「それが断ったうちに入るわけねぇだろうが」
「固いこと言うな」と笑いながら、親父はテーブルに料理を並べていく。焼いた鮭に、玉子焼きに、長ネギと豆腐の味噌汁に、おむすびに、漬け物。こんなもの、家にいた時はただの一度だって作ったことなかったのに、どういう風の吹き回しだ。
「凄いだろう。田舎に行って土いじりを始めてからというもの、料理もやるようになってな」
そう言うと親父は俺に箸を手渡した。
「さあ、久しぶりに親子水入らずの食事といこうじゃないか」
それから俺達は共に食卓を囲み朝食を取った。なんの気を遣ってなのか、親父は「美味いか?」だとか「鮭はよく裂けるから鮭っていうんだぞ」だとか、散々話しかけてきたが、俺はそれらほとんどを無視してひたすら食べ続けた。
「ところでお前、彼女は出来たのか? 父さんはな、ちょうど今のお前くらいの年齢の時に母さんと会ったんだぞ」
唯一、この会話にだけは「黙れ」と返してやった。
五分程度で食事を終えた俺は、自分の食器だけ片づけてリビングを出た。「どこに行くんだ?」という親父の呼びかけに「外だ」とだけ答えると、親父は「一緒に出掛けないのか?」なんて言ってきやがった。出掛けるわけがあるか。一秒でも一緒に居たくないってのに。
「壁にでも話してろ」と言った俺は普段着に着替えて家を出た。
さて、外に出たのはいいが行くところがない。家庭教師まではまだだいぶ時間がある。「それなら」ということで向かったのは、〝マスクドライド〟である。あの店ならば年中空いているから、暇つぶしするにも気兼ねない。
そう思って店に向かったのだが、あろうことかマスクドライドの硝子扉には『臨時休業』の紙が貼りつけられていた。まさか、あの八兵衛が風邪を引いたとでもいうのだろうか。
「なんだってこんな日に限って」と扉の前でがっくりうなだれていると、「あら」という声が後ろから聞こえてきた。振り返れば、そこにいたのは店の気怠げな看板娘――愛宕愛乃である。
「そんなとこで突っ立って、入らないの?」
「入らないじゃない。入れないんだ。臨時休業だとよ」
「なにそれ。聞いてないんだけど」
「聞いてないも何も、扉に書いてあるんだから仕方ないだろ」
俺の隣に立った愛宕は、『臨時休業』の紙を見ると「ふざけんな」と吐き捨てた。従業員にすら知らせていないとは、いくら〝臨時〟といったって限度があるだろう。
扉を無言で蹴った愛宕は、「帰る」とだけ言うと店に背を向け歩き出した。俺はその背中を「待てって」と呼び止める。
「何よ」
「暇なんだろ? どっか行かないか、ふたりで」
「デートのお誘いなら高くつくけど?」
「構うもんか。帰りたくないんだよ、家に」
「……まるで家出少女ね」
そう言ってクスリと笑った愛宕は、懐から取り出した煙草を咥えつつこちらへ振り返った。
「いいわよ、行きましょ。何かあったんでしょ?」
〇
タマフクローは二代続けてマスクドライドの世話になっているから、三年前からあの店に勤め始めた愛宕も俺の親父のことを知っている。ほとんど会話はしたことも無いらしいが、曰く「何かにつけてお茶に誘ってくるような男」だったらしい。息子とたいして歳の変わらない女を口説こうとするだなんて、恥ずかしくないのかあの親父は。
手近な喫茶店を選んで入り、そこでコーヒーを飲みながら、親父がこの街に帰ってきた話と、俺の部屋に転がり込んでいるという話を聞かせた。すると愛宕は、開口一番に「そんなに嫌なら追い出せばいいじゃない」ともっともなことを言いやがる。そんなこと、出来るならとっくにやっている。
「そうしたいけど出来ないんだよ。色々あってな」
「だったら、向こうが出て行きたくなるように仕向けるとか?」
「仕向けるって、どうやって」
「さあね。でも、追い出したいならそうするしかないじゃないの」
「そりゃそうだけどな」
愚痴を吐いて多少楽になったのはいいが、具体的な解決方法はやはり出てきそうにない。天井を仰いで目をつぶると、まぶたの裏にあの顔が浮かぶ。家だけじゃなくて頭にも出てきやがって。うんざりだ。
「……ちなみに、愛宕が俺の立場だったらどうするんだ?」
「そうね。あたしがアンタの立場だったら、きちんと父親と話し合ってると思う」
予想もしていなかった答えが返ってきた。今まで勝手にコイツのことを、「あたしは不良娘。親なんて大っ嫌いです。十年前に中指立てて家を出てから連絡は一度も取ってません」といった具合の人種かと思っていたのに、まさかこんな人情味あふれる答えが飛び出るとは。人は見かけによらないものだ。
「まあ、翔太朗の気持ちもわからなくもないわ。というより、すごいよくわかる。アタシだって親と色々あったから。でも、だからこそちゃんと話し合ってたらなって思うの。アンタには、あたしと同じ後悔をして欲しくない」
前言撤回だ。やはり色々と訳アリらしい。しかし、こう素直に反省の言葉を述べながら煙草を吹かしている姿は、絵に描いたような〝更生した不良娘〟である。このまま再現ドラマに出しても違和感がない。
それから愛宕はふと何かを思い出したのか、吸いかけの煙草を灰皿に押し付けると、「もう行くわ」と伝票を手に取りながら席を立った。
「待てよ。俺が誘ったんだ。ここは俺が払う」
「本当はそのつもりだったんだけどね。でもここはあたしが出すわ」
愛宕は俺の額を人差し指で軽く小突いた。
