二人の休日 -1-
本編第三章『蝶の羽化2』の後、ニナが第一子を妊娠して休養中のお話です。充実した毎日を送るハドリーとニナが、のんびりまったりと休日を楽しんでいるお話です。
ウエストエンドの外れ、オフィス街との境目近くの小さな通り沿いに、そのカフェはあった。
通称『DD』と呼ばれるカフェ『Daddy’s Dining』は、大柄な体躯で髭もじゃの厳つい親父が店主をしていたが、確かな味と親父の気さくな人柄で多くの人に愛されていた。場所柄シアター目当ての客が多く、その殆どがミュージカルファンや関係者という、ファンの間で知られた店だった。
ハドリーがシアターの帰り、路上に車を止め『DD』のドアを開けて店内に入ると、先ほどまで行われていた公演の余韻を留めて、熱気に溢れた客で一杯だった。
「よお、ハドリー」
店主が気さくにハドリーに声を掛けると、ハドリーも手を上げて笑みを返した。店内の客はさっきまで舞台にいたハドリーに気づいたが、この店では不躾にサインを求めるような不届きな客は居らず、皆嬉しそうにハドリーに軽く手を振る程度だった。
客席にも軽く手を振り返したハドリーは、「プディングを四つくれ。持ち帰りだ」と、いつものように素っ気無く言った。
「ニナへのお土産か? ニナは元気か?」
店主がショーケースからプディングを袋に詰めながら問い掛けると、
「ああ。最近、アイツよく食うようになったが、まだ体が小さいからな。そんなには食べられない。だが、ここのプディングなら喜んで食うんだ」
と、ハドリーは苦笑した。
「じゃあ、いいモンがある」
店主は顔を上げるとハドリーに不器用なウィンクをした。
店主が奥から運んできたのは、カップこそいつもの白ではなく赤だったが、普段のプディングとは見た目も変わらない普通のプディングだった。
「いや、これ普通のプディングだろ?」
「ところがどっこい。これは『ニナ専用プディング』だ」
怪訝そうに覗き込んだハドリーに、店主が嬉しそうに笑った。
「使ってる卵も滋養効果の高いやつだ。ミルクも特別製だし、クリームも特別製だ。カロリーも普通のモノより格段に高めだ。カルシウムやビタミンも加えてある。妊婦には特にカルシウムは重要だぞ。少量でも栄養が取れるようにな」
得意そうに顔を赤らめる店主に、ハドリーは驚いたように目を見開いていたが、静かに微笑みを浮かべると、店主を真っ直ぐに見て微笑んだ。
「ありがとう。アイツ喜ぶぞ」
「だが、ハドリー。お前は食うなよ。カロリーが高いからな」
と、店主が豪快に笑っていると、客の女子から「私も食べたい!」と声が飛んだ。
「やめとけやめとけ。お前らみたいな健康優良児が食うとあっという間に体がプディングみたいにプヨプヨになるぞ」
店主の言葉に、店内の客もハドリーも明るい笑みを漏らして笑いあった。
「+二㎝ね」
ショーケースの前に立っていたハドリーの後ろからどこかで聞いたような冷静な声がして、後ろを振り返ったハドリーの前に、事務所のサラが腕組みをしてハドリーを舐めるように見て、何時もの平然とした顔で立っていた。
「なんだよ? サラ」
憮然としたハドリーが聞き返すと、
「貴方のウエストよ、ハドリー。それ以上増えたら衣装が合わなくなるわよ」
サラは顔色も変えずにサラッと返して、不機嫌そうに眉を顰めてサラを睨んでいるハドリーに見向きもせずに、「こっちもプディングね。五つお願い」と、店主には微笑んだ。
まだブスッとしたまま家へ戻ったハドリーだったが、お土産のプディングをニナに渡して自室へ戻ると、着替えをしながらはたと手を止めた。
ニナが『DD』の袋を嬉しそうに冷蔵庫に入れているキッチンに戻ると、ハドリーは眉を寄せたまま悔しそうに、「ニナ、出掛けてくる。ジムだ」と呟いた。
「どうしたの? 今帰ってきたばかりじゃない」
キョトンとしたニナだったがハドリーはそれには答えず唇を噛み締めて、「くそ、サラの奴め……」とブツブツと呟くと、不機嫌そうにニナに眉を顰めた顔を向けた。
「そのプディング全部お前が食え」
「え? だって、ハドリーの分もあるよね?」
「いいから全部食え。特に赤いカップは栄養があるからな。お前専用だ」
不思議そうに目をパチクリとさせているニナを後に、ハドリーは帽子を被るとまだブツブツと呟きながら玄関に向った。
「ちくしょう。本当に当たってやがった」
キッチンからパタパタと駆け寄ってハドリーを見送りに来たニナが苦笑しながら、「今度、カロリー控えめのを作っておくわ」と玄関先でハドリーにキスをして微笑むと、ニコニコとしているニナの頬に手を添えて、「ああ、よろしく」とニナにキスし返して、ハドリーは苦笑した。