エピローグ ラブ・アクチュアリー
中学生の頃までは、クリスマスよりクリスマスイブの方が盛り上がるのが不思議だった。その理由をなんとなく理解したのは高校生に上がるころ。大抵のカップルは、イブの夜から本番の朝になるまでの時間を、ふたり一緒にたっぷり〝愉しむ〟。……つまりはそういうことだ。きっと草葉の陰でキリストも泣いているに違いない。
さて、その日は十二月二十五日。既に祭りのあと感が漂うクリスマス本番の夕方五時過ぎである。なんの冗談か昨日の夜更けから細かい雪が降り続いているせいで、外に一歩出れば凍えるように寒い。「ホワイトクリスマスだ」なんて浮かれるアホが大勢いるが、そもそもこれだけ寒ければ吐く息が白くなるのだから、何もしなくてもホワイトクリスマスのはずだ。騒ぎたいなら毎年騒げ。
昨日の夜が猛烈に寒くて忙しかったせいで、精神がかなり荒んでいる。今日の夜も忙しいのだろうと考えればなおさらである。「外に出ている奴ら全員滑ってこけろ」と念じつつ、インスタントコーヒーを飲んで仕事に備えていると、チャイムと同時に玄関扉が開いて司が部屋までやって来た。返事を待たずに入るようでは、チャイムを鳴らす意味は無い。
「まだ雪が降っている。徐々に積もってきているようだぞ」
冷たい空気と共にリビングに流れ込んできたのは聞きたくなかった報告である。俺は「やってられねえな」と呟き、天井を見上げた。
「ああ、そうだ。だから貴様は少し休んでいろ」
「休めるかよ、ただでさえこんなクソ忙しい時期に」
「いいや、休め。そして、テンドウ先輩からの誘いを受けるべきだ」
司の言った〝誘い〟とは何か。説明しよう。
――先日、天道から俺の元へと連絡が入った。自分に出来ることをこれから探していくこと。進路先を変更して、大学で心理学を学び、カウンセラーを目指そうかと考えているということ。過去に囚われないために、兄の部屋を手放そうと考えていることなどを元気そうな声で報告してくれたので、俺は心底安心した。色々あったにせよ、前に進み始めてくれたのなら何よりだ。
『カウンセラーになったら、翔太朗さんの口調を真似しようと思うんです。〝お前が決めたことだ。だったらオレは最後まで応援する〟……って、結構話題になると思いません?』
それだけは勘弁して欲しい。というか、そんなことを言った覚えはない。今後、天道の前では口調を丁寧にする必要があるかもしれない。
そんなことを考えているところに飛んできたのが、例の〝誘い〟である。
『……あの、翔太朗さん。クリスマスの夜、もしお暇でしたら食事でもどうですか? その、いろいろとご迷惑をお掛けしてしまったお詫びも兼ねて……』
高校生女子とクリスマスの夜に食事というのは、倫理的に相当まずい。警察に見られれば職質は免れない。いや、それだけならばまだいいが、未成年との交遊をしていた男が実はヒーローだなんてことが公に晒されてしまえば……待っているのはクビ。斬首。打ち切り獄門。スパッと斬られてハイさよなら。
となれば答えは決まっている。俺は「予定があるんだ」と言ってその誘いをきっぱりと断った。元より、夜から仕事があるので断らざるを得なかったわけだが。
「……それにしても、なんでお前がそれ知ってるんだよ」
「彼女から直接話を聞いた」
司は無暗に胸を張り、鼻から息を吹き出した。
「ほら、さっさと彼女に連絡を入れろ。この前は断って悪かったと。やっぱり、一緒に食事でもどうだと。もちろん金はこちらが出すと。そう言え」
「嫌なこった。だいたい、これから仕事だろ。そんなことしてる暇あるかよ」
「犯罪の〝ゴールデンタイム〟に突入する夜の九時までに見回りに合流して貰えれば問題あるまい。さあ、早くしないか」
「嫌なものは嫌だ。世間一般的にフリーターの俺が女子高生とクリスマスの夜に食事してるところを知り合いに見られでもしてみろ。犯罪者扱いだぞ」
「なるほど。……時に、翔太朗。働き方改革はどうした?」
司の言葉を聞いた瞬間、俺は顔から血の気が引いていくのを感じた。そういえば、今週はまだ〝タマフクロー〟に休みを取らせていない。忙しさにかまけてすっかり忘れていた。
「もしも私が市に貴様の超過労働を報告すれば、〝タマフクロー〟はただでは済むまい。そうなると大変なのは貴様だ。食い扶持も、家も、全て失うぞ」
とんだ労働環境改善テロリストだ。こうなると、胸にナイフを向けられているのと同じである。抵抗はするだけ無駄……というよりも、出来るわけがない。寒い日々が続くこれから、外に放り出されてたまるものか。冷や汗が背中に伝わるのを感じながら、俺は「要求はなんだ」と恐る恐る訊ねる。
「なに、簡単なことさ。彼女に連絡してすぐに食事に誘え。もし出来なければ――」
「……出来なければ?」
「文字通り、路頭に迷え」
意思決定権は既に手元にない。がっくりうなだれた俺はポケットにしまっていた携帯を取り出し、天道の番号をプッシュする。通話はすぐに繋がって、『もしもし』という声が聞こえてくる。
「別の予定が入った」とかいう返事は返ってこないだろうか。いや、そうじゃなくてもいいからせめて、ふたりでいる時には知り合いとか警察には会わずに済んで欲しい。
クリスマスなんだから、その程度の奇跡くらい起こりやがれ。
これにて2章終了です。説明が少ないこともあってか、1章に比べてかなり短くまとまってしましましたね。
色々とあるため、長編の更新はしばらくお休みになりますが、2万から3万文字程度の短編はちょこちょこと更新していくつもりです。今回では少し影の薄かった司や八兵衛辺りを活躍させたいですね。
間隔の空いた仮面ライダーを見るような気持ちでお付き合い頂けると幸いです。
ではまた。




