第3話 エクスペンダブルズ その4
翌日。今後の作戦を練るために、俺は司を引き連れて喫茶店マスクドライドに向かった。自宅でそれを行わなかったのは、昼過ぎに高校生ほどの若い女を家に連れ込んでいるところを大家に見られてしまったら、なんと言い訳をすればいいのかわからなかったからである。
硝子扉を押せば、カランコロンと響く銅鈴の音。例によってひとりの客もいない店内にはよく響く。
「いらっしゃい。注文は?」
いつものように注文の催促をしながらキッチンの奥から現れたエプロン姿の愛宕は、俺に続いて入ってきた司を見て、「あら」と意外そうな声をあげた。
「その子、翔太朗の妹か何か?」
「そういうことにしておいてくれ」
俺は愛宕の耳元に顔を寄せて小声で言った。
「それとアイツ、味にうるさいから注意しろよ。インスタントのコーヒーは飲まずに捨てるタイプだ」
「味って……まさか、〝コッチ〟に用なの?」
「そうだ。ここって一応、普通の喫茶店でもあるんだろ」
愛宕は恨めしそうな瞳を俺に向けた。
「せっかく煙草でもと思ってたのに。喫茶店なら他にもあるんだから、そっち行きなさいよ」
「煙草はいつでも吸ってんだろ。あと、少しくらい商売っ気を出せ。とりあえず、ホットコーヒー2つ。しっかりしたモン頼むぞ」
「わかったわよ」と、がっくりうなだれる愛宕の背中がキッチンへと向かうのを見送った俺は、既に我が物顔で窓際の席に座っている司の正面に腰掛けた。
「翔太郎、中々に趣味の良いところを知っているのだな」
司は店をぐるりと見回しながら言った。
「調度品もアンティークで気に入った。煙草の匂いがするのも、これぞ喫茶店という感じだ。何より、静かなのがいい」
「静かすぎるくらいだけどな」
「勿体ない。私なら毎日でも通いたいほどだ」
司は店をすっかり気に入ったらしく、「ふむふむ」などと頷きながら辺りをうろうろし始めた。
「司、ここに来た目的忘れたのか?」
「案ずるな。コーヒーがきたら始める予定だ」
いくら年不相応に貫禄があるって言っても、結局は子どもだ。興味があるものが目の前にあればどうしたってそれに喰いつく。しばらく放っておいてやろうと考えた俺は、店の片隅の新聞・雑誌が積んであるコーナーから今日付けの朝刊を取り、時間つぶしがてらに眺めてみた。
興味のない文字列を追いながら思うことと言えば、昨夜の一件についてである。
一面はともかくとして、公園で気絶していた謎の3人組についてなんて、地方欄の片隅程度になら出ていてもおかしくない珍事なのに、目につくのは来華お気に入りの〝幽霊〟についての記事ばかり。馬鹿3人組が倒れていた事件なんて、金にならないと考えた新聞記者が大多数だったのだろうか。少なくとも、俺が新聞記者なら間違いなくそう断ずる。
それなら仕方ないかと思い直したところで、コーヒーを乗せた盆を持った愛宕が、司と共に談笑しながら席にやってきた。
「結構いいトコでしょ、ここ」
「ああ。これでヨシノ店主のコーヒーが一級品なら、客が居ないのが不思議なくらいなのだが」
「一級品かどうかはわからないけど、不味くは無いと思う。豆はともかくあたしの腕は一級品だから」
「だとしたら、何ゆえ閑古鳥が鳴いているのだ、ここは」
愛宕はコーヒーカップを机に置きながら言った。
「お客さんはたくさん来るのよ。ただ、その人達はここの客じゃないのが大多数っていうだけ」
「それはどういう意味だ?」
「ゴメンね。普通のお嬢ちゃんには秘密なの」
シニカルに微笑んだ愛宕は、俺に小さなウインクをしてその場を去った。愛宕の背中と俺を交互に眺める司は、当然不思議な顔をしている。
「翔太朗、ヨシノ店主の言葉はどういう意味だ?」
「説明してやるよ。別に、お前に隠さなきゃいけないほど大したことでもないしな」
言いながら俺はコーヒーを啜る。インスタントと味の違いはイマイチわからないが、これは多分そこそこ美味いコーヒーなのだろう。いかんせん、一杯600円もするのだから、美味しくなくては困る。
「父曰く、〝時は金なり〟。大したことでないなら説明しないでも構わん。であれば、本題に入るとしよう」
