第4話 アベンジャーズ その5
滅多に乗らないタクシーなんて拾って、慌てて司の家に駆けつけてみれば、門は無防備に開いており、誰でも出入りできる状態になっていた。石畳を一気に駆け抜け、呼び鈴も鳴らさず玄関扉を開けた俺は、シンと静まり返った廊下に叫んだ。
「司! いるなら返事しろ! 司!」
やがてひたひたと廊下を歩く音が聞こえてくる。一応、顔を合わせてくれるつもりはあるらしい。
「サヨウナラだと言ったろう。何故来た?」
「今の俺はタマフクローじゃない、本郷翔太朗だ。それよりも、わかったんだよ。〝ファントムハート〟を追ってる犯人が」
「なんと――」
目を見開き驚きを見せる司だったが、その顔はすぐ平静に戻る。
「で、誰だというのだ。その犯人は」
「百白皇、またの名をアージェンナイト。来華曰く、〝ナンバーワン〟のヒーローだ」
俺は懐からスマホを取り出し、百白の名前で画像検索を掛ける。続々出てきたキザな画像を「これだ」と見せると、司は思い切り眉をしかめた。
「……この男、いつぞやの」
司は苦々しい表情のまま言った。
「翔太朗を疑うわけではないが、何故この男が私を追っているとわかった?」
「この百白って男、〝ヒーローの幽霊の正体に迫る〟とかいう内容でテレビ番組撮ってんだ。ヒーローの幽霊ってのは、つまりお前のことだ」
「なんだそれは。意味が解らんぞ」
「お前、自分では知らないだろうけど、結構世間で騒がれてるんだよ。無認可で活動を続ける、古き良き時代のヒーローの〝幽霊〟だってな」
「……なるほど」
ぎゅっと音がするくらいに拳を固く握った司は、もう一度「なるほど」と呟いた。
「……翔太朗、私は用事が出来た。貴様は帰れ」
「ゴメンだな。アイツのとこに乗り込むんだろ? 俺も行く」
「助けは要らん。私達はもう決別したはずだ」
身を翻した司は廊下の奥へと早足でいく。俺は「関係あるか」と答えながら靴を脱ぎ、その後を追う。
「いいか、司。アイツはお前が思ってるよりずっと手ごわい。1人じゃ危険だ」
「舐めるな。父の信念を身に宿した私が、後れを取る相手などどこにも居ない」
「バカ言うな。いいか、司。アイツと真正面でやりあっても――」
「おや、案外大きな家だ。僕が想像していたよりも、ずっと」
わざとらしい、大きな声が玄関から響いてきた。
人をとことんまで舐めきったその口調。それだけで、俺は玄関に居るヤツが百白であるということがわかった。
「貴様――」
司はカミソリのように鋭い敵意を込めた視線を玄関の方へ送る。視線を移せば、百白は土足のまま廊下に上がったところだった。その手には〝変身ベルト〟――例のアタッシュケースが握られている。
「……百白」と俺は唸るように呟いた。
「ようやく名前を知っていただいたようで光栄だよ、三流ヒーローのタマフクロー、またの名を本郷翔太朗クン、だったかな?」
そう言って、百白は嘲るように息を吹き出す。
「それにしてもタマフクローって……口にするだけで寒気がするほどダサい名前だ。よく耐えられるね、キミ」
「……大きなお世話だ。それより、なんでここがわかったんだ?」
俺は時間稼ぎのつもりでそう問いかけた。変身されたら勝ち目がないことは目に見えている。
歩みを止めた百白は、「キミのおかげさ」と言って偉そうに語りだす。
「初めて会った日のことを覚えているかい? あの時、ボクはキミにもカメラを向けていた。その映像を元にボクのファンの皆に――キミの言葉を借りれば、〝ボクの姿を見たらキャーキャー言ってくれる女の子達〟に、キミのことを知らないかって聞いて周ったわけ。そしたら案外、タマフクローって名前には簡単に辿りついたよ。最近、キミに助けられたって子がいたから。ヒーローネームがわかれば後は簡単。ボクを慕う後輩達にキミの本名を探らせ、住所を探らせ、24時間体制で尾行と監視を行ったってわけ。ファントムハートの正体に辿りついたのも、全部キミのおかげ。感謝してるよ、いや本当に」
