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第2話 ランボー その2

 家庭教師の仕事を終えて秋野家を出たのは、19時を回るころのことだった。明け方に見た天気予報の通り、空からはにわかに雨が落ち始めている。


 雨雲から逃げるように、コンビニで買った弁当をぶら下げ、小走りで帰り道を駆けると、強く降りだす一歩手前でマンションに辿りつくことが出来た。髪についた雨粒を手で払いながらふと空を見上げてみるが、当然の如く月は出ていない。今宵の相棒は臨時休業らしい。


 月がシエスタ中だからといって、俺は仕事をサボるわけにもいかない。実際のところは、1週間くらいパトロールなんてしなくともなんとかなるのだが、サボった結果悪党どもの動きが活発になり、挙句に地元の人間から「ここらへんって最近治安悪いよね」などと噂が立ってしまうと、ヒーロー資格をはく奪されかねないので必死だ。来華お気に入りの幽霊ヒーローくんのように、俺は〝地に足ついていない〟生活をしているわけではないのである。


 リビングにて弁当をつまむ俺は、本郷翔太朗からタマフクローへと頭を切り替える。テレビも見ずに考える事と言えば、今夜の活動についてである。雨だったらあの通りは視界が悪くなるから、馬鹿なことを考える輩が多くなるかもしれないとか、あの路地裏は事件が多発しているし、定期的に見回らなくてはならないとか、マントが雨を吸って重くなるから注意しなくてはとか、頭に入れておかねばならないことは意外に多い。


 時計の針が22時に差し掛かるころ、タマフクローは地味な〝変身〟に取りかかる。


 クローゼットを開き、姿見の前でスーツに着替えながらぼんやりと考える。このスーツは派手過ぎるのではないかと。


 もちろん、目だし帽と黒い上着だけで夜の街を出歩くわけにいかないのは重々承知している。しかし、主たる装備は訴訟防止用の超小型防水カメラ並びにマイクという、対宇宙怪獣を全く想定していない現実に則したふたつのみであるクセに、見た目だけは映画から飛び出してきたヒーローそのものなのだ。見た目と機能がアンバランス過ぎるにもほどがある。


 やがて時計の針が22時半を差した。そろそろ行かねばと、俺はベランダの窓を開けて、壁伝いに地上に降り立ち、夜の街へと繰り出した。


 マンションを出てからは、ルーチンワークが始まるだけのことである。しつこい客引きに困る通行人や、怖いお兄さん方にイチャモンつけられた学生達を、いつものように助けて周り、いつものように〝親愛なる隣人〟としての夜を過ごす。


 ああきっと、明日も俺はこうやって、孤独で不毛でエンドレスな戦いをしているのだろう。

では、そういうことで俺は忙しい。さらばだ、諸君。

 


 ……――で締めてしまっては、ここで話が終わってしまう。まだだ、まだ終わってはいない。というより、ここまでは散々愚痴を並べるばかりでまだ何も始まっていない。


 物語が続くのには理由が必要だ。そしてその理由は、大抵はなんの前触れも無く訪れるものである。


 時刻は深夜の3時。街のパトロールを終えて、自宅マンションの屋上に帰ってきた時のことだった。どこのマンションもそうだと思うが、屋上に上がってもこれといって目につく物は無い。せいぜい、古錆びた貯水タンクくらいのものだろう。その点は俺の住むマンションも例外ではない――ない、はずだったのだが……今日という日は違った。


 屋上には人が倒れていた。しかも、ただの人ではない。倒れているのはヒーローだった。遠目からでもわかる、いかにも怪しいブラウンのトレンチコートとソフト帽がそれを教えてくれた。


「お、おいアンタ! 大丈夫か?!」


 俺はすぐさま駆け寄り、正体不明のヒーローを抱き起こす。彼の顔は、どこかドクロを連想させる造形の、鈍く光る銀のマスクで覆われている。格好だけ見れば、ヒーローというよりも創作物の悪役(ヴィラン)を連想させる見た目だ。


「しっかりしろ!どうした?何があった?」


 俺はひどくぐったりした様子のヒーローに声を掛け続けた。すると彼は、蚊の飛ぶ音のように消えそうな声で「なんでもない」とだけ呟いた。マスクにボイスチェンジ機能でも付いているのか、それは不自然に低く、聞き取りづらい声だった。


「なんでもないなんてことあるかよ! とりあえず、部屋まで運んでやるから大人しくしてろ!」

「……私に、構うな……」


 それから彼は何も言わなくなり、断続的に浅い呼吸をするだけとなった。


 いくら「構うな」と言われたからといって、雨の中に倒れたヤツを放置しておくのはヒーローらしからぬ行為であるといえよう。「今日最後のひと仕事だ」と、俺は彼を担ぎ上げ、自分の部屋に連れていってやることにした。


 さて、きっと俺は、「何故わざわざ部屋に運ぶのか」、「救急車を呼んでやればいいのではないか」、「もしかして危ない趣味の持ち主じゃないか」、「変態野郎」、「くたばれ」などと思われることだろう。しかし、考えてもみてほしい。救急車に担ぎ込まれるヒーローを見て、大衆はなんと思うだろうか?


