キル・ビル その1
月に一度の短編投稿。
二万文字ほどあるので三つに分けて投稿します。
今回は来華と司のお話です。
…………私から説明することは何もない。
○
何てことのない、いつもの日。いつものように秋野邸へ来た俺は、いつものように来華の部屋へ通され、いつものように〝給料ドロボー〟、あるいは〝女子高生のヒモ〟、などと揶揄されても一切反論出来ない、役に立つことは何一つとして教えない家庭教師としての職務を全うする――。
日々変わることのないルーチンワーク。しかしここ数日は、その「いつものように」が崩れていた。その原因は来華の機嫌にある。
いつもであれば俺と雑談をかわしながらも勉強だけはきちんとする来華であるが、ここ最近は机に向かうどころか、ベッドに寝転がったまま天井を見上げてじっと動かない日々が続いている。学校にはきちんと通っており、体調的にもなんら問題はないため、つまりあれは本人のやる気がないだけのことだ。
もちろん「どうした」とか「大丈夫か」とか何度も声を掛けているのだが、空返事が返ってくるばかりで張り合いが無い。ゆえに現状、向こうがアクションを起こすのを待つ以外に選択肢はない。
ここ最近の俺は、適当に座布団を敷いてそこへ座り、動かない来華をじっと眺める作業に従事している。女子高生をひたすら眺めるだけで金が貰えるというこの状況は、ある意味ではいつもの仕事内容とほとんど変わりないかもしれないが、ますます給料ドロボー感が増した気がしなくもない。
夏のパンダのように動かない女子高生の観察を続けて五日目。その日も無意味な時間が三十分ほど過ぎ、今日またもこの状態が続くのだろうかと思われたその時――来華が動いた。
来華は「センセー」と声を上げ、半身を起こして俺を見る。その表情からはいつもの明るい笑みが消えており、まったくの〝無〟そのものである。女というのは本気の本気でキレた時、たいていあのような顔をすることを俺は知っている。
つまり来華はキレている。下手な言葉は掛けられん。
「ようやくお目覚めか」と俺はいつもの調子を装って言った。
「うん。聞きたいことがあって」
「ああ、なんだって聞け」
「センセー、司ちゃんと最近会った?」
「ああ、会ったぞ」
「司ちゃん、なにか変わったことはなかった? そわそわしてるとか」
「いや、いつも通りだ」
「そう」
そう言って来華は再びベッドに倒れ込んだ。結局その日、俺達はそれ以上の言葉を交わすことはなかった
その日の夜になって。いつものように比衣呂市内の見回りをするべく準備を進めていると、いつものように「邪魔するぞ」と言いながら司が玄関扉を開けて現れた。先の件があったので、俺は「おう」と答えつつそれとなく司を見てみたが、特に変わった様子は見受けられない。いったい何があったのだろうか。
やがて俺の視線に気づいた司が、訝しげな表情で「どうした」と言ってきた。
「翔太郎、私の顔に何かついているか?」
こうなるとコイツの場合は隠さず話した方が楽だ。だから俺は単刀直入に、「来華と何かあったのか?」と訊ねた。
「何かとはなんだ?」
「だから、喧嘩とか。アイツ、最近メチャクチャ機嫌悪いんだ」
「いや、特に心当たりはない。今日だって学校では昼食を共にしている」と答える司は困惑の表情を浮かべている。どうやら本当に身に覚えが無いらしい。それなら来華の不機嫌の原因は別のところにあるのだろう。
「……悪かったな。俺の勘違いだ」
「構わん。誰にだって間違いはあるものだ」
そう答えた司はファントムハートへ変身するべく、スタスタと脱衣所へ向かっていった。
そしてその日もいつもの夜が始まった。
きっと来華もそのうち機嫌を直すことだろうと俺は思った。
○
「――お嬢ちゃんがなにかしたわね」
来華の不機嫌の原因について、そう断言したのは愛宕である。
翌日のこと。スーツのメンテナンスのために立ち寄ったマスクドライドで、話のタネに何気なく来華の機嫌が悪かった一件を愛宕に話すと、開口一番そう断言されたものだから驚いた。
「でも、司は何もやってないって言ってたぞ」
「あの子が自分でやってることに気づいてないだけ。そんなこともわからないわけ?」
わからない。というよりもわかるわけがない。そもそも、なんで来華に会ったこともない愛宕がそんなことをわかるのかという話である。
そういう疑問を投げかけてみると、愛宕は「女の勘よ」なんてもっともらしい答えを床に叩きつけると共に、頬を膨らまして紫煙を吹き上げた。来華の話が琴線に触れてよほど腹が立ったと見える。
