キル・ビル その2
秋野来華がそこそこヤバイ女だということは前々から知っていた。しかし、まさかここまでだって誰が思う? 司にちょっかいを出す女がいたって、それを無理やり引き離そうとするか? いや、しない。普通はしない。
そこそこ改め、かなりヤバイ女・秋野来華の〝大事なお願い〟を、〝ヒモ〟である俺が断れるわけがない。俺は黙って来華から詳しい話を聞いた。
司にまとわりつく〝悪い虫〟の名前は名取陽子。礼田市に住む中学二年生。血液型はAB型。好きな食べ物はケーキ。司の影響を受けて現在ブラックコーヒーに挑戦中。
二人の出会いはおよそ十日前。電車で学校へ向かう途中だった司は、タチの悪いサラリーマンに絡まれていた名取を見つけてそれを助けた。で、その時〝カッコイイセンパイ〟に一目惚れした名取は制服から司の通う高校を特定。放課後、校門前でじっと待ち、来華と共に学校を出てきた司に話しかけた。
司に話しかけた理由を当初、名取は「もう一度あのサラリーマンに絡まれるのが怖くて、頼りになる人と一緒にいたかったから」と語っていたという。それで来華も最初は名取を警戒していなかったらしいのだが、三日四日と日を重ねていくうちに、「司ともっと仲良くなりたい」という名取の本性が現れてきたのだとか。そんな純粋な思いを〝本性〟なんて呼び方していいのかはわからないが。
「……それで、お前はどうやってその名取とやらを司から引き離すつもりだ?」
「センセーとわたしがデートします。それで、そのデートにあの二人も誘います」
「……最後まで残らず説明してくれ」
「ニブい! わたしとセンセーがデートしてるところを見た司ちゃんは、心が締め付けられちゃうこと間違いないの! そうすれば、あの子ばっかりに目を向けていた自分の行動を反省するに決まってるの! わたしのところに戻って来てくれるに違いないの!」
想像する全てが自分に都合よすぎやしないかとは思ったが、言っても無駄だと思ったので止めにした。
ともあれデートをすることに決まって、その日の〝家庭教師〟は終了した。帰り際、「準備は全部こっちでやっておくから」と言って笑った来華の笑みは、今思い返しても恐ろしい。
〇
〝デート〟の当日。待ち合わせ場所に指定された石ノ森駅前で待っていると、まず司がやって来た。いつかのように腕ひしぎ十字固めをされては敵わないので、遠く距離を取ってから「おう」と挨拶すると、司は「安心しろ」と笑って俺を手招いた。
どうやらこちらを油断させるための笑顔ではないようで、警戒しつつも近づくと、司は「事情を知らないと思ったか?」と言って俺の肩に軽く拳をぶつけた。こうやって、〝甘噛み〟的に打撃を加えてくる時の司は機嫌がいいことを俺は知っている。つまりコイツはデートのことを知らない。
「コハナを祝うためなんだろう? 彼女はこの前の期末テストで一位を取ったからな。まあ、ヨーコを誘うのは想定外だったが」
「……なるほど。〝そういうこと〟にしたわけか」
「何か言ったか?」
「いや、なんでも」
そんな会話をする俺達へ、「あの」と声を掛けてくる少女がいた。紺色のブレザーの制服に、おとなしそうな顔つき。近くから見るのは初めてだが間違いない。司にまとわりつく〝悪い虫〟こと名取陽子である。
「来たな」と微笑む司に微笑みを返した名取は、俺の方を向き「名取陽子と申します」と丁寧に挨拶して、長い髪を揺らしながら静かに頭を下げた。出会うなり司に抱き着いた子と同じ人間だとは思えない落ち着きっぷりだ。
それから「本郷翔太朗だ」と手短な自己紹介をしているうちに来華がやって来て、俺達はすぐに電車へ乗り込んだ。
来華の説明によれば、今日の目的地は池袋にある『ニンジャタウン』。ニンジャのいる戦国時代風の街をコンセプトにした室内テーマパークで、各種ニンジャアトラクションや、センゴク飯なるものを出す飲食店などがある場所らしい。
「すっごく面白い場所なんだよ! みんな気に入ると思うな! ねっ、センセー!」
そう言いながら来華は俺の腕をぎゅっと抱き、頬をぴったりとくっつけた。司並びに名取含め、電車内の視線が一斉にこちらへ集まる。仲睦まじい男女に見えるんだろうが、お前ら決して勘違いはするな。いまコイツは見えないところで俺の二の腕をつねりながら、横目で司を観察しているんだ。
そして司、頼むからお前はむっとするなりなんなりしてくれ。父にじゃれつく娘を見るような慈愛に溢れる瞳で俺達を見るな。なんなら、「不埒なことを」なんて言いながら俺を殴ってくれたって構わない。その眼は止めろ。俺の二の腕をこれ以上内出血で青くするな。
