第5話 キックアス その4
司と共に教会を出て、どちらかが言い出したわけでもないのに2人揃って空を見上げた。満天、というわけでは決してないが、オリオン座が鮮明に見える程度に星が明るい。東京じゃこうもいかないだろう。
埼玉の夜も悪くない、なんて考えていると、愛宕の運転する白いワゴン車が教会の横に付けられた。車の窓が開き、助手席から顔を出した八兵衛はのんびりした様子で手を振った。
「タマフクローにファントムハート、元気そうで何よりだよ」
「貴様は相変わらず呑気だな」と、司が微笑みながらこぼす。
「緊張感が無いことこの上ない」
「まあ、僕はタマフクローを信じているからね。緊張なんてする必要も無いのさ」
八兵衛は俺の身体を上から下までジロジロ眺めた。
「でも、予想外に手酷くやられたみたいだ。平気かい?」
そう言われると、せっかく忘れていた痛みがぶり返してきた。額からはどっと脂汗が吹き出し、倦怠感が全身を襲う。どうか骨まで折れていませんようにと願うばかりだ。
「……思い出させるなっての」
「ゴメンゴメン。まあ、ここで立ち話っていうのも危険だし、後ろに乗ってよ」
促されるまま後部座席に乗り込み、全体重をシートに預ける。安心感からか、痛みだけではなく眠気までもが顔を出す。しばらくここから離れられそうにないな、これは。
煙草をふかす運転席の愛宕は、バックミラー越しに俺へ視線を向けた。
「あら、翔太朗。全身ボロボロで、ずいぶんいい男になったわね」
「うっさいっての」と俺はマスクを脱ぎ捨てる。
「それより、痛み止めとかないのか?」
「万能薬ならあるけど」と、愛宕はくしゃくしゃになった煙草の箱をちらつかせる。まともなものは期待出来ないらしい。「要らん」と答えると、愛宕は「そう」とだけ呟き車をスタートさせた。
徐々に離れる教会を肩越しに見る。今日は酷い一日だった。殴られて、殴られて、殴られて、殴られて、殴った。……冷静に考えれば、いつもと大して変りないかもしれない。
「さてタマフクロー、首尾はどうだった?」
教会からすっかり離れた辺りで、八兵衛は手のひらを擦り合わせながら言った。
「万が一ここで失敗してちゃ、全部が台無しだからね」
「ばっちりだ。見るか?」
俺はタマフクローのマスクを手渡す。それを受け取った八兵衛は、待ってましたとばかりに、ノートパソコンに繋がっている映像出力用のコードをマスクに次々差した。
「タチバナ店主、何をしているのだ?」
「秘密兵器のチェックさ。こいつはキくよ。少なくともアージェンナイトにとっては、ロケットパンチ以上の破壊力だ」
首を傾げる司は、迷う視線を俺に向けた。「見ればわかる」と俺はパソコンに指を差す。
やがて、デスクトップのアイコン整理がついていないパソコンの画面に、そこまで解像度の高くない映像が映し出される。映像は先ほどの教会内でのワンシーン。司と百白との会話を、教会の梁に立っていた俺が上から撮影する場面から始まった。
『……――ああっ! ホラホラ! 涙だよ涙!』
「な、なっ?!」
大音量で流れた百白の声に司の素っ頓狂な悲鳴が続いた。自分が涙しているシーンが人前で流されるなんて、司じゃなくても似たような反応をするだろうから仕方ない。
『……ありがとう』
か細い声で述べられた司の礼の言葉を聞いた愛宕は、けたけたと笑ってその挙句にむせ返った。
「よ、ヨシノ! 笑いすぎだ!」
「いいじゃないの、可愛いくって。普段からこうやって素直に感情を出せば、お嬢ちゃん、もっと可愛いわよ」
「かわいくても困るなあ。彼女はカッコよくなくっちゃ」
「勝手なことを言うな!タチバナ店主、早くその映像を止めんか!」
「ダメだよ。ちゃんと撮れてるのか確認しないと」
「何故撮った?! どうやって撮った?!」と顔を真っ赤にした司は怒号をあげて俺を睨む。怒りの矛先は俺に向いたらしい。寝たふりで誤魔化そうともしたが、肌をざくざくと刺す視線がそれを許してくれそうにない。
赤信号で車が止められたところで、俺は意を決して口を開く。
「ちょっと前に言ったことがあるだろ。俺のスーツには訴訟防止用のカメラが付いてるって」
「答えになっとらん! 舐めとるのか貴様は!」
「どうやってって言われたから答えたんだ……」
「何故の方が重要なことぐらいわかるだろう!」
ついに我慢できなくなったようで、司は俺の膝上にまたがり、胸倉を掴んだ上で力いっぱいに腕を上下させる。無抵抗の身体が思い切り揺らされ、胃にむかむかとしたものがこみ上げる。やり返すどころか、反論する気力すらない。
「暴れないでよ、お嬢ちゃん。やんちゃなのは可愛いけど、やり過ぎると子どもっぽいわよ」
「黙ってくれ! これは私と翔太朗の問題だ!」
「待ちなって。僕が説明するからさ」
八兵衛は映像のチェックを止めないまま言った。
「アージェンナイトはプライドの高いヒーローだ。自身の知名度や人気を取り繕うためなら犯罪ギリギリの行動だって厭わない。そんな彼が、自分がボコボコにされた映像を送りつけられたとしよう。その時、彼はファントムハートを追ったリアルショーの撮影を続けるか、それとも自分が無名ヒーローにボコボコにやられた映像を全国公開されるか、どちらを選ぶと思う?」
その説明に手を止めた司は、「済まなかった」と呟き、きちんと座り直した。俺はぐったりとシートに身体を預け、窓の外を見る。信号待ちをしていた隣の車の助手席に座る中年女性が、何事かという顔で俺のことを見ていた。
「さて、誤解が解けたところでちょっといいかい?」
八兵衛はスッと両腕を挙げ、後部座席の俺達と運転席の愛宕をそれぞれ見た。
「せっかく大団円で終わりを迎えたんだ。一本締めでもやらないと締まらないだろう?」
「あたし、パス」と即答する愛宕。それに続いて「私もだ」と司。
「冷たいこと言わないでよ。さあ、それでは皆さんお手を拝借」
八兵衛は「ヨォーっ」と音頭を取って手を叩く。気だるげにハンドルにもたれかかる愛宕はそれを無視し、窓の方を向いた司もあからさまに無視し、そして俺も当然無視し、結果としてぱちんという音がひとつ、車内に空しく響くに終わった。