「その代わり、お父さんの話を聞いてあげて。何か伝えたいことがあって帰ってきたに決まってるんだから」
〇
愛宕と別れたのが午後の二時過ぎ。それから適当に時間を潰し、家庭教師の仕事を終えて秋野邸を出たのが七時近く。しかし親父がいると考えると真っ直ぐ家に戻る気になれず、コンビニに寄ってたっぷり立ち読みしてから帰ったから、マンションに着いたのは八時過ぎだった。
玄関扉を引くと鍵が掛かっていた。「まったく鍵なんて掛けやがって」と呟きながらポケットから鍵を取り出し、鍵穴にそれを差し込もうとする直前、向こう側から扉が開けられた。
現れたのは司だった。
「……待て、翔太朗。そんな顔をするな。これには無論理由があって――」
「おう。帰ってきたか、翔太朗」
司の後ろからひょっこりと顔を出したエプロン姿の親父は、「買い物に行ったら、マンションの前にいるところを見かけてな。もしかして昨日の子じゃないかと思って話しかけてみたら大当たりだ。父さん、探偵の素質もあるかもな」なんてやたら自慢げに言うと、何が楽しいのか大げさに笑いながらリビングへと戻っていった。
「……そういうことだ。まさか、私の正体をこうも易々と見破るとはな」
そこで親父の話を思い出した俺は、試しに司の背後へ周り、薬品の臭いを嗅ぐように空気を手で扇いでうなじの辺りの匂いを嗅いでみた。確かに微かに甘い香りがする。よく気づいたものだ。
「バレたくないなら、その香水、止めた方がいいかもな」
俺の言葉に慌てた司は、バツの悪そうな顔で「付けすぎか」と呟いた。本当につけてるのか。まだ子どものクセに、妙に色気づきやがって。
リビングへ行くと、テーブルには大皿に山盛りになった唐揚げとサラダ、それに白飯がよそわれた椀が三つ並んでいる。聞けば、親父が司を夕食に誘い、司はその誘いを受けたのだという。「よく断らなかったな」と言うと、司は「断り切れなかったんだ」と息を吐いた。
「しかし、好都合だったのも事実だ。どうせ長話をするつもりだった」
「その通り!」と司に続いた親父は、俺達にそれぞれ箸を手渡す。「栄養補給並びに、ヒーロー作戦会議の時間だ!」
この親父は若い女が近くにいると、露骨にテンションが高くなる。
さて、司が今日ここへ来た理由は、比衣呂市に再び現れたブラッディ・バレンタインへの対策について俺と話し合うためだったらしい。まだ大きく報道されたわけではいないが、昨日の夜も夜道を歩いていたカップルが通り魔に襲われる事件が起きたらしく、事件はこれで四件目。〝初代〟のブラッディ・バレンタインはもう死んでいるから、一連の事件の犯人が模倣犯であることは間違いないのだが、このまま放っておいては被害がますます拡大していくばかりだろうというのが、司の意見だった。
「警察だって事件解決に向けて動いていることは間違いない。しかし、この街は我々が守っているのだ。見過ごすわけにもいかんだろう」と司は真面目な顔で語り、「その通り。誰かが困っているのを助けるのがヒーローだ」と親父が司に続いた。同じテーブルについて夕食を共にしている以上、話を聞かれるのは仕方ないのだが、なんでこう会話に加わろうとするのか。その神経がわからない。
「親父は黙ってろ。……確かに、被害が増えると俺にも文句がきそうだからな。でも、どうするんだ? 通り魔野郎を捕まえるため、何か当てはあるのか?」
「いや。それが見当もつかない。事件が起きた場所も時間もてんでバラバラでな。襲われた人々の特徴がわかれば何かそこにヒントがあるのかもしれんが、そこまで調べられていないのが現状だ」
「だが、裏を返せば襲われた人たちの共通点から、何かわかるかもしれない、というわけだね?」
「その口を閉じろ。相槌も打つな。……とにかく、そのセンを当たるのは明日からだな」
「ああ。残念ながらそうする他ないだろう。ちょうど明日は土曜だし、調べる時間ならばたっぷりとある。今日出来ることは……被害が出ないように祈ることと、せいぜい見回りを強化すること程度か」
「そんな顔するな、司。焦ったって仕方ないだろ。やれることだけをやってくしかないんだ」
「いやいや、諦めるのはまだ早いぞ。現場百回って古臭い言葉もある。ここはひとつ、事件現場の周辺を調べてみれば、何か新しい証拠でも見つかるかもしれない」
「……いい加減にしろ、このクソ――」
「待て」と司は俺を遮る。
「翔太朗の御父上の言う通りだ。現場をこの目で確かめてみれば、何か新しい発見があるかもしれん」
「……司。コイツの言うことを無理に聞く必要はないぞ。それに、現場を探るなんて明日やればいいだろ?」
「いや、事件は毎日起きているのだ。動くのに遅すぎるということはあるまい」
椀に残っている白飯を唐揚げでかきこんだ司は、「ごちそうさまでした」と一礼してから席を立ち、手早く食器を片づける。何を急いでるのかと訊ねると、一足先に家を出るのだという答えが返ってきた。
「翔太朗。私は見回りついでに事件現場を調べてくる。貴様にはいつも通りの見回りを、いつも以上に警戒して行って欲しい」
着替え一式を手に司は急ぎ足で部屋を出て行った。そんな司を「気をつけなさい」と見送った親父は、唐揚げを頬張りながら「嫁にするならああいう子にするんだぞ」と言って笑った。唐揚げと一緒に舌を噛みやがれと俺は思った。




