灰かぶり、5(舞踏会での出来事)
舞踏会はいささか盛り上がりに欠けていたが、王の望むがままに進んでいた。国中の娘が美しく着飾り、若い王子へと視線を送っている。
もちろん娘たちだけではなく、貴族・豪族から息子たちも参加していた。王子には妃を選ばせるつもりだが、今夜の宴から何組かの夫婦が誕生するだろう。その知らせは近頃王室に不満を抱いている民衆の目をあざむくには都合のいいものになる。
王子と公爵の関係は王室として喜ばれるものではない。王室の役割には血を繋ぐことが必須なのである。もちろん傍系には男子は腐るほどいるのだが。 王子は王のもくろみを充分に理解しているつもりであるし、自らの役割を理解してもいた。
娘には後ろ盾のないほうがよい。
王子の後見には勿論公爵家がいるのだから、政治的な混乱は避けたかった。妃に求めるのは子の産める丈夫な体である。王子は娘たちの体に目を配った。
しかしどうだろう、娘たちは首のつまり、肩を隠し、腰回りからレースやドレープで飾り立てた豪奢なドレスを着ていた。どっしりとした腰つきの娘と思い手をとれば、その指先の細さが気になった。踊るために腰に手を回せば、折れそうに細い。曲に合わせ体を密着させると、胸はあるがそのほかに肉がないことが分かる。次の娘と踊る為に身を離せば勲章にレースが引っ掛かった。
王子は指先の細くない娘を探した。幸い、娘たちは着ぶくれしている分、腕から指先は露出していたので、王子は二の腕の太い、肘や関節のしっかりした、掌が肉付いた娘をゆっくり探すことができた。
灰かぶりが城に着いたのは、宴も半ばを過ぎたころだった。灰かぶりのガラスの靴は城に敷かれたじゅうたんを音もなく踏みしめた。ガラスの靴のかかとはかちりとも鳴らず、想像したとおりに上質なじゅうたんが敷かれていることが分かった。
夢見る少女だったころの灰かぶりはこんなふうに想像した。かつかつと鳴る靴音は無粋であるから、お城の廊下には分厚いじゅうたんが敷かれているに違いない。舞踏会ならばなおさらだ。女たちは折れそうなくらい踵の高い靴を履くだろうから、それに床石を傷つけられないためにも、上質なものだろう。
だから、わたしはガラスの靴を履いても構わないだろう。つま先が透けていることをはしたないというひとがいても、舞踏会用のドレスならば裾が長く、つま先は見えまい。
灰かぶりは夢見心地で進み、当然じゅうたんが敷かれていると考えていた大広間をみて血の気が引いた。 大広間は石造りのままで、じゅうたんが敷かれているのは壁際と、王族の控えの間だけだった。
これでは、ガラスの靴が割れてしまう、そう思った灰かぶりは壁際に身をひそめるように立った。そこで灰かぶりは自分の場違いさに気づいた。 着飾った娘たちで首を露出するものなどいなかった。
継姉たちは金が足りずに首の開いた舞踏服を用意できなかったのだと思っていたが、流行ではなかったのだと知った。女を出す首や肩を隠しているぶん、細い指先が映えている娘たちに比べ、自らの格好はどうだろう。
灰かぶりは恥てすぐに辞そうとしたが、王子は見逃さなかった。
指先を隠している娘がいる、と王子は気付いた。指先まで隠されては実際に踊るまで体つきが分からないではないか、と視線を移せば、なんと大きく肩を出している娘だった。
しっかりと骨づいた肩、それに太い首だ。
王子は娘のドレスに感心した。腰が絞れ、余計な飾りが一切ない。首と肩から想像はついたが、しっかりとした腰だった。腰から下はふくらんだ裾で見えないが、踊りながら確かめることができるだろう。 王子は迷わず娘の手を取った。
灰かぶりは動揺した。場違いに気付き慌てて退出しようとした矢先に手を取られた。それも主役の王子である。すっかり夢から覚めた灰かぶりは、取られた手を引こうとした。
あなたには断る権利はないのだよ。
王子は腕を引き、灰かぶりを大広間の中央へ導いた。灰かぶりは半ば小走りになりながら転げ出た。それがいけなかった。 カツカツと鋭い音がし、灰かぶりは足に痛みを感じた。
それもあまりの鋭い痛みに灰かぶりは悲鳴を上げた。
悲鳴に驚いた王子が灰かぶりを振り返れば、顔を蒼白にした娘がしゃがみこみ、はだけた裾から素足を投げ出していた。足裏には鋭いガラスが刺さり、娘のドレスのように真っ赤な血が流れ出ていた。
ガラスの靴が!