どこまでも人の神経を逆なでるのが上手いヤツだ。頭に血が昇り、今にも踏み出しそうになる俺の隣を、ふいに司が通り抜けた。
「それで貴様は何をしにきた。返答次第では、五体無事に帰さんが」
「わからないかい、ファントムハート。撮影のお誘いに来たんだ」
「よもや、私を相手にして、勝てると思っているのではないだろうな?」
「――勝てるに決まってるじゃないか」
百白がアタッシュケースを前方に突き出す。俺は変身を阻止しようと必死に手を伸ばすが――無駄だった。白銀の装甲はテレビで見た時よりも速く展開し、瞬時にアージェンナイトを産み出した。
「だって、ボクは本物のヒーローだよ? 半端者の君達に負ける道理なんてどこにもない」
「……いいだろうそれなら、試してみようではないか」
外連味溢れるその姿をこけおどしだと考えたのか、司は細かいステップを刻みながら百白に接近し、腹とアゴを目がけて正確なパンチのコンビネーションを繰り出す。カンカンと軽い金属音が虚しく響くものの、百白は怯む素振りすら見せない。
自分の拳が一切無意味であったことを悟った司は、大きく後退し歯ぎしりをした。
「なんてことのない、軽いパンチだ。どう強がったって、結局は女の子だもんね」
「……なんだというのだ、貴様は」
「見てわかるだろう? 正義の権化さ」
百白は両腕を翼のように広げる。
「さあ、ファントムハート。一緒に来てもらおうか?」
「断る。貴様に連れていかれるのなら、ここで朽ちた方がマシというものだ」
司は弾けるような突進から跳躍し、空中で横回転しながら蹴りを繰り出す。鞭のようにしなやかなその一撃は後頭部を捉えたが、百白はチッチと舌を鳴らしながら指を振るばかりだ。
「今のは驚いたよ。やっぱりキミ、最高だ。持ってるよ、視聴率」
「……黙れ。そしてそのままくたばれ」
「口が悪いから吹き替えが必要かな」
そう言って百白は司の足首を掴むと、力任せに腕を2,3度振った後、その身体を無軌道に放り投げた。
山なりに飛ばされた司が廊下に跳ねるその直前、俺は倒れ込むような形でその身体を何とか受け止める。ホッとしたのも束の間、顔を上げた次の瞬間には、困ったような調子で腕を組んだ百白が眼前に迫っていた。
「時間もない。そろそろ終わりにしたいんだけど、いいかな?」
「いいわけねえだろっ!」
ぐったりとした司を背負った俺は、全速力で廊下を駆け抜け玄関に向かった。
今の百白には勝てない。逃げなければ、ふたりともやられる。好き勝手やられて血が昇った頭でも、それだけは理解出来た。
玄関から道路まで続く石畳は20mも無い。外に出れば、いくらコイツでも――いや、知名度があるヒーローであるコイツだからこそ、一般人の前で手荒な真似は出来ない。
そう計算し、靴も履かずに外へ出た俺を待っていたのは――ざっと数えて10人はいるだろう、カメラやマイクなどの撮影機材を構えた男たちだった。そのひとりひとりが薄気味悪く口元に笑みを浮かべており、大人しく俺をこのまま逃がす気は無いらしいということが伺える。
「言っておくけど、逃げようなんて無駄だよ、三流クン。彼らはボクのボディーガード兼撮影スタッフ。流石のキミも、丸腰でその数相手じゃどうしようもないだろう?」
「……このクソ野郎。ドブにでも溺れろ」
「口が過ぎるね。彼女と同じだ」
百白は俺の目前に回り込むと、顔の横で一本一本指を折り、見せつけるように拳を作った。
「これは、いつかの仕返しだ」
言うが早いか、百白は俺の顔面に向けて拳を突き出した。咄嗟に後ろへ飛んだものの、あまりの速さに避けきることは叶わず、金属の拳骨は顎にぶつかり脳を揺らした。
視界がぼやけ、立っていることさえもおぼつかなくなる。腕と足にだけ全神経を集中させ、司を離さないようにしながら、歪んだ石畳をふらふらと歩く。
「その根性は悪くない。でも、キミはあくまで脇役だ。ここで退場して貰うよ」
苛つく言葉が投げかけられると共に、鈍い衝撃が後頭部に走る。視界は黒で塗りつぶされた。




