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第3話 エクスペンダブルズ その3

 その翌日の夜8時を超えた辺り。2年余りの独り暮らしで細々と鍛えた貧弱な料理スキルを使って調理した生姜焼きを貪っていると、誰かがベランダの窓を開けた。人の部屋にノックもせず堂々と上がり込んできたのは、新手の泥棒――ではなく、 一文字司その人である。その右手には、怪しげに大きなボストンバッグが握られている。


 呆気にとられた俺は箸を手からこぼした。カランカランと箸が踊る乾いた音が響くと共に、夜風がリビングに吹き込む。


「邪魔するぞ、翔太朗」

「……その前に、なんで窓から?」

「女子高生との夜の密会を、マンション住人に見られたかったのか?」と、司はソファーに腰かけた。「お望みなら、今度からは制服を着込んで、黄色い声で『翔太朗くん』などと喚きながら貴様の部屋に押しかけてやるが?」

「……お気遣いどーも」


 俺は気を持ち直しつつ、落ちた箸を拾って机に置く。


「で、何か用か?」

「用があるから来たのだ。準備は出来ているか、翔太郎」

「準備って……何するつもりだよ? 俺、何も聞いてないぞ」

「決まっているだろう。作戦を実行するんだ」

「そりゃまた急だな。その作戦ってのも初耳なのに」

「安心しろ。猿でもわかる、単純な作戦だ」


 バッグを開いた司は、その中から取り出したイヤホン型の小型マイクを俺に投げ渡した。司によれば、通信機能を備えたものらしい。


「これをつけろ。着替えながら会議といこうではないか」


 それから俺達は、それぞれ別の部屋でスーツに着替えながら、マイクチェックも兼ねて壁越しに今夜の作戦について話し合った。


「――うまくいけば今日か明日には終わる。そうなれば、私は普通の生活に戻るさ。……早いところ、コハナに心配をかけた償いをしなくては」

「なんなら、明日にでも行けばいい。そっちの方がスッキリするだろ」

「……気が向いたらな」


 司の立てた作戦は至極単純、加えて酷く無骨で、つまりは俺の好みの作戦だった。それは、「ファントムハートを襲ってくる正体不明の者共をふたりで返り討ちにし、そいつらから目的を聞きだす」というシンプルなものである。華やかさの欠片も無いが、頭を使う必要がなくてなによりだ。


 準備を済ませ、家を出る直前になって、司は俺を中心にぐるりと一周し、値踏みするようにスーツをじろじろと見てきた。無暗にマントをばさばさはためかせてみたり、肩から腕にかけての辺りをこつこつと叩いてみたりした後、司は心もとなさそうに肩を落とした。


「翔太郎、貴様のスーツは随分と脆そうだ」

「素肌よりマシだろ?」

「だからと言ってだな……道具も持っていないようだし、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫だ。秘密兵器なら持ってる」


 そう言って俺は、「ハイチーズ」と頭部についた極小のビデオカメラを作動させる。「何を馬鹿な」と言いたげな司を10秒ほど撮影した俺は、マスクに配線を繋いで撮影した動画をテレビに映し出してやった。司はそれを、眉をひそめて凝視した。


「……ひとつ聞こうか。これがなんの役に立つ?」

「訴訟防止用。助けたのに訴えられたらかなわないからって、先代がつけた唯一の装備だ。思えば、ドライブレコーダーの先駆けみたいなモンだな」

「……なんとせせこましい」


 苦々しく言った司は、1cm大の玉を3種類、2個ずつ手渡してきた。それぞれ、赤、黄、白に塗り分けられている。


「貴様にやる。赤が煙幕を張ることができる玉。黄色が閃光玉だ。上手く使え」


「白は?」と尋ねると、司は「爆薬だ」などと平然と答えた。なんて物騒モンを持ち歩いているんだ。悪の組織と戦うつもりか、このガキは。


「いらねーよ」と突き返した俺だったが、「持っておけ」と司は聞かない。持って歩くのも物騒なので、机の引き出しにしまっておこうとしたら、「なぜ持たない?」と軽い殺意を込めて尋ねてきたので、3種の玉は仕方なくポケットに納められた。どうか誤爆しませんようにと、俺は両手のひらを擦り合わせた。


