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月給24万円でヒーローやってるけど色々しんどい  作者: シラサキケージロウ
第2章 第4話 ウィンター・ソルジャー
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第4話 ウィンター・ソルジャー その2

 比衣呂市内に流れる洗田井川のすぐそばにある、強い風が吹けば崩れ落ちてしまいそうな廃倉庫。そこが、わたしたち〝バランサー〟の秘密基地です。何度か来たことがありますが、ひとりでここに来るのは初めてのことでした。


 橋を飛び降り川へと逃げたわたしは、下水道を使ってなんとかここまで辿り着きました。外から見れば錆びた倉庫ですが、中には大きなストーブや非常用食料なんかもあるので、隠れるにはもってこいの場所です。


 ストーブの前にしばらくいたおかげで、濡れていた服はなんとか乾きました。ひびの入った窓から差し込む月の光があるばかりの暗い庫内で、わたしは音を出さないようにチョコビスケットをかじりながらこれからのことを考えました。


 翔太朗さんに顔を見られてしまった以上、もう自分の家には戻れません。きっと、警察にも通報されているでしょう。やっぱりわたしには、進むしか道は残されていないようです。


 マスクは壊されてしまいましたが、スーツはまだ問題なく動きます。川に落ちた衝撃のせいで身体はあちこち痛みますが……兄の受けた痛みに比べれば、たいしたことはありません。明日からは問題なく動けるでしょう。しかしその前に、まずあの人に連絡しなければいけません。あの人から、アージェンナイトの行く場所を聞かなければ。


 その時のことです。


 錆びた扉が動く、ギギという嫌な音が庫内に響き渡りました。それと共に中に入ってきたふたつの人影のうちひとつは、橋の上でわたしを返り討ちにした、ドクロめいたマスクを被る危なげな方。そしてもうひとつは、夜の街にひとりでいたわたしに声を掛けてくれたヒーローでした。


 きっと、あの人たちはアージェンナイトの手下なんでしょう。わたしは急いでスーツを着ます。


「近寄らないでください。今度は本気を出します」


「落ち着いてください」となだめるように、ドクロの方が言います。


「私達は貴女に危害を加えるために来たわけではない」


「そんな言葉を真に受けると思いますか?」


「お前の言うことはわかる。でも、本当だ」


 ヒーローの方がそう言って、自分のマスクに手を掛けます。その下から現れた顔は――翔太朗さんでした。まさか、あの人までヒーローだったなんて。……でも、わたしのやることは変わりません。誰が止めにこようとも。


 マスクを投げ捨てこちらへ歩み寄る翔太朗さんへ、わたしは「近寄ると痛いですよ」と警告しました。


「痛いのは嫌だな。でも、近寄らないと話が出来ないだろ?」


「話をするつもりなんてありませんから。わたしは、あの人に復讐するんです」


「そうか。でも止めとけ」


 いつの間にかわたしたちの距離は1mも無いところまで詰まっていました。わたしは「止めません」と断言して、翔太朗さんの身体を力いっぱい押しました。それだけなのに彼の身体は勢いよく飛んで、床を転がっていきます。


「諦めてください。わたしは本気なんです」


「そうかよ」と言いながら立ち上がった翔太朗さんは、再びわたしに歩み寄ってきます。ドクロの方の引き止める声も聴きません。


「そんなに飛ばされたいんですか?」


「いや、お前を止めたいだけだ。こんなこと止めろ、今すぐに」


 近づいてきた翔太朗さんをわたしはまた突き飛ばします。床を転がり壁にぶつかった彼は、またゆっくり立ち上がり、わたしを目指して歩き始めます。わたしはそんな彼の真っ直ぐな瞳を見ていることが出来なくなって、つい視線を下に向けてしまいました。


「俺を見ろよ、天道。下を向いてないで、俺を見ろ」


 顔を上げなくても翔太朗さんが目の前まで来たのはわかったため、わたしは反射的に手のひらを突き出します。彼の身体が飛んでいくのは視界の端に映りました。


「翔太朗、もう止めろ! 死ぬぞ!」


「平気だ」


 また足音がこちらへ近づいてきます。相変わらず視線を伏せたままのわたしの目の前に、翔太朗さんが立ちます。


 なんで――なんであなたは――。


「なんで……なんであなたはわたしを止めようとするんですか! わたしの兄はあの男に殺されたも同然なんです! わたしは復讐をしたいんです! なんでわかってくれないんですか!」


