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第3話 ニキータ その3

 朝と夜を繰り返す度に寒さが増している気がする。吐く息は昼でも白く、外に出るのさえ億劫だ。世間はそろそろクリスマスムードで、街を見回っていると、色とりどりの電飾をこれでもかとばかりに外壁に巻き付けたせいで、うっとうしいほどに眩しい民家をしばしば見かける。


 おかげでこの時期の夜の比衣呂市はかなり明るいのだが、犯罪が減るのかといえばそうではなく、むしろ多くなる傾向にある。バカなカップルと、そのバカなカップルを狙う輩が非常に多いのだ。この時期に一番忙しいのがフライドチキン業界。次いでケーキ業界。それにヒーロー業界が続く。


 機械腕の下着泥棒を撃退して以来、百白への脅迫状は届いていないらしい。岬から得た情報が使い物にならなかった今、脅迫状も届かないのでは動きは取れず、司の心配が杞憂だったと思う他、俺達に出来ることはない。


「しかし、あの男が殴られたくらいで心が痛むかといえばそうでもないな。むしろ、少しくらい殴られた方があの人格がマトモになるかもしれん」とは、司の意見である。これには俺も同感だった。


 さて、ある火曜日の夕方、秋野家にて。来華が勉強する様をひたすら眺め、時折不必要に口を挟むという家庭教師風のことをしていると、俺の携帯電話が鳴った。「カノジョからだ!」という来華のからかいを「そうだな」と答え受け流しつつディスプレイを見れば、まったく覚えのない番号からである。嫌な予感はしたものの、念のために電話を取れば、聞こえてきたのは百白の声だった。なんでコイツは教えてもいないのに俺の番号を知っているんだ。


『やあ、本郷クン! 元気してた?』


「ああ、わかった。切るぞ」


『早い、早いって。まだ用件何も言ってないんだけど?』


 露骨なため息をひとつして、言葉を使わずこちらの思いを表現した俺は、改めて「急になんの用だ?」と訊ねる。


『最近何かとキミに迷惑を掛けてきたじゃないか。それでさ、ささやかながらお返しをしたいと思ってね』


「そんなのは要らん。気色悪い」


『安心してよ。裏があってのことじゃない』と百白はなだめるように囁く。


『今度、ボク主演の映画製作を記念してパーティーが行われることになってるんだ。本来なら有名人かマスコミ関係者しか出席できないんだけどね、そこへキミと、一文字クンを特別に招待したい。ボクからキミたちへの友情の証だよ』


 百白から友情を感じられる謂れはなく、そもそも有名人にもパーティーなんぞにも興味が湧かず、何より気色悪いことには変わりない。


 諸々の理由から断りを入れようとしたが、そこでふと浮かんだのは百白を狙う〝バランサー〟の一件である。


 多方面から大勢の客を招き、駄作になることはほぼ確定的である映画の宣伝のため大々的なパーティーを催す百白を、〝バランサー〟が放っておくだろうか? 脅迫状が来ないからと高を括り、ロクな警備体制も敷かずに不特定多数の人と会う百白を、〝バランサー〟が放っておくだろうか? 


 俺なら狙う。間違いなく狙う。あのキザ野郎を大勢の前で泣かせてやる。


 なら、話は単純だ。今度のパーティーの最中、もし百白が襲われなければそれで終わり。この件は綺麗さっぱり忘れてしまおう。もし襲われるようなら……その時は、襲ってきた奴を警察に引き渡さず、こちらで捕まえて尋問すればいい。「誰が黒幕だ?」と身体に訊いてやればいいのだ。


「……わかった。招待されてやる」


『素直じゃないね。行きたいって言えばいいのに。ま、いいけど』


 そうして電話は一方的に切られた。もう掛かってはこないだろうなと思いつつも、念のために百白の番号を着信拒否リストに登録していると、来華が「誰からだったの?」と興味津々で訊ねてきた。