 恐らく……いや確実に、「あいつは弱いヒーローなんだ。イザとなったら頼れないぞ」、などと思うに決まっている。そして、「頼れないヒーローに税金を払うなんてバカらしい」と結論付け、SNSで総叩きするに決まっている。結果、彼を待つのは引退の二文字。勝手な話である。


 だから俺は、彼を部屋まで運んでやることにしたという訳だ。……この要らぬ仏心を俺は後に後悔することになるのだが、それはまた後の話。


 自室のベランダに降り立った俺は、部屋に入る前に、雨を吸ってすっかり重くなった彼のトレンチコートを脱がせた。コートの下から現れたのは、黒を基調とする中で、肩や胸などに銀のラインが入ったデザインをしている装甲で、それはコンバットスーツというよりも強化皮膚のように見えた。マスクと同じように、やはりどこか怪人めいた見た目である。


 コートをハンガーにかけてベランダに干し、謎のヒーローを自分のベッドに寝かせる。そこまでしてようやく気が付いたが、彼はずいぶんと小柄な体系をしていた。


「……まったく。ぶっ倒れるまで働くなっての」


 呟いて、手当てのために彼のマスクを脱がせてやった俺は、現れた顔に言葉を失った。

化粧を知らない薄い唇に、肩口の辺りでぶっきらぼうに切った髪。あどけなさが残る目元に、最低限の手入だけされた太めの眉――そう、倒れていたのは彼ではなく、〝彼女〟だった。見た目から考えると来華と同年代くらいだろうから、少女と呼ぶ方がいいだろうか。


 しかし、知らなかったとはいえ高校生くらいの女の子を家に連れ込んでしまうとは。一歩間違えなくとも犯罪になるぞ、これは。だからといって今さら気づいたところでどうしようもない。まさか外に放り投げて知らん顔するわけにもいかないだろう。


 脱がせたマスクを枕元に置いて、乾いたタオルで髪と顔を恐る恐る撫でてやる。本来であれば濡れたスーツも脱がせてやるべきなのだろうが、女の子相手にそこまでやるのは憚られたため、バスタオルを何枚もくるんでやってその場しのぎとした。


 少女の顔は穏やかで、心地よさそうに寝息を立てている。このままだったら問題ないだろうと考えた俺は、適当なところで介抱を止め、堪えきれないあくびを漏らしながら脱衣室に向かった。もう、今日は熱いシャワーを浴びて寝てしまおう。


 ハンガーに掛けたスーツをクローゼットに放り込み、頭をからっぽにしてしばしシャワーを浴びた後、部屋着に着替えてリビングのソファーに寝転ぶ。


 まぶたを閉じれば何事もなくタマフクローとしての今日が終わる。朝食をごちそうしながら事情を説明してやれば、あの少女もきっと俺のことを悪くは言わないだろう。


 ふわりと、なだらかに意識が落ちていく。五体からは力が抜けていき、1日を通して蓄積された疲れが癒されていく。


「起きろ!」


 ぽつ、ぽつ、ぽつと落ちかけた意識が、突然響いた怒鳴り声にすくい上げられる。誰だ、こんな時間にアホみたいな音量で映画を見てるヤツは。


「起きるんだ!」


 瞬間、頬に鋭い衝撃が走った。つい最近体感したことのあるような衝撃――これは、頬をぶっ叩かれた時の痛みだ。


 襲いくる現実(リアル)に俺は目を覚ます。眼前には先ほどの少女。なぜか俺に馬乗りになっている。


 寝ぼけた頭にとってそれはあまりに突然すぎて、当然俺は思考停止に至った。


「……夢じゃないよな?」

「見てわからんか、この間抜け。貴様には聞きたいことがいくつもある。答えてもらうぞ」

「聞きたいことがあるのは俺も同じなんだけど……まあ、いいや。〝お客様〟から先にどうぞ」

「その心遣い感謝する」


 感謝の〝か〟の字すら感じられない態度で少女は言った。


「私の顔はどこだ?」


「顔?」と、俺は思わず聞き返す。


「そうだ、顔だ。私が私として――ヒーローとして生きていくために必要な顔だ。どこへやった?」

「もしかして、あの趣味悪いマスクのことか?それなら枕元だ。起きた時に気付かなかったか?」


 答えた瞬間、鼻頭に拳が叩きつけられた。眠気は一瞬で吹き飛び、血液が高速で循環する。


 この状況はなんだっていうのか。目の前のコイツはなんなのか。痛む鼻を押さえつつひとつひとつ理解を進めようとしていると、涙に歪んだ視界に少女改め暴力女がマスクを抱えて戻ってきた。


「助けてくれた人の鼻はぶん殴りなさいって、小学生の先生に教わったのか?」

「父曰く、〝疑わしきはまず殴れ〟」

「物騒な親父だな」

「黙れ。父を愚弄することは許さん」


 暴力女はマスクを被る。「それに、誰も助けてくれなどと言っていないからな。加えて年頃の女を断りも無く家に連れ込んだんだ。これくらいは覚悟していたことだろう?」


 マスクの機能によりすっかり低くなった声色でそう言いながら、女は窓を開けてベランダに出た。


「じゃあな、コスプレ男。あんな格好で二度と街を出歩くなよ」

「コスプレ男って……それ言い出したらお前も同じだろうが、このコスプレ女」

「貴様と私を同じ枠組みに入れるな。虫唾が走る」

「枠組みもなにも、お前は俺と同じヒーロー――」


 遮るように、顔面目がけて一直線で飛んできた黄色い球。当たる寸前に受け止めると、それはひとりでに弾け、強烈な閃光を部屋中に発した。

「な――」


 咄嗟に目をつぶっても遅かった。一瞬にして白む視界。しばらくして、目が慣れたころにベランダに出た俺だったが、少女の姿は既に無く、辛うじて見えたものといえば、マンションから遠く離れたところを全力で走るひとつの影だった。


 助けてやったってのに、なんて恩知らずな奴なんだ。願わくば、もう二度とあの〝乱暴糞生意気暴力女〟に出会いませんように。


 いつの間にか雨も止み、朝の近づきを感じさせる明るさになってきた空にそう願った俺は、鼻に絆創膏を貼り付けてからソファーに寝転んだ。


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