ちいのかぎとたからばこ
ちいはかぎっこです。
お父さんもお母さんもお仕事をしているわけではありませんが、ちい用のかぎをもっています。ひもを通して首から下げて、体育のとき以外は外しません。
ちいの友達でかぎっこはなんにんかいますが、ちいみたいな立派なかぎをもっているこはいません。
はるくんのかぎはさきっちょがぎざぎざしていて、平らです。
りかちゃんはマンションに入る前にボタンをぴぴって押すと、かぎがなくても開きます。
やっくんとしーちゃんとかえでちゃんはかぎを持ってません。
みんな、ちいのかぎをいいな、って言います。
かっこいいな、いいなって言います。
だって、ちいのかぎは大きくて重くて、かぎあなに入れるところがちょんちょん、とかたっぽだけに耳が出てるみたいな形をしているんです。
はるくんが言いました。
「それはたからばこのかぎだ!」
はるくんはゲームが好きで、ゲームの中にそんなかぎが出ていたのを思い出したのです。
けれどもちいは人さし指をくちびるに当てて、
「ふふふ。ないしょないしょ」
と笑うだけでなんのかぎかは教えません。
やっくんもしーちゃんもかえでちゃんも、りかちゃんもなんのかぎか知りたいな、と思っていたんですけどね。
でもね、それはほんとうにたからばこのかぎだったんです。
それがわかったのは、ちいがいなくなってからのことでした。
ある日、はるくんはお母さんにくろい服を着なさい、といわれてびっくりしました。お母さんはあかるいいろがだいすきで、くろい服はお父さんが着るだけでもいやなんです。
そんなお母さんがしんけんな声でくろい服を着なさい、とはるくんにいいました。はるくんはお母さんのいうとおりくろい服を着て、お母さんにつれられてちいの家に行きました。
ちいの家にはやっくんもしーちゃんもかえでちゃんもりかちゃんもいました。みんなくろい服を着ています。ちいの写真がくろいわくの中に飾られています。ちいはいーっと歯をくいしばって、すこしぴんぼけでした。
ちいのお母さんじゃない、やさしそうなおばさんがはるくんたちに「ありがとうね」と頭をさげました。ちいのお父さんじゃない、からだの大きなおじさんが「今日だけは静かにしてくれ」とそとにむかってさけびました。そとにはたくさんの知らないひととたくさんのカメラがいました。
はるくんはやっくんやしーちゃんたちとかえでちゃんのおうちに行きました。かえでちゃんのお父さんがちいについていろいろ聞いて来ました。
ちいのお父さんはどんなひとだったか、お母さんとは仲がよかったか。はるくんたちはこたえられるしつもんにこたえました。
ちいのからだにはあざがあったりしたこと。ちいはたまにおうちに帰りたくないといっていたこと。ちいはいつも笑顔だったこと。
たくさんの話のあと、ちいが遠いところへ行ってしまったとおしえられました。
その日、りかちゃんは朝起きて、いつものとおり新聞をとりにいきました。ちいがいなくなっても朝は変わらずやってきます。りかちゃんはそれをかなしいな、と思いましたがりかちゃんにはどうしようもできないことでした。
マンションの入り口の郵便受けの新聞をひっぱると、かつん、と何かが落ちるおとがしました。りかちゃんはあしもとをみました。すると、かぎがひとつ落ちていたのです。
大きくて重くて、かぎあなに入れるところがちょんちょん、とかたっぽだけに耳が出てるみたいな形をしているかぎでした。りかちゃんはあっといいました。間違いありません。これはちいのかぎです。
りかちゃんは周りを見渡しましたが、だれもいません。マンションにはマンションにすんでいるひとと、新聞やさんと郵便やさんしかはいれません。ちいのかぎはどうやって来たのでしょう。遠くへいってしまったちいがきたのかしら?
けれどもりかちゃんのところだけにちいが来たのではなかったのです。やっくんとしーちゃんのところにはちいはたからのちずを置いて行ったのです。
たからのちずはやっくんとしーちゃんの机のなかにありました。
ノートをやぶった紙に「たからのちず」とちいの字で書いてあります。やっくんのちずにはたくさんのてんてんがうってあり、しーちゃんのちずには短い線や長い線が引いてあります。
これはなんだろう?そしてちいはどうやってこれをいれたのかしら?
