第4話 アベンジャーズ その3
八兵衛との約束が翌日に迫った夜のこと。俺と司は共に比衣呂市をパトロールしていた。土曜日だからだろう、既に11時を回っているというのに駅前には大勢の人がいる。駅から離れても、飲み会帰りの学生らしき者がふらつきながら歩いている姿を幾度と見る。何が起きてもおかしくない――つまりは、いつもと変わらない夜だ。
パトロール中に立ち寄った、比衣呂市一帯を見渡せる背の高いマンション屋上。ふと空を見上げてみれば、薄雲がかかった月がぼんやりと、そして大きく輝いている。息を吸い込めば、喉を通る風は冷たい。孤独な秋の季節もそろそろのようだ。
「――翔太朗、あれを見ろ」
季節の移り変わりをこっそり楽しんでいた俺は、司の声で現実に引き戻される。しかし「あれを」と言われても、小型の双眼鏡なんて覗いる司と違って、俺には何を見ればいいのかわからない。
「あれって何だよ?」
「貴様のマスクは見てくれだけだな。せめて望遠機能くらいついていないのか?」
「ヒーローっぽく顔を隠せりゃなんでもいいもんでね。それで、何が見えるんだ?」
司は人差し指を真っ直ぐ差した。
「ここから降りて200mも無い路地裏だ。2人組の大学生らしき者が、3人の男から詰め寄られている」
言うが早いか、司はトレンチコートの懐に双眼鏡をしまい込むと、その代わりにフック付きのロープを取り出した。それを屋上の手すりに掛けた司は、マンションの壁面を器用にもするすると滑り降りていった。あいにくと俺はそのような便利な道具を持ち合わせていなかったため、非常階段を全速力で駆け下りた。
1階まで降りたものの、当然司の姿は既に無い。仕方がないので俺は、先ほど指されたと思わしき方向に駆けた。電柱に隠れ男達の様子を伺う司の姿が見えたのは、それから2分後のことだった。
俺は司の背後から、「悪いな、遅れた」と声をかけた。
「案ずるな。いざとなれば私一人で行こうと思っていた」
司は電柱の陰から一歩出ると、コツコツコツと大きな足音を立てながら男達に歩み寄る。そのわざとらしい足音に気付いた男達は、一斉にこちらを振り返った。
「――運が無いな、貴様ら。私の前で悪事を働くなどとは」
学生に詰め寄るスウェット姿の男に司は言った。
「覚悟しろ。少々痛い目に遭ってもらう」
「痛い目か……」
そう言って男は「へへへ」などと趣味の悪い笑い声をこぼす。どういうことか、それに呼応するように学生たちも笑い始める。
「痛い目に遭うのはお前の方だ、〝ファントムハート〟。ついでに、三流ヒーロー」
学生風の男はそう言って、背負っていたリュックからカメラを取り出した。全ては俺達を陥れるための罠だったというわけだ。後ろからこっそり追いかけていたころと比べれば、ずいぶん賢い追い方になったものだ。
「……貴様、私を騙したのか?」
「騙される方が悪ぃんだ」と、男達はポケットから折り畳みナイフを取り出す。「捕まえろとは言われてるけど、無傷でとは言われてないしな」
「いいだろう。ただし、今の私は憤怒の炎で燃えている。掛かってくるのなら覚悟を決めろ」
「舐めやがって」と路地裏からぞろぞろ出てきた男達は、俺と司を囲む。ゆっくりと拳を構えた俺が先んじて踏み出そうとしたその瞬間、ふいに出てきた司の右腕に動きを止められた。
「待て」
「なんだよ。何か考えでもあんのか?」
「ここは私一人でやる。下がっていろ」
有無を言わさないその張りつめた雰囲気に、俺は一歩下がらざるを得なかった。
「……感謝する」
呟いて、ふいに振り向いた司は背後にいた男に向かって走る。短距離走選手のようなスタートダッシュから繰り出されたのは、全体重を掛けた飛び膝蹴り。突然のことに判断が遅れた男は防御姿勢も取れないままそれを顔面に食らい、吹き飛ばされる形で仰向けに倒れた。
