ハロメ、笛吹き女
「ハーメルンの笛吹男」
「サロメ」より
ハロメは村唯一の娼婦である。口淫を得意としたので称讃と侮蔑から笛吹き女と呼ばれていた。
ハロメは村一番の嫌われ者である。しかし夜も昼もハロメの元を訪れる客は絶えなかった。
ハロメはいつも美しくしていた。豪華な衣装で着飾るのではない。高価な化粧を施すのではない。ハロメは家の裏から湧き出る水を飲み、身体を清め、衣服を洗った。ハロメの内に入った水はハロメを輝かせ、外を拭った水はハロメを瑞しくした。濯がれた衣服は光沢と陰影を持ち、ハロメを美しくしていた。
ハロメは笛吹き女だったので、村中の女たちから嫌がらせを受けた。
ハロメに食物を売る女は無く、ハロメに唾を吐く女は多い。時にハロメは飛礫を投げられたが、ハロメの美しさは虐げられることはなかった。ハロメの態度は毅然としたままであり、食物はハロメの客たちが少量ながらも持ち寄ったために飢えることはなかった。
ハロメは有償の愛を男たちに与え、男たちは伴侶では得難い悦楽を得る。しかしハロメは男たちに安楽を与えることはない。それが男がハロメから離れられない理由であり、また、男がハロメに一定の距離を置く理由だった。
村中の男がハロメに惹かれたことに無理はない。ハロメは娼婦でありながら淑粛としていたのである。
ハロメは何人かの男の子を身籠もったことがある。月が満ちハロメは子を産み、村の寺院に預けた。
ときに子は村の夫婦に養子として引き取られる。子の養父はハロメの客であったりする。
ハロメの子は村の男たちによって出自は伏せられていたので、ハロメの子たちは養父母の元で健やかに育った。
ハロメは美しい笛吹き女だったが、それでも年老いてくる。ハロメの最後のこどもは未だ赤子だったが、最初のこどもは成人していた。
ハロメは客取りを少しずつ抑え、ゆったりとした生活を送ろうとしていたが、村の女たちの嫉妬がそれを許さない。
貯蔵庫は荒らされ、湧き出る水を澱まされ埋められた。その度にハロメは貯蔵庫を建て直し水の湧き口を整備したが、女たちの悪意にハロメの仕事は追いつかない。年輪を重ねた体は体力を失いつつあった。
安寧を求めるハロメは、村の首長の元へ訴えに訪れる。
村の首長は好色だった。何人もの妾を抱えていたが、ハロメには手を出したことはない。女は買うものではない、貢ぐものでもない。財力と権力、器量が首長の自信を作っていた。
村の娼婦が訴え出たことに首長は眉をしかめたが、役目として謁見し、一目で欲望が動いた。ハロメが何一つ言わないうちに首長は願いを聞き届ける条件を出す。すなわち、一夜を共にしろと。
ハロメは無表情のままに踊るようにヴェールを翻し立ち上がった。年を経たとは思えない軽やかさで首長に歩み寄る。
七つのヴェールを脱ぐとき、首長は既にハロメの虜になっていた。ハロメは水のようにとくとくと湧き、しっとりと首長を包んだ。ときに拒み、ときに漂った。首長はハロメのつかみどころのなさに溺れた。
一夜明け、首長はハロメに願いを聞こうと申し出る。ハロメは言う。安穏とした日々を、と。
首長は願いを聞き入れ、ハロメの家に守衛護衛としてひとりの青年とひとりの娘を遣わす。それは期せずして、ハロメの子らであった。
ハロメはこどもたちに母と名乗り出ることはなかったし、こどもたちが母と呼ぶこともない。力仕事をした彼の足をハロメが濯いだが、それが性的に発展することはなかった。ハロメの元に時折客が訪れたが、彼女が応対することも求められることもなかった。
ハロメは一日に二度、茶を淹れる。それは香り高く柔らかに苦味を感じた。
それはわずかながらの安穏の日々となる。
村の女たちはハロメの安穏をよく思わない。首長の女もそうだった。ハロメに心を奪われた首長を見、ハロメへの嫉妬心が高まる。
ある晩、ハロメは幾人もの覆面の女に襲撃される。
守衛と護衛をしていた男は、覆面の女に首筋に刃物を沿わされながら命が惜しければ共にハロメの元で働いていた娘を犯せと言われる。娘は明らかに、ハロメに似ていた。ハロメの元で過ごすようになってからは特に美しさが際立っていた。
ハロメは女たちに押さえ付けられながら、息子が娘を汚す場面を見せつけられた。女たちは彼がハロメの息子だとは知らず、ただハロメの娘を傷つけることでハロメの心を抉りたかった。彼は死ぬことへの恐怖とハロメへの嫉妬が勝った。目の前にいるハロメに似た美しい娘を汚すことへの欲求があった。娘はハロメへの憎しみが増えた。
鬼神のように暴れ抗うハロメの前で行為は終わる。気力体力ともに果てたハロメは、終にぼそりと真実を口走る。
事実を知った覆面の女たちは恐れおののき逃げ帰る。残ったのはハロメと息子と娘である。
ハロメは呆然としていた。
これは報いなのだろうかと考えていた。娼婦とし笛吹き女として過ごした報い。子を宿しながらも母として育てなかった報い。
だけれどもこどもたちに一体何の罪があろうか。
ハロメはゆるゆると立上がり、娘を寝台へと運んだ。息子が言われるままに水を汲んで持って来た。ハロメは娘の体と息子の体を拭った。水は二人の肌をすべらかにさせたが、二人の心を戻しはしないのだ。
こどもたちに一体何の罪があろうか。
…母の報いを子が享けたのだ。
では。
ハロメは鉈を手に取り、夜明けを迎えた村へ出た。ハロメは首を撥ねて回る。
男にも女にも手を出さず、ただこどもだけを撥ねた。その日の正午、村のこどもは皆死んだ。ハロメは踊るように崖から身を投げ死んだ。
こどもを失った村はすぐに寂れ、村人は次々に姿を消す。一年後、村に住むのは一組の父と母とこどもだけである。
誰もいない村のはずれの粗末な家で、若い父母が茶を飲んでいる。ひとりのあかごが母の腕に抱かれ眠っている。家の裏で水だけが変わらずにこんこんと湧いている。
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