そんな俺の思いが届くはずもなく、司は「仲がいいことだ」なんて呑気に言って笑い、名取は「ですね」とそれに応えて司の手に自らの手のひらをそっと重ね、そして俺の二の腕に掛けられる圧はますます強くなる。
女の嫉妬はヒーローじゃどうにもできない。
〇
現在時刻は午後の一時十五分。一通り『ニンジャタウン』のアトラクションを楽しんだ俺達は、昼食のためにパーク内にある『トノサマ』というレストランに入った。その名前からなんとなく、殿様気分になれるほど接客が丁寧なレストランなのかと想像していたのだがそうではなく、従業員が全員そろってちょんまげのカツラを被っているだけだから驚いた。
「しかし、アレはよかった」と司は、『江戸城かれぇ』なる牛肉をふんだんに使ったカレーを口に運びながら言う。
「〝シュリケンヒーロー!〟。あのアトラクションは反射神経を鍛えるにはうってつけだ。つい熱が入ってしまった」
「司さん、歴代最高得点を更新していましたものね」と応じるのは、司と同じく〝かれぇ〟を食べる名取である。
来華はこれに「でも、センセーもスゴかったよね!」と答え、トマトソースたっぷりの『安土バーガー』なるものをモグモグとかじる。
そこで司が「まあ、翔太朗にしてはよくやった方だろう」と言って笑いを誘い、三人の間には笑みが溢れた。
……さて、一見したところ何でもない風を装う来華であるが、当然の如く心中は未だなお穏やかでない。現に今も、片手でポテトを摘まみながら、もう片手で俺の二の腕をつねっている。朝から定期的につねられているせいで、痛いという感覚すら既にあやふやだ。
何が楽しくて俺は休日の朝から二の腕に幾つも青あざを作ってるんだと思いつつ、馬肉の入った『流鏑馬ラーメン』をつるつるすすっていると、来華が「ちょっと」と俺の腕を引いて席を立った。「一緒に来い」ということだろう。
嫌な感じは覚えつつも大人しくそれに従うと、レストランの奥まったところまで俺を引いた来華は、「あれ、見たでしょ?」と不機嫌そうに呟き、俺を睨んだ。
「あれってなんだよ」
「あの女に決まってるでしょ!」
「見てる。朝から見てる。でも、至っておとなしい普通の子だろ。別に司と引き離す必要は――」
「甘―いっ! 甘すぎっ! トロけるように甘々っ! あの眼は間違いなく司ちゃんを自分だけのものにしようとしてる子の眼なんだから!」
何の根拠があってここまでのことを言うのだろうか。頼むから、〝女の勘〟だなんて十年ほど気の早いことを言いだすなよと思いつつ、「何を根拠にそんなこと言うんだ」と訊ねると、来華は「女の勘って知らない?」と自信ありげに言った。
「とにかく、センセーには少しの間あの子を任せます」
そう言って来華は俺に背を向け、レストランの出口へ向かった。「どこ行くんだ」と訊ねると、来華は振り返らずに「お色直し」とだけ答えてそのまま消えた。
仕方なく席へ戻ると、何故か名取も消えている。どうしたのかと司に訊ねると、「乙女に席を立つ理由を聞くのは野暮なこと」だそうだ。その言い方だと、却ってトイレに行ったのだということが丸わかりである。
「それにしても、今日のコハナは一段と機嫌がいいな」
「……何を根拠にそんなこと言うんだ」
「見ればわかるさ。女の勘、と言い換えた方がいいかもしれんがな」
標高の低い胸を張った司は、的外れなことを自信ありげに言った。どいつもこいつも〝女の勘〟とは、高校生のクセして自分がもう立派な大人になったもんだとばかり思ってやがる。
「もっと成長してから言いやがれ」という言葉を流鏑馬ラーメンのスープと共に喉の奥へと流し込んでいると、司はふと怪訝な顔つきをして一点に視線を向けた。釣られてそちらを見てみれば、富士山とゲイシャが描かれたTシャツを恥ずかしげも無く着る観光客風の外国人の男が、ひとりで食事をしている。
「あれがどうかしたのか」と俺は声を潜めて司に訊ねた。
「……いや。妙だと思ってな。あの男は午前中も見かけたのだが、たしか三人の友人と共に回っていたはずだ」
「トイレに行ってるとかじゃないのか」
「だとしても、手荷物が席に残されていない。それに、あの男は目つきが妙だ。食事よりも周りに注意が向けられている」
「そりゃ、外人がちょんまげだらけのレストランに来たら周りに注意がいくだろ」
「店員にではなくて客にそれが向けられているんだ。とにかく、あの男は怪しい」
