第3話 エクスペンダブルズ その5
久方ぶりに説明しよう。
ヒーローには、〝本名非公開での自警活動の権利〟が与えられている。これは、〝ヒーロー〟などというマスクを被って夜な夜な町を練り歩く怪しげな職を、本名を誰にも明かさずに続けることを認めるという、読んで字のごとくの権利である。本名を知られれば、報復を受ける危険性があるからというのが、それが与えられている理由だ。
俺や司のように地方に活動拠点を置き、人目を憚りヒーロー活動を続けるタイプは、この権利を利用して一般市民に本名が知られないようにしている。闇夜に紛れて悪を討ち、目立たず、こっそりと、世のため人のため、そして何より自分の生活のためにヒーローとして働くのには、こちらの方が都合いい。
それでは、せっかく与えられた自衛のための権利を使わないのはどんなバカ野郎なのか。
ヤツらは、夜に限らず昼間からヒーローとして活動し、場合によっては警察などと協力して犯人確保をすることもある目立ちたがり屋である。東京に住み、本名はおろか素顔さえも一般市民に公開し、「本当の自分」も脚光を浴びようとしている。雑誌記者からインタビューを受けようと躍起になったり、テレビカメラがあれば真っ先に駆けつけてみたり、ヒーロー名鑑に名前が載るだけできゃっきゃと騒ぐ。田舎から出てきた学生のような騒ぎ具合だ。
ここまで言えば誰にだってわかるだろうが、藤田は後者のタイプのヒーローだ。司がヤツの名前を検索してもヒットが無かったのは、ローニンカブキが全く人気のないヒーローだったからだろう。東京のヒーロー界隈には、このように大した知名度を得られないヒーローがゴマンといると聞く。
「……にしても、なんでお前がヒーローなんかに狙われんのかね」
「知るわけがあるか」とだけ短く答える司。短めのスカートに紺のブレザーを合わせた制服と、その姿に似つかわしくない、右手に握られたスタンガン。いったいどうして、一部のマニアックな界隈を狙い撃ちにした格好をしているのかと尋ねれば、「これも作戦のためだ」とか。それ以上のことは教えてくれなかったが、どうせ力任せかつ乱暴な作戦だろうということ容易に想像がつく。
免許証によれば、藤田の家は西東京の某所にある。石ノ森駅から電車に乗った俺達は、3つ離れた木貝田という駅で降り、そこから徒歩で目的地に向かった。
駅から20分。藤田の住居はボロいながらも一丁前に一軒家だった。不人気ヒーローには一軒家を買う余裕なんて無いはずなので、大方これは親類縁者から継いだものか何かだろう。
「一軒家ならなおさら好都合だ。周りの人間に声が聞かれる心配もない」
司はスカートの丈をさらに短くし、無い色気を少しでも出そうとしながら言った。「翔太郎、藤田の免許証を寄越せ」
「何する気なんだよ。ここまで来たら教えてくれたっていいだろ?」
「馬鹿を釣るには、しかるべき方法があるだろう。私がやろうとしているのはそれだ」
その言葉の真意は全くもってわからなかったが、ここまで来てぐだぐだ言っても仕方がないので、俺は免許証を取り出して司に渡した。
「ご苦労」とそれを受け取った司は、最低限の手の動きと目配せだけで、俺に「どこかへ隠れていろ」と合図をし、自身はインターホンの前に構えた。何をするんだと思いながらも、俺は手近な電柱の影に隠れて司を見守った。
司はカメラ付きのインターホンを押す。するとややあって、『はい』という男の声が返ってくる。昨夜とはテンションが違うものの、あれは藤田の声である。
「あっ、あっ、あのっ! ローニンカブキさんのお家ですよねっ! 免許証を拾ったので届けに来たんですけど……直接渡したいなって!」
……司は……司は、来華を彷彿させる夢見る乙女のような声色を使ってみせた。アイツ、今どっから声出してんだ。
インターホンからは『えっえっ、ちょ』などと酷く慌てたような声が聞こえ、それからひとつ大きな咳払いがあった。
『……そ、それは誠に重畳、重畳。感謝の至りに我至り。で、ではしばし待たれよ。今、重き扉を開くゆえ』