灰かぶりは裾をまくり上げ、足先をあらわにした。片方のガラスの靴は割れていたが、片方は無事だった。しかし割れたガラスは足裏をざっくりと切っていた。
灰かぶりは割れた靴のかけらを集めたが、元通りになるはずがない。
そして王子はこの無作法な女に興味を持った。
なんと太いふくらはぎ、筋肉がつき、指先からかかとの骨格も悪くない。王子は公爵を見た。公爵はかすかにだがしっかりと頷いた。そして右手で左腕の腕章に触れた。
それが二人があらかじめ決めていた合図だった。
この娘を妃にする。
継母は驚いていた。
屋敷に残してきた灰かぶりがなぜここにいるのか。みたこともないドレスを着、首も肩も大きく開き素肌を見せている。悲鳴を上げたのは足もとのガラスの靴が割れたためのようだ。足裏からは血溜まりが広がっていた。
灰かぶり!
継母は灰かぶりの名を呼んだが、灰かぶりは気付かなかった。王子が灰かぶりを妃にすると宣言したからである。
継母は悲鳴を上げた。
ならぬ。それだけはなりませぬ!
さすがの訴えに警備の兵が気づき、継母を拘束するが、継母は着ものが乱れるのも構わず振り払おうと暴れた。とっさに二人の娘が母を取り押さえる。
お母様、落ち着いて。
お母様、どうなさったの。
あれは灰かぶりだ、灰かぶりが舞踏会へ来てしまった!
灰かぶりが継母の声にこたえるより先に、王子が継母に注目した。
かの夫人はなにか。
わ、わたくしの母でございます。
灰かぶりは痛みと恐れから震える声で答えた。
灰かぶりとはどういう意味だ?
わたくしの呼び名でご、ございます。ち、父が亡くなったときより灰かぶりと、よ、呼ばれておりますので。
灰かぶりとは、蔑称ではないか。
殿下、ご無礼を申し上げます。どうかわが娘をお放しくださいませ。礼儀も教育も生き届かぬ娘でございますれば、殿下にお仕えするのは無理でございます。どうか、どうか。
黙りなさい。
どうか、どうかご容赦を。その娘は灰かぶりと呼び蔑まれてきたもの、殿下のおそばに仕えるには不相応でございます。毛色の違う娘をお望みであれば、ここにその義姉たちがございます。どうぞご自由に扱いくださいませ。
口を閉じるのだ。
王子の側近が剣を抜き、威圧をもって制止したが、継母はなおも声を上げた。
どうか。
お母様、おやめになって!
お母様、何をおっしゃっているの!
母を抑える二人の娘は、そのただならない様子に幾分かひるんだ。力のゆるんだその隙に継母は王子のもとへ這い出、その膝にすがったのだった。
なんと無礼な。
側近たちが継母を取り押さえた。その後ろでは姉たちも拘束されているのが灰かぶりには見えた。
娘を灰かぶりと蔑み、それだけでは足りず、姉たちとの交換を申し出るとは、なんと悪い母なのだろう。
公爵が悲しげにうそぶいたが、灰かぶりにはその口元は笑っているように見えた。
いいえ、公爵様、その灰かぶりは母の産んだ娘ではございません。母が後添えにはいりました家の娘でございます。
母は身寄りのなくなった娘を育てていたのです。決して悪い母などでは…
灰かぶりの義姉たちは継母の解放を願い陳情するが、それを聞いた公爵はこんどはしたりと確実に笑った。
なんと、継子を虐げていたとは。後添えの身で主人の子を虐げるとは愚かな。殿下、これは聞き逃しのできぬことです。その娘の安全のためにも即刻継母から引き離し、保護されるべきでしょう。継母と義姉たちもとどめ置き、詳しい事情を調べるべきでは。
ああ公爵、その通りに。
そして、継母たちは奥へと連れられていった。 一部始終を見ていた王は、深いため息をつきながら舞踏会の閉幕を告げたのだった。