「わかんないわけじゃねえよ。そもそも、復讐なんて人の勝手だ。止めるつもりなんて無い」


「なら……なら、なんでっ!」


「うるせえ」


 わたしの顔に翔太朗さんの手が伸びます。言葉遣いとは裏腹にわたしの頬を優しく包んだ彼の両手は、下を向いていた顔をそっと自分の方へと向けさせました。


「天道が泣くのが悪いんだろ。泣いてる奴を放っておかないのが俺の仕事なんだよ」


 わたしのせいで擦り傷だらけになった翔太朗さんの顔は――いつか喫茶店で見せてくれた、ひょっとこのような、歌舞伎のような、ヘンテコな顔になっていました。


 先ほどからわたしの頬を伝っていた涙に温度が戻り、翔太朗さんの指がそれを拭ってくれました。





 身体の内側で何かが暴れているように全身が酷く痛む。手足に力が入らない。このまま後ろに倒れて、ここで寝てしまえばどれだけ楽なことだろうか。


 しかし、そんなことを許されないのがヒーローである。俺達は一般市民の前で倒れるわけにはいかない。……ましてや、胸に顔を埋められて涙を流されている最中ならばなおさらだ。


 俺の胸には、子どものように声を上げて泣きじゃくりながら「ごめんなさい」と繰り返す天道がいる。「こういう時は抱きしめてやるものだ」と司は俺の耳元でささやいたが、そういうわけにもいかないので、天道の頭をひたすら撫でてその代わりとしている。結婚相手もいないというのに、俺はいたずらをした娘をなだめる父親の気持ちをなんとなく理解した。


 涙が床に落ちるたび、天道の身体から少しずつスーツが剥がれていく。役目を終えたスーツは自ら変形し、ジュラルミンケースへと姿を変える。


 五分ほど待つと天道はようやく泣き止んで、最後の「ごめんなさい」を呟いた。


「いいんだ。行くぞ」


 そう言って俺は天道の手を引き歩み出したものの、やはり足元がおぼつかず転びそうになる。そんな俺を前から支えたのが司だった。


「まったく。いつものことながら、貴様はつくづく無茶をするな」


「そういう仕事だからな」


「……そう言えば済むと思うなよ」


 司と天道のふたりに両肩を支えられながら足を踏み出して、一歩、また一歩と慎重に歩く。歩く振動が伝わるだけで全身が痛くてしょうがない。明日の仕事は休みにしたいところだが……そうはいかない。しばらくは痛み止めに頼る生活が続きそうだ。


 ――突如として庫内に大きな拍手が反響したのは、倉庫の出口辺りまで来た時のことだ。咄嗟に振り返ると人影がひとつ、こちらへゆっくりと歩み寄ってきている。


「これはこれは、素晴らしいものを見せて頂きありがとうございます。本郷さんに一文字さん……いや、〝タマフクロー〟と〝ファントムハート〟、そう呼んだ方がよろしいですか?」


 月明かりに照らされる不気味な笑顔の持ち主は――百白のマネージャー、加賀美だった。精神的優位に立った奴特有の、憐れみとも蔑みとも取れるその視線が腹立たしい。


「……なるほど。貴様が全て糸を引いていたならば納得だ。モモシロのスケジュールはおろか、奴の実家の住所も、奴がひいきにしているレストランだって、貴様ならば知っていて当然だからな」


