第4話 アベンジャーズ その4
それから俺は、司の家ではなく自宅マンションに戻った。帰る最中、「帰ったところで、部屋にはもう別の住人がいるのでは」と頭に過ぎったが、それは杞憂に終わった。大家にひと声掛けたら、思いのほかあっさりと俺の帰りを受け入れてくれたのである。
「若いんだから騒ぐこともあることはわかってるよ。だからって逃げなくていいのに」
逃げたのには女子高生を連れ込んでいるところを見られたくないという理由もあったのだが、あえてそれを言うことはなく、俺は「迷惑かけてすいません」とだけ言って頭を下げた。
自分の住処を意外なほど呆気なく取り戻した俺は、手始めに懐かしのベッドに飛び込んだ。そしてその眠気に誘われるまま寝てしまった。1週間以上も干しっぱなしだった洗濯物とか、食器洗いとか、色々やることはあったのだが、どうにもやる気が起きなかった。
寝て起きて、また寝て、ひたすら惰眠をむさぼり、起きたのは昼食には遅すぎる2時過ぎのことだった。シャワーを浴びて携帯を確認すると、八兵衛からの不在着信が20件超も入っていた。そういえば、今日は約束の日だった。昨夜の一件のせいで、申し訳ないことに今の今まですっかり忘れていた。
俺は電話を取り、八兵衛の番号を呼び出す。一度目のコールが鳴りきらないうちに通話は繋がった。連絡もせずに約束をすっぽかしたので当然のことだが、ずいぶんとお怒りの様子だ。
『連絡が遅いよタマフクロー! 何回も電話したってのに! いったい、何やってたんだい?!』
「悪い。色々あって忘れてた」
『忘れてたじゃないよ! ファントムハートからの連絡も無いし、番号はわからないからこっちからは掛けられないし……どうなってんのさ君らのチーム!』
ファントムハートという名前を聞いたその瞬間、どこか忘れてしまおうとしていた司の寂しそうな背中がフラッシュバックすると共に、ふぬけていた頭に金づちが振り下ろされたような気がした。
そうだ。なんと声を掛けてやればよかったのかわからない、じゃどうしようもないだろう。立ち止まるだけだったら馬鹿でも出来る。それなら、無闇でも無策でもいい。いつものように、とにかく進めばよかったんだ。
そう思えば思うほど、そんなことさえもできなかった自分自身に……何より、司にあんな表情をさせている、〝信念〟と名付けられた、取るに足らないお題目に心底腹が立った。瞬時に沸いたやりきれない怒りを少しでも発散するため、自分の太ももを思い切り殴りつけた俺は、後悔するほどの痛みを我慢しながら「チームじゃないっての」と返した。
『大丈夫かい、タマフクロー。何だか、辛そうだけど』
「平気だ。とにかく、明日は必ず行く。10時くらいでいいか?」
『実は、そうも言っていられない状況なんだ。出来る事なら調べたことを今ここで話してしまいたい。構わないかい?』
「長いなら明日にしてくれ。それでいいか?」
『いい……とは言えないけど、仕方ない。君にも何か事情があるんだろう?』
「悪いな。恩に着る」
そう言って八兵衛の返事も待たずに電話を切った俺は、今から司に会いに行くことを決めた。部屋着から適当な服に着替え、財布と携帯と鍵をポケットに詰め込み、いざ家を出ようというところで携帯が鳴り響いた。見れば、来華からの着信だった。
例の〝ヒーロー宣言〟をしたあの日以来、来華からの着信がこない日は無い。やれ「まだテレビには出ないのか」とか、やれ「ヒーロースーツ姿を見せろ」だとか。この電話もどうせその手のことだろうと考えたが、ここで無視しても後で一層うるさくなることはわかっていたので、俺は靴を履きながら通話を繋いだ。
「来華。悪いけど、大した用事じゃないなら――」
『センセー! テレビ見る! 4チャン! すぐに!』
テンションがあらぬ方向へ突き抜けているのか、来華はさながらうさんくさい外人の客引きのように片言である。無視しきれないと直感した俺は、履きかけた靴を渋々脱ぎ捨て、リビングに戻ってテレビをつけた。
画面右上には、『緊急生放送』の文字。しかしそれが世間を揺るがす大事件というわけでないのは、画面端に映る野次馬のニヤついた表情からわかった。
テレビカメラは都内にある駅前の銀行を遠目に映している。野次馬の騒ぐ声に混じり、緊迫感を煽ろうとしていることが透けて見える女性レポーターの演技がかった声が聞こえる。
『拳銃を持った4人組の男が押し入ってから早や30分、依然として犯人グループの立てこもりが続くこの銀行、画面越しにも現場の緊張感が伝わりますでしょうか?』