「とにかく、お嬢ちゃんがその来華ちゃんっていう子に何かをやった。というよりも、今も継続してその〝何か〟を続けている。来華ちゃんはとにかくそれが気にくわない、いらつく、腹立たしい。まったくアンタ、そんなこともわからなくてよくヒーローなんてやってられるわね。ああイラつく。ふたりの関係をどうにかしてあげようとは思わないの? アンタ、来華ちゃんの家庭教師で、お嬢ちゃんの相棒なんでしょ?」
一度の息継ぎを挟むだけでそこまで言い切った愛宕は、煙草の先端を俺の顔前に近づける。その勢いと熱量に負けた俺はつい「わかった」と返事をしたが、どうにかする方法なんてものを思いつくわけがない。そもそも、友人同士の問題なんだから、俺が首を突っ込んだ結果、余計にこじれる恐れだってあるんだ。
しかし愛宕は俺の心の叫びなんて当然知らぬ顔である。それどころか、ふいに「決めたわ」と声を上げ、吸いかけの煙草を灰皿に押しつけてカウンターから飛び出した。
「おい、急にどうしたってんだ」
「善は急げ。お嬢ちゃんを探りに行きましょう。翔太郎、たしかお嬢ちゃんの通う高校って石ノ森女子高だったわよね?」
「そうだけど……店番はどうするんだよ。まだ開店して一時間くらいだろ」
「こんな店より大事なものがあるの」
なんでお前はそこまでやる気なんだよ。という言葉は、喉に引っかかったまま吐き出すことも出来ずに胃の奥まで飲み込まれた。
悪い、八兵衛。店は臨時休業にでもしてくれ。俺はコイツを止められない。
○
マスクドライドを出発した俺は、愛宕の運転するワゴン車に乗って来華の通う石ノ森女子高校まで向かった。そもそも高校まで向かったからと言って敷地内に入れるわけがない。なんたってあの高校は県内屈指の名門女子高。校門には最低でも二人の警備員が立っているし、たとえそれをどうにかしたとしても、部外者である俺達が易々と校内をうろつけるわけがない。とすれば、愛宕はいったいどうしようというのか。
俺の心配を感じ取ったのか、ハンドルを握る愛宕は運転席から「大丈夫よ」と声を掛けてきた。
「翔太郎じゃないんだから、策も無しに飛び出すわけないでしょ。安心しなさい」
「お前の中で俺ってどういうイメージなんだ?」
「猪突猛進馬鹿」
「……わかったよ。じゃ、その〝猪突猛進バカ〟にもわかるように作戦を説明してくれ」
「行けばわかる。アンタは黙ってればいいの」
どうしてコイツがここまで強気なのかは知らないが、ここまで来てしまった手前、引き返すわけにもいかない。もうどうにでもなれ。こうなりゃ押し入りでも討ち入りでもなんでもやってやると、自棄の覚悟を決めつつ揺られていると、やがて石ノ森高付近の駐車場でワゴン車は停まった。
「出なさい」と言われるまま車を出て、高校までの道を愛宕と並んで歩く。――と、ふいに愛宕が俺に腕を絡めてきた。「なにすんだ」と俺は腕をふりほどいたが、愛宕は平然とした顔で「我慢してよ」と言って再び両腕をしっかり絡める。こんなの、押し入りよりも予想外だ。
「せめて俺は何をすればいいのかくらい教えたらどうだ?」
「どうせイヤだって言うんだから絶対ダメ」
「人がイヤだって言うってわかってることをやらせるってのか?」
「そうよ。悪い?」
そうこうしているうちに俺達は校門の前までやってきた。二人の警備員が誰の侵入も許さないよう、阿吽像のように立っている。「笑いなさい」と俺の耳元で命令を囁いた愛宕は、「普段働いてる時もそれくらいやれよ」と言ってやりたくなるような満面の笑みを浮かべ、警備員に「どうもー」と気安げに声を掛けた。身の毛もよだつ猫撫で声だ。
「何のご用でしょう」と答える警備員は笑顔であるものの、警戒は解かずにいるのが身にまとう空気からわかる。
「この高校に安藤先生ってまだいらっしゃいますか? 国語を教えている先生なんですけど」
「ええ。まだ在職しておりますが何か?」
「わたし、この高校のOGなんです。それで、今度この人と結婚することになったんですけど、学生時代にお世話になった安藤先生に是非ともご挨拶したいなって」
そう言って愛宕は俺の腕に頬ずりした。慌てたのは俺だ。これが愛宕の言っていた〝策〟だということはすぐに理解出来たが、背中がむずかゆくてしょうがない。確かに事前に知らされていたら、「イヤだ」と言っていたことだろう。
「内線か何かで確認して頂けません? 六年前の卒業生の、愛宕愛乃が結婚報告のために会いに来たって言えば、すぐにわかるはずですから」
