第3話 ニキータ その4
結局、俺達は乗り掛かった舟を途中で降りることをためらってしまい、百白に引き留められる形でパーティーに残った。派手な女が踊りだしたり、ギラついたスーツを着た男が歌い出したりするのを眺めるたびに「帰ろう」と思ったものの、「これで最後なのだから」と何度も自分に言い聞かせ、必死にその場にとどまった。毎分ごとに、精神が〝すりがね〟めいた何かでおろされている気分だ。
会場には様々な人が談笑したり酒を飲んだりしている。飲み物も飲まず、誰と話すこともなく、窓際にじっと立って死んだ目でパーティーを眺める安物スーツの男と燕尾服の女は、参加者の目からはどういう風に映っているのだろうか。きっと観葉植物、あるいはオブジェ、とにかく何か意味を成すものには思われていないのだろう。
そんなことをぼんやりと考えていると、司がふと話しかけてきた。
「そういえば、少し前の下着泥棒が襲撃した件なのだが」
「ああ、あったなそんなこと。それがどうした?」
「あの件、またモモシロが自分の手柄にしたらしいではないか」
「……勝手にやらせとけ。アイツには、何言ったってムダだ」
「それはわかっている。しかし、それを聞いてふと思ったことがあってな」
「何をだ?」
「考えてもみろ、翔太朗。今回の一連の事件、終わってみれば〝誰が一番得をした?〟」
犯人が目的を達成出来なかったのだから、普通に考えれば得をした奴なんていない――いや、ひとりいる。この事件の襲撃者を、あたかも自分の手で捕らえたかのようにマスコミに情報を流し、世間からの名声と注目を集めた男――。
「……百白か」という俺の呟きに、司は「そうだ」と小さく頷く。
「犯人はモモシロの行きつけの店や、実家の住所、細かいスケジュールなどを正確に把握していた。襲撃者を撮影関係者に潜り込ませたり、高い技術力を持つ武器の提供を行ったりもしていた。無論、タチの悪いストーカーの犯行という可能性も捨てきれないが……全てが自作自演だったと考えても、十分話は通る」
なるほど、あり得ない話じゃない。というよりもそう考える方が自然だ。今のアイツは無害そうに見えるが、その実、本質は変わっていない。「どこまでも自分が目立つために」というのが、百白という男の基本的な行動原理である。
「……なら、どうする。直接アイツの身体に訊くか?」
「いや、今は止めておこう。奴は阿呆だが、同時にずる賢い男でもある。ここは奴が安心しきって、尻尾を出すのを待った方が賢明だ」
会場に響いていた耳障りな音楽が止まり、「レディース、アーンド、ジェントルメーン!」と馬鹿っぽい声が聞こえてきたのはその時のことである。同時に、全面の窓がシャッターで覆われ、日の光が遮られる。突如として真っ暗になった空間にスポットライトの光が伸び、その先にいたのは一段高い円形のステージになったところにいる百白だ。白いスーツに白い光が反射して、眩しくて煩わしい。
百白は周囲をぐるりと見回し、仰々しく両腕を広げた。
「お集りの皆様、ずいぶんとパーティーを楽しんでいるようだけど、まだ本番じゃないってわかってる?! そう! 本当のお楽しみはこれから! 今日は一足早いクリスマスプレゼントってことで、現在撮影中のボクの映画で使われる〝スーパースーツ〟を披露しちゃう!」
場内がワッと沸き、割れんばかりの拍手の音や指笛が響き渡る。何がそんなに楽しいんだ、コイツらは。
「――さあスタッフの諸君! 打ち合わせ通りヨロシクぅ!」
それを合図にスポットライトがエレベーターの方へ向けられ、皆の視線が一斉にそちらへ向く。しかしそこにはエレベーターガールが立っているばかりで他には何もない。彼女が何かするのかと思いきや、注目に耐え兼ねたらしくぱたぱたと逃げていった。そのまましばし待ったが何も起きない。
「……あれ? スタッフのみんな? そんな焦らさないでいいんだけど?」
不安そうな百白の声にも反応はない。いよいよ辺りから「どうしたの?」という声が聞こえてきて、妙な緊張感が漂い始めた時、エレベーターの扉がゆっくり開いた。
