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第4話 アベンジャーズ その1

 さて、突然のことだが、今現在俺の隣に立っている司は恐ろしく不機嫌である。その眼は真っ直ぐ前を見据えているが、何かを見ているという感じではない。拳は硬く握りしめられており、声を掛けたらその瞬間にプロボクサーばりのワンツーが飛んできそうだ。


 では、何故そうなったのか。その原因はほんの30分前に遡る。


 その日の俺達は、藤田と共に司を襲ったヒーローについて調べに出た。ヒーローネームと本名から住所を割り出し、なお足りない情報を補うためにふたりの家に出向き、あくまで〝平和的〟に話を聞かせてもらったが、喋っていることは藤田と大して変わりないことだった。


 あえなく無駄足を踏んだ俺達は、司を襲った男のひとりである、スカットキャットこと犬井幸男の家からの帰り道を歩いていた。雲を通す夕焼けが炎のように赤く光り、コンクリートを染め上げていた。


「……どいつもこいつも、役に立たん」


 司は西日に目を細めながら、苛立ちを隠せない様子で吐き捨てた。


「奴らに頼るのはやめだ。ロクな話が聞けん」

「だとすりゃ、次の一手だな」


 俺は胸を叩いて言った。


「実はな、司。次の策に当てがある」

「ほう」と司は意外そうな声を上げた。


「よもや、貴様の口からそのような言葉が出てくるとは。思いもよらなかったぞ」

「舐めるなよ。これでも、お前より少しだけ長く生きてるんだ」

「なら、その策とやらに期待させてもらおうか」

「任せろ。ついてこいよ」


 そう言って、俺が司を連れていった先が来華の家だった。


 そうだ。俺には策なんて大層なもの存在しなかった。自信満々な態度も、甘い言葉も、全ては司をここに連れてきて、来華と対面させるための方便だったのである。


 そうして現在に至る。司は全身の筋肉を硬直させ、ぴくりとも動こうとしない。


「……貴様、私を騙したのか?」


 あくまで一点を見つめながら、司はそう口にした。


「悪いな。こうでもしなきゃ、ここに引っ張ってこれないと思ったんだ」

「だからといって、私にもタイミングというものが――」


 司の反論を遮るため、俺は秋野邸の呼び鈴を押した。リンゴンという音が響いた後、扉を開けて秋野夫人が現れる。それを見た司は子猫のようにその場から逃げ出そうとしたが、俺は間一髪で司の両肩を掴み、引き戻すことに成功した。


「あら先生。どうなさいました?」

「突然すいません、奥様。来華さんにどうしても会わせたい子がいまして」


 そう言って俺は、無言でスネを蹴り続けてくる司を夫人の前に登場させる。


「彼女の友人です。この件に関しては、特効薬と言うかもしれません」


「特効薬?」と夫人は司の顔を覗く。すると、不思議そうだった夫人の表情は一転して笑顔となった。


「あら、司ちゃんじゃない。いらっしゃい、お見舞いに来てくれたのかしら?」

「え、ええ。まあ……」


 歯切れ悪く答えた司は、奥様に見えない位置で俺のつま先を思い切り踏んづけた。俺は痛みを顔に出さないよう歯を出して笑い、司を秋野邸の敷地内に押し込んだ。


「では、自分はこれで」

「せっかくですもの、先生も寄っていかれたら?」

「いえいえ。気の置けない友人同士の会話を、家庭教師が邪魔するわけにもいきませんので」


「では」と、どこまでも自然を装った俺は爽やかに手を挙げる。刺さるような司の視線を感じなくなったのは、秋野邸から100mほど離れた後のことだった。



 家に帰って夕食の準備をしていると、ふいに呼び鈴の音が聞こえてきた。誰かと思って扉を開けると、玄関の前で立っていたのは司だった。先ほどの仕返しに来たのかと、とっさに身構える俺だったが、司はそんな俺をつまらなさそうに見るばかりだった。


