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第4話 アベンジャーズ その2

 その人の性格や性質がどうあれ、どうしてもそりが合わない相手は誰にでもいる。しかもそのような相手は、どうしたことか頻繁に会う人物である確率が非常に高い。俺の場合、それは秋野夫人である。来華の場合、それは高校の担任教師らしい。そして司の場合、それはきっと八兵衛なのだろう。


 翌日のこと。俺と共に喫茶店マスクドライドに朝一番で脚を運んだ司は、笑顔で迎える八兵衛を狼のように睨みつけた。


「不快だ」

「うん、何がだい?」

「貴様のその不潔な笑顔」


「開口一番ご挨拶だね。いらっしゃい、タマフクローにファントムハート」と、微塵も気にしていない様子の八兵衛は俺達を店内に招き入れる。


「いいか、タチバナ店主。いい加減そのタマなんとかを――」

「ほら、そこまでにしとけ司。喧嘩するためにここまで来たわけじゃないだろ?」


 今にも飛びかかりそうな司の肩を抑えた俺は、一歩前に出る。


「八兵衛、愛宕はどうしたんだ?」

「彼女は11時出勤だよ。そのくらいにならないと、お客さんなんて来ないからね。よほどの物好きがいれば別だけど」


 八兵衛は俺達を窓際の席に案内する。自分も座るためなのか、4人掛けの席である。


「それで、君達はこんな場末の喫茶店まで、開店早々何のために来たんだい? それとも、僕のお客さんだったりする?」

「お前に用があって来たんだ。でも、店の客ってわけでもない」

「いいね。なんか、面倒事が運ばれてきた予感がする」


 八兵衛は陽気にぱちんと指を鳴らす。


「面倒事は大好きさ。でもって、それに首を突っ込むことはもっと大好き」

「……翔太郎」


 隣に座る司は、肩を引っ張り耳打ちしてきた。


「こんな男に頼って、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫だ。コイツ、バカだから。事情を話せば向こうから頭下げて協力してくれる」


「本当だろうな」と呟いた司は、両肘を机に突いて手の甲にアゴを乗せた。物を頼む態度だとは思えない。


「さて、タチバナ店主。貴様の望み通り、面倒事を持ってきた。しかも飛び切りの」

「それはいい。是非ともお聞かせ願いたいね」


 それから俺達は、ここ最近起きた出来事についての全てを八兵衛に語り聞かせた。俺達が今どんな状況に置かれているのか、どんな事態が司を取り巻いているのか、全て残らず話してやった。


 両腕を組みうつむく八兵衛は、意外なほどじっと黙って俺達の話に耳を傾けた。


「……スゴい」


 話を終えると、八兵衛はぽつりとそう呟いた。かと思いきや、机を両手で思い切り叩きつけ弾けるように立ち上がると、今度は「スッゴいっ!!」とめいっぱい叫んだ。天井に右手人差し指を向けて、腕をぐるぐる回しながら喫茶店中を歩き回った。なんだか、アマゾン奥地に住む先住民の下手なダンスを見ているようだ。多少騒ぐことは予想の範疇だったが、流石にここまでとは思いもしなかった。


 俺と司がその光景に呆気に取られていると、八兵衛は未だ興奮冷めやらぬ様子のまま机に戻って椅子に腰掛けた。


「ああ、スゴい。予想外だ。本当にスゴい。僕がこんな事態に巻き込まれるなんて……。僕が! ヒーロー同士の抗争に巻き込まれるなんて! コミックスの世界みたいだ! それに僕は善側の勢力だ! ヒーローを影から操る腐敗した組織を叩く……最高だ! 最高にクールだ!」