正面に腰掛けた司は懐から昨夜手に入れた免許証を取り出し、机に置いて指先で弾いた。机を滑った免許証は、俺の前に置かれたソーサーに当たって止まった。
「そいつの名は藤田正美。年齢は27歳。住所は西東京の某所。当然、知り合いではないな?」
「当たり前だろ」と返しながら、俺は免許証に写る大根役者改め藤田の顔を眺める。この写真を撮影した当時はまだ髪の毛に未練が残っていたらしく、戦線を大きく下げた生え際がかろうじて踏ん張っていた。
「…………若ハゲは怖いな」
「同感だが、今言うべきことか?」
司はコーヒーの香りを楽しむよう、カップを静かに回しながら言った。
「奴の情報をどのように利用するか。目下の課題はそれだ」
「利用方法云々を考える前に、まずはこの名前で検索でもかけてみたらどうだ? どこの誰で、どんなヤツなのかわかるかもしれない」
「そんなこと、思い浮かばない私ではない。昨日のうちにそれを行ったが、ありふれた名前ひとつ検索するだけでは、情報にノイズが多すぎてな。まるで使い物にならなかった」
「それなら、コイツの家に直接乗り込むか」
「相変わらずだな、翔太朗」
司は背もたれに体重を預け、ふんぞり返って俺を見た。
「そんなことをすれば、後でどんなしっぺ返しを喰らうかわからんだろう。昨夜のように正当防衛でないことを加味すれば、警察の介入だって考えられる。手荒な真似はあくまで最終手段だ。もっとマシな方法を探そうではないか」
「そうは言ってもなあ」と、俺は天井を仰ぐ。小説中の名探偵でないんだから、ほとんどノーヒントのこの状態から次の手立てを考えろなんて、無茶にもほどがある。俺に出せる案といえば、せいぜい「勘を信じろ」程度だというのに。
司はコーヒーの黒い表面とにらめっこしながら「うむ」と悩み、一方俺は腕組みしたりしきりに貧乏ゆすりをするなどして、真剣に悩むフリをした。
そんな俺達に「お困りのようだね」と声をかけてきたのは、マスクドライドの主、八兵衛だった。
「困ったときにやってくる、そういうのが僕の役目」
「……誰だ、貴様」
司は、遊びのない敵意を込めた視線を八兵衛に向けた。丸ぶちのサングラスにぼさぼさの鳥の巣頭、薄汚いアロハシャツという清潔感の欠片もない格好の見知らぬ男を目の前にすれば、この反応も無理はない。
「おっと、はじめましてだねお嬢さん。僕は立花八兵衛、ここの店主」
そう言って八兵衛は握手を求めるも、当然のごとく司はそれを無視した。
「店主は先ほどの彼女ではないのか?」
「愛宕くんはあくまで仮初めの店主……って、もしかして、タマフクローからまだ聞いてない?」
タマフクローと聞いた司は、心底嫌そうに表情を大きく歪めた。俺は思わず司から目を逸らす。
「ああ、初耳だ。それとタチバナ店主、悪いがその、タマなんとかという名前を私の前で口に出すのは控えてもらえないか? わかるだろう、一応私は女なんだ」
「なんでだい?」と八兵衛は首を傾げる。これを嫌がらせとかではなく本気で言っているのだから、この立花八兵衛という男はタチが悪い。もっとも、いつ見ても羞恥の欠片も感じられないみすぼらしい格好をしている男なので無理もない。
「なんでだい、ときたか……。嫌なものは嫌。それだけでは不十分か?」
「それはちょっと酷いと思うなぁ」
拗ねたように言った八兵衛は、腕を組んで抗議の意を示した。
「いいかい、お嬢さん。万物には名前がある。雑草という名前の草が無いのと同じようにね。スベスベマンジュウガニというカニがいるだろう。確かにちょっと気が抜ける名前だけど、みんなそれを受け入れている。タマフクローだって同じサ。確かに股間みたいな名前だとは思う。はっきり言えば『なんじゃそりゃ』って名前だとも思う。でもさ、それが彼の名前なんだ。だったら僕達は、それを受け入れてやらなくちゃ」
「……だから、そのタマなんとかを止めろと――」
「タマなんとかじゃないタマフクローだよ! お嬢さん、君にはわからないかもしれないけど、この名前には大事な意味があるんだ! 恥ずかしいなんて言うのはお門違いというものなんだ!」