みんなで考えていらかえでちゃんが言いました。
「これはにまいをかさねるの!」
その通り、たからのちずをかさねると見覚えのある場所のちずになったのです。
「みんなでいってみよう!」
はるくんのよびかけでみんなはたからのちずの場所に行ってみることにしました。
たからのちずの場所には、これはたからのちずの場所なのでくわしいことはいえないのですが、ちっちゃな小屋がありました。ちいのたからのちずはその小屋をさしていました。
やっくんとしーちゃんとかえでちゃんとはるくんとりかちゃんは手をつないで小屋のなかに入りました。
やっくんが持ってきた懐中電灯をつけます。小屋なかは散らかっていて、ところどころ壁が壊れてそとが見えます。天井も壁も壊れてないところ、そこにいちまいのブランケットが置いてありました。
「これかな」
「これかな」
ブランケットは半分にたたまれていましたが、したになにかがあるようで少しもりあがっています。ここにたからがあるのかしら?とってもどきどきです。
みんなはブランケットの端をもって、いっせーのっ、でひっぱりました。かえでちゃんの腕の中にすっぽり収まるほど、ちいさな木のはこがブランケットの下に隠れていました。
「まるでオルゴールみたい、あ、ここにかぎあながある」
はこを調べていたかえでちゃんがかぎあなを指差しました。りかちゃんがかぎをそろそろとかぎあなにいれてみます。
「ぴったり!」
りかちゃんがかぎを回すと、かきん、とちいさな音がしました。
「あけてみる?」
「あける?」
「あけてみよう!」
そしてゆっくりはこを開けました。
(……あつい)
はこから透明なひかりがひとつ、とびだしてきました。ひかりがはるくんの体を突き抜け、叫びました。
(いたい)
ひかりがりかちゃんを突き抜け、泣きました。
(さむい)
ひかりがやっくんを突き抜け、怒りました。
(おなかがすいた)
ひかりがしーちゃんを突き抜け、呟きました。
(どうして)
ひかりがかえでちゃんを突き抜け、尋ねました。
ちいの声でした。
ひかりはぴゅんぴゅん飛び回り、その度にたくさんの声がみんなを突き抜けます。
あついよさむいよごはんがほしいよいたいよたたかないでおうちへいれてなかないでやめてうわぁぁんいいこにするからなかないからだからだからだからだから。
みんなはつないでいた手をぎゅうっとにぎりしめていました。爪の先が白くなるくらいです。
ひかりがぐるぐる回って、みんなはよっぱらったお父さんに突き飛ばされたことやお母さんにデパートに置いていかれたことやずーっとずーっとまえお腹を空かせて泣いていたときへとへとに疲れたお母さんとお父さんに大きな声で怒られたことを思い出します。
けれどもそれよりもつらくてこわくてかなしくてどうしようもないちいの声がみんなの頭に響くのでした。
あついよさむいよごはんがほしいよいたいよたたかないでおうちへいれてなかないでやめてうわぁぁんいいこにするからなかないからだからだからだからだから。
やっくんもしーちゃんもかえでちゃんも、はるくんもりかちゃんもだれひとり何も言えず泣きもせずくちびるをくいしばって、ちいのお葬式の写真のようにいーっとくいしばって立っていました。
どれくらいそうしていたのでしょう。思い出とちいの声に押し潰されそうになったとき、透明なひかりがぽん、とはじけました。
暖かい風がふわっと広がり、みんなの頬をなでました。ふっとくいしばっていた力が緩んだとき、みんなの中にちいのこえが響きました。
(でもね、ちいはおとうさんもおかあさんも、だいすき)
ぱたん、とはこが閉まったとたん、みんなはいっせいに泣き出しました。
うわぁぁん、うわぁぁん、と声を上げています。
かなしいのでもこわいのでもつらいのでもありません。
みんなは突き飛ばしたお父さんが慌てて抱き締めてくれたことや走って戻ってきたお母さんが抱き締めてくれたことやお父さんとお母さんのあいだですやすやねむったことを思い出していました。すると胸のおくからあったかくなって、次から次へと涙がこぼれるのです。
みんなは手をつないだまま、あったかい涙が湧き続けるまま、ずっとずっと泣き続けました。
やっくんもしーちゃんもかえでちゃんもはるくんもりかちゃんも泣いて泣き続けていると、お父さんとお母さんが探しに来ました。お父さんもお母さんもびっくりして「一体どうしたの?」と訊ねます。
「ちい、は」
「おとうさんもおかあ、さんも、」
「だいすきだった!」
みんなはそれだけ言うと、お父さんとお母さんに抱き付きました。
みんなのうしろにふたの閉まったはこがひとつ。
それからどうしたかって?
みんなはもちろん、おうちに帰りました。はこはブランケットにくるんで小屋に置いておきました。あとでまた来よう、そう約束しましたがその小屋はすぐに取り壊されてしまったので約束はなくなってしまいました。
はこはどこへいったのでしょう。一緒に壊されてしまったのかしら?
ちいのかぎをりかちゃんはなくしてしまいました。やっくんとしーちゃんもたからのちずをなくしてしまいました。大切にしまっておいたのにどうしてでしょう。どこへいったのかしら?
それでも、やっくんもしーちゃんもかえでちゃんも、はるくんもりかちゃんもちいのことばを忘れません。あったかいあのかんじを忘れません。いつもふとしたとき、ちいの声を思い出しています。
ちいはいつも笑っています。
(でもね、ちいはおとうさんもおかあさんも、だいすき)
(ふふふ、ないしょないしょ)
(だからたからばこにしまっておくの)
「パンドラの箱」より
虐待を許容する意図はありません。