リポーターがそう言うと同時に、警察車両へとカメラが向けられる。眠そうな警官がパトカーに寄り掛かり、頭をかきながら銀行をぼうっと眺める映像がほんの一瞬だけ流れたかと思うと、レンズは再びリポーターへと向けられた。
『独特の緊張感のせいか、酷く疲れている警官もいるようです』
見事なフォローだが、だからといってどうということもない。さっさと家を出ようとテレビに背を向けると、それを見透かしたかのように通話口から『まだダメ!』という怒号に近い来華の声が飛んできた。
「何がダメなんだよ。今、出かけようとしてたところなんだぞ」
『あと少しで 白銀の騎士が来てくれるんだよ?! センセーもヒーロー志望なら、少しくらいはガマンしなさいっ!』
「アージェンナイト?」と俺は記憶のページをめくる。確か、来華がこの前、池袋までサインを貰いに行ったキザ野郎だったか。
「ずいぶんお気に入りなんだな、そいつのこと」
『トーゼン! 人気、実力共にナンバーワンヒーローなんだから! 比衣呂市でアージェンナイトを知らないのなんて、センセーと司ちゃんくらい……って!ホラホラ! 来たよ来たよ!』
ここで電話を切れば、待っているのは間違いなくリダイヤル地獄。これから司と真面目な話をしようってのに、電話がうるさくちゃ集中できないことこの上ない。ならば、ある程度来華の気が済むまで付き合ってやる他ない。
興味が湧かないことこの上ないのはさておき、俺は「どれどれ」とテレビを眺めた。するとそこには、なんと言うことだろうか。いつぞや見た全身白づくめの優男が、1輪のバラを右手に携え現れた。突如現れたゴリラに糞でも投げつけられればいいのに。
それにしても、よもやあの男がヒーローだとは。しかも、女子高生に大人気の。
俺の困惑を余所に、レポーターは安堵したような微笑みを見せながら白バカ男に駆け寄る。
『皆さん、ご覧ください! 事件解決のために、百白皇氏ことアージェンナイトが現れました! 繰り返します! 百白皇氏ことアージェンナイトが現れました!』
レポーターは百白とやらにマイクを向ける。それを受けた百白は、彼女からマイクをひったくるように奪うと、嘘くさい笑顔で語り始めた。
『皆さん! ここはこのボクにお任せを! 凡百の銀行強盗なぞ、ものの5分で捕らえてやりましょう!』
またずいぶんと大きなことが言えたものだ。初めて会った時といい、口だけは一人前らしい。
「……来華、本当にコイツ、実力ナンバーワンなのか? コイツが喧嘩で負けてるところ、見たことあるぞ」
『ウッソだーっ! 変身だって出来るんだよ! 負けるわけないじゃんっ!』
「変身?」
まさか、そんなアニメや漫画みたいなこと出来るヤツがいるわけがないだろう。
疑いの視線をテレビに向けると、百白は手にしていたバラを天高く放り投げていた。2mほどの高さまで投げられたそれは自由落下する前に宙で弾け、大量の花びらを散らした。遠くで野次馬がキャーキャー叫ぶ声をマイクが拾い、現場の熱気が伝わってくる。
風に揺られる花びらがゆっくりと落ちていくのと共に、引き気味に花びらを映していたカメラは徐々に百白へと向けられる。百白の右手には、派手なシーンで目を惹いているうちにどこからか持ってきたのか、メタリックな外装をした、大きめのアタッシュケースが握られていた。
『さあ、ショータイムだ』
百白はアタッシュケースの留め具を外す。すると、口が開いたケースが見る見るうちに百白の身体に貼りついていき装甲を展開していく。これぞまさにヒーローと呼ぶべき、本当の〝変身〟だった。正義の心よりも、何より金が必要そうではあるが。
百白が変身した姿――アージェンナイトはその名前の通り、白銀の装甲で覆われている。ほぼ人体に則しており、色以外はシンプルな姿ではあるが、翼の形を模した蒼く光る巨大な目と、腕から肩にかけて刻まれた茨の刻印が非常に目立つ。酷く悪趣味である。
『犯人諸君、ボクの見せ場のためにせいぜい頑張ってくれたまえ!』
叫ぶと共に、警察の警戒線を超えて正面入り口から堂々と銀行内に入る百白。その背中を、何故か警察に止められることもなくカメラマンがついていく。
百白が銀行内に入ると、両手足を縛られ人質となっていた数名の行員、さらにはカウンターの向こうでこれからどうするか話し合っていたらしい強盗たちに対しカメラが向けられる。彼らは一様に困惑し、ぽかんと口を開けてカメラと百白を交互に見た。
『やあ、人質諸君には朗報だ。助けが来た』
百白は、強盗達に向けてゆっくりと歩を進める。
『強盗諸君には悲報だ。ヒーローが来た』
『テッ、テメェっ! 誰も入って来るなって聞いてねぇのか!』
ようやく我に返った強盗たちは次々に銃口を百白に向ける。それをさほど気にする様子の無い百白は両腕を肩の辺りまで上げ、「やれやれ」とでも言いたげなポーズを取った。
