第1話 トゥルーマン・ショー その1
1年ほど前に書いたものを手直ししたものです。
11万文字ほどで完結します。
説明しよう。この俺、本郷翔太朗はヒーローである。
そうは言っても俺は、悪の組織に攫われた改造人間なわけでなければ、特殊な遺伝子を持つ蜘蛛に噛まれたアメイジングな蜘蛛男というわけでもなければ、アイアンなハイテクスーツを着こんだ世界一の億万長者というわけでもない。
俺は地元埼玉の比衣呂市を中心に活動している、肩身の狭いご当地ヒーローである。ヒーローネームは口に出すのも憚られるので、ここではあえて伏せておくことにする。
再び、説明しよう。俺は決して、自ら望んでヒーローになったわけではない。
大体、どこの誰が好き好んで、道を歩けば2度見3度見される奇抜な格好で街を徘徊し、ロクに感謝もされない人助けに日々邁進したがるというのか。あんなことを自ら進んでやりたがるのはよほどの目立ちたがり屋か、もしくはただの馬鹿だけである。鋼の正義を持っていることと、コスプレで街をうろつくのは別問題だ。
三度、説明しよう。そんな俺がヒーローを続ける、その理由を。
と言ってもそれは、気になるあの子がピンチに陥ったところを助ける際、そこで超能力が覚醒したからというわけでなければ、ヒーロー大好きな美人幼馴染を振り向かせようとしているわけでもなければ、ある日突然空から落ちてきた不可思議な女の子を護るためというわけでもなく、つまるところは決して華やかな理由ではない。
要は、見えない明日より確実な今日を選んでいるだけなのだ。
もう説明したくない。自らの恥部をこれ以上晒したくはない。だからさっさと語り始めることにしよう。
狭く小さな世界で起きた、とあるヒーローの物語を。
〇
それは9月頭の夜のことだった。柔らかな風が心地よく吹き、甘い雨雲の匂いを運んでいる。鈴虫の大合唱が草木で荒れた私有地から聞こえてくるせいで煩わしい。道を照らす街灯は、カーブミラーの陰に寂しく咲く、名もない花を照らすばかりである。
そんな夜に俺は1人、赤の他人の一軒家の屋根に立ち、比衣呂市の空をぼうっと見上げていた。薄い雲に隠れた細い月の淡い光に、被る者の正気を疑うようなマスクが僅かに光る。
唇の上まで覆う黒塗りのバイザーと、横に跳ねた耳のようなデザインが特徴的なそれは、フクロウを模したマスクである。ただでさえそんなものを被っているのに、これまたフクロウを模したコンバットスーツ、さらには野暮ったい黒のマントなんて羽織っているものだから、その姿ときたらどう贔屓目に見たって不審者そのものであり、職務に忠実な警官が通れば職務質問は免れない格好となっている。
「……まったく、毎晩毎晩こんな格好で」
夜の街の平穏を人知れず守る――ヒーローとは孤独なものであると相場が決まっている。ゆえに、ヒーローはセンチな気持ちに襲われやすい。そんな時、どうしたって自身と同じ境遇である月に救いを求めたくなる。
そんな例に漏れない俺は、救いを求めるように月に向かって手を伸ばした。
「……お互い大変だよな。年がら年中町の見張りで」
苦労を共にするたったひとりの相棒に労いの言葉を掛けていると、ふと、遠くの方から声が聞こえた。甲高い、「きゃあ」という女性の叫び。家の中でゴキブリを見つけただけならいいのだが、そんなくだらないケースでないことは間違いない。つまりはヒーローの出番である。
俺はマントを広げ、屋根から跳躍した。空気抵抗を受けたマントが、落下速度をやや緩めてくれる。「そのまま飛べばいいのに」とか、無理なことは言わないでほしい。出来ることなら俺だってそうしたい。しかし無理だ。漫画ではないのだから。
道路に無事着地して聞き耳を立てると、道路から大きな足音が響いてくるのが聞こえた。迫る音から考えれば、走っているのは大柄の男2人組。
そろそろ、あの角を曲がってやってくる。
