表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/19

マルガリータの憂鬱

本編第一章『残酷な過去』の頃で、多重人格症のナンシーが持つ人格『マルガリータ』が主人公のお話です。

 『マルガリータ』はソファに深く腰掛け、足を組んで自分の手を翳しながらじっと見ていた。手あれが酷く爪の短い自分の手を眉を寄せて見ながら、マニキュアがしたいのにと、ぼんやりと考えていた。

 ――あーあ。退屈。

 目の前に二人の男が座っていて、一人は眉を寄せて自分を睨んでいるし、もう一人は眼鏡の奥からニコニコと微笑んでいるが、こいつは油断がならない相手だと『マルガリータ』は本能的に悟っていた。さっき誘いを掛けてみたら怒られたので、余計に『マルガリータ』は退屈だった。

「で、ナンシー、君はどれぐらいの頻度でハンセンに呼ばれていたんだ?」

 睨んでいた男、刑事のチャーリーが『マルガリータ』に話し掛けてきた。

「アタシは『マルガリータ』よ。そうね、二日に一回ぐらいだったかしら」

 『マルガリータ』はちょっと眉を寄せてめんどくさそうに返事をした。さっきからこっちの男は自分を『ナンシー』と勘違いしてるし、告発なんてヤメときゃよかったかしら、と『マルガリータ』は小さくため息をついた。



 チャーリーも目の前の物憂げな少女を見ながらため息をついた。多重人格症ということでアンダーソン医師に同席してもらったが、こういった症例を初めて見てどう接していいのか分からなかった。そして、目の前の少女が『ナンシー』なのか『マルガリータ』なのか、どう判別したらいいのか戸惑っていた。その戸惑った目をアンダーソン医師に向けると、医師は静かに頷いて『マルガリータ』に話し掛けた。

「『マルガリータ』。君は何時頃から『ナンシー』と一緒なんだい?」

「……そうね、最初に気づいたのは六年前ぐらいかしら。目覚めた時、ハンセンにヤられてる最中だったのよ。驚いたわよ。目の前の男はブサイクだし、ヘタクソだし。あんまり痛かったから、『もっと優しく感じさせて』って文句を言ったのよ」

 『マルガリータ』は楽しそうに笑った。

「それから『ナンシー』がアイツに呼ばれる度にアタシが代わってやったのよ。まぁ、ブサイクでも男は男だしね。たっぷり楽しんでやったわ」

 あっけらかんとした『マルガリータ』にチャーリーはポカンと口を開けていたが、やがて眉を寄せると、

「それじゃあ、君はハンセンとは同意の上でSEXしてたって事なんだね?」

 と、怪訝そうに訊ねてきた。

「そうね、アタシはね。でも『ナンシー』は同意してなかったわ」

 まためんどくさそうに『マルガリータ』が呟くと、

「同意の上での性交なら、罪には問えないんだよ」

「だから『ナンシー』は同意して無かったって言ってるじゃない」

「君が『ナンシー』なのか『マルガリータ』なのか、残念だが判別できないんだよ」

 アンダーソン医師が眉を寄せて『マルガリータ』を見た。

「今『ナンシー』は眠っている、そう言ったね? その『ナンシー』を見せてもらわないと、君が『マルガリータ』だって判断がつかないんだ」

「無理ね。『ナンシー』は目覚めないわ。今起こしたら、施設に残してきた妹の事で、きっと錯乱しちゃうんじゃないかしら」

 こちらも眉を寄せてアンダーソン医師を睨んだ『マルガリータ』に、チャーリーがため息をついた。

「それじゃあ難しいな。このままでは、ただ単に君が、その……男好きなだけにしか見えないんだ。それが『ナンシー』なんだって言われると否定できない」

 そのチャーリーの言葉に『マルガリータ』は体を起こすと、正面から向き合った。それまでの物憂げそうな瞳が妖しく光っていた。



「施設ではね。女の子はみんな(なぶ)り者にされてたのよ。例外無くね。逃げられる()は皆逃げたわ。でも、施設に妹や弟が一緒に居る()は逃げられなかったのよ。逃げたらそりゃあ酷い虐待をされるからよ」

