第3話 ニキータ その1
12月に入って寒さが一気に厳しくなってきた。灰色の空は低く、いつ雪が落ちてきてもおかしくない気温が続いている。おかげで、リビングに出した電気ヒーターはいつだってフル稼働で、週に四日は鍋が夕食だ。残りの三日は鍋の残りに乾麺を入れた煮込みラーメンである。
ある土曜日の昼下がり。俺は夜の見回りに備え、マントの裏に大量の使い捨てカイロを仕込んでいた。
使い捨てカイロの貼り方にはいくつか注意点がある。中でももっとも留意しなければならないのは、スーツの内側には決してカイロを貼らないという点だ。いくら寒空の下にいるとはいえど、仕事中はなんだかんだと激しく動き回るものだから、もしもスーツの下にカイロを貼り付けてしまえば、身体が温まりすぎて大汗をかいてしまう。そうすると却って身体が冷えて大変だ。いや、それだけならばまだいい。下手をすれば低温やけどの恐れだってある。こうなると悲惨なもので、シャワーを浴びるだけでヒィヒィと喘ぐハメになる。
庶民派ヒーローにとって使い捨てカイロは親愛なる隣人である一方、ニコニコしていたと思っていたら突如こちらへ牙を剥く、恐ろしきモンスターでもある。
さて、そんなカイロをぺたぺたとマントに貼っていると、家のチャイムがキンコンと安っぽく鳴った。玄関へ出てみれば、そこにいたのは司である。白い息を吐きながら、「今日も寒いな」と言って家に上がった司は、定位置のソファーに腰かけると、置いてあったブランケットを身体に巻きつけた。「苦手なものなんてありません」なんて顔をしている割に、司は熱いものを飲むのと寒い場所が苦手な猫型人間である。
「急にどうした?」と訊きながら、俺はカイロを貼る作業に戻る。
「まだ見回りには早い時間だろ」
「モモシロの件で話がある。翔太郎、アレをあのままにしていいと思うか?」
「犯人は捕まえた。脅迫状は届いてない。それでいいんじゃないのか?」
「確かに今はそうだろう。だがな、立て続けにあの男を襲った者達を思い出せ。あれだけの準備を整えて襲ってくる奴らだ。これで本当に終わりと思うか?」
「どういうことだよ。結論言え、結論」
「敵は個人ではない」
そう言われて俺は、ふたりの〝バランサー〟の装備を思い出す。
片や、ヒーローのような赤い衣装。ボウガンと特殊警棒は、両方とも電気が流れるオマケ付き。片や、白いタンクトップと紺のハーフパンツ。〝ロケットパンチ〟が使用可能な高性能の義手が一組。両者共に抱いているのは、形は違えど本気の殺意。
百白を本気で恨んでいる奴が何人もいることは確かだ。そういう奴らに声を掛けて装備を提供し、百白を襲わせている〝黒幕〟がいるとしたら?
――司の言う通り、次があると考えてもおかしくない。
「……言いたいことは何となくわかった。でも、どうするつもりだ? 四六時中アイツを護るってのか?」
「それはない。故に、問題は根元からどうにかするとしよう」
「そうは言っても、どこの誰が犯人かなんてわかるのかよ」
「わからん。だからスーツを持て、翔太朗」
司は吐く息で指先を温めながら言った。
「〝コーヒーを飲みに行く〟。今すぐにだ」
〇
司の提案で〝コーヒーを飲みに〟向かった店はマスクドライドである。この事件を裏で操る何者かが本当にいるとすれば、俺達の捜査だけでは限界がある。故に司は八兵衛を頼ることにしたのだろう。道中、「本当は頼りたい相手ではないのだがな」と頻りに繰り返していたところを見るに、甚だ不本意ではあるのだろうが。
喫茶店へ入ると、「いらっしゃい」と気怠げに手を振る愛宕に迎えられた。
「あら、司ちゃんじゃない。久しぶりね」
「久しいな、ヨシノ。元気にしていたか?」
「ええ、元気よ。学校とヒーローを頑張ってる司ちゃんほどじゃないけど」
「それほどでもないさ」
カウンター席に腰掛けた司は、コーヒーと共に八兵衛をここへ寄越すよう注文した。愛宕は心底驚いたように「いいの?」と言って目を丸くしたが、司が「構うものか」と言い切るのを受けて、キッチンの奥へと八兵衛を呼びに向かった。
すると数分後、コーヒーカップをふたつ乗せた盆を持って、八兵衛がキッチンの奥から現れた。今日はパーカーにジーンズと、普段と比べれば割とマトモな恰好をしている。と思いきや、背中には〝英雄魂〟と大きな刺繍があるのが恥ずかしい。
「珍しいね、ファントムハート。君が僕をご指名だなんて」
「本意ではないが、頼みがある」
司は「翔太朗」と言ってスーツを八兵衛に渡すよう俺に指示した。言われた通りにスーツを渡すと、司はさらに続けた。