 俺達が家を出たのは、9時を少し回った辺りのころだった。司が言うには、駅前など人気のある場所で襲われたことは無いとのことなので、俺達は住宅街を中心に徘徊することにした。ふたり揃って歩くと警戒されかねないため、俺は家々の屋根から屋根、さらには雑木や電信柱までを利用して司の背中を上から追った。傍から見れば超人的ストーカーである。


 作戦開始から2時間半。不審者一行が一向に現れないことに嫌気が差し、俺はマイク越しで司に雑談を振った。


「そういや司、ちょっと聞いていいか?」

『今はファントムハートだ。違うか?』


 面倒な奴だと思いながらも、俺は「ファントムハート」と訂正する。


『なんだ?』

「お前、いつからこんなことやってんだ?」

『こんなこととはつまり、比衣呂市においての夜警活動のことか? それなら半年ほど前からになる』

「半年か。つまり、高校生になってから始めたってことか?」

『そうなるな。もっとも、東京で活動していた期間も含めれば、3年余りになるが』

「さ、3年?」


 驚いた俺は思わず素っ頓狂な声をあげる。足下の民家から「なんの音だ?」という声が聞こえ、俺は慌てて別の屋根へと飛び移った。


 ヒーローとなるためには、国が実施する筆記並びに体力テストに合格する必要はあるものの、そのテストの受験要綱に年齢制限は設けられていない。したがって試験をパスすれば、たとえ幼稚園児だってヒーローになれるというわけだ。無論、実施される試験はそこまで楽でもない上、一寸先すら見えない業界に学歴さえ積まずに飛び込もうとする破天荒はまずいないため、ヒーローになるのは義務教育を終えてからというのが、業界における暗黙の了解となっている。


 まさか、茨の道を裸足で歩くバカがいたとは……。そしてそのバカが目の前にいるとは……。


「3年って、中学生のときからこんなことやってたのか」

『そういうことになるな。懐かしいものだ』

「それにしたって、なんでわざわざ東京から埼玉に?」

『恥ずかしながら、それまでは知らなかったのさ。犯罪者が真に多いのは、東京ではなくその周辺地域だということを』


 司の言うとおり、東京の犯罪件数は全国一少ない。東京には、新宿や渋谷をはじめとする繁華街が他県と比べて圧倒的に多いにも関わらず犯罪件数が少ないのは何故か。その裏には、なんともアホらしいヒーロー業界の事情がある。


 そもそも、ヒーロー活動でひと財産築くには、メディアの動きが活発な東京に出るしかない。そのため、上昇志向や野心が溢れるヒーロー志望の若者は、上京してヒーローを目指す。そして彼らは自分の名前を売り込むため、昼夜を問わず町を徘徊し、犯罪者を今か今かと待ち受けるようになる。


 東京には、そんな奴らがゴマンといる。目立ちたがり屋の馬鹿が大多数だと思うが、そんなヤツらでも、いるだけで犯罪への抑止力になるのは変わりない。東京での犯罪件数が異様に少ないのはそのためである。


 ……ちなみに、埼玉の犯罪件数は全国トップを誇る。ベッドタウンとして名を馳せる一方、犯罪のねぐらにもなっているのだから笑えない。


 反面、ヒーロー数は日本一少ない。その分、ヒーローへ支給される補助金は他県と比べてやや高いのだが、それでもなお「やってられん」とヒーローを辞する者が多いのが現状である。


「それで、選んだのが、〝犯罪都市〟埼玉か。なんだか、お前らしいな」


『そうだろう』とどこか誇らしげに笑った司は次の瞬間、纏う雰囲気をマイク越しにもわかるほど尖らせた。いったいどうしたと尋ねる前に、たるんだ気持ちを引き締めた俺はその理由を理解した。


 司の後方20mから歩み寄る3つの影。ひとつはスキンヘッド、ひとつは背中まで伸びた髪、ひとつは猫背がそれぞれ特徴的な、男の3人組だった。長髪男の手には、司から聞いた通りにカメラが握られている。ただの〝ファン〟ではないことは明らかだ。


「……ファントムハート、男が3人だ。お前の後ろから近づいてる」

『わかっている。翔太郎、奴らを人目のつかない場所まで誘導するから、そこからは自分のタイミングで動け』


 司から見えていないことはわかっていながらも小さく頷いた俺は、屋根伝いに男達と併走する。男達は歩く速度を徐々に早め、司の背中に近づいている。


 男達に気づかないフリをする司が足を向けたのは、住宅街にぽつんとある公園だった。遊具なんてものは存在せず、申し訳程度のベンチが公園の奥まったところにあるだけである。