『入ってくるなって言われて、入らないお馬鹿さんがいると思うかい?』
その態度が気に障ったのか、強盗のひとりは百白に向けて弾丸をぶっ放した。火薬がさく裂する音と共に、百白の肩の辺りで火花が散る。しかし、百白は少しのけ反るばかりで効いた様子は全く無い。「見た目が派手」で終わる、俺のそれと同じようなスーツではないらしい。
『まさか、自分から罪状を増やすほど馬鹿だとはね』
『……効いてねぇのかよ』と強盗が呟く。
『効くわけがない。本物のヒーローを舐めない方がいいよ』
そう言って百白はぱちんと指を鳴らした。それが合図だったのか、行内の電気が一斉に消え、さらには全てのシャッターまでもが閉められた。まったくの暗闇であるが、カメラに暗視機能でも付いているのか、映像には大きな影響も無かった。
『テメェっ! 何しやがった!』
『何、ムード作りの一環さ。これでロウソクでも点いていれば最高なんだろうけどね』
そう言った百白は強盗たち目がけて真っ直ぐ突進する。あのスーツには暗闇など関係ないようだ。作戦はおろか、人質の安全すらも考えない突撃。これでもし半狂乱になった強盗が所構わず拳銃を撃ちまくったら、そしてその銃弾が人質に当たったら――コイツはどうするつもりだ。
『お仕置きの時間だ!』
跳躍し、カウンターを乗り越えた百白は4人の強盗の真ん中に着地した。
『掛かってきなよ。そうでなくちゃ面白くない』
『怯むな! やっちまえッ!』
その言葉を皮切りに、暗闇の中で4対1の近接戦が始まった。ナイフを抜いた強盗たちは百白を囲み、突いては斬ってを繰り返すが、弾丸さえも弾いたその装甲にたかがナイフが通用するはずもない。
『今度はこっちの番だね』
そう言って強盗の額をアイアンクローの形で掴んだ百白は、力強く腕を振った。まるでタオルか何かのように振るわれた強盗は全ての仲間をなぎ倒し、挙句投げられボウリング球のように銀行の床を滑っていき、やがてカウンターにぶつかって鈍い音を立てた。幕切れの音だった。
『なんだ、面白くないんだから』
百白が呟くと共にシャッターが開き、外で待機していた警官が行内へと一斉になだれ込んでくる。スーツの性能に頼り切りなのはともかく、宣言通り5分程度の解決劇だ。
『スゴイでしょっ? ねえセンセーっ、スゴイでしょっ?!』
「……ああ、確かに凄いな。あのスーツ」
俺はテレビにリモコンを向けながら言った。
「興味深い内容だったよ。じゃあな、来華。詳しい感想はまた家庭教師の時にでも」
『まーだっ! インタビューがあるんだからっ!』
「インタビューって……野球かよ」
もう構っていられない。俺はテレビをつけっぱなしにしながら、玄関にて靴を履き、来華が満足するのを待つことにした。百白とリポーターとのやり取りが、聞きたくもないのに耳に届く。
『お疲れ様でした、アージェンナイト。事件解決のご感想は?』
『大したことはないよ。ただボクは正義を実行しただけ。いつもの通り、ね』
『犯人グル―プに何かひと言ありますでしょうか?』
『ボクの姿が見えたその瞬間、彼らは尻尾を巻いて逃げるべきだったんだ。だって、誰もボクに勝てるわけがないんだから』
『最後に、ファンの皆様にひと言お願いできますでしょうか?』
『じゃあ宣伝でも。年末にこのチャンネルで、4時間枠を使った特別番組を放送する予定なんだ。楽しみでしょ? ボクも楽しみさ』
『特別番組……それは、一ファンである私としても非常に気になるところですが、一体どのような内容になっているか、お聞かせ願えないでしょうか?』
『仕方ないなあ。なら、概要だけ』
百白はたっぷり間を置き、そして言った。
『――今、巷を騒がせている〝ヒーローの幽霊〟。ボクは今回、彼女の正体にメスを入れた。圧倒的なリアルと興奮が君達を待っている。素晴らしい時間をお届けする予定さ』
『彼女だって! センセー! 幽霊さんって女の子なのかなっ?!』
来華の声が無意味に通り抜ける。そんなことより、百白は今なんと言った?
――ヒーローの幽霊、その正体にメス――。何度と噛み砕くまでもなく、まさかと考えるまでもなく、俺はその言葉の持つ意味に辿りついた。
ファントムハートを追っていた、八兵衛曰く〝プロデューサー〟とやらの正体。マスコミに顔が利き、飛沫ヒーローを操れるほどの力を持つ人間。
間違いない、百白だ。
「……来華、悪いな。俺、急いでるんだ。もう切るからな」
『待ってよセンセー!まだ――』
電話を切り、玄関を飛び出した俺は、近所迷惑なぞなんのその、一目散にマンションの廊下を駆けた。