「早く通してくれないだろうか。高校生が部屋に入るところを、近隣住民に見られてもいいと言うのなら別だが」

「……さっきのこと、怒ってないのか?」

「怒っている私がどうするのか、わからない貴様でもないだろう?」


 確かに、怒り狂った司であれば、有無を言わぬうちに拳が出ているだろう。その後、うずくまった俺の鼻を念入りに踏みつけているところだろう。

 

 納得した俺は「入れよ」と司を部屋に招き入れた。玄関に靴を放り捨てた司は、真っ直ぐリビングのソファーへと向かう。3度目の来訪にして、早くも俺の部屋での定位置を決めたらしい。


「コハナに会って来たぞ。話をして、何も説明せずに消えたことを謝ってきた」

「そりゃよかったよ。あそこまで行って『会ってない』なんて言われたら、どうしようかと思った」


 俺は司の対面に腰かけながら話しかける。


「で、何て謝って、何て言われたんだ?」

「詳しい事情は話せないが、別に危ないことはしていない。だから、心配しないでくれ。今まで悪かった、と。そしたらコハナが、別にいいよと笑ってくれた」


 そう言って司は、はにかんだ。それは今まで見せたことのない年相応の表情で、俺は思わず面食らった。

「どうした、翔太朗。驚いているようだが?」

「いや、お前が素直に謝って、素直に笑うってことが意外過ぎてな」

「……私のことをサイボーグか何かだと勘違いしているようだな」


 そう言って司は鼻で笑った。俺も思わず笑ってしまった。リビングには和やかな空気が流れた――で終わってくれれば、どれだけよかったことか。


 平和な時間も束の間、司は「そうそう」と話を切り出した。口角を片方だけ吊り上げたその酷くあくどい微笑みは、俺に嫌な予感を覚えさせた。


「ひとつ伝え忘れていた。実はな、翔太朗。コハナの母親から私と貴様、共々食事に誘われた」


 それを聞いた瞬間、俺の背中に冷や汗が伝った。瞬間的に喉が渇き、身体が緊張する。


 考えすぎであってくれと願いながら、俺は「それで」と声を振り絞った。


「なんて答えたんだ、司」

「決まっているだろう? もちろん喜んでと、そう答えさせてもらったよ」


 楽しげに弾む司の声から、食事会の誘いにOKを出したのはわざとであると、俺はそう確信した。


 実のところ、これまで俺は、累計十数回ほど秋野夫人から「懇親会の意を込めて」と食事の誘いを受けてきた。しかし俺はその誘いをことごとく断り、一度も食事会の開催を許さなかった。もちろん俺は秋野夫人を嫌っているわけではないし、夫人が1秒たりとも一緒の時間を過ごしたくないほどの悪人というわけでもない。むしろ彼女は慈愛に満ちており、聖人といっても過言ではない人格者である。


 ……しかし、そんな人でも一緒に食事となると話は別だ。夫人とは生まれも育ちも違いすぎて、話が5分と続かないのは目に見えている。いやそれどころか、テーブルマナーの〝テ〟の字すら知らない俺を目の当たりにした夫人は、俺を家庭教師として雇うのを止めるかもしれない。食事会への参加とはつまり、失職の危機に直結する死の道である。


