【未完成】4(1-3).東堂の屋敷
東堂の屋敷は、鏡の国の中階層の東のはし、空有る区画、知識の都リッゼンブルムとよばれる大きな街の郊外にありました。
『美の東堂』と知られる東堂家。
東堂ドールといえば、この国では『うつくしい人形』の代名詞となるほどの名門。
国の最高峰と目される人形師の屋敷だけに、ゆったりと広大なその構えは実に重厚、また守りもかくや頑強なりと見目にもおもわれるさま。正門に詰める守衛たちが、屋敷にたどりついた行列をたしかめみれば、優美な曲線にかざられる鉄の門扉が、ずずん、と重く響いて開かれます。東堂の主人とその『子』、それに供回りの者らを乗せ四台つらなった馬車がガラガラと、結界に護られた敷地内に車輪を鳴らしました。
邸内のみごとな庭をつらぬいて、おおきな煉瓦づくりの屋敷本館までつづく馬車道の舗装は手ぬかりなく敷きつめられた敷石。車軸からつたわる振動は、むしろそれまでの街区の石畳よりもよほどなめらかで、崇継の向かいで馬車に揺られながら、唄莉はつくづく感心しました。
「あいかわらず、すさまじいお屋敷だね、ここは」
なにせ屋敷自体にたどり着くまで、門を抜けてからも数分は、なみ足とはいえ馬車の走りつづける余地があるのですから。
腕組みをして目を閉じている崇継は、その言葉をひとりごとと見なしたようです。眠り込んではいないようすでしたが、返事の要なしとばかり、唄莉のそのつぶやきに特段反応するでもなく、そしてそのとなりでしづきは真っ白なぼた雪とじゃれてキャッキャとはしゃいでおります。
この綺麗な子は、よほどこの小さい生きものが気に入ったのか、道中ずっとその白いふわふわした毛並みを撫で、高い高いをしたり頬をすりよせたりしつづけているのでした。
「ぼた雪のー。べろはー、ちっちゃいねえ、すっごいちっちゃくてペロペロだねぇ」
(なるほど、このおかげかな…)
チョロリと小さな舌がはみ出たぼた雪の口もとを、ちょんちょん、と嬉しげにつつくしづきのようすを、はす向かいから眺めるともなく眺めては、あらためてしみじみ納得する唄莉です。
この短い旅程のうちにも、崇継が、我が子とあつかうこの少年のことを格別の慈愛をもって溺愛していることは、唄莉にも伝わってきておりました。
いちおう旧知の仲とはいえ、結局のところ唄莉は東堂崇継にとって他人です。それがこうして東堂家の主人の馬車にちゃっかり同乗するはこびになったのには、しづき少年のツボをついたぼた雪くんの、愛玩ポテンシャルによるところもきっと大きいのでしょう。
キュウ、とぼた雪が目を細めました。ぱくりと指先を甘噛みされて、しづきがひときわ嬉しげな笑い声をたてたところで、馬車は止まったのでした。
東堂の屋敷には、逗留する客のために、客用の部屋がいくつも設けられてあります。
唄莉、そして灯真と瀬綺は、客としてそれぞれ一室ずつの個室をあてがわれました。ほんと豪気だよねェ、とは、与えられた部屋の内装をみて瀬綺がこぼした呆れ混じりの感想で、唄莉もおおむねそれに同意です。なにせその客部屋がふたつもあれば、むかし唄莉が暮らしていた小さな家が、すっかりおさまってしまうのではないかと思われたもので。
「僕らは何かしなくていいのか?」
「灯真さま方は、お客さまです。当家には専門の警護の者もおりますので、どうかお気になさることなく、当家にご逗留のあいだ、存分におくつろぎくださいませ」
手持ち無沙汰の灯真が困惑気味につかまえたメイドは、丁寧に腰を折ります。ラクでいいじゃんねと瀬綺が笑い、
「ねえキミ、だれか手の空いているひとはいないかな。いろいろと、最近の話を聞けるとありがたいんだけれど」
崇継が忙しいのはわかっているので、欠落した五〇〇年間の知識を埋めるための相手を求めてメイドに尋ねてみる唄莉は、
「……あっ。キミだね。まさに手の空いているひと」
ハッとして灯真を見、ハッとされた灯真も困惑気味にハッとするのでした。
(なお、瀬綺はその間に猫のようにスルリと自室に引き上げベッドにダイブしていました)
《唄莉は東堂家に滞在し、図書館などに通っていままでの時代を知る
《屋敷ではしづきがぴょこんと覗く。ぼた雪を借りたい
《唄莉はふっと過去を思い出す。
唄莉は、ふっと顔を上げました。忘れていた記憶が、靄がさらりと風に流されたように、何というきっかけもなく、ふいに思い出されたのです。
「……あっ。しまった…、しまったな…」
ふつり、ふつりと断片的に、脳裏の沼底から浮かびあがってきた記憶たちが、水面でぷつぷつと繋がりあうにつれて、唄莉はおもむろにこめかみに指をあててゆっくりとまばたきしました。
(唐草。それに、雛菊……それと……。ああ、そうだ、しまったな。無事だろうか、あの子たちは)
《唄莉は崇継に相談する。ギルドで人を雇うためと、旅費のためにお金を貸してほしい。
《ギルドの相場や、どういったものを雇うのか
「いくら必要なんだ」
「目指す場所がいくつかあるし、それにギルドで人形と人形遣いを雇い入れたいからね…そうだなぁ、銀130…150あったら、とてもありがたいんだけれど」
「150か…」
それは決して安い額ではありません。
「その額を、空証文で見返りなしにポンと工面することは、私としても、少々しかねるな。融通できないこともないが」
「唄莉。君の旅路と目的のために、ぼた雪君は必要かね?」
「君が良しとするのであれば、私は、銀貨幣150で、ぼた雪君を人形としてこの屋敷に雇い入れようと思っているのだが……どうだね」
「ぼた雪を? あの子は、ボクの眠りを安定させるためにつくった特殊な子だから、ふつうの子のような戦闘能力には期待はできないのだけれど」
「構わないよ。もとより、戦わせるつもりはない。しづきがね、あの子をとても、気に入っているのだ」
「ああ…。…そうか、願ったりだ。あの子にとっても、彼についてここで暮らせるとなれば、それは幸せかもしれないね」
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さて、唄莉が出ていった東堂屋敷の重厚な鉄の門。
獅子の彫刻のされた重いノッカーをとる手。
まるで入れ替わるように、屋敷を囲む正門、その扉をたたいた新たな客は、どなただろうかと丁寧な口振りで誰何した守衛に、さらりと温度のない一瞥を向けました。
昼空のような晴れた色の衣装をまとう彼の後ろには、影のように黒々としたドレスをまとうむすめが、夕焼けの髪をふんわりとなびかせ、穏やかに佇んでいるのでした。