慌てたようにそこから飛び出してきたのは、先ほど加賀美が着ていたものと同じ、下っ端戦闘員風の衣装を着た男である。スポットライトに眩しそうに目を細めた男は、場内を見回し百白の姿を見つけると、「百白さん!」と叫んだ。
「一緒に来てください! 急いで!」
〇
「急いで!」だけでは何一つ詳細がわからなかったが、とにかく非常に焦っていることだけは伝わったので、俺達は百白と共にスタッフに同行してエレベーターへと乗り込んだ。そこで何が起こったのかを訊いてみたところ、加賀美を含めた関係者2名が廊下に倒れ伏していたとのことである。加賀美の方は軽症で、控室で休んでいる最中であり、話が出来る程度ではあるが、もうひとりは頭を打ったため気を失い、近くの病院へ救急車で運ばれている最中だという。
「これも〝バランサー〟に関係した事件なのだろうか」と司が呟くと、百白は「そんなわけないさ」とぎこちない笑みで虚勢を張った。
「ただ、食べすぎか何かで倒れただけ。そうに決まってる。だって、脅迫状は届いてないもの」
とりあえずは本人から話を聞こうということになり、会場から2階降りたところにあるスタッフ用の控室に入れば、パイプ椅子に腰を下ろした加賀美が頭のてっぺんに氷のうを当てている。念のためなのか、頭に包帯まで巻いている姿は痛々しいが、顔に薄ら笑いが貼り付いたままなのは、もう職業病か何かなのだろう。
加賀美は椅子に座ったまま、「すいません」と申し訳なさそうに頭を下げた。
「皆さんにはご迷惑とご心配をお掛けしてしまいまして……」
「いいんだ。キミが無事でなによりさ」
百白は手近なパイプ仕様を引くとそれに腰掛け、前のめりになるようにして加賀美を見た。
「それで、何が起きたんだい? やっぱり、食べすぎか何かでお腹が痛くなって倒れたとか?」
「襲われたんです」
「それ以上は聞きたくない。選手交代」
椅子をがたがたと引きずった百白は、部屋の隅に自分の位置を見つけ、そこで背中を丸めて体育座りの姿勢になった。やはり、いっそのこと殴られればあの性格もマシになるのでは? と思わざるを得ない。
呆れながらも前に出た俺達は、百白に代わって加賀美から話を聞く。
「襲われたってのはどんな状況だったんだ?」
「私もよくは覚えていないんです。一緒に廊下を歩いていたスタッフが急に倒れて……何かと思って振り向いたら、私もそこで襲われて……」
「襲ってきた奴の顔は?」
「一瞬のことでわかりませんでした。申し訳ない」
「財布とか携帯は無事か?」
「幸運なことに、ふたつとも無事でした」
「幸運とは考えない方がいい」とは司の意見である。
「物盗りが目的でないということはつまり、これは恨みによる犯行だ。向こうが満足するまで延々と続くぞ」
「……こんな仕事をしているんです。誰かから恨みを買うなんて覚悟のことですよ」
そう言いながらゆっくり立ち上がった加賀美は、百白に歩み寄り「さあ」と手を伸ばした。
「百白さん、まだパーティーは終わっていません。〝スーツ〟のお披露目をしませんと」
「勘弁してよ、加賀美クン。誰が襲ってくるかわからないこの状況で、そんなこと出来るわけがないじゃないか」
「いけません。このパーティーは遊びじゃない。映画のプロモーションのためのものなんです。途中で投げ出すことは出来ないんですよ」
眉をきゅっと下げた百白は泣きそうな目をしているが、それを前にしたところで加賀美の態度は変わらない。いつもは百白のワガママばかり聞いているようであるが、力関係は加賀美の方が上なのだろう。
しばらくすると百白が折れて、「わかったよぅ」と力なく呟いた。その答えに「そうした方がよろしいかと」と厳しいひと言を返した加賀美は、よろよろとした足取りで廊下に出る。何をするのかと訊ねれば、例の〝スーパースーツ〟とやらを取りに行くのだという。
「バカ言うな。その身体だぞ。俺が行ってやる」
「そうして頂ければ助かります」と言いながら加賀美は懐を探る。と、どうしたことか加賀美の顔色が見る見るうちに青白くなっていく。まるで世界の終わりを迎えたみたいな表情に、思わず「どうした?」と訊ねると、加賀美は「無いんです」と呟いた。
「スーツを保管していた部屋の鍵が、無くなっているんです」




