黒い瞳の少女 -3-
「ふうん。それで、結果はどうだったんだ?」
ぶっきらぼうなフレッドの言葉に、リンダはちょっと眉を顰めて目の前の書類をヒラヒラさせた。
「見ての通りよ。私とヘレナは姉妹だったわ。つまり、ニナとも姉妹だったって事。似てて当たり前だったのよね。ヘレナは、髪の色と瞳の色だけは父親似だけど」
「お前はどっちにも全然似てないじゃないか」
茶々を入れたハドリーをリンダは横目で睨んで、
「私は母親似なのよ。というか、ニナとヘレナも母親似なんだけど、実はこの母親同士もそっくりだったのよ。同じ栗色の髪に鳶色の瞳で、華奢な小さな体つきまでそっくりだったわ」
リンダはフレッド、ハドリー、レイモンドの三人を目の前に、ミーティングルームで真剣な目を向けた。
それは、ニナの母親であるアンジー・ジェフリーが、ニナとヘレナ、そしてリンダの父親であるオペラ歌手の元を黙って立ち去り、密かにニナを産んだ後の事だった。
「アンジーはこの帝王の寵愛を受けていて、事務所内で虐めに遭っていたのよ。いわば追い出されたような形ね。でも帝王はアンジーを愛していたの。自分の夫人にしたいと考えていたのよ。その証拠に、嘆き悲しんだ帝王はその後アンジーを探させて、自分の元に連れ戻すよう依頼しているの。ところが英国に渡って調査した調査員はアンジーの死を知って、アンジーによく似た女性を見つけて、イタリアに連れ帰ったのよ。帝王への貢物としてね。結果が出せなかった自分達へ怒りの矛先が向かないようにと、それが理由だったらしいわ」
リンダは悔しそうに歯軋りをした。
「それがヘレナの母親だったのか……」
レイモンドの呆然とした呟きにリンダは眉を顰めた。
「そうよ。でも、この女性は似ていたけどアンジーじゃなかった。やがてそれを思い知った帝王は、その女性に相応のお礼をして英国に送り返したの。けれど、その時点でその女性は既に妊娠してたのよ。黙って子供を産んだ女性は、それ以降帝王とは接触していないようね。認知をさせる事も、帝王の莫大な遺産の一部も受け取る事も出来たのに、それをしなかったわ。その後も結婚もせずに女手一つでヘレナを育てて、過労で早くに亡くなっているわ」
リンダの言葉に男達は皆眉を寄せたまま黙っていた。
「つまり……ヘレナもその母親も、それぞれニナとニナの母親の身代わりだったって事か」
ハドリーが重そうに口を開くと、リンダが眉を寄せた目を閉じて腕を組んで頷いた。
「そうよ。親子二代に亘ってね。しかも、身代わりと知りながら、その非道な相手を愛していたのよ。ヘレナもヘレナの母親もね。ヘレナが言ってたわ。母親は父の事は何一つ言わなかった。愚痴も罵倒もしなかった。そして時折、嬉しそうにオペラのアリアを聴いていたそうよ」
その言葉にレイモンドは苦しそうに頭を抱え込んで俯いた。自責の念で震え続けるレイモンドの様子に、リンダが真っ直ぐな瞳を向けた。
「レイ、でもヘレナとヘレナの母親には決定的な違いがあるわ。その非道な相手が、本命じゃなくて身代わりの自分を選んだのよ。その時点で、身代わりが身代わりじゃなくなった。本来の、『辿るべき相手』に辿り着いたのよ」
「辿るべき相手……?」
「そうね。正しい未来へ続く道……とでもいうのかしら」
怪訝そうに顔を上げたレイモンドに、リンダは遠い目をした。
「随分とロマンチックな説だな。らしくない」
と、フレッドは鼻で笑ったが、リンダは真顔を崩さずフレッドを横目で睨んだ。
「そうかしら。ニナがハドリーの元へ戻ってリリーが生まれた。レイがヘレナを選んでブライアンが生まれた。それが『正しい道』だと私は思うのよ。何故だって言われると困るけどね」
片眉を上げて暫く考え込んだフレッドは、やがて片手を上げて、「前言撤回。俺はリンダの説を支持する」と、大真面目に呟いた。
「おいおい。そんなロマンチック、お前が一番らしくないぞ、フレッド」
と、ハドリーが苦笑いすると、フレッドはニヤリと笑って言い返した。
「お前にゃもう分かってるんだろ? ハドリー」
ハドリーはそれには答えず、静かに微笑んでいた。それから暫くは誰も話さず、沈黙の中、各々の想いを噛み締めていた。
「道理で、ヘレナがニナの死を悟ったわけだ……」
暫くの沈黙を破ってレイモンドが寂しそうに呟いた言葉に、ハドリーが怪訝そうに顔を上げた。
「ヘレナには分かったんだ。ニナが神に召された瞬間が。真夜中に起き出して泣き出した。後でニナの死亡時間を確かめたら、寸分の狂いも無かった」
「そうか……」
俯くレイモンドに、ハドリーも寂しそうな笑みを浮かべて呟いた。
「で、『正しい道に辿り着いた』、それで何がどう変わるんだ?」
フレッドがおもむろに手を広げて、全員を見渡した。
「何も変わらないさ、何もな」
ハドリーがフレッドに微笑んだ。
「その道が何処へ続くのかは、俺達の子供達が見届けてくれる。今迄通り、俺達は一緒に仕事をしていく。それは何も変わらない。だが、俺の子供達とレイの息子は従兄弟同士だ。仲良くしてやってくれ」
「そうよ。それにアタシはレイの義姉って事ね」
リンダがウキウキとした顔でレイモンドを覗き込むと、ハドリーが眉を顰めてリンダを睨んだ。
「まさかお前、レイにまで『姉の言う事に従え』って言うんじゃないだろうな?」
「勿論。言うに決まってるじゃない。可愛い妹のためにね」
ウィンクするとリンダは楽しそうにカラカラと笑った。その言葉に苦笑したレイモンドも「分かりました。姉上様」と返し、顔を見合わせたフレッドとハドリーも苦笑を浮かべ、困って頭を掻いているレイモンドの肩を気の毒そうに両方から叩いて笑った。
――ニナ。お前、随分と大家族になってきたな。見守る相手が増えて大変だぞ。
ハドリーが心の中で呟くと、ニナが耳元でクスッと笑ったような気がして、少しくすぐったくなった耳元を照れたように小さく掻いて、静かに微笑みを浮かべた。