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月給24万円でヒーローやってるけど色々しんどい  作者: シラサキケージロウ
第2章 2話 パシフィック・リム
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第2話 パシフィック・リム その2

 説明しよう。現在、俺がいるのは池袋某通りに面したところにあるフランチャイズの喫茶店である。右隣の席には見知らぬオッサンがいて、左隣は空席だ。店内のどこにも来華達の姿は無い。


 説明しよう。じっと黙ってホットコーヒーをすする俺は、司監視の任を解かれたわけじゃない。だからといって、ふたりとの帯同を許されたわけでもない。だから俺はこうして、ふたりが入っていった、パンケーキが有名なカフェの出入り口を見張れる場所で、ひたすらに不毛な時間を過ごしている。


 説明しよう。元々はふたりと共にいるはずだった俺が、何故ひとりでこのような場所にいるのか。それは、来華が俺の存在を司との交渉の材料に使ったからだ。どんな〝お願い〟を聞いて貰ったのかは知る由もないが、ともあれ本日、俺が許可無しでは司の10m以内に近づけないことだけは間違いない。


 ふたりがカフェに入ってそろそろ30分が経過する。あれだけ熱かったコーヒーがもう温い。5分おきに「まだか」と来華に連絡を入れているのだが、その度に「もうちょっと!」と返事がくるばかりで、戻ってくる気配が無い。


 やがて左の席に学生らしい女3人組がやってきて、甘ったるそうなコーヒーを飲みながら大声で喋り始めた。「勘弁してくれよ」という言葉を口の中で噛み砕いた俺は席を立ち、すごすごと独り店を出る。


 外の空気は冷たく澄んでいた。邪魔にならないよう道の端に立ちひたすら待ちぼうけていると、寒さが身に染みる。人通りの多いところにひとりでいるものだからなおさら寒い。もう1時間ほど経つが連絡は未だ来ない。


 立ち尽くすうちに「何をやってるんだ俺は」という思いがふつふつと湧いてきて、いっそのこと帰ってしまおうかという考えが浮かぶ。


 そうだ。帰っちまえばいい。何か言われても、「腹が痛くなった」とか言えばいいんだ。そもそも、俺の存在なんて忘れているころだろう。店を出てきたアイツらに話しかけたら、「いたっけ?」なんて言われるかもしれない。


 そう思い立ち、駅に向かって歩き始めた俺の視界の端に、見覚えのある顔がちらりと映った。例のよく泣く女、天道ひよりだった。共にいるのはセールスマン風の男である。


 何か妙なものでも売りつけられているのだろうかと思い、ふたりの様子をしばし眺めていると、道路の脇で男と話し込んでいた天道は、やがて深々と頭を下げてその場を去ろうと背を向けた。するとあろうことか、男が荒々しく天道の腕を掴み、自分の方へと無理に引き寄せた。


 何やらただ事ではない様子に、俺は思わず「おい」と声を荒げながらふたりに駆け寄る。


「何やってんだ、お前」


 声を掛けられた男は慌てて天道の腕から素早く手を放すと、「いえいえ」と言いながら顔をこちらへ向ける。へりくだった愛想笑いがなんとなく腹立たしい、細面の男だ。


「違うんですよ。私は決して怪しい者ではありません」


「怪しくない奴がそんなこと言うと思うか?」


「ですが本当に怪しくないんですから仕方ない。そうですよね、天道さん」


「ええ」とぎこちなく頷いた天道は、そこで初めて俺の顔を見た。瞬間、その眼は見開かれ、表情はきゅっと強張る。まるで幽霊でも見たような顔だ。


「どうした?」と訊ねると、天道はこちらを見据えたまま「いえ」と答える。


「運命って、きっとこういう時のための言葉なんだなって思っただけです」


 その言葉の真意を測りかねている俺を置き、天道は男に「加賀美さん」と呼びかける。


「先ほどの話は無かったことにしてください」


「ということは、〝ご支援〟は続けて頂けると?」


「そう思って頂いて構いません。ですが、ひとつ条件があります。あのプロジェクトは、今後わたしが主導させて頂きます」


「ええ、なんなりと」


 嘘臭いくらいに深々と頭を下げた加賀美という男は、「またご連絡差し上げます」と言うと、その場から逃げるように駅の方へと小走りで行った。天道に絡んでいたというのはこちらの勘違いだったにせよ、全体的になんとなく信用出来ない雰囲気の奴であると、俺は加賀美という男を心中で評した。


 視線だけで加賀美を見送った天道は、改めて俺の方を向いて「どうも、本郷さん」と控えめに頭を下げた。機嫌が良くないと見える。


「すいませんね。迷惑でした?」


「ええ。とっても」と天道はきっぱりと言い放つ。その強い口調とは裏腹に表情は弱々しい。


「じゃあ、困っているように見えたのは気のせいだったってわけですね」


「そうです。全然困っていませんでした」


 弱々しく眉を下げた天道は、か細い声で淡々とさらに続ける。


「本郷さん、あなたはお人好し過ぎます。女性の前でヒーローを気取りたいのはわかりますが、もっとご自分の力をわきまえてください」


「別にヒーロー気取ったつもりはありませんよ。ただ、困ってたように見えたから声を掛けた。それだけです」


「そんなことをして、もしものことがあったらどうするつもりですか?」


「そんなことをしないでもしものことが起きたら、後悔しそうでしてね」


「……本当に、あなたは――」


 そこで言葉を切った天道は、俺の胸に額を軽くぶつけると、そのまま声を押し殺して泣き出した。涙でシャツが濡れていくのがわかる。道行く人の視線が刺さって痛い。「なんで泣いてんだよ」とは言い出せない空気である。