警備員は訝しげな表情でこちらを見つつ、「では連絡してみましょう」と言って、校門を抜けてすぐのところにある受付へと向かった。ひとり残された警備員は遠巻きに俺達を見張っている。
俺は警備員にこれ以上怪しまれないように渾身の笑みを浮かべつつ、小さな声で愛宕に訊ねた。
「……それで、あんな嘘並べてこれからどうするつもりだ」
「大丈夫よ。ここの卒業生ってことと、安藤先生と知り合いってことは本当だから」
「……冗談だろ? ここ、いわゆるお嬢様高校だぞ」
「何よ。アタシがお嬢様じゃいけない?」
お前はお嬢様というよりも歌舞伎町当たりの女王様だろうという言葉をぐっと堪え、それから待つことおよそ五分。連絡に行った警備員と共に校門までやってきたのは、長い髪を後ろでまとめた、いかにも気の強そうな顔の女性である。どうやらあれが安藤先生らしい。色気のある目元のしわを見るに歳は四十ほどだろうか。
「安藤先生!」と嬉しそうな声を上げた愛宕は、俺の腕を引きながら彼女に歩み寄った。「やっほー」と気さくな挨拶でそれに応じた彼女は、近づいてきた愛宕の髪をくしゃくしゃと撫でる。いつものような無愛想の権化・愛宕ならば「さわらないで」とはねのけるのは間違いないだろうに、今日の愛宕はそんな素振りを見せない。どうした。悪いものでも食ったのか。
静かに動揺する俺を余所に、愛宕と安藤先生は楽しげに会話している。
「まさか愛宕がこんなに早く結婚なんてね。思ってもみなかったわ」
「わたしも思ってなかったです。〝運命の人〟がこんなに早く見つかるなんて」
「運命の人、ね。そんな台詞、アタシも言ってみたいわ」
「先生はまだご結婚なさらないんですか?」
「イイ男がいないの。昔っから近寄ってくるのは、どれもこれも腰砕けの軟弱野郎ばっかりよ」
「先生からしてみれば、たいていの殿方は腰抜けで軟弱ですよ」
「だったら結婚なんてする意味ないわね。愛する女ひとり護れないような男と結婚なんて考えられないわ」
「でしたら、是非ともわたしたちの結婚式で相手を見つけてください。彼、人を護る仕事をしてますから。先生のお眼鏡に適う方もきっと来ますよ」
「あら、それは楽しみね」
そう言うと安藤先生は俺を値踏みするように見て、それからニコリと微笑んだ。
「期待してるわよ、ヒーローくん」
俺が一応「ええ」と答えると、先生は「そういえば授業中だったわ」と言ってこちらへ背を向け校舎の方へと早足で歩き出した。慌ててそれを追いかけた愛宕は「先生!」と呼びかける。
「あ、あの。久しぶりに校舎を見学したいなって思うんですけど、いいですか?」
「構わないわよ。許可ならアタシが出しとくから好きにしなさい」
安藤先生の満足そうな背中をその場で見送った愛宕は、フッと息を吐きながら前髪をくしゃりとかきあげ、それからいつも通りの不機嫌な視線を俺に向けた。
「何よ? なんか文句ある?」
○
石ノ森女子高校に無事侵入した俺は、愛宕の案内に従ってまず西棟校舎一階を歩き回った。曰く、一年生の教室は全てそこにあるらしい。さすがの卒業生というだけあって校内の間取りには詳しいようだ。ここまできても、未だにわかに信じられないが。
授業中ということもあって、校内は至って静かである。しかしこれが休み時間となれば、イヤになるくらいうるさくなるのだろう。何せ、いくら〝お嬢様〟と頭につこうがここは女子高。姦しいどころでは済まない騒ぎになるに決まっている。
西棟の廊下を歩く最中、ふと愛宕が足を止めた。「どうした」と訊ねると、愛宕は「あれよ」と言って窓の外を指す。見れば、ジャージ姿の生徒達が校庭でサッカーをやっており、その中には司の姿もある。
「それで、翔太郎が言ってた来華ちゃんっていうのはどれ?」
辺りを見回した俺は、司とは反対側のコートで試合をしている来華の姿を見つけ、「あれだ」と指さした。
「へえ、可愛らしい子じゃない。手、出してないでしょうね」
「……ひと言余計だ」
「冗談よ」
その時、校庭から黄色い声が上がるのが聞こえた。何事かと思い見れば、司がボールを持ってひとり敵陣へドリブルを仕掛けている最中である。次々と向かってくる相手選手を軽くかわし、ゴールまで残り20mというところまで迫った司は、その距離から右足を振り抜き直接ゴールの隅に叩き込んだ。相手はただの女子高生なんだからもっと手加減してやればいいのに、大人げない奴だ。