「わあっ! ありがとうございますっ! あの、あのっ! サインペン用意してますからねっ!」
やがて扉が開き、藤田はアホ丸出しの満面の笑みで玄関口に出てきた。司はアイツに抱きつくフリをしたかと思うと、ポケットに隠し持っていたスタンガンを首元に押し当てた。ようやく女子高生のファンが出来たなんてぬか喜びしている男に対し、なんと容赦のないことだろうか。悪魔の所業である。
「いいぞ、翔太郎。来るんだ」
元の声色に戻った司は、手招きをして俺を呼んだ。「コイツを中に運び込む。手伝ってくれ」
「……思ってた以上に、手荒な方法だな」
「不服か?」
「いや」と大きく首を振った俺は、藤田の両腕をむんずと掴んだ。
「わかりやすくていいな。腕力バンザイ」
藤田の家は、男1人暮らしとは思えないほど小綺麗に整理されており、顔に似合わぬ几帳面さを伺わせる。家のインテリアはすべて洋風に統一されており、〝ローニンカブキ〟の〝カ〟の字すら感じられない。派手なメイクと苦労が見え隠れする古風な言葉遣いだけでカブキを名乗るとは、いつ歌舞伎役者に訴えられてもおかしくない。
家に入った俺達は、入ってすぐのところにあるリビングに踏み入った。そして、寂しく並ぶ4つの椅子のうちのひとつに、藤田を座らせ入念に縛り付けた。
「で、これからどうするんだ?」
「とりあえずスーツを着ろ。フリーターと女子高生の格好のままよりはよかろう」
言われるままに、俺はタマフクローのスーツに着替える。別の部屋で着替えを済ませ、リビングに戻ってきた司の手は、いつもと違ってレザーの手袋がはめられていた。
「さて、始めるか」
「始めるって、何を?」
「見ればわかるだろう、尋問だ」
そう言って、司は藤田の頬を2、3度叩いた。
「起きろ。話がある」
藤田は「うーん」うめき声をあげながらゆっくりまぶたを開き、俺達を見上げる。始めのうちはそれを現実として受け止めていなかったのか、再び目を閉じた藤田だったが、手足を縛り上げられているリアルな感覚に気づいたらしく、心臓が凍り付いたかのようにカッと目を見開き、怖々と辺りを見回した。
「な、なんだよこれ。俺、どうなってるんだ」
「わからないか? 生殺与奪を握られている」
司の姿を目の当たりにした藤田は一瞬にして青ざめ、息を呑んで頬をひきつらせた。昨日の勢いはどこへ行ったのやらと、俺は思わず鼻で笑ってしまう。
「……まさか、さっきの子って――」
「そうだ、期待させてすまなかったな。適当に金を掴ませ、協力して貰った」
「そんな」と藤田は肩を落とす。こんな状態にも関わらず、真っ先に考えるのが女子高生ファンのことだとは。これもある意味、東京のヒーローらしいと言えばらしいのかもしれないが。
「落ち込んでもいいけど、後にしといてくれよ」
俺は藤田の肩を叩く。
「聞きたいことがあるんだ。酷い目に遭いたくなきゃ、素直に答えろよ?」
「……お、お前……この前のヒーローだろ?! こ、こんなことしていいと思ってんのか!」
「それはお互い様だろうが。何の罪もないコイツを追いかけ回しやがって」
俺は藤田を冷たく突き放す。すると司が俺と入れ替わる形でヤツの眼前に立った。
「それでは、楽しいお喋りといこうではないかローニンカブキ。貴様、何故に私を襲おうとした?」
「だ、誰がお前なんかに喋るかっ!」
「何を勘違いしている? 貴様に選択肢は無い。何故襲ったのか、洗いざらい喋るんだ」
藤田は答えず、断固たる意志を示すように下唇を噛んで司を睨みつけた。事はあっさり運ぶと勝手に考えていただけに、思っていたより気合いが入ったヤツだと少しだけ見直す。
「……父曰く、〝万事を楽しめ〟」
そう言った司はおもむろに周りを見渡すと、ふとテレビボードと一体になった棚に近づき、中を探り始めた。
「はさみに、ホッチキスに、安全ピンに、爪切りに、ペンチか……」
「……お、おいお前。何やってんだ」と困惑する藤田。