 ゆえに俺は、秋野家夫人からのお誘いを断り続けていた。品行方正の本郷翔太朗という存在を取り繕うために。


 それを……その苦労をコイツは……。


「……やってくれたな」と、俺は呟いた。


「なんだと? よく聞こえんが」


「やってくれたなって言ったんだよこのクソ生意気偏屈強情女!」

「なっ?! き、貴様! 言っていいことと悪い事があるぞ! 大体、元はと言えば貴様が私を騙したのが原因だろう!」

「ああでもしなけりゃお前は決心もつけずにダラダラと迷ってただろーが!」

「ええい、世の中では貴様の行いを大きなお世話と呼ぶのだ! 私の中ではきちんと計画があったんだ! それを貴様は台無しにしたくせに恩着せがましいにもほどがあるぞ!」

「計画も何も、上手くいったんだからいいだろうが! 普段はガサツなクセに、こんな時にだけ細かいこと気にし過ぎなんだよ!」

「き、貴様! 口が過ぎるぞ! 表に出ろ!」

「出てやるよ! 泣かしてやるから後悔すんなよ!」


 脳内には沸騰寸前の血液が循環する。勢いに任せるまま床をドスドス踏み鳴らし、玄関扉に手を掛けた瞬間、呼び鈴が数度連打され、リンという安っぽい音が繰り返し響いた。


「本郷さん! 本郷さん?! ずいぶん騒いでるみたいだけどどうしたの?!」


 大家の声だった。瞬間、俺の脳内気温は氷点下まで急下降し、怖いくらいに冷静になる。


 ただ騒いでいただけであれば、謝れば済む話だ。しかし、一緒に騒いでいたのが若い女だったら? 痴話喧嘩と思われるだけならマシだが、相手が高校生と露見するとさらなる誤解を招きかねない。


 結果、俺は逃げの一手を打つことにした。


「……司、逃げるぞ。ここにいたらマズイ」

「貴様! 今さら怖気づいたなどと――」

「いいから、早く来い。話なら外だ」


 そう言って俺は司の腕を掴み、夜の活動の時と同じようにベランダから外に出た。



 マンションを飛び出した俺は、司を引き連れどこを目指すわけでもなく夜の比衣呂市を駆けた。明滅する場末のバーの看板が、自己主張激しく輝くコンビニのLEDが、車通りが少ないからといってやたらとスピードを出すトラックのヘッドライトが、夜の光達が視界の端に映っては消えていく。


 坂を下り、交差点をいくつか渡り、振り返ってもすっかりマンションが見えなくなった辺りで、俺はようやく脚を止めた。流れる汗を温い風が撫で、鼓動の速さが徐々に通常へと戻っていく。


 肩越しに見れば、司は額の汗を指で拭っていた。


「突然走らせて悪かったな。平気か?」

「これしきのこと、なんの問題もない。たいした運動量でもないさ」

「そりゃよかった。……それと、さっきの件も悪かった。言いすぎだったな、俺」

「構わん。私も熱くなり過ぎた。食事の誘いを受けたのも、誘いを受けたら貴様が困るだろうと考えてのことだったしな」


 走って発散したことで互いに冷静になれたのか、俺達は2人して頭を下げあった。最初からこうだったらと、考えてもどうしようもないのだが、そう思わざるを得ない。


 喧嘩の件が一件落着したところで、俺は「それにしても」と夜空を見上げる。


「どうすっかな……。マンションにはしばらく戻れそうもないし」

「大家が押しかけてきたのだったな。しかし、多少羽目を外すことくらいは誰にだってあるだろう。戻って、頭を下げてみたらどうだ?」

「これが例えば、八兵衛と騒いでるだけだったらそうすんだけどな。今戻れば、一緒に騒いでたヤツは誰だ、なんて話にもなるだろ。そうなった時、〝フリーター〟の俺が、〝現役女子高生〟のお前を家に連れ込んでたことをどう言い訳するかと考えると……頭が痛い」

「ああそうか、難儀なものだな」


 他人事のようにそう言った司は俺の隣に並んで空を見上げる。


「それならどうだ。先ほどの礼がてら、私の家に泊めてやっても構わんが」

「勘弁してくれよ。女子高生の部屋に泊まるだなんて、それこそ誰かに見られたらどうなるか」

「案ずるな。一応、私の家は一軒家だ。それに貴様、ヒーローのくせにしばらく野宿というわけにもいかんだろう?」


「そうは言っても」と考えたものの、今更あのマンションに戻れる気がしないのも事実である。今頃は、大家が手ぐすね引いて俺の帰りを待ち構えていることだろう。ほとぼりが冷めるのが明日か、明後日か、それはわからないが、少なくとも今日ではないことは確かだ。


「……わかった。世話になる」

「いいだろう。ただし、生活リズムは私に合わせてもらうからな。朝は8時起床。トレーニングは1日5時間、休日はその倍。食事は規則正しく1日3食、間食は200キロカロリーまで」