「……そ、それでタチバナ店主、手伝って――」

「もちろんさファントムハート! この立花八兵衛、君達に全面協力することを誓うよ!」


 キラキラと目を輝かせる八兵衛は半ば無理矢理司の手を取って固く握手した。


「それで、僕は何をすればいい?! 装備の提供? トレーニング施設の開放? 後方支援? なんでも言ってよ! 僕が出来る限りのことはする!」

「い、いや。そこまでの事を頼むつもりはない。ただ、私を追う者に見当がつかないかを聞きに来ただけだ」

「そうなの? 残念! でもオッケー!ちょっと待ってて今ホワイトボードを持ってくる! 作戦会議といえばホワイトボードだからね! 刑事ドラマにおけるカツ丼と同じ! これだけは欠かせない!」

「きょ、協力、感謝する」

「感謝なんてとんでもない! お礼を言うのはこっちの方さ!」


 そうして八兵衛は店の奥へとスキップしていった。陽気な嵐のようなその勢いに困惑する司は不器用な微笑みを浮かべた。


「……なるほど確かに、翔太郎の言う通り。彼は底なしの馬鹿らしい」



「closed」と書かれた看板を硝子戸に下げ、店のカーテンを閉め切り、外界からの視線を遮断したところで、〝秘密会議〟の準備は万端となった。太陽光を一切拒絶した店内はオレンジ色の常夜灯が僅かに照らすばかりで、注意せずに歩くとテーブルの脚を蹴ってしまうほど暗い。俺と司は店の真ん中のテーブル席に座り、鼻息を荒げながらホワイトボードにあれこれ書きこむ八兵衛が説明を始めるのを待った。


 やがて準備が完了したのか、八兵衛は「さて」とボードを指した。


「そもそも、だ。ファントムハートを追う人物はどんな利があってそれを行っているのか。そこが鍵となると思うんだ」

「私に対して私怨がある。それだけで十分ではないのか?」

「ノーだよ、ファントムハート」


 八兵衛はチッチと舌を鳴らしながら指を振る。


「ただの恨みというのには不自然な点が多い。だって、相手はヒーローを操れるんだよ。そんな奴が本当に君を憎んだというのなら、もっと卑劣な手をいくらだって使っていいはずさ」


 司は「む」と唇を尖らせる。


「では、貴様はこの一連の事態をどう考えるのだ?」

「よくぞ聞いてくれました」


 八兵衛はホワイトボードに勢いよくマーカーを滑らしていく。躍動感溢れる線は、『マスコミ』という文字を辛うじて形取っている。


「マスコミ?」と、俺と司はほとんど同時に声を上げた。


「そう、マスコミさ」


 八兵衛はとんと自慢げに胸を叩いた。


「ローニンカブキの一件を思い出してごらんよ。大人数の荒らしを使ってファンサイトを潰したり、雑誌のコラム掲載の仕事を潰したり。東京で活動するヒーローにとっての心のより所――〝知名度〟を、徹底的に潰そうとしている。そんなことが出来るのは、マスコミ界に顔が利く大物だけさ」

「ちょっと待てよ、八兵衛」


 得意げに話を進める八兵衛を、俺は手を挙げて止める。


「マスコミ界に顔が利く大物とやらが、なんで司を襲わなくちゃいけないんだ? そいつらにとって〝司を捕まえる利〟ってのは、どこにあるんだよ」

「そこなんだ」と八兵衛は人差し指を天井に差した。


「これはあくまで推測だけど、多分彼ないし彼女は、ファントムハートの活躍に惚れ込み、君を売り出そうとしているプロデューサーなのサ」

「プロデューサーとはどういう意味だ?」と司。


 八兵衛は指で作った輪で司を覗き込む。


「ヒントはカメラだよ。君を追っていた人達は、みんなカメラを持っていたんでしょ?」

「結論を言え、タチバナ店主」

「いいかい、彼らにとってヒーローは〝商品〟だ。それでもって、商品っていうのはどんなものでも賞味期限が存在するんだ。価値がある商品は、廃棄期限になる前になるべく使い切ってしまいたい。だから彼らは、先に君の主演番組を作ってしまうことにした。ファントムハートにカメラを向けていたのは、番組のための素材集めだったってわけ」