司のスーパーゴールにあちこちから歓声が上がる。中には司に駆け寄り抱きつく生徒までいる。たいした人気だと思いつつ見ていると、それはなんと来華である。お前、自分の試合はどうしたんだ。
「……司が何かやったっていうのは、どうやら愛宕の勘違いみたいだな。喧嘩してる相手にあんな風に抱きつくか?」
「ダメね、翔太郎。だからアンタはダメなの」
愛宕は俺の額を人差し指で弾いた。
「女の子っていうのは、アンタが思ってるよりずっと複雑なものなの。いい機会なんだから勉強しなさい」
〇
それから俺達は司と来華の様子をバレないように遠目から観察し続けたが、特段変わった様子は見受けられなかった。昼休みには他の友人も加えて仲睦まじく喋っていたし、やはり二人が喧嘩をしていると考えるのには無理があると思われた。
しかし愛宕は諦めない。「絶対何かあるはずよ」と言って中々帰ろうとしない。そうこうしているうちに放課後が近くなる。こうなるともう校内にはいられず、もう一度安藤先生に挨拶してから学校を出たが、愛宕は車を校門が見えるところに車を止めると、そこで腕を組んでじっと何かを待ち始めた。
「なあ、愛宕」
「何よ」
「帰っていいか」
「ダメ。もう少しだけ待ちなさい」
「何があるっていうんだよ、これ以上」
「心当たりがあるの。もしこれでダメだったら諦めるわ」
「……その〝心当たり〟はいつ来るんだ?」
「今よ」
愛宕は窓の外を指さす。指された方を見れば、おとなしそうな顔つきをした、背の高いひとりの少女が校門の近くでじっと立っている。ブレザーの制服を着ているところを見るに、どこか別の学校の生徒だろう。「なんだよあれ」と訊ねると、愛宕は「見てればわかるわ」と答えた。
やがて放課後のチャイムが鳴り、校門から石ノ森女子高の生徒が次々と出てくる。少女は立ったまま動かない。
しばらくすると司が校門から出てきた。すると今までじっと動かなかった少女が突然走り出し司に近づくと、勢いそのまま抱き着いた。それだけでも驚くというのに、司がさほど動じる様子も無くそれを受け入れるのだからなおさら驚いた。なんだアレは。アイツの日常はどうなってるんだ。
言葉を失う俺を余所に、平然とした愛宕は「やっぱりね」なんて言って皮肉っぽく笑う。
「どういうことだよ。俺にもわかるように説明しろ」
「黙って見てればわかるわ」
言われた通りに黙って見ていると、司は突然抱き着いてきた少女の手を引いて歩き出した。二人が少し歩いたところで校門から出てきたのが来華である。だんだんと遠くなる二人の背中を恨めしそうにしばし眺めた来華は、二人とは反対方向に歩き出した。
「これでわかったでしょ?」
「いや、わからん」
「……クソニブくなくちゃヒーローになれない法律でもあるの?」
「待てよ。わかってる。突然、司大好き人間が現れて、〝元祖・司大好き人間〟の来華がそれを気に食わないってことはわかってる。でも、こっちから言わせりゃ司と一番仲がいいのは間違いなく来華だ。気にすることなんて何もないだろ」
「本人がそう思ってないんだから仕方ないじゃないの」
懐から取り出した咥えた愛宕は、小さく笑って息を吐いた。
「女の子って、一回あぁなるとどうしようもないのよ。どうしたものかしらね、まったく」
〇
その日の夕方、秋野邸にて。来華の部屋の扉を開けた俺は、ベッドに五体を放り投げる来華へ「今日もその恰好か」と言った。「うん」と気のない返事をする来華は、相変わらずの無表情で天井を眺めている。
「気分はどうだ」
「元気だよ。すっごい元気」
「……そうかよ。そりゃよかった」
俺はベッドの端に腰掛け、深く息を吐いた。女の友情に首突っ込むのも野暮かと思われたが、原因を知った以上、来華をこのまま落ち込ませておくのも忍びない。猪突猛進バカにしか出来ないことをやってやる。
「来華、話がある。大事な話だ」
「うん」
「今日、たまたま司が見たことの無いヤツと歩いてるところを見かけてな。よくわからないけど、お前の機嫌がよくないのにはそれと関係あるのか?」
「……うん」
「だったら話は簡単だ。そんなの気にすんな。司にとって、間違いなくお前は一番の友達だ」
もう一度「うん」と言った来華は、身体を起こして俺の背中に額をぶつけた。
「……ねえ、センセー。大事なお願いがあるの」
「ああ、なんだって言え。お前がまたヘラヘラ笑えるようになるためなら力になってやる」
「……あの女を司ちゃんから引き離すのを手伝って」
「…………は?」