「まず、1人」
「てっ、テメェっ!」
男達の標的は司ただ1人に絞られた。大の字になって倒れる仲間を踏みつける司に、撮影係以外の男達が持つ3本のナイフが襲い掛かる。
振り上げられたナイフが街灯の光を銀色に反射する。3方向からの刺突。それを前にした司が取った行動は、回避でも防御でもなく、攻撃だった。
他の2人よりもやや動きが遅れた男に狙いを定めた司は、ナイフが伸びてくるよりも先に牽制の上段蹴りを繰り出す。伸びてきた蹴足に一瞬怯んだ男の隙を見逃さず、蹴りの勢いを使って跳躍した司は二撃目の蹴りを空中で放ち、顎先を射抜いた。
「――2人」
残る男達は、無防備な背中を見せる司に何とかナイフを突き立ててやろうとムキになって突撃する。しかし、連携がまったく取れていない2人の攻撃は、司の放った後ろ回し蹴り二連続によってあえなく迎撃された。
「――3人、4人」
1分ともかからずに4人の男を倒した司は、未だ晴れない鬱憤を晴らすようにコンクリートを踏みつけながら、撮影係の男に近づいていく。あっという間に仲間を失った恐怖に足が竦んでいるのか、残った男は全身を小刻みに揺らすばかりで一歩も動かない。
司は無言で男を押し倒し、馬乗りになった。尋問でもやるつもりなのかと、俺は司を静観する。
「さて、貴様に尋ねたいことがある。貴様は、一体何者だ?」
「ひ、ヒーローだ! 東京で活動してて――」
遮るように、司は男の頬を叩いた。
「もう一度聞くぞ。〝貴様は何者だ〟」
「だ、だから――」
再び司は拳を振う。今度は先ほどよりも強く二撃、腹と頬に一発ずつだ。
「〝貴様は何者だ〟」
「ヒぃロ――」
「違うッ!」
大きく拳を振りかざした司は、拳を男の喉笛に突き立てた。
「名誉欲のために! 自己顕示欲のために! 物欲のために! 金欲のために! 自己の欲求を満たすために動く貴様が! 〝それ〟を名乗るなっ!」
尋問じゃない、これは――ただの暴力だ。ようやくそれに気づいた俺は、気を失った男にさらなる一撃を加えようした司を羽交い絞めにして止めに入った。
「やり過ぎだ! 離れろ司っ!」
「離せ……離せ! コイツらは私の生き方を……信念を踏みにじるような真似をした! 殴られて当然なことをした!」
「落ち着けっての! そんなに殴って、取り返しのつかないことになったらどうすんだ!」
「落ち着いていられるか!」
俺の腕から抜け出した司は、震える声で叫んだ。
「私の信念を馬鹿にするということはつまり、私の父を馬鹿にするのと等しい行為だ! そんなことをされて、落ち着いていられるか!」
父親が云々と言われても、俺にはいまいちピンとこなかった。司が父親をやけに慕っているということは知っているが、それ以上は知らないし、何より自分の親父があんなのだから、父親を馬鹿にされて激高する司の気持ちが想像できなかった。
「お前の親父さんがどんな人か、俺は知らない。でも、少なくとも親父さんは、お前の手が汚れることなんて望んでないってことくらいはわかるぞ」
「……何がわかる、貴様に」
それっきり黙ってしまった司は、俺の腕を振り解くと、何も言わずに路地裏に歩いていった。少し離れてしまえば、司がそのままどこかへ消えてしまいそうな漠然とした不安に襲われた俺は、その小さな背中を慌てて追いかけた。
路地裏の中ごろでふいに立ち止った司は、壁に寄り掛かって空を見た。表情はマスクで隠されているものの、その仕草はどこか思い出に浸っているようにも見える。それから、5分か10分か、とにかくいたずらに時間だけが流れた。
「……父の話をしてやる」
どうしてまた急にとも思ったが、俺は黙って頷いた。司はマスクを脱ぐと、それと向き合い語り始めた。
