軽く腐をたしなむ芹さんと、焼肉奉行な寒川さんの割とどうしようもない酒宴。(なろう版)
佐井 千夜子さんの『真夏のリハビリ企画』(三千文字)に参加作品。
三千文字を越えてしまいましたが企画者様のご厚意に甘えさせていただきました。
リハビリなので情景などはほぼほぼ皆無のゆるふわ設定です……
注)こちらは短編ですが「ムーンライト」さんにR18版があります。
この短編に修正加筆、後日談の全6話です。
タイトルが違いますのでムーンでは「志野まつこ」で検索していただければと思います。
「さてタカヒロくんや、何か私に言いたいけど言い出せなくてずっと黙っているといった事はないね?」
勤続十年と夏の賞与の乾杯から始まり、二杯目を煽った芹はタンっと小気味よい音を立ててビールジョッキをテーブルを置いて煙の向こう側に見える男を見据えた。
「今日はピッチが速いなとは思ってけど二杯目で何、いきなり。何かストレス溜まるような事でもあったのかよ」
なぜかいつも焼肉奉行の役目を自然と務めてしまう寒川 隆弘はいつものように肉を網に並べながら呆れた風を装って芹の様子を観察した。
「いやぁ、なんというかさ」
自分から言い出しておいてなぜか芹は言い淀み、誤魔化すように枝豆を食べると残ったさやを弄ぶ。
賞与が出るたびに当初同期十人で行われていたこの飲み会であったが十年のうちに女性社員は退職し、男性メンバーも退職や家庭が出来た昨今では「独身二人組」と一まとめにされる芹と寒川だけで開催されるようになっていた。
「寒川兄さんもう37じゃないですか。確かにうちの会社は忙しいよ。男性社員は数年単位の海外赴任もあったりするしさ」
入社式が同じだったため同期という認識だが、寒川だけはいわゆる中途入社で5歳年上である。
「いい人いっぱいいるのに四十代、五十代未婚って人も増えてきたし、多忙やら長期の海外勤務やらで人生が変わっちゃったのかなと思うとやりきれない部分があるんですよ」
どうしたんだコイツ。
こんな早く酔いがまわるとかよっぽど疲れてんの?
寒川は力説する芹の取り皿に焼けた肉を置いてやりながら、芹のジョッキを確認する。いつもなら半分以下になっているこのタイミングで「次何行くよ?」と店員を呼ぶところだが様子を見る事にした。
「だからね、なんならもうカミングアウトしてくれないかな、と」
残ったビールを一気に煽り、思いのほか残りが少なかった事に少し不満気な顔をした芹は流れるような所作でスタッフ呼び出しボタンを押す。
「━━は?」
三年の海外赴任経験のある寒川はごく自然に西洋的な意味合いで解釈し、間抜な声を上げた。
「だってね、寒川兄さんここ数年彼女いないじゃない? それなら『忙しいから付き合ってる暇がない』とかじゃなくて『彼氏はいるから大丈夫』って言ってもらった方が精神衛生上ありがたいんですよ」
その場を肉の焼ける音だけが支配した。
「……お前、腐女子だっけ? 自分がカミングアウトしたかったワケ?」
やがて寒川がなんとか発した言葉はそれだった。
システムエンジニアという職種は基本的に何かしらマニアックな部分を持つ人種が多く、一日の大半をコンピューターに向かって過ごすためニュースはインターネットから入手する場合が多い。オタクかどうかは別にして自然とサブカルチャーに強くなるという傾向があった。
「女の子達の間でね、そういう話になる時がけっこうあるんだよ」
寒川が渋面で肉を返したのは焼け過ぎた惨状に対してではない。
けっこうあるのかよ。
そこだった。
「なんだかんだでうちの会社って高給取りじゃない? でも使う暇ないから独身組は割とため込んでたりするじゃないですか」
高級車に走るかマンションを買うか。
あとは独身を貫く覚悟を決めて老後の蓄えにするか。
完全に余計なお世話である事は分かっている。それでも自分より若い女性社員が「貯蓄の行方」を話しているのを聞いて、芹は少しだけ気分が沈むのだ。
生きるために働くのか、働くために生きているのか。
幸せのために生きて、働いているハズなのに。
身長181cmだという寒川は容姿も整っている。
チームリーダーを務め、仕事は出来るし人望も厚い。
こうして女と二人飲むのも平気なタイプで、焼肉奉行も可能とソツもない。
ゆるめたネクタイとまくり上げた袖はなんとも芹のフェティシズムをくすぐって来る。
そんな男がここ何年も浮いた話ひとつない事を考えるとなんともやりきれない思いに囚われ━━「ゲイだったら万事解決で納得するのにな」などと思ってしまう事があるのだ。
「え、お前、俺が誰か男と付き合ってると思ってんの?」
普段おおらかな寒川の動揺を隠しきれない様子に、芹はキョトンとした表情を浮かべた。