「なんだよそれ……」という言葉がため息と共にこぼれ出る。もし八兵衛の話が合っているのだとすれば、ハイエナみたいな商売根性だ。


「まあまあ、さっきのはあくまで状況証拠からの推察サ。本当に、ただただ熱烈なファンってだけの線もあるよ」

「そりゃもちろん、わかってるけどな」


 八兵衛に聞かされた話が気に食わないのか、司は黙ってむっつり膨れている。こりゃ本格的にヘソを曲げたぞ、などと考えていると、司は不機嫌そうに「なるほど」と口を開いた。


「タチバナ店主の言うことも理に叶っている。しかし、推察だけでは意味が無いぞ。欲しいのは、もっと確信を突いた答えだ」

「わかっているさ。そう焦らないでよ、ファントムハート。犯人捜しはこれからだ」


 そう言って八兵衛はサングラスを外し、奥二重の目でじっとこちらを見た。


「1週間後、同じ時間でまたここに来てほしい。それだけあれば、ある程度アタリをつけることが出来るはずだから」

「1週間って……大丈夫かよ、そんなこと宣言しちまって。本当に出来るのか?」

「出来るか出来ないじゃないかじゃない、やるんだよ。無理難題を安請け合いする。それが、ヒーローの相棒としての務めだからね」


 八兵衛は不敵に微笑む。その眼には、根拠など無い確かな自信が宿っていた。



 喫茶店を出ると、日曜日であるせいか駅前は多くの人で溢れていた。騒がしくもあるが、それが却ってのどかでもある。平日の朝とは違い、難しい顔をして早足で歩く人はどこにもいない。比衣呂市はまったくの平和そのものだった。


「いいものだな。この喧騒が、しばし心のざわめきを鎮めてくれる」


 司はガードレールに腰かけ、町に漂う雑多な香りを思い切り吸い込んだ。


「さて、翔太朗。帰るぞ。トレーニングが私達を待っている」

「ちょっと待てって。少し予定があるんだ」


 俺は駅前に建つショッピングセンターを指す。


「少しの間、お前のとこで世話になるんだ。歯ブラシ、タオル、下着……色々と買い揃えるものもあってな」

「それならそうと先に言えばよかろうに」


 司は風に揺れる短い髪を撫でつけながら言った。


「どれ、そうと決まればさっさと済ませるぞ」

「なんだよ、一緒に来てくれんのか?」

「ああ、買い出しなら人手の多い方がいいだろう?」

「一応、下着も買うつもりなんだけどな」


「私は気にせん」と言って、何の気なしにといった具合に俺の腕を掴んだ司が、ガードレールからぴょんと降りた矢先、〝事件〟が起きた。


「あれっ? 司ちゃんとセンセー……だよねっ?」


 突然飛んできた声。示しを合わせたように同時に背筋を伸ばした俺と司が恐る恐る振り返ると、そこには洒落たハイウエストスカートとブラウスを着こなす来華が立っていた。


 まさか、司と2人でいるところをよりにもよって来華に見られるとは。日曜の昼前、駅前でたまたま会って、たまたま出かけることになったという言い訳は通用しそうにない。しかし、〝夜のお仕事〟のことをバラすという選択肢は論外である。


 来華は目をぱちくりさせながら俺と司を交互に凝視する。


「……ね、ねぇっ、もしかしてセンセーたち、あたしが知らないヒミツの関係だったりするの?」


 俺はぶんぶんと首を横に振って否定する。ヒミツの関係だなんて、あってたまるか。


「そんなわけないだろ。たまたま会っただけだ。なあ、司?」

「そうだとも。私達の間に、やましいことは何もない。父からも、〝それが例え清純であろうと、男女で関係を持つのは18を超えてからだ〟と口うるさく言われていたからな」

「……ホントかなーっ?」


 俺達の苦しい言い訳を前にした来華は、天気の良い日曜日には不釣り合いなほど眉間にしわを寄せ、下から俺を覗き込む。


「センセー、いつの間にか〝司〟なんて呼び捨てしてるし、ちょーっと怪しい感じ……」


 変なところで鋭いヤツだ。これが、〝女の勘〟というやつなんだろうか。仕方ないと、俺は心の中で覚悟を決める。知られたくない事実があるのなら、〝それ以上の衝撃を持つ嘘〟で塗り固めるしかない。