「3、2、1……」と喉の奥で呟き、カウントダウンする。
男達が息を切らして暗闇の中を走り込んできたところで、俺は自身を包み込むマントを勢いよく開いた。空気が擦れる音が辺りに響き、虚を突かれた男達はぎょっとした顔で脚を止めた。
「どうしたんだ、そんなに急いで」
白々しくも俺がそう尋ねると、男達は苛立った様子で舌を打った。
「テメェーにゃ関係ねーだろ。そこどけよ」
「関係ないかどうかはわからないだろ。もしかしたら、このマスクの下はアンタらの知り合いかもしれない」
「そんな馬鹿みたいな服装してる奴、俺の知り合いにはいねーよ」
「馬鹿か。ま、そう言われても仕方ない格好だけどな」
声を掛けながら、俺は男達をよく観察する。男達の着込むTシャツは筋肉で盛り上がっており、接触の多いスポーツをやっていることを思わせる。片方の男はその風貌に似合わない女性向けのハンドバッグを手にしており、誰かから奪い取ったことを容易に想像させる。もう片方の男の手には抜身のナイフが握られている。
これはもう、考えるまでもなく〝確定〟だろう。
俺は男達にゆっくりと歩み寄りながら語りかけた。
「なあお前ら。大人しくそのバッグを返せば見逃してやっても構わないけど、どうする?」
「アホ抜かせ、このイカレコスプレ野郎」
身体の芯から熱くなるほどムカつく言葉が浴びせられたが、なんとか耐えた。次言ったらぶん殴ってやる。念入りに顔面をぶん殴ってやると心に誓う。
「……ひとつ忠告だ。優しくされてる間が華だぞ。大人しく、そのバッグを置いてどっか行けよ」
「うるせぇよ、さっさとどかねえと――」
「ま、待て」
ナイフを手にしている男の暴言を、バッグを持った方の男が止めた。「お前、どっかで見たことあるな」
「なんだ、俺のこと知ってるのか」
「ああ」と男は頷く。
「夜な夜な町をうろついて、目の前の問題を拳ひとつで即解決。この町で、コイツだけには見つかるなって聞いた事がある……」
どんな悪魔的噂が流れているのか知らないが、箔がつくのなら悪くない。むしろ、悪人相手の仕事なら好都合だ。
「わかってるなら話が早いな。ホラ、さっさとソレ置いて逃げろ」
「そ、そうするよ。ここに置くから、な?」
呆気なく仕事が終わるかと思いきや、「まったく、情けねえな」ともう一方の男が俺へナイフを向けながら接近してきた。まったく聞き分けの悪いヤツだ。
「止めとけって。ジャッキーチェンみたいな鼻になりたくないだろ」
「なに言ってんだお前? 俺が持ってるこれが見え――」
その言葉を喉の奥に押し戻すように、俺は男の顔面目がけて拳を放った。男は鼻血を出してうずくまると、ヒィヒィ言いながら身体を丸めた。
「悪いな。俺は気が短いんだ。悪人相手だと特に」
俺は残った方の男をひと睨みする。すっかり青ざめた男は、図体に似合わない小さなホールドアップをしてみせた。
「わ、わかった。わかったから殴らないでくれ、タマ――」
「待て」と俺は男の言動を遮る。
「それ以上は言わなくていい」
さて、ヒーローにとって〝イカレコスプレ野郎〟よりも言われたくない言葉は存在するのか? 答えはイエスだ。少なくとも俺にとっては、それが存在する。
「わ、わかったよ。でも、なんで?」
「わかるだろ? あの名前が嫌だからだ。お前だってあの名前、バカみたいだと思ってんだろ?」
「い、いやでもよ、いいと思うぜアンタの名前」
「よくねえよ。ヘタな世辞は止めろ」
「そ、そう邪険にすんなよ。なあ、タマ――」
気づけば俺は、下手な世辞を並べる男の頬に向けて右ストレートを放っていた。右拳をモロに受けてふらふらとよろめいた男は、民家の垣根に頭から突っ込み、やがて気絶でもしたのか動かなくなった。ヒーローの忠告を意に介さない奴には鉄拳制裁に限る。