「ああ、それなりに嗜みはするけどリアルとは結びつけてないから安心したまえ。次頼まなくていい?」
失礼します、のスタッフの声に芹はてきぱきと寒川と自分の追加をオーダーする。
「あれは私の中じゃファンタジーだから。準備やら何やら簡単に実施出来るもんじゃないらしいし、そういうの無しで致しちゃえる人体構造をしてるって事を考えると人間に良く似た地球外生命体みたいなもんだと思うのよ。そうなるとSFと言ってもいいかもね」
寒川は思いきり顔をしかめた。
個室で良かったとつくづく思う。
「ああ、ごめんごめん。そっか、やっぱ違いますか」
寒川の様子から芹は己のえげつない発言を詫び、そして「そうだろうとは思ったけど」と言わんばかりの態度で自分の仮説をあっさりと蹴る。
「……期待に添えなくて悪いがな」
社内では密かに「イケボ」と言われている寒川は、実に低い声でうんざりと言った。
「いやー申し訳ない。二軒目は私出すわ。やっぱ焼肉はいい肉を少しずつじっくり育てて堪能するのが贅沢だよね」
芹は話題を変えるように努めて明るく振るまうが、芹が育てているのは自分が「絶対に食べる」と目をつけた肉であり、他の食材は寒川に丸投げ状態である。
ただ彼女は本来人に世話を任せるような人間ではないし、寒川はそれを知っていた。
「お前よくそこまで自分の事棚に置けるな。自分だって人の事は言えないだろ」
芹もまたここ数年浮いた話はない。
「二十代は早いけど三十代はもっと早いって言うだろ。あれマジだから。お前どーすんの」
芹はチラリと恨みがましく見上げる。
反論の余地のない言葉だった。しかしそれだけで終わらないのが人望が篤いと評されるこの男だ。
「男は仕事が忙しくて、が通用するけどなぜか女は通用しない感じだよな。なんでだろうな、不公平だろって話だと思うんだが。タン焼けたぞ」
こういう所なんだよな。
本当に、いい男だと思う。だからこそ「どうしてこんな男が一人なのか」と今夜のような突拍子もない事をここ最近割と常々考えていたのだ。
そんな芹は元々がむしゃらに働くつもりはなかった。しかし根が真面目で妙なところで不器用だったため与えられた仕事を要求通りに仕上げる姿勢で臨んだ結果「出来る女性社員」と評価されて今に至っている。
「ま、私の場合のんべんだらりにのらりくらりと過ごして来た結果だからねぇ」
まるで他人事のように笑って芹は冷酒を傾け、喜々として焼けた肉を自分の皿に取る。
ふと寒川は掘り炬燵式座敷の板張りの床に左手をついて軽くのけぞるように距離を取り、楽しそうに、満足そうに食べる彼女をしげしげと眺めた。
それから身を起こし━━
「なぁ、付き合ってみるか?」
突如放たれたそれは「ゲイじゃないのか」と同レベルの破壊力だった。
「いや、なんとなく。付き合い長いし案外いけるんじゃねーかとふと思って。試しに明日ちょっと出掛けてみようぜ」
そして、随分と軽かった。
芹は口元に箸を運んだまま一瞬固まる。
あれ?
こんな簡単に口説くから今まで女の子に敬遠されてただけの話?
突如『とんだ買い被りの勘違いだったのではないか』というまさかの可能性に困惑顔になった芹に、寒川は薄く笑んで見せる。
「悩んでる暇ねーぞ。なんせ三十代はあっという間だからな」
芹は小さく噴き出した。
確かに。この十年はあっという間で、きっと残る三十代も似たようなものだろう。
「ま、残ってる者同士、合理的っちゃ合理的か。ちょっと試してみますかねぇ。今さらだから何かめちゃくちゃ微妙だけど」
若くはないが酔った勢いを借りる体で行くことにした。
寒川はそんな芹の言葉に気を害する事もなく笑う。
「確かにな。レバーいけたよな? 頼んでい?」
「カボチャも欲しい。あ、でもさっぱりした物の方がいい気もするなー」
「店員来るまでに決めとけ」
てきぱきと仕事をこなし後輩も指導する芹だが、実はプライヴェートとなると優柔不断な部分がある。
そんな時は期限を設けた方がスムーズに決められるという彼女の扱いを、長い付き合いでもはや無意識に活用できるレベルに誰よりも心得ていた寒川は彼女の決断を待たずさっさと呼び出しボタンを押したのだった。
店を出たタイミングで芹はふと社内の女性社員達の会話を思い出して寒川を見上げた。
「社内じゃ営業の〇〇さん(アラフォーイケメン)がお相手候補ナンバー1らしいよ」
「……マジでか」
「二番手は〇〇くん(ワンコ系若手)」
「…………」
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翌日に備えて二次会は無くなるものと思われます。