「百白だよ。〝元〟アージェンナイトの」


 俺がそう答えると、数度目をぱちくりさせた来華は「ふーん」と、まるで食えないものを前にした時の猫のような、さも興味なさそうな返事をした。





 後ほど家に届いた招待状によると、百白主催のパーティーは次の日曜日の昼に開催されるらしい。会場となるのは千代田区にある某高級ホテルで、それなりの服装が必須だということである。


 大学の入学式の時に使ったスーツは駄目だろうと思い、とりあえず、2年ほど前の親戚の結婚式の際に使った紺色のスーツをクローゼットの奥から引っ張り出して着てみたが、まだまだ余裕で着られる。ネクタイの結び方は怪しかったが、ネットを見つつやればなんとかなった。


 そういえば、司はどういった恰好で来るのだろう。制服ということも無いだろうし、やはりドレスを着てくるのだろうか? 


 そんなことを考えていたものだから、当日になって、待ち合わせ場所までやって来た司を見た俺は心底驚いた。


 言葉を失い唖然と立ち尽くす俺に、司は「どうかしたのか?」と声を掛ける。


「鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」


「そりゃそうだろ」と俺は小さく呟く。


 司が着ていたのはドレスではなく、制服でもなく――まさかの黒いタキシードである。変にテラテラとした安っぽい生地が使われているわけでない上、きちんと黒い蝶ネクタイまで絞めているのが、伊達や酔狂やコスプレでそんな恰好をしているわけではない、司の本気をうかがわせる。


「……どっから持ってきたんだ、それ」


「昼でも夜でも、淑女に〝スーツ〟は必要だということだ」


 答えになっていない答えを吐いた司は、どこか不敵な笑みを浮かべた。


 身長の足りない宝塚男役と共に会場のホテルまで向かうと、入り口に加賀美が立っていた。こちらを確認するや、「お待ちしていました」と一礼した加賀美の今日の恰好は何故か、悪の組織に属する下っ端戦闘員風の衣装である。


「ヘンでしょう? これも百白の趣向でしてね。朝、こちらについたらこれが用意してありまして、『これをキミが着れば絶対楽しいから』、と。……まあ、恥ずかしくはありますが、百白がおかしな行動をするのにも慣れたものです」


 そう言って加賀美は苦笑した。なんだかんだ、コイツも苦労しているようだ。


 加賀美に連れられエレベーターに乗って、最上階まで一気に昇る。扉が開くと同時に目に飛び込んできたのは眩しい太陽の光。ホールに歩み出しながら薄目を開いて確認すれば、なるほど、全面ガラス張りで外の景色が一望できるようになっているらしい。


「では、おふたりともごゆっくり」と言って加賀美が去って行く方向を見れば、中央の辺りはバーラウンジになっており、銀色に光るスーツを着る男、やけにスリットの入ったドレスを着た頭の軽そうな女や、胸元を大きく開けたドレスを着たこれまた頭の軽そうな女、露出度の高いカウボーイのような恰好をしたなんだかよくわからない女などが大勢いて、アホの見本市めいた様相となっている。


 視線を別の方向へ移せば、ハイビスカスの花びらをいっぱいに散らしたプールに、浮輪に乗った水着の女がぷかぷか浮いて、身体に悪そうな蛍光色をしたジュースをストローで吸いながら、自分の写真を携帯で撮っているのが見える。


 全体的に雰囲気が小癪というか、露骨な金持ちアピールが腹立たしいというか、資本主義社会へ反旗を翻したくなるような気持ちにさせてくれる空間だ。見ているだけで疲れるのに、先ほどからダンスフロアめいた曲が部屋中にうるさく鳴っているものだから、俺は既に精神的には虫の息である。


「司、折り畳み式の金属バットとか持ってないか?」


「持っていればとっくに私が使っている」


「そうか。なら、帰るか」


「ああ」


 意見は早々にまとまった。こうなれば一刻も早くここを出るだけだと、分刻みに偏差値の下がりそうな空間に背を向けると、タイミングよくエレベーターの扉が開く。……現れたのは、お決まりの白いスーツに身を包んだ百白だった。


「おやおや、これは親愛なるヒーローのおふたりさん! ウェルカムパーティー! 存分に楽しんでいってよ!」


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