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月給24万円でヒーローやってるけど色々しんどい  作者: シラサキケージロウ
第2章 2話 パシフィック・リム
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第2話 パシフィック・リム その6

 場の緊張感が徐々に高まっている。キザったらしい笑みが常の百白も今ばかりは真面目な顔つきで、セットの中央付近で独り、身体の動きを確認するように空に向かって拳や蹴りを繰り出している。撮影に取り組む真剣な姿勢は立派だが、しかしなんとも腰の入っていないパンチやキックだ。アイツは本当にヒーローをやっていたのかと、思わず疑うほどである。


 やがて司が辺りの見回りを終えて戻ってきた頃合いで、「そろそろリハーサル入りまーす!」というやけに高い男の声が響いた。「ようやくか」と口の中で呟き、軽く拳を握って身構えたその矢先、スタジオの扉が開かれて十数名ほどの人が次々とやってくる。あれが話に聞いていたスタントマン諸君だろう。


 しかし想定外だったのが、スタントマンのほとんどが、ヒーローめいた衣装に身を包んでいたことである。赤。白、黄色と色もデザインもそれぞれ異なったスーツが用意されているのがなんとも贅沢だ。この時、俺はこの映画のスポンサー企業の製品を金輪際買わないことを心に誓った。


「……この業界には、〝節制〟という言葉を知らぬ馬鹿共しかいないのか?」


「じゃなきゃ、こんな金の無駄遣い出来るわけないだろ」


 まったく無駄に金が消費される様を目の前にして軽蔑すら覚える俺達に、どこまでも呑気に「圧巻でしょう」と訊いてきたのは、いつの間にか隣に立っていた加賀美である。あれだけ敵意剥き出しで会話をした相手に、よく話しかける気になるものだ。呆れを通り越してある種の尊敬の念すら覚える。


「この映画は百白にとって、俳優業の初めの一歩になります。なんとしてでも成功させなければならない」


「知るか。俺はただ、頼まれたことをやるだけだ」


「そうですか。それは失礼致しました」と加賀美が軽く頭を下げる。セットの中央付近に立つひとりのスタントマンが、「聞けぇ!」と野太い声を張り上げたのはその時のことである。


 男の身長は2m以上あるだろうか――見上げるほどの体躯とやけに分厚い筋肉を持つその男は、プロレスラーか何かのように鼻から上を隠したマスクを着けている。上半身は薄汚れた白のシャツ、下半身は破けたジーパンと、まるで作業員のような恰好であるにも関わらず、配線が剥き出しになった機械の両腕が左右の肩甲骨の辺りから一本ずつ伸びて、節足動物のようになっているのが異質である。


「どうした」「どうした」と周囲がざわつく中、機械腕の男は傍らにいた百白の首根っこを右手でひょいと摘まみあげると、高らかに宣言した。


「百白皇は預かった! 下手な動きをすると、コイツの顔が潰れたパンケーキみたいになるぞ!」



――妙なことが起きないように、本人確認はきっちりやってる。それに、普通の警備員だっている。簡単には入ってこれないハズだよ――。



 脳裏に浮かんでくるのは、自信満々な百白の台詞とキザな表情。あのバカ。妙なヤツ、しっかり入り込んでるじゃねえか。


 無論、この状況を良しとするスタッフはおらず、「ふざけるな!」「馬鹿な真似はよせ!」「警察呼ぶぞ!」などの声があちこちから響き、中には小道具らしきマイクスタンドまで持つような血気盛んな奴までいたが、男がおもむろに突き出した機械の左腕の手首から先に当たる部分が突如〝発射〟され、バカ高そうなテレビカメラを無惨にも破壊したところで、興奮から一転、空気はすっかり消沈した。


 手首と腕は太いワイヤーで繋がっており、〝ロケットパンチ〟は一秒足らずで元の位置へと引き戻される。容赦の無い殺意しか感じられない破壊力に、俺は流石に動揺した。


 ――あの大バカ。いったいどれだけ恨まれてるんだ。


 百白はすっかり青い顔になって、「はうはう」と死にかけの金魚みたいな呼吸を繰り返すばかりで、抵抗する素振りすら見せない。全てを諦めたのかと思いきや、「助けてぇ」と唇だけ動かして繰り返し訴えているところを見るに、この世への未練はまだあるらしい。


 スタッフ達は急な事態に混乱し、すっかり固まってしまっている。下手に動けば最期、せっかくの〝千両役者〟が価値無しになってしまうと考えれば無理もないだろう。


「……どうやら、私達の出番のようだな」と司は声を潜めて言う。


「でもどうする? あんなの使われたら近づけないぞ」


「案ずるな。私に考えがある。……だから貴様は時間を稼ぎ、アレの注意を惹け」


 無茶な要求をさらりと言ってのけた司は、俺の返事を聞く前に、身をかがめながらどこかへと消えていった。


 司が何をするつもりなのかはわからない。だが、どうにかしてこの状況を打破してくれることは間違いない。「やるしかないか」と呟いた俺は覚悟を決め、両手を高く挙げて敵意が無いことを示しながら、機械腕の男の方へとゆっくり歩み寄った。