「いや、何。こう見えて私はスパイ映画が大好きでね。いい機会だし、拷問の真似事をやってみようかと」
冷淡に言い放った司だったが、それがハッタリであることはすぐにわかった。司が、おどけた調子で俺に向かって親指を立てたからである。あいにくと、突如目の前に迫った未知の苦痛に怯え、奥歯をがちがちと鳴らしている藤田にはわからなかっただろうが。
「なあ、この男をどう痛めつけてやろうか? 出来るだけ、独創性に溢れる意見が欲しいのだが」
「今日の昼はなにを食べようか?」くらいの軽さで、司はそう問いかけてきた。その演技に合わせる俺は、「そうだな」といかにも楽しげにリビングを見回す。
「例えばだ、マイナスドライバーで爪を剥がしてやった後、たこ糸で指を一本ずつ縛るってのはどうだ? 雑菌が指に入り込んで、血液が逃げ場を失って……身体の一部が腐っていく様子なんて、中々見れるものじゃないだろ」
「悪くない案だ。よし、早速取りかかろう」
「ま、待てってお前ら! 冗談だろ?! 冗談だよな?!」
「拷問に取り掛かる前にタオルを用意してくれないか? それと、ヘッドホンもだ。私が見ていたスパイ映画では、拷問相手にそのような装飾を施していた」
「ああ、ちょっと待ってろ」と、俺はパソコンに引っかけてあったヘッドホンを手に取る。
「わかった! わかったわかったよぉ! 全部、ぜ、全部話すから勘弁してくれぇ!」
しかし司は〝フライミートゥーザムーン〟を鼻歌で奏でながら道具の用意をするばかりで、藤田の必死の命乞いに耳を貸そうともしない。同じように無視をした俺も、流し場から取ってきたタオルを藤田の視界を覆うよう頭に巻いてやった。
「さて、どうするファントムハート?」
「メインディッシュに取り掛かる前に……軽めにホッチキスからだな。これで、親指と人差し指でもくっつけてやろう」
「い、依頼されたんだよ! お前を捕まえてこいって! そのシーンはカメラにしっかり収めておけって! それだけなんだ!」
とうとう藤田は、無我夢中で白旗を振り回しはじめた。震え、そして掠れた声から考えるに、嘘を吐いていないことは明らかだった。
「誰に依頼された?」
司はホッチキスをカスタネットのように鳴らしながら言った。カチリカチリと、空撃ちされた針が床に落ちていく。
「答えによっては、手心を加えてやらんこともない。私は心が広いからな」
「そ、それはわからない! 嘘じゃない! 信じて!」
藤田は心底必死に語った。
「電話がきたんだ! 無視したら、お前をヒーローでいられなくしてやるって!」
「そんなイタズラ電話、信じたのかよ……」
馬鹿がつくほど呆れる男だ。子どもでも騙されないぞ、そんな電話。
「俺だって最初は信じてなかった! でも! 電話を無視し続けてたら、細々と運営してた俺のファンサイトが考えられないくらい大勢の荒しの手で潰された! 他にも、雑誌の片隅で掲載させてもらってたコラムの仕事が突然無くなった! このままじゃヤバいって思って! だから……だから!」
なるほど。インターネットでコイツの名前を検索しても全くヒットが無かったのはそのせいか。当人の人気が無いところも一因だろうが、それ以上の何か別の力が働いていたことも事実らしい。
「つまり、貴様と共に私を襲ってきた他の2人も……いや、ここひと月の間、私を狙ってきた者共は、全員まとめて何者かに脅されたヒーロー、ということか?」
「全員かは知らないけど、少なくともこの前の2人はヒーローだ! アイツらも脅されたって言ってた! アイツらの名刺なら机の上の名刺入れの中だ! もうこれでいいだろ?!」
「そうだな。十分だ」
司は鋭い肘打ちを藤田の首筋に入れた。「ぐう」と唸った藤田はそのまま気絶した。
「にしても、コイツを脅したのってどんなヤツなんだろうな」
「わからん」
「わかりたくもないがな」と付け加えた司はホッチキスを高く放り投げた。弧を描いて宙に飛んだそれは重力に逆らうことなく、藤田の額に落ちていった。