 泣いた女は厄介、というよりも無敵である。いくらヒーローといえど、泣く子と地頭には勝てないのは自明の理だ。この状況をどう解決すればよいのかわからず、とりあえずそのまま好きなように泣かせていると、天道はふいに「すいません」と謝り足早にその場を去って行った。まったく訳が分からない。


 唖然とその場に立ち尽くしていると、今度は俺に「おい」という声が浴びせられた。誰かと思えば司である。共に来華もいる。


「貴様、あの女性に何をした?」


 険しい顔の司は今にも俺に殴らんばかりの勢いで俺に詰め寄る。コイツ、何も事情を知らないで。


「何もしてねえよ。絡まれてたところを助けたら、勝手に泣かれたんだ」


 事実に基づいた訴えを主張するが、地獄の裁判長・司は「嘘を吐け」の一言でそれを跳ね除ける。


「か弱き女子を泣かせているのだぞ。恥を知れ」


 うんうんと何度も頷き同調する来華。ただでさえ立場が弱いのに、二対一になるともう勝ち目はない。司からの「破廉恥漢」「助平」「好色一代男」などの謂れもない非難を甘んじて受け入れていると、来華がさらに「そーだそーだ!」と引き続き援護射撃を行う。


「ひよりさんを虐めるなんて、男の風上にも置けないんだから!」


「知り合いなのか?」という俺の問いは誹謗中傷の嵐にかき消された。





 なんとか誤解が解けたのは、それから10分ほど後のことである。そこで俺は改めて、天道の知り合いなのかということを来華に訊ねたが、往来の真ん中で立ち話も落ち着かないということで、近くの喫茶店へ入ることになった。


 さてそこで聞いた話によると、天道は来華と同じ高校に通うふたつ上の先輩らしい。誰にとってもいわゆる〝憧れの先輩〟である天道には、熱烈な追っかけまで存在するほどで、かく言う来華もそのひとりだとか。一時期、天道の所属していたバレー部のマネージャーまでやっていたというのだから熱心なものだ。「無論、私は追っかけではない」とは司の談である。そんなことは言われずとも百も承知だ。


 それよりも驚いたのは、天道が高校3年生だったということだ。態度と口調がいやに落ち着き払っていたし、あんなマンションにひとりで住んでいるので、俺と近いくらいか、もしかすれば年上だろうと思っていた。


「それよりもセンセー。お話があります」


 やけに真面目ぶった来華は紙ナプキンにペンを走らせ、11桁の番号を書き留めると、それを俺に押し付けた。「なんだ」と聞けば天道の携帯電話番号だという。


「キチンとひよりさんに謝ること。それが大人としての礼儀です」


 別にこちらに非がないというのに謝る必要はどこにもない。そもそも、向こうだってほとんど面識のない男から突然電話を掛けられて、悪くもないのに謝られても困るだろう。もしかしたら警察沙汰になるかもしれない。


 そういう理に適った訴えは来華に届くことはない。そればかりか来華は、とんでもないことを俺に言い渡した。


「ひよりさんにしっかり許して貰わないと、センセーをクビにするようにお母さんに頼みます」


 この野郎。その歳で権力を笠に着るとはどういうことだ。


 口には決して出せない思いを胃の奥に飲み込んで、俺は「わかった」と頷いた。プライドも何もあったものじゃないが仕方がない。クビは困る。クビだけは困る。


 天道に電話を掛けたのはその日の夜のことだった。知らない番号だから警戒されたのか、一度目の電話は繋がらなかったが、二度目で取ってくれたので助かった。


 皮一枚のところでクビが繋がったことに安堵しながら、俺は「突然のお電話すいません」となるべく柔らかな物腰で始める。


「本郷です。あの、天道さんでよろしいんですよね」


『ええ、そうですが。あなたに電話番号を教えた覚えはありませんよ』


「来華に聞いたんです。その、僕、来華の家庭教師でして」


『そうですか。それで、なんの御用ですか?』


「今日のことを謝りたくてですね。その、泣かせてしまったことを」


『…………別に、あなたに謝って頂くことではありません』


 そんなことは言われなくてもわかってるんだよ。こっちだって謝りたくて謝ってるわけじゃないんだよ。ただ謝らないとクビが切られるから謝ってるだけだよ。お前が泣くのが悪いんだろ。


 止めどなく溢れる負の感情を必死に押し殺し、「そんなことはありませんよ」とあくまでこちらが悪いことを主張する。とにかく、本郷翔太郎という男が平身低頭して詫びを入れたということをしっかり覚えておいて頂かねばならない。


「どんな理由があるにせよ、女性を泣かせてしまうことはあってはならないことです。全面的に、僕が悪かった」


 答えは返ってこなかった。電話口の向こうでどんな顔をしているのか、さっぱり想像がつかない。


 ともあれ目的は達した。俺は「それじゃあ」と言ってさっさと電話を切ろうとするが、ディスプレイに伸びた人差し指を『お待ちください』という天道の声が止める。


『そこまで悪いと思っているなら、わたしのお願いをひとつ聞いて頂けますか?』


 許して貰わなければクビという条件を喉元に突きつけられている俺に、「お断りします」と返す選択肢はない。俺は背中に冷や汗が垂れるのを感じながら、「なんなりと」と声を絞り出す。



『よかった。それなら――本郷さん、わたしと一緒にお出かけしてください』



 予想だにしない提案。我ながら、「は?」という言葉が出てこなかったことは褒めてやりたいと思う。


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