「なあ、話をしないか。落ち着いて、コーヒーでも飲みながら」


「それ以上近づくんじゃねぇ!」と男は叫び、左拳を百白の顔面に向ける。「はふぅはふぅ」と百白の呼吸がいっそう荒くなる。


「わかった、わかったから。ここに座る。いいな?」


 男が小さく頷いたのを見て、俺はその場に腰を下ろす。


「それで、お前はなんで百白を人質に取ったんだ? 要求があるんだろ? 金か?」


「んなわけあるかっ! 俺が欲しいのはな、コイツに踏みにじられた名誉だ!」


「そのアホに何かされたのか? もしよかったら、話してくれないか?」


「俺はコイツに逮捕されたんだよ! それ以来、俺の人生はメチャクチャだ!」


「つまり、お前は何もしてないってのに捕まったってのか? そりゃ酷い話だな」


「いや。やったことにはやった」


 なら逆恨みもいいとこじゃねえか。ふざけやがって。などと言いたい気持ちをぐっと抑えるため、俺は自分の手の甲をぎゅっと抓る。


「コイツはなぁ! 俺を銀行強盗と勘違いしたんだぞ?! 他人より少し身体がデカくって、少し顔が怖いからって! ただの下着泥棒の俺を!」


 しかも下着ドロかよ。ただただくだらない。呆れながらも俺は、なるべく相手を刺激しないような声色で、「泥棒をしたお前にも悪いところはあったんじゃないか?」と改心を誘ってみるが、男は「盗人にも三分の理だ」と、少なくとも下着泥棒が言ってはならない言葉を吐くばかりで、己の行動を省みる素振りは見せない。


「コイツが……コイツがあの日、俺に声をかけてなけりゃ……!」


「……待て。わかった。お前が〝神聖で高潔な〟下着泥棒だってことはわかった。それで、お前の要求はなんだってんだ?」


「コイツを俺と同じ目に遭わせる! つまり、コイツには百白皇としての社会的立場を失ってもらう!」


 冤罪ならともかく、自他共に認める犯罪者が恨み節を語る道理はどこにもない。どうやらコイツは、一度痛い目に遭わなければどうしようもない人種らしい。


「おい、ふたつ忠告してやる。大人しく百白を解放してお縄に着け」


「バカ言ってんじゃねえ! 今更出来るかそんなこと!」


「それなら……頭に注意しろ」


「何を――」


困惑する機械腕の男の頭に落下してきたのは――司、もといファントムハートである。突然降ってきた頭上からの膝による一撃を後頭部で為すすべなく受けた男は、前のめりに倒れて百白を手放す。百白は腰砕けになりながらも、這いつくばって辛うじてスタッフ達の元まで逃げおおせ、そのままへにゃりと気絶した。


 念のためなのか、男の後頭部にもう一撃拳を見舞った司は、「待たせたな」と言いながらこちらへ歩み寄る。


「その格好をするための時間稼ぎか?」


「外連味のためではないさ。普通の少女の姿のままでは騒ぎになるだろう」

確かに、突然現れた武闘派少女が立てこもり犯を撃退、事件解決では、司の嫌いなマスコミが騒ぎ立てることだろう。


「……にしても、いつもそれ持ち歩いてんのか、お前」


「悪いか?」


「いや、そうは言わねえけど」と言いかけたその時、気絶していたと思われていた機械腕の男が起き上がる。見た目の通りタフな奴らしい。


「チクショウ……俺は諦めないからな……なんとしてでも俺は……俺はっ!」


 アレが下着泥棒の吐いた台詞でなければ格好はつくのだが、その一点が全てを台無しにしている感がある。ともあれ、まだ決着ではない。俺は拳を握りしめて顔の前で構える。


「……ラウンド2だ。構えろ、司」


「だから……ファントムハートだっ!」


 返すと同時に司は駆け出す。一瞬遅れて走り出した俺はその後を追う。


 真っ直ぐ向かってくる俺達を見据えた男は、機械の両腕を前に突き出し拳を発射する。速いながらも直線的な攻撃を紙一重のところで躱しつつ、一気に接近した俺達は、呼吸を合わせ同じタイミングで男の胴体に蹴りを放つ。


 大きく仰け反る男の身体。さらなる一撃を加えるべく、俺達は一歩踏み込んだが、ワイヤーが急速に巻き上げられたことにより戻ってきた機械の拳が背後から迫り、転じて回避を余儀なくさせられる。