少しやり過ぎたかなんて考えながら、落ちたバッグを拾い、砂埃を払ってやっていると、やがてハイヒールが地面を蹴るカツカツという音と共に、険しい顔をした女性が俺の元に近づいてきた。どうやら持ち主の登場だ。警察まで行く手間が省けて助かった。
「ちょっとあんた!」
「よお、ちょうどいいとこに来たな。引ったくりなら俺が今さっき――」
有無を言わさぬうち頬に飛んできた鋭い平手打ち。怒りよりも先にクエスチョンマークが頭を支配する。俺が何をしたっていうんだ。
「……待て、話を聞け。ほら見ろこのバッグ、アンタのだろ?」
質問に答える代わりに飛んできた、左右連打の平手打ち。唖然と佇む俺の手から鞄を奪い去った女は、俺のことを睨みつけた。
「このコスプレヘンタイ野郎! あんたもどーせ、アイツらの仲間なんでしょ!」
まさかヘンタイとくるとは。とんでもない勘違いだが、誤解を受けるのはこれが初めてではない。俺は冷静に、目の前の問題を処理することにする。
「バカ言うな。俺はヒーローだ」
「ヒーロー? あんたが? 冗談言わないで。あんたみたいな奴、ニュースでもネットでも見たことないわよ」
「マスコミが嫌いなヒーローも居るんだよ。大体、こんな格好で夜中の街を歩き回る物好きなヤツなんて、ヒーロー以外いないだろ?」
「ああ、もういいわよ言い訳は」
女は呆れたように息を吐いた。呆れたいのはこっちだ。俺はお前を助けてやったんだぞ、なんて考えていると、女は俺を軽蔑するよう睨みつけながら鞄からスマホを取り出した。
「ヒーローネーム言いなさい。検索すれば、あんたが本物のヒーローかどうかなんて一発でわかるんだから」
「ならいい」
俺はすかさず踵を返す。
「名前を言うくらいなら、信じてくれない方がマシだ」
「あっそ。なら、ヤバい格好のヤツが夜の町を徘徊してますって、警察に通報してやるから」
なんて女だ。助けなけりゃよかったと、ヒーローらしからぬ後悔が俺を襲う。親指を下に向けるか中指を突き立てるか、もしくはその両方のハンドサインを残してさっさと帰りたいところだが、しかしそういうわけにもいかない。
この手の女は、あることないこと全部まとめてSNSに書きこむタイプの人間だ。となれば、俺がここで〝くたばれ〟なんて意思表示をすればどんなことが待ち受けているのか、想像することは容易い。10日もしないうちに冷え切った表情の市役所職員がふたり一組で自宅に来て、俺のヒーロー資格を事務的にはく奪することだろう。
それは困る、非常に困る。こんなんでも、一応俺の仕事なんだ。失うわけにはいかない。せめて、次の安定した職が見つかるまでは!
……なら、仕方がない。言うしかない。恥ずかしくって堪らない、あの名前を。
「……フクローだ」
ダメだ、どうしたって喉が縮む。こんな名前、何が楽しくって年頃の女の前で口に出さなくちゃならんのだ。
女は「は?」と心底ムカつく顔で言うと、煽るように俺の頬をぺちぺち叩いた。悪人なら殴っても罪にならないのに。コイツが悪人なら。
「だから! ……フクローだ!」などとごにゃごにゃ言って誤魔化そうとしたが、そんな子供じみた手は通用せず、女はさらに俺を煽る。
「聞こえないわよ。悪いけど、もう一回言ってくれる? それともなに? やっぱりあんた、ただのヘンタイなわけ?」
こうなりゃ自棄だ。言っちまえ。そう思うとなんだか開放的な気持ちになってくる。むしろ言いたい。言ってやりたい。この女がどんな反応を見せるのか拝んでやりたい。
マスクの下で真面目な顔を作った俺は、ドスを利かせた声で名乗った。
「〝タマフクロー〟。それが俺のヒーローネームだ」
瞬間、本日三度目の平手打ちが俺の右頬を襲った。こうなると、やっぱりねというあきらめを受容する感情しか湧いてこない。
「やっぱただのヘンタイじゃないっ! 聞いて損したわ!」
「…………だから嫌だったんだよ」
しばらく経ってから俺がそう呟くころには、女の姿はとうに消えていた。