「知っているさ。少なくとも、喫茶店の不潔な店主よりもずっと知っている自信がある」
「知ってるならなおさらだろう?! タマフクローをタマフクローと呼ぶのに何の問題があるんだい? タマフクローはタマフクローであり、タマフクロー以外の何者でもないのだから――」
瞬間、浮き上がる八兵衛の身体。司の掌底がアゴにクリーンヒットしたのだ。南無と、俺は心の中で合掌した。どうか、次に目覚める時までには「空気を読む」という技術を身につけておいて欲しい。
「……さて、翔太郎。床の味を存分に味わっているこの馬鹿は、いったいどこの誰なんだ?」
司は不満げにコーヒーをすすった。
〇
気を失った八兵衛を空いたボックス席に寝かせてから俺は、立花八兵衛がどういう人間であるのかを司に説明してやることにした。人と人とが手を取り合うには、互いの理解が一番重要である。
マスクドライドはただの喫茶店ではなく、ヒーローツールの専門店という裏の顔を持っているということ。八兵衛はそこの店主であり、見た目とは裏腹に怪しいヤツではないということ。怪しくないと言っても、基本的にはどうしようもない男なので、会話の際にはその点を頭に入れておいて欲しいということ。
ムスっと膨れる司にそんなことを説明し終えたころ、ようやく目を覚ました八兵衛は、ズレたサングラスを直しながら身体を起こした。
「やあ、ゴメンゴメン。昨日遅くまでヒーローについて研究をしていたせいか、気絶してしまったみたいだ」
殴られた瞬間の記憶が飛んでいるのか、八兵衛はいつものように呑気に言った。
「ところで、アゴが割れるように痛いんだけど、誰か僕のこと踏んづけた?」
「覚えていないのか、間抜けめ」
司は八兵衛の前に立ちふさがるように仁王立ちする。
「貴様は私に殴られたのだ」
「殴ったって……僕、君に何かしたっけ?」
「貴様が翔太郎を! タ――れ、例の名前で呼んだからだ!」
「……例の名前」としばし考え込んだ八兵衛は、ようやく記憶が戻ったのかぽんと手を打った。
「ああ、思い出したぞ。君、なんでタマフクローをそんなに嫌うんだい?」
「嫌ってはいない! ただ、その名前が生理的に受け入れられないだけだ!」
「なんでそんなことを言うんだい君は! いいかい君。ヒーローにとってヒーローネームは重要な意味を持つんだっ! タマフクローという名前は謂わば、翔太朗に与えられた世界に1つの勲章のようなものなんだぞっ!」
「それとこれとは話が別だっ! 年頃の女性の前でタマだのなんだの、どう思われるかわからんのかっ!」
価値観の相違を埋められないまま、司と八兵衛は互いの意見をぶつけ合う。このままにしておけば八兵衛のアゴがふたつに割れるという不毛な悲劇を生むだけだと考えた俺は、2人の間に割り込んだ。
「落ち着け、司。お前は愛宕とコーヒーでも飲んでろ」
俺は、便乗して「そうだそうだ!」とはやし立てる八兵衛の頭を叩く。
「で、お前はこっち来い、このヒーロー馬鹿」
そうして店の隅に八兵衛を引っ張っていった俺は、一文字司という人間について知っている限りを説明した。
お前を殴ったあの暴力女は一文字司といい、時折人を殴ること以外は悪いヤツではないということ。司はああ見えて思春期らしい面もあるので、なるべくその点を配慮して欲しいということ。そしてその話がやがて、「一文字司はヒーローである」という説明に及んだところで、八兵衛は途端に目の色を変えた。
「ヒーロー? 彼女が?」
「ああ。話によると、結構長くやってるらしい」
「それは素晴らしい! 仲良くなっておかなくちゃ!」
嬉々とした表情でガッツポーズを作ってみせた八兵衛は、愛宕と談笑を続ける司に歩み寄っていった。止めるべきか一瞬迷った俺だったが、「いくらあのバカでも5分刻みで同じ失敗は起こさないだろう」と考え、伸ばしかけた腕を引っ込めた。
のこのこ近づいてきた八兵衛を、司は「なんだ、貴様」と強く睨む。