「それに、スーツだって被害者のふりをして楽に盗める」と加賀美は自ら補足する。


「ふざけた男だ。自ら罪を認めるとは」


「天道さんが貴方達に保護されれば、あとは遅いか早いかの違いですから。それなら、早く出てきてしまった方がいいでしょう?」


「答えろ、カガミ。何故このようなことをした?」


「つまらない理由ですよ。私の場合は、ただの成功者に対する僻みです」


 加賀美は開き直ったようにそう言って鼻で笑う。


「この仕事に就く前まで、私はヒーローをやっていましてね。実力はそれなりにあったとは思うのですが、売れることは叶わず、数年で辞めてしまいました。だから、百白のような売れたヒーローを見るとどうしても腹立たしくて堪らない。高く伸びた鼻をへし折って、蹴落としてやりたくなるんです」


 なるほどアイツは、救いようの無いクソ野郎だ。拳を握りしめた俺は、「もういい」と加賀美の言葉を遮った。


「そんなことを話しにきたわけじゃないんだろ? 早く本題に入れ」


「話が早くて助かりますよ、本郷さん。さすが、正義の味方だ」


 両手を上げて半ばふざけたような降参のポーズを取った加賀美は、余裕の笑みを崩さないままさらに続ける。


「こうなってしまった以上、私は終わりだ。だから本郷さん、私は貴方の持っている〝百白の急所〟が欲しいんですよ。貴方のような無名ヒーローに、アージェンナイトが圧倒的に負けたあの映像。アレがあれば百白は、一生私の意のままに動く。食うに困らない人生が送れる」


「断る。だいたいあんな映像、とっくの昔に消去して残ってねえよ」


「そうですか。……ならば、断れないようにして差し上げましょう」


 そう言うと加賀美は足元に手を伸ばし、ジュラルミンケースを軽そうに持ち上げる。悪辣な笑みで歪んだ唇から呟かれる「変身」という言葉を合図に、蒼い装甲が展開されて加賀美の身体の顔以外を覆っていく。〝正義の味方〟の完成までは、ほんの一瞬のことだった。


 その姿を見た俺が小さく息を吐いたのは、ある意味で安心したからだ。


 ――ああ、これでアイツを思う存分に殴り飛ばせる。


 何も言わないまま俺の身体を天道に任せ、加賀美に向かって歩み出した司を片手で制す。すぐに返ってきた「無茶だぞ」という冷静な意見に、俺は「わかってる」と答えて頷く。


「でも、これは俺の喧嘩にさせてくれ」


「何故だ。プライドで人は護れないのだろう?」


「そりゃそうだ。けど、二対一でボコボコじゃ、見てる天道の教育に悪い」


「……勝手にしろ」


 吐き捨てるようにそう言った司は、天道を俺の腕から無理やり引き離して連れて行く。不安そうな顔をする天道に、「大丈夫だ」と唇だけ動かして伝え、サムズアップを送った俺は、加賀美に向けてゆっくり歩み出した。


 支えは既に必要ない。身体中に力が満ちている。後はアイツを殴るだけ。簡単なことだ。


 既にお互い、腕を伸ばせば届く距離。俺は強く踏み出しながら、唯一無防備である加賀美の顔面を目掛けて殴りかかる。


 ――ぶっとべ、この野郎。


 しかし、拳は空を切るに終わる。続けざまにもう一発、さらに一発と立て続けに拳を放つが結果は同じ。寸前のところで避けられて掠りもしない。


 俺の攻撃をおちょくるかのようにひたすら躱し続けた加賀美は、嬉しそうな笑みを浮かべながら俺の脇腹を拳で打ち抜いた。胃液が喉まで込み上げてくるのを感じて、思わず身体を軽く〝く〟の字に曲げた俺の顔面に追撃の拳が放たれる。


 咄嗟に両腕を曲げてそれを受けるが――その一撃は楽にガードを突き破り俺を襲った。スーツの性能もさることながら、加賀美自身も腕が立つ。元ヒーローは伊達じゃない。


「言ったでしょう。実力はあった、と。こう見えて、ボクシング軽量級で日本チャンピオンになったこともありましてね」


「そうかよ」と返した俺は口の中に溜まった血を吐き出して、再び加賀美に殴りかかる――が、やはり当たらず、易々と殴り返される。いくら打っても同じだった。


「いいサンドバッグだ! 殴っても殴っても倒れない!」


 腹、胸、顔。身体中に衝撃が奔る。もう何発打たれたか、もうどこが痛いのか、何もわからない。耳に入ってくる声が意味をなさずに鈍く頭に響いている。鉄の味が口いっぱいに広がっている。身体中がただ熱い。景色がチカチカと明滅している。限界が近い。俺はどうすればいい。どうすれば、このクソ野郎を殴り飛ばせる。