「……じ、実はな、来華。内緒にしておいて欲しいんだけど俺達――」


「俺達?」と、来華はさらに俺に詰め寄る。ええい、こうなればヤケクソだ。


「俺達、ヒーローになってチームを結成しようと思ってるんだ。今日はその秘密作戦会議の日だったってわけ」

「しょ、翔太朗! 貴様――」


 俺はすかさず司の口を塞ぐ。あと一押しだってのに、邪魔されて堪るか。


「ようやく名前も決まった。チーム名はリヴェンジャーズ。どうだ、カッコイイだろ?」

「うんっ! カッコいいっ! スッゴイカッコいい!」


 来華は目を輝かせ、サムズアップを俺の頬にぐりぐり押し付ける。知り合いふたりがヒーローになってどのような心境なのか。ヒーロー大好きっ子・来華の心中は俺にとっては知る由もないが、かなり興奮していることは明らかだ。


「まさかヒーローになるなんてっ! やるじゃんセンセー!」

「言っただろ? やる時はやる男だって」

「司ちゃんもっ! あれだけ、『私はああいう輩には興味が無いんだ』なんて言ってたのに! 驚きだよホントにっ!」

「……ああ。私も驚いている。君のその計り知れない純真さに」


 そんなやり取りを続ける最中も、来華の拳は俺に押し付けられたままである。始めのうちは可愛いものだと考えていたものの、いい加減煩わしくなりどうやって跳ね除けてやろうかと考え始めたころ、来華は「そーだっ!」と楽しげに手を打ち鞄から1枚のチラシを出した。


「今から池袋でヒーローのサイン会なんだけど、2人も一緒にどうかなっ? 今後のことも視野に入れた勉強も兼ねてさっ!」


 いつもだったら「行くかそんなもん」と一蹴する誘いだが、今日ばかりはそうもいかない。一応チラシを受け取った俺は、精いっぱい興味があるように見せながらそれを眺める。


 アージェンナイトとかいう全身白づくめの衣装をまとったヒーローが、バラを片手に佇んでいる。寒気がするほどのキザ野郎だ。カレーうどんを頭から被ればいいのに。


 そんな気持ちに愛想笑いでふたをして、毛ほども見せないようにした俺は、「いや」とチラシを押し返した。


「申し訳ないけど遠慮しとく。特訓もあるし、何より俺達は、もう少し色合いを押さえた実力派のヒーローで売り出すつもりなんだ」

「ざーんねんっ! でも、そーいう路線もたまには悪くないかもっ!」


 来華はチラシを鞄にしまいながら言った。


「楽しみにしてるねふたりの活躍っ! 司ちゃんはヒーロー修業やってもいいけど、ちゃんと学校来るんだよっ! じゃ、センセーはまた夕方にねっ!」


 そうして来華は去っていった。なんとか誤魔化すことは出来たらしいぞと、俺は胸を撫で下ろす。一方で司はといえば、指の間で髪を挟みながら悩ましげに息を吐いている。俺の嘘八百に不満があるのだろう。


「……翔太朗。あのような嘘を吐いてどうするつもりだ? 今後の苦労を考えないのか貴様は」

「だったら、『俺達実は付き合ってるんだ』なんて言った方がよかったか?」


 冗談交じりでそう言うと、司は無言で俺の肩を殴った。筋肉を叩く鈍い音が辺りに響き、通行人がちらりとこちらに振り返る。痛みを堪えなんとか平静な顔を保つ俺は、俺達に目をやる人に会釈を返した。


「殴るぞ、翔太朗」

「殴ってから言うな」と俺は痛む右肩を擦った。


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