「そこには、あるひとりの男との戦闘が記録されている。赤いスーツを着た、見た目だけならばヒーローのような男との戦闘だ」
「オーケー。つまりポップコーンとコーラを用意して、みんなでタマフクローの雄姿を鑑賞しようって――」
「違う」と司は八兵衛のたわ言を両断する。
「その男の使っていた装備の出所を知りたい。そういうことは得意だろう?」
――なるほど。機械腕の男は〝本郷翔太朗〟が相手をしたが、最初に襲ってきた男との戦闘はタマフクローが行った。つまり、あのスーツには一度目の戦闘の映像が記録されている。見た目が詳細にわかれば、情報を得るのも容易いだろう。百白の一件の時といい、〝ヒーローレコーダー〟は思わぬ活躍をするものである。
司の言葉を聞いて丸ぶちサングラスの向こうできらりと目を輝かせた八兵衛は、「また素敵な事件を持ち込んでくれたね」と口元をだらしなく緩ませて親指を立てた。こうなった時のコイツは信頼できる。
「そういうことは大得意だし大好きサ。全力を持って君のご期待に応えるよ、ファントムハート」
それから、自らの〝研究所〟からノートパソコンを持ってきた八兵衛は、それと俺のマスクをケーブルで繋いで映像をディスプレイに映す。真剣な眼差しでそれを見つめる八兵衛は、「なるほどね」と言って納得したように深く頷いた。
「八兵衛、何かわかったのか?」
「うん。武器はともかく、このスーツの出所はすぐにわかったよ」
そう言って八兵衛は、ディスプレイに映る赤い衣装の男のヘルメットを指さす。
「ヘルメットに刻印されたこの稲妻には見覚えがある。と言うのも、これは僕の知り合いがデザインしたオリジナルのロゴでね。アイツはそれが自分の作ったものだとわかるように、なんにでも稲妻のロゴを入れる悪癖があるんだ」
「その者と連絡は取れるのか?」と司。
「もちろん。ただ、ひとつ忠告。ふたりはどんなことがあっても口を挟まない方がいいよ。後で面倒なことになるのは間違いないから」
真面目な顔つきで「いいかい?」と念を押されれば「知るかそんなこと」とは言えない。そもそも、面倒なことになるとわかっていて口を挟むつもりも無い。
ヘッドセットを着用し、通話アプリをパソコンで起動させた八兵衛は、胸を撫でおろしながら深呼吸を繰り返す。何やらかなり心拍数が上がっているようである。
まさか八兵衛が緊張とは! コイツには、緊張をはじめとした、遠慮、恥じらいなどの人間として大事な社会性が欠落しているものだとすっかり思い込んでいた。これから連絡を取る相手は、八兵衛を真人間にしてしまうほどの傑物らしい。
そのまましばらく何か祈るように、口の中でぶつぶつと繰り返した八兵衛は、やがて覚悟を決めたのか、相手を呼び出すべく通話ボタンをクリックする。通話はすぐに繋がったようで、八兵衛は「やあ!」と緊張で少し裏返った声を上げた。
『地球から木星へ。久しぶりねぇ、同士! 何の用?!』
パソコンから聞こえてきたのは、バカに明るい女による謎の挨拶だった。もっとド渋い声をした、「見たら殺す。すぐ殺す」みたいな男に連絡を取るものかと思っていたから、なんだか拍子抜けだ。しかし、それならどうしてこんなにも緊張する必要があるのだろうか?
「木星から地球へ。本当に久しぶりだね、岬。それで、早速で悪いんだけど――」
『岬、じゃないでしょ? 間違えないで、〝ストロンガー〟』
「……ああ、そうだったね、〝エレクトロ〟。悪かったよ」
そこで俺は、八兵衛が顔を真っ赤にして、額から冷や汗をダラダラ垂らしている理由を察した。
自らのことを恥ずかしげもなく〝エレクトロ〟と呼ばせる岬とかいう女は、八兵衛と同じかそれ以上のオタクなのだ。そして八兵衛は、そんな岬を見て自分を見ているような気分になって恥ずかしくなるのだ。
つまるところは同族嫌悪。しかし、わからないこともない。俺だって、〝ヒーロー〟を名乗る派手な衣装を着込んだ目立つヤツがいたら、背中に冷たいものを感じたりする。司は小首を傾げているが、安心しろ、八兵衛。俺にはわかるぞ。
俺の密かな同情は余所に、八兵衛は岬と会話を続ける。
「それで、今日連絡した理由なんだけどさ。君、つい最近赤いヒーロースーツを作らなかったかい?」
『作ったわよ! あれ、結構自信作なのよ! ズバリ名前は、〝赤い閃光〟。さすがに高速移動装置の実装は無理だったけど、耐久性と動きやすさの兼ね合いはバツグン! あと、もちろんデザインもね! いやーっ、自分の才能が怖いわー! ホント怖いわー!』
「それはよかった。それで、もし良ければ、そのスーツを注文した人の名前を知りたいなって思ってさ」
岬は八兵衛の頼みを『冗談でしょ?』と笑い飛ばす。