 わざとらしく息を吐きながら公園のベンチに座る、コスプレめいた格好をした司。標的への距離を徐々に詰める、それぞれ特徴的な男達。そして、そんな計4人組を電柱にしがみついて見下ろすバカ、つまり俺。誰にも理解されないアートを追及するヘンタイ集団の見せ物だろうと思われても仕方のない光景である。


「ファントムハート」


 筋肉質なスキンヘッドが司のことを呼んだ。


「今日こそ年貢の納め時。いざ神妙に、尋常に」


 なんというか、司に負けず劣らず芝居じみた喋り方をする男だ。俺は心の中でスキンヘッドのことを大根役者と名付けた。


「貴様らのような奴らが何度来ても無駄だということが、まだわからんのか?」

「粋がるな。今日のお主に退路無し」

「なら好都合。それはつまり、貴様らにも逃げ場が無いということだ」


 司の挑発に、猫背の男が一歩前に出る。


「ずいぶんと自信満々だなぁ。いいぜぇクソガキ、教育してやるさぁ」

「ああ、望むところだ。来るなら来い」


 まごうことなき決め台詞。夜襲をするならここしかないというタイミングで俺は電柱から飛び降り、3人のうち猫背の男の背中に蹴りを入れながら登場した。気分はさながら、3流アクション映画で眩く輝く筋肉系俳優である。


「な、何だ?!」

「正義の味方……ていうか、お前らの敵」


 自分で「正義の味方」なんて名乗ったことに恥ずかしくなった俺は、自らそれを訂正しながら、気絶した猫背の男を公園の端まで引っ張っていく。


「それよりも、これで2対2だ。まだやるか?」


 俺の言葉に「無論」と乗ってきたのは、大根役者の方だった。見た目の通りの武闘派らしい。


「お主のことは存じぬが、ここで会ったが仇敵。構えたまへ、泣きたまへ」

「そういう、頭を良くみせたい馬鹿みたいな喋り方してるからハゲるんだ。もっとシンプルでいいんじゃないか」

「……禿ではない、スキンヘッドだ」

「ハゲたからスキンヘッドなんだろ。いいから来いよ」


 無言で腰を落とした大根役者は、その体躯を存分に生かすための愚直な突進を俺めがけて放った。難なくいなして鳩尾に拳を入れてやった俺は、白目を剥いてヒューヒュー呼吸をする大根役者を尻目に、ひとり残った長髪男に指を差す。


「2対1。まだやるか?」


 追いつめられた長髪男は血相を変え、カメラを放り出して逃げ出した。かと思いきや、よほど慌てていたのか何もないところで豪快にこけ、したたか頭を打って動かなくなった。


「……バカかコイツら」

「ただの馬鹿ではない。筋金入りの大馬鹿者さ」


 言いながら、司は倒れ伏す平成のずっこけ3人組をそれぞれ見た。


「それにしても、揃いも揃って気絶しおって。これでは話が聞けんではないか」

「ぶん殴って起こしてみるか?」

「それしかないか」


 そう言って、司が拳を構えたその瞬間のこと、楽しそうにワイワイと話す一団の声が、公園の方へと近づいてきているのが聞こえた。どうやら、週末だからといって調子に乗ってこの時間まで飲み続けていたサラリーマン一行らしい。


「……俺達、どう考えても他の誰かに見られたらまずいよな?」

「否めんな。傍から見れば加害者はこちらだ」


 そう言って、一番近くで倒れていた大根役者のポケットを探り財布を取り出した司は、中から何かを抜き取った。見ればそれは免許証である。このヤクザめいたやり口、末恐ろしい女子高生だ。


「何やってんだ、司」

「手ぶらでは帰れんからな。せめて、これだけでも持って帰らねば。身元がわかれば、奴らの目的もわかるかもしれんしな」


「だからって」と言いかけたが、相手は正体不明の悪党だし、実行犯は司だしで、反対する理由がどこにもないことに気が付いた俺は、「ま、いいか」と犯罪行為をあっさり容認した。


 そうして半ば通り魔まがいのことをしてのけた俺達は、大慌てで公園を後にした。

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