 そこで言葉を切った『マルガリータ』は遠い目をした。

「十四歳の姉と、十歳の妹と、二歳の妹の三姉妹が居て、姉は妹達を連れて逃げ出したけど、そんな子供だけの三人組なんて、何処でも生きていける筈無かったわ。直ぐに見付かって施設に戻されたわ」

「教会とか頼る場所があったろうに」

 チャーリーが口を挟むと、『マルガリータ』は可笑しそうに笑った。

「教会? 笑っちゃうわ。同じように小さな弟を連れて教会に逃げた()が居たけど、どうなったと思う? 神父に散々弄ばれた挙句に施設に送り返されたのよ」

 そしてチャーリーを睨み返すと、

「その後、その()は、施設の職員トイレに一日中弟と立たされるのが仕事になったわ。そこで何をされてたのか、分かるでしょ? 職員達の『便所』にさせられてたのよ。来る男を拒む事も許されず、小さな弟が嬲られているのを抗議も出来ず、その()は逃げ出して一ヶ月後に弟と自殺したわ」

 その言葉に目の前の二人の男が絶句すると、

「三姉妹も戻された時に、酷い虐待を受けたの」

 『マルガリータ』は静かに立ち上がった。

「十四歳の姉はハンセンにヤられながら、目の前で十歳の妹が職員達に輪姦(まわ)されるのを見て、その場で舌を噛み切って死んだわ」

 『マルガリータ』の瞳には暗い灯が妖しく揺れていた。

「十歳の妹は、その姉を目の前で見て、覚悟を決めたの。此処で自分が盾になって下の妹を守っていくしかないって。今度逃げ出したら、下の妹が自分と同じ目に合う、だから此処で守っていくしかないんだって、そう決めたのよ。その十歳の妹が……『ナンシー』よ」


 壮絶な話にチャーリーもアンダーソンも言葉が出せずに呆然としていると、『マルガリータ』はまた物憂げそうにソファに腰掛けた。

「でも、『ナンシー』には耐えられなかったのよ。ハンセンに嬲られる自分が。逃げられない、受け入れるしかないと分かっていても、その屈辱に、いつかは自分も舌を噛み切って死ぬかもしれないと、それを恐れていたのよ。だから『ナンシー』にはアタシが必要だったの。アタシが、必要だったのよ」




 呆然としていた二人だったが、やがてアンダーソン医師が悲しそうに口を開いた。

「それなのに、妹を残して君は施設を出て来たんだね」

「そうよ。そうしないと終わりに出来ないからよ。妹は十二歳になったわ。後四年経てば、妹もアイツの食い物にされる。その前にうまく逃げ出せるか『ナンシー』には自信が無かったの。今なら、今ならアイツを告発して、この地獄を終わらせる事が出来るのよ。だからアタシが『ナンシー』を説得して、こうやって出てきたのよ」

 アンダーソン医師は静かな瞳で、『マルガリータ』に向き合った。

「『マルガリータ』、僕達は君の願いをきっと叶えてみせる。君も、『ナンシー』も、『ナンシー』の妹も、そしてニナも救ってみせる。僕達を信じてくれないか?」

 その医師の瞳をじっと見つめていた『マルガリータ』は、

「そうね、きっとそれでアタシは貴方に消される事になるんでしょうけど、構わないわ」

 と、医師を静かに見返した後、妖艶に微笑んだ。

「でも……その前に、一度貴方と寝させてくれないかしら?」

 慌てたアンダーソン医師は首を振って、

「それはダメだ、『マルガリータ』。医師は患者と寝ちゃダメなんだよ」

 と苦笑した。詰まらなそうにチェッと口を鳴らした『マルガリータ』は、

「ふん。残念ね。まぁ仕方ないわ、そっちの男で我慢しておくわ」

 と、刑事を流し目でチラリと見ると、チャーリーも慌てて立ち上がって首を振って、

「いやいや! 俺達も関係者と寝たりしたらクビが飛ぶから、勘弁してくれ!」

 と叫んだ。益々『マルガリータ』は不機嫌そうに、口を尖らせて呟いた。

「あーあ。退屈だわ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