男からやや距離を取った俺達は、向こうの出方を警戒しながら話し合う。


「中々に厄介のようだな、アレは」


「みたいだな。次の作戦はあるか?」


「父曰く、〝必要なのは機転と勇気〟」


「……なるほど。ノープランね」


 俺達の会話を裂くように拳が飛んでくる。躱した直後、ワイヤーにより引き戻されて背後からも攻撃が迫る。わかっていれば躱すのは容易いが、こう続けざまに放たれれば、脚がもつれたところに一撃を喰らう恐れもある。もしそうなれば骨の一本や二本では済まされないことだろう。まったく洒落にならない。こんなところで怪我でもして、本業に支障が出たら一巻の終わりだ。


 ――遠距離は不利。互いに視線を交わしてそれを確認しあった俺と司は、左右に分かれて駆け出し男への接近を図る。


「テメェらっ、まとめてハンバーグにしてやる!」


 繰り返し放たれる拳を躱しながら距離を詰めるが、接近したところで男にはまだ生身の腕と強靭な肉体が残っている。数的有利のおかげで圧すことは出来るが、しかし四本腕が相手ではどうしても攻め切れない。


「俺は……俺は負けねぇっ!」


 下着泥棒による熱いセリフと共に、がむしゃらに振り回された機械腕がアッパー気味に司を襲う。その一撃を器用に足の裏で受けた司は、そのまま後ろへ飛んで衝撃を逃がしたものの、空中でバランスを崩しそのまま背中から地面へ着地する。


「――司っ!」


 男から距離を取り、司に駆け寄る。俺が抱き起すより先に「無事だ」と言いながら身体を起こす司であったが、やはりダメージがあるのか足元がおぼつかない。どうやら俺一人で解決する必要があるらしい。それなら、一か八かの賭けに出る他ない。


「……司、そこで休んでろ」


「馬鹿を言え。一人でどうにかなる相手か?」


「安心しろ。勇気はある。それに、機転も」


「……わかった。信じよう」


 俺は司の一歩前に出て、男に向かって「なあ」と話しかけた。


「下着泥棒で捕まるって、恥ずかしくないのか?」


「俺だって、捕まりたくて捕まったわけじゃ――」


「自業自得だろ。くだらねえ性癖のために一生棒に振りやがって。今すぐ地面に手をついて両親に謝れよ」


「両親のことは…………言うんじゃねぇ!」


 俺の挑発に涙ぐんだ男は、〝必殺技・ダブルロケットパンチ〟を発射する。一直線に走りながらそれを躱し、背中で拳が床を砕く音を聞く。ワイヤーの巻き戻しが始まり、空気を裂く音と共に拳が背後に迫るのを感じる。


 ――タイミングを見誤るな。まだ、まだ、まだ――。



「今っ!」



 跳躍。機械の拳に捕まった俺は、主の元へと戻るソイツの勢いを借りて――男の顎を膝で打ち抜いた。


 白目を剥いて背中から倒れていく巨体。ガチャリという、機械の腕が床にぶつかったその音が決着の合図だった。


 ――もう二度とやらないからな、こんなこと。


 そう心に深く誓いながら、俺は大きなため息を吐いた。





 事件は無事解決したものの、さすがにあんなことがあった後ではスタジオ内は騒然となった。全員が全員、何をするでもなくただ慌てふためいている。おまけに、誰かが警察まで呼んだという話が耳に入り、このままここにいては面倒なことになると察した俺達はその場をこっそり抜け出した。


 司と共に撮影所を出ようとするところで、俺達に「お待ちください」と声を掛ける奴がいた。振り返ると、そこにいたのは加賀美だった。


 いつものような薄ら笑いから一転、加賀美はやけに神妙な顔つきをしながら、「本当にありがとうございました」と頭を下げた。やけに殊勝なその態度に、俺は幾分心を許す。


「貴方達のおかげで百白は無事でした。心から感謝しております」


「怪我人がいないならそれでいい。それより、百白は無事か?」


「ええ。今は気を失っていますが、それ以外は至って健康です」


「それならいい。アイツに、恨まれない生き方をしろって言っておいてくれ」


「伝えておきます」


 パトカーのサイレンの音が近づいているのが聞こえる。急いで立ち去らねばと、再び背中を向ける俺達に、加賀美の声が追ってくる。


「もしかして、お二人はヒーローなのですか?」


 その問いに答える代わりに手を振った俺達は、足早に撮影所を立ち去った。


 後日の新聞一面に、〝アージェンナイト、また大手柄!〟という文字が躍っていたことは、まだ司に知らせてはいない。


2話終了です。

3話以降はもう少し先の投稿になります。

よろしくお願いします。

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