「そんな熱い視線を送らないでよ、お嬢さん。一文字くんでいいのかな。それとも司くん?まあ、大事なことはそこじゃない。僕が聞きたいのはね、君の名前さ。いや、名前っていっても本名が知りたいわけじゃないよ。だいたい、さっき呼んだもんね。僕が知りたいのはあくまで君のヒーローネーム。ああ、ちょっと待って。言うのは待って。当ててみせるからさ。うーむ、そうだな。君は考えるより先に手が出るタイプっぽいから……ずばり、キラーマシーンだ!」
「だ!」と言うのと同時のタイミングで、空気が割れたような鋭い音が響いた。司が八兵衛の頬を叩いた音だった。バカにつける薬は存在しない。
「今日は臨時休業かな」と、どこか幸せそうな顔で仰向けに倒れる八兵衛を見ながら、愛宕はそう呟いた。
○
「お2人さん。長いこと話し合って大変だろう? これは僕からのおごり。さっきのお詫びもかねて、ね」
マスクドライドにて進展しない話し合いを続けていると、サンドウィッチが乗せられた皿を片手に持った八兵衛が、俺達の席にやってきた。その頬は酷い虫歯でも出来たように腫れている。ふと壁掛け時計を見上げてみれば、時刻は既に12時10分。すっかり昼飯時である。
「下げてくれ」
八兵衛の労いを、司は虫を払うような仕草と共に一蹴する。
「貴様からの施しなど受けるつもりはない」
「そう言わずにさ、こんな時間だし、コーヒーだけじゃお腹減ってるんじゃない?」
「父曰く、〝ヒーローは食わねど高楊枝〟。確かに腹は空いているが、それとこれとは話が別だ」
「おや、てことは君のお父さんもヒーローってこと?」
「貴様には関係ない」
「そう。でも、美味しいのになぁ、コレ。愛宕特製だよ?」
言いながら、サンドウィッチを置いた八兵衛は、手近な椅子を引っ張ってきて俺達と同じテーブルを囲んだ。どうやらすっかり司に興味津々のようだ。
「僕も混ぜてよ、作戦会議」
「私がそれを許可すると思うか?」
「ところがどっこい、僕はここの店主だから。許可されなくても大丈夫なんだ」
司は、自らのテリトリーを侵された狂犬のような視線を八兵衛へ向ける。しかし、そんなことはどこ吹く風の八兵衛は、先ほどからテーブルの片隅に放置されていた藤田の免許証を拾い上げた。
「おや、彼も君達の仲間?」
「そんなわけあるか」と、俺は八兵衛から免許証を取り返す。
「むしろ敵だ、敵」
「敵って、そりゃまた変な言い回しだね。確かに、君らにとっての商売敵だとは思うけどさ」
そう言って席を立った八兵衛は、店の奥に引っ込んだかと思いきや、ぶ厚い本を一冊持って戻ってきた。
「見たことあるよ、その名前。確かここらへんに……」
勢いよくページをめくる八兵衛は、やがて「あった」とその手を止め、俺達に本を向けた。
「なんだよ、この本」
「読めばわかるさ、ホラ」
仕方なしに本を手に取った俺は、それを読んだその瞬間に自分の目を疑った。ページの4分の1程度を占めるそのスペースには、藤田正美という名前と、あのハゲ頭が光る写真。さらには、〝ローニンカブキ〟といういかにもな名前と、〝変身後〟であろう歌舞伎のメイクを施した写真が載っている。本を閉じて表紙を見てみれば、派手なフォントで書かれた「ヒーロー名鑑」の文字。
そう。あの藤田という男は、俺や司と同じ職に就く人間――ヒーローだったのだ。驚いた、というのもあるが、何よりあんなバカが同じ職であることに頭が痛くなった。
「どうした、翔太郎。急に頭を抱えて、具合でも悪くなったか?」
「……読めばわかる」
本を手渡してやると、興味なさげに文字を目で追い始めた司は、秒毎にその表情を険しいものに変え、ついには机に置かれたサンドウィッチの皿をひっくり返す勢いでテーブルを叩いて立ち上がった。その瞳の奥には、静かな怒りの炎が確かに揺れている。
「どうしたんだ、司」
「一言でいえば、シャクに障った」
そう言って司は、机に散らばるサンドウィッチを拾い上げ、それらを纏めて口の中に放り込んだ。
「やっぱりお腹減ってたんじゃないか!」と嬉しそうに手を叩いた八兵衛を「黙れ」と一蹴した司は、紙ナプキンで口の周りを拭いた。
「翔太郎、腹ごしらえは終わった。早速出るぞ。身支度を整えろ」
「身支度って、どこ行くつもりだよ?」
「決まっているだろう」
司は指をぱきぽきと鳴らし、藤田の写真を差した。
「〝最終手段〟を取ることにした」