その時、外人の男が席を立ち、手早く会計を済ませて店を出た。それを横目で見送った司は、「会計は任せた」と言いながら席を立って男の後を追おうとする。
「おい待て。どうするつもりだ」
「あの男を調べる。何もなかったらすぐに戻るから安心して構わない」
「いや構う」と言いながら俺は司の腕を引いた。
「ヒーローの出番なんだろ? それなら、ひとりで追わせるわけにいくかよ」
「……翔太朗」
眉をひそめてそう呟いた後、司は嬉しそうに口角を上げた。
「知っているさ。私はもうひとりじゃない。あの頃と違ってな」
「いや、そういうことを言いたいわけじゃなくて――」
「丁度いい機会だ。翔太郎、貴様はあの二人を相手に淑女の扱い方を学ぶといい。無論、何かあればヒーローの出番だ。覚悟だけは決めておけ」
ウインクしながらそう言って、司は俺の腕を振りほどき、そのまま店を出て行った。
違うんだ。そうじゃないんだ。俺はそういう熱い展開を期待していたわけじゃなくて、司目当てでここまで来たあの二人と司抜きで行動を共にするのが嫌なだけなんだ。
俺は慌てて司の背中を追おうとしたが、席を立ったところで背後から掛けられた「どうされました?」という声がそれを許してくれなかった。振り返れば、不思議そうに小首を傾げる名取がいる。
「なんだか、司さんが慌ててお店を出て行かれたようですけど……」
「ああ、いや……実はな――」
「センセー! 司ちゃんがいまお店出て行ったみたいだけど、何かあったの?!」
前に視線を戻せば、そんなものどこで調達してきたのか、くノ一の衣装に着替えた来華がいる。なるほど、あれが〝お色直し〟らしい。あんなものに着替える意味はまったくわからないが。
前からも後ろからも、「司ちゃんは」「司さんは」と〝司病〟を拗らせた人間ふたりが迫ってきている。早いところ弁解をしなければ面倒なことになるのはわかっていたが、かと言って本当のことを言えるわけもないため、「いやそれがだな」なんて言葉を濁しつつ辺りを見回し、言い訳のタネを探していると、たまたま店内に貼られたチラシが目についた。
『タウンにちらばる六つのナゾに答えて、ニンジャの秘宝・マキビシリングを手に入れよう!』
――あれだ。あれしかない。
俺はとっさにチラシを指差し、口からでまかせを並べる。
「司は〝マキビシリング〟を手に入れに行った。あのチラシを見た瞬間、目の色変えて出て行ったから間違いない」
「ウソだっ!」と来華は俺に詰め寄ってくる。俺は負けじと「ウソじゃない」と言い返す。苦しい言い訳なのは重々承知だが、始めてしまった以上はこれで通す他にない。
「なんで司ちゃんがあんなもの欲しがるのさ!」
「アイツ、こういうところに友達と来るのは初めてみたいでな。みんなで来た記念に欲しいとかじゃないか?」
「だったらなんでひとりで行ったの! みんなで行った方が楽しいじゃん!」
「いや、その、ホラ、アレだ」と言い訳に詰まる俺の頭は、だんだんと諦めと自棄が支配的になってくる。こうなるともうダメだ。何をしようにもバカらしさが勝って、何もしたくなくなる。「どうにでもなりやがれ」と心中で呟いた俺は、噓八百に噓八百を積み重ねた。
「これは口止めされてたんだけどな、あのリングをお前達へのプレゼントにしたいんだとよ。だからひとりで行ったんだ。わかるだろ?」
俺の嘘千六百を大真面目な顔で受け止めた来華は、ふと何かを考えこむように両手の人差し指を左右のこめかみに当てると、「そっか」と呟いて笑みを浮かべた。何が「そっか」なのかはわからないが、何か嫌な予感はする。
「……センセー、わたしちょっと用があるから。陽子ちゃんをお願いしていいかな?」
俺が返事を返す前に、来華の足は既に『トノサマ』の外に向かって進んでいる。あれはもう止まらない。すでに開き直っていた俺は「気を付けろよ」と返し、どっかりと席に座り込んで腕を組み、「お前はいいのか?」と名取に訊ねた。
「いい、というのは?」
「司がいないと暇だろ。追いかけてもいいんだぞ」
「ああ、それなら別にいいんです。司さんが〝リング〟とやらを手に入れに行ったわけではないというのはわかっていますから」
さらりとそう言いのけた名取は静々と席へ座ると、食器を片付けに来た店員にブラックコーヒーを注文した。
「さあ、のんびりと待ちましょう。翔太朗さんとはお話したいこともありましたし」
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