『教えられると思う? アタシだって一応その程度の常識はあるわよー?』
「そう言わずにさ、頼むよ、エレクトロ。僕達の仲じゃないか」
『ダメなものはダーメ。顧客の秘密は絶対なの。諦めなさい』
「ふざけるな」とそこへ割り込んだのは司である。八兵衛からヘッドセットを奪い、無理やり席から引きずり下ろした司は、ノートパソコンを睨みながら両手で掴んで持ち上げた。
「貴様の作った装備で泣く者がいるのだ。看過出来ると思うか。恥を知れ」
突然現れた司に驚いているのか、岬はぐっと押し黙る。そんな態度を腹に据えかねたのか、司はもう一度「ふざけるなよ」と繰り返した。
「いいか、エレクトロとやら。最後の忠告だ。あの装備を誰が注文したのか教えるんだ。さもなくば、これから貴様の家を探し出し、身体に訊くという手段だって――」
『ヤバイ。惚れた。完全に惚れた』
「……なんだと?」
『惚れたって言ってるの。最高よ、あなた。お名前は?』
話している内容はともかくとして、声に滲む真剣味からしてどうやらふざけて言っているようでも無さそうで、それ故に司は唇を〝へ〟の字に曲げてこちらを見た。苛立っているようにも見えるが、実のところあの表情は司が心底困った時の顔である。
その証拠に司は俺を手招いたかと思えば、ヘッドセットをぶっきらぼうに押し付けてきた。俺は無言でそれを押し返すが、司はがっちりと両腕を組んで拒む姿勢を崩さない。
「やれ」「断る」の応酬がしばらく続き、面倒になった俺の方が折れて、仕方なくヘッドセットを着用した。そこで俺は初めて、ディスプレイに映る岬の顔を見たのだが、生まれてから一度も切ったことがないような長さの前髪の隙間から、大きすぎる黒目がふたつ、ぎょろぎょろとこちらを覗いているのが異様だ。人型のカメレオンか、そうでなくとも沼地の魔女である。
『……地球から木星へ。さっきの子を出して。今すぐに』
「俺だってそうしたいとこだけど、無理だ。俺で我慢しろ」
『地球から木星へ。繰り返す。あんたなんかお呼びじゃないの。さっきの子を出しなさい』
「無理なもんは無理だ。嫌われたんだよ、お前は」
『地球から木星へ。最後の警告よ。さっきの子を――』
「ロクデナシからクソッタレへ。いい加減にしろこの野郎。俺だってお前なんかと喋りたくはねえよ。でもってお前も、俺と喋りたくないんだろ。だからとっとと終わらせろ。知ってること全部話せ」
長い前髪に隠れているせいで岬の表情はよくわからないが、黙ってしまったところを見るに、元より丸い目をさらに丸くして愕然としているのだろう。しかし、女版八兵衛ともいうべき雰囲気を持つ奴だからなのか、言いたいことがスラスラ言えて楽だ。まどろっこしくなくていい。
岬はしばらく黙ったきりであったため、俺は「どうした?」と呼びかける。
「木星から地球への距離が遠すぎて聞こえなかったか? それなら、もう一回言ってやる。知っていることを、さっさと――」
『惚れた。本気で惚れたわ。あなた、名前は?』
ああ、コイツはヤバイ女だと本能が叫ぶ。それと同時に八兵衛の言っていた、〝口を挟むと面倒なことになる〟という言葉の真の意味がわかる。
近くにいる誰かにヘッドセットを押し付けようとしたが、八兵衛達との距離は既に遠く、俺はカウンター席でひとり、孤立無援である。だいたい、惚れられる理由が本気でわからなくて不気味だ。思考回路がどうにかなってるんじゃないのか、と思っているところへ、「岬は惚れっぽいのに加え少々の被虐趣味もあってね」という注釈が八兵衛から入り納得した。要は、適度にいたぶってくれる奴なら誰でも良いのだろう。
相手するのも嫌だったが、事件解決の手掛かりは今のところこのソフトMばかりである。俺は渋々「本郷翔太郎だ」と名乗り、さらに続けた。
「岬、お前はそんなつもりで作ったわけじゃないと思うけど、お前の作った装備で犯罪が起きてるんだ。人助けだと思って、知ってることを話してくれないか?」
『ダメ。頼み方がなってない。さっきみたいにもっと口汚く命令するように』
「…………全部話せ、クソッタレ」
『待ってて、翔太朗さん。注文者の名前と住所を調べてすぐに送るから』
通話はそこで一旦切れた。どっと疲れた俺はヘッドセットをテーブルに置いて深くため息を吐く。そんな俺に「お疲れ様」と言って肩に手を置いてきたのは八兵衛である。
「面倒な人だよね。これだからアイツと話すのは嫌なんだ。つくづくオタクっていうのは厄介な人種だよ」
お前が言うなと言ってやる気力は、今の俺には残っていない。
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