 浮かぶ司の言葉。――曰く、〝大切なのは勇気と機転〟。


 そうだ。殴るだけじゃ駄目だ。殴るだけじゃ――。


 前のめりに倒れる俺の身体を、すかさず加賀美が両腕で支える。耳元で「ギブアップですか?」と楽しげに囁いてくるのが薄気味悪い。「ふざけんな」と答えながら、俺は奴の後ろ首に手を回し、生身の部分を思い切り抓ってやった。


「――このっ!」


 加賀美が俺を突き飛ばし、俺は床を力なく転がる。司と天道が悲痛な声を上げながら駆け寄ってくるのがわかる。「大丈夫だ」と返した俺は気合だけで立ち上がり、真っ直ぐに加賀美を睨みつけた。


「よく、これだけ殴ってくれたな。おかげで身体中が熱い」


「貴方が強情なのが悪いんですよ。目当てのものを差し出せばこうはならずに済んだのに」


「そうか。……ところで、抓られた部分は痛くないか?」


「ご心配なく。貴方の感じている痛みに比べればずっとマシなはずですから」


 そう答える加賀美の顔からは笑みが消えている。代わりにあるのは、苛立ちを隠しきれていない、眉間にしわが寄った顔。額からは脂汗までも噴き出している。どうやら、効果は抜群らしい。


「……なあ、加賀美。お前はヒーローやってた時、冬の寒い日はどうしてた?」


「厚着をしていた記憶がありますが、それが何か?」


「そりゃ残念だ。俺と同じような防寒対策をしてればよかったのにな。そうすりゃ、もしかしたら〝身体が熱く〟ならずに済んだかもしれない」


「……まさか――」


 加賀美は自らの後頭部に手を回すが、目的のものには届かない。当然だ。〝それ〟はスーツの内側にある。


 加賀美の後ろ首を抓った時、俺はマントに仕込んでいた使い捨てカイロを、直接肌に触れるようにスーツの隙間から背中へと滑り込ませた。既に発熱したカイロが密閉された空間に飛び込めばどうなるか? そして、それが肌に触れればどうなるか?


 ……あまり想像したくはない。何せ、カイロの熱がこもったせいで布団が焦げたなんて話を聞いたこともある。


「――こっ……のぉっ! 舐めたことを……!」


 床を転げまわりながら必死の形相で届かないところへ手を伸ばす加賀美だったが、やがてスーツを着たままではカイロを取り出せないと悟ったのか、ついには変身を解除した。


〝絶対無敵の正義の力〟はもうアイツには宿っていない。素早く加賀美に近づいた俺は、そのまま奴に馬乗りになって大きく拳を振り上げる。


「ま、待ってください本郷さん! 私が悪かった! もうやりません! 二度と!」


「誓うか?」


「誓います! 誓いますから! ですからもう止めましょう!」


「わかった」


「よかった。話のわかる人で――」


「すぐに終わりにしてやる」


 そう答えると共に、奴の鼻先に向けて真っ直ぐ振り下ろされた拳骨は――顔面を叩き潰すその直前で急停止させられた。浅い呼吸を繰り返す加賀美の安堵と恐怖が混ざった笑みが俺に向けられる。


「そうですよね。ああよかった。ヒーローは人を殴りませんものね」


「ああ、そうだ。俺が殴るのは聞き分けの悪い馬鹿だけだからな。話をきちんと聞く奴を殴るのは仕事じゃない」


 俺は加賀美の耳元に顔を近づけ、「でもな」と続けた。


「もしも同じことをしようとしてみたり、天道に近づいたりしてみろ。俺はお前をどこまでも追いかけて……それで、〝生きてるのが嫌になるほど、痛い目に遭わせてやる〟」


 それを聞いた加賀美は泡を吹いて気絶して、それを見届けた俺もまた意識を失った。


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