「……やっぱ辞めとこうかな」


「遠慮するな」と司は楽しげに俺の襟首を掴む。そうして俺は半ば司に引きずられる形で夜の街を歩いた。

目的地の住所はわからないが、進む方向は市の中心部だった。神社仏閣が多く、市役所や警察署が近くにあるため、駅の周辺に比べて治安はさほど悪くない。つまりは、ヒーローの仕事ではあまり馴染みのない地域である。比衣呂市はそれほど緑が多い地域ではないが、市役所通りに森林保護区が陣取っているせいで、稀に狸と遭遇することすらある。


 しぶとく生き残る藪蚊の襲撃を退けながら市役所通り抜け、ひとつ目の交差点を左に折れて、細い道をしばらく歩いたところで司はふと立ち止まり、「ここだ」と左を見た。

釣られて視線を移してみれば、まず目に映る大きな木製の門。さらに、庭のど真ん中を突っ切るように整然と連なった石畳。その向こうに見える、金が掛かっていそうな立派な屋敷が視界に入った。


「……冗談だろ?」

「冗談ではない。貴様の名前と同じくな」


 司は慣れた足取りで石畳を歩いていく。門柱に目を移せば、そこには確かに燦然と輝く〝一文字〟の表札。


 間違いない。「お嬢様」というよりも「お嬢」と呼ぶべき方が住んでいそうなこの屋敷は司の自宅だ。そんじゃそこらの地主だって、ここまでの家は中々建てないだろう。


「何をボサっとしている。早く来い、翔太郎」


 手招かれるまま、俺は司の後を追う。庭はまったくの荒れ地であり、ここ数年は手入れされた気配がない様子である。おかげでここも蚊が多い。繁る雑草を眺める俺が嫌そうな顔でもしていたのか、司は「すまんな」と笑いながら玄関の戸を開けた。


「家には誰もいない。気にせず上がれ」

「こんなに広い家で1人か?」


「諸事情でな」とだけ司は答えた。両親が転勤族、といったところなのだろうか。人の家庭事情に興味はないが、とにかく、司の両親に挨拶するなどという面倒なハードルを越えなくてもよいのは朗報だった。


 一文字家邸宅は、障子に畳に縁側とずいぶん古風な和様式の造りをしている。このまま映画のセットにでも使えそうなくらいである。長い廊下を歩く最中、時折覗き見える全面畳張りの部屋には、純和風の内装には不釣り合いな、選り取り見取りのトレーニング機器が置いてある。その種類の多さときたら、一等地に立つスポーツジム顔負けである。司の強さの秘密が垣間見えた気がする。


 俺が通されたのは、十畳程度の存外小さな居間だった。部屋で目に付くのはちゃぶ台と座布団、それにタンスくらいで、いまいち生活感がない。


「紅茶か? コーヒーか? 緑茶という手もあるが?」


「任せる」とだけ答えると、部屋を出た司は数分後、ふたつの湯飲みと小さな饅頭が乗った皿を盆に乗せて戻ってきた。


「本当ならとびきりのコーヒーを出してやりたかったのだが、少々時間が掛かるものでな。これで勘弁してくれると助かる」

「出されたものに文句はつけねえよ、お前と違ってな」


「それは何よりだ」と頷いた司は、俺の対面に腰かけた。


 湯飲みを受け取った俺は、緑茶をすすった。夕飯も食べていない腹には、熱いものはよく染みる。


「それで翔太郎。改めて、これからどうするのだ?」


 司は湯飲みをぐいと傾ける。


「情報源は早くも尽きた。当て勘だけでは限界がある」

「今回ばかりは、拳ひとつで問題解決ってわけにもいかないか……」


 俺は両手を畳につけ白木の天井を仰ぐ。


「本当に心当たりはないのか?お前を追ってるようなヤツに」

「無い……いや、あり過ぎると言うべきか。恨まれる理由なぞ、両手では数えきれん」


 追われている張本人の司に見当がつかないものが、俺にわかるわけがない。だとすれば、専門家が必要だ。ヒーローである俺達よりもヒーローに詳しい専門家が。


「……司」


 俺は饅頭をつまみ上げ、それをじっと見つめながら言った。


「コーヒー、飲みたくないか?」


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