「……私の父はヒーローだった。ただのヒーローじゃない。〝偉大な〟と頭に付く、素晴らしいヒーローだった。すべての弱き者に、分け隔て無く、平等に接した。昼夜問わず、誰かの涙が落ちる音が聞こえれば、真っ先に駆けつけるヒーローだった。私はそんな父が好きだった。家に帰ってくることは少なかったが、それでも私は、そんな父の大きな背中が大好きだった」
「いいヒーローは、司にとってはいい親父さんでもあったわけだ」
「そうさ。世界が変わったあの日までは、な」
「……あの日」
あの時代のヒーローにとっての、〝世界が変わった日〟。誰だってわかる。司が言っているのは、ヒーロー登録法が施行されたあの日のことだろう。
「国の首輪が巻かれたヒーローがいざという時に護るものは、正義ではなく国になってしまう。私達は国ではなく人を護るのだ。そう言って父はあの法律に真っ向から異を唱えた。が……結果は今の通り、信念など持たないヒーローが蔓延る時代が幕開けた」
「いわゆる、反対派だった……ってわけか」
小さく頷いた司はさらに続けた。
「国との闘争に敗れた父は、とうとうマスクを脱ぎ捨てた。そして、ほどなくして私を残して姿を消した。信念無き生活は、父にとって耐え難いものだったのだろう」
「そして、その信念をお前が継いだってわけか?」
「そうだ。私は父の幻として、父の信念をこの世界に知らしめることにした」
司は俺に顔を向けた。悔しそうに唇を噛みしめ、それでもなお追い求めていた姿であろうと眉をつり上げるその表情は、とても普通の女子高生がするような表情じゃなかった。
「父の名は、アイアンハート……仮にもヒーローを名乗るのなら、知らないとは言わせんぞ」
アイアンハート――ヒーロー登録法に断固として反対し、その法案が可決されるや否や世間から姿を消したまさに伝説のヒーロー。まさか、司の父親だったとは考えもしなかった。
「お前の親父さんのことはわかった。……でも、なんでそんなお前がヒーローなんてやってるんだ? 今のヒーローなんて、お前やお前の親父さんにとっちゃ仇敵みたいなもんだろ」
「ここまで言ってわからんのか? 私は、貴様らが言う〝ヒーロー〟ではない。錦の御旗を掲げられる立場というわけではないのさ」
そこで俺はようやく、司の正体を理解した。
司は、父親の信念を正しいものであると証明するために、無許可でヒーロー活動を行っていた――つまりは、来華が騒いでいた〝幽霊〟だったわけである。
「大変だったな」なんて言えない。「同情するよ」なんて無責任なことも言えない。俺はただ、司の告白から逃げずに、それを正面から受け止めてやることしか出来なかった。
「……翔太朗、貴様は信念を持っているか? 誰かのためにありたいという崇高な心を常に持って、ヒーローをやっているのか?」
司は今にも壊れそうなその表情で、俺の両目をしっかり見据えた。その眼には言う通り、強迫観念めいた信念が込められていた。今の司を前にして、嘘やごまかしなんて出来る気がしなかった俺は、素直に首を横に振った。
「……悪いな。そういうのは持ってない。自分の生活のことを考えるだけで、俺なんかは手一杯だ」
「そうか。……残念だ。あるいは、と思ったのだがな」
司は自嘲気味に笑うと、俺にその小さな背中を向けた。
「私は貴様と行動を共にしてもいいと考えている。……だが、〝ファントムハート〟はそれを望んではいない。信念を持たない者は信頼に値しないと、そう考えている。だから……サヨウナラだ、〝タマフクロー〟」
そう言ってマスクを被った司は、懐から取り出した赤い球を足元に投げつけた。濃い煙がたちまち周囲を包む。
ビルすら覆い隠そうとする煙で、10cm先の視界すら確保できない。今の司になんと声を掛けてやればいいのかわからなかった俺は、煙を言い訳